インフルエンザに罹るか罹らないかは、体内に陽性がたまっているかどうかですが、
その陽性が少しでもあると、煩悩が生まれます。
でも、陽性がまったく無いと生きることができないので、
煩悩も無ければ生きられない。生のエネルギーになるから。
インフルエンザに罹るのは陽性の排毒ですが、煩悩の消化でもあるかな。
それはさておき、
『大日経』 では、
心を動きを観察して、ひとつひとつの迷いを慈悲の行いによって仏の智慧に転換し、
その後に、ものの見かたの執われを克服し、
心の純度を上げる。
その繰り返しの積集によって、如実に自分の心を知ることができ、それが悟りである、
としていますが、
『金剛頂経』では、
その積集が、「真言を唱える」ことで代替できるとしています。真言を唱えるだけで自分の心を如実に知ることができる。悟ることができる。
そのためには、仏と相応(ヨーガ)していることが前提ですが、
とにかく長年の修行と、真言を唱えることが同じ価値。
ちょっとした欲望は、
呼吸を止めるか、冷水を浴びれば消えますので、
毎日それを続ければ心が調う。
まったく邪魔な欲望を無くすには、
陰性な野菜に、陰性な酢と油とコショウのドレッシングを、お腹いっぱい食べればよろしい。
普段の生活でも、
性欲は食欲で代替され、
食欲はコミュニケーション欲に代替される。
貪りはプレゼント することで、
怒りは微笑むことで、
無知は勉強の楽しみ を知ることで
代替されます。
もし、自他にとって迷惑になるような欲望があっても、
それを利益になる欲望に代替すれば、
自他ともに救われる。
その陽性が少しでもあると、煩悩が生まれます。
でも、陽性がまったく無いと生きることができないので、
煩悩も無ければ生きられない。生のエネルギーになるから。
インフルエンザに罹るのは陽性の排毒ですが、煩悩の消化でもあるかな。
それはさておき、
『大日経』 では、
心を動きを観察して、ひとつひとつの迷いを慈悲の行いによって仏の智慧に転換し、
その後に、ものの見かたの執われを克服し、
心の純度を上げる。
その繰り返しの積集によって、如実に自分の心を知ることができ、それが悟りである、
としていますが、
『金剛頂経』では、
その積集が、「真言を唱える」ことで代替できるとしています。真言を唱えるだけで自分の心を如実に知ることができる。悟ることができる。
そのためには、仏と相応(ヨーガ)していることが前提ですが、
とにかく長年の修行と、真言を唱えることが同じ価値。
ちょっとした欲望は、
呼吸を止めるか、冷水を浴びれば消えますので、
毎日それを続ければ心が調う。
まったく邪魔な欲望を無くすには、
陰性な野菜に、陰性な酢と油とコショウのドレッシングを、お腹いっぱい食べればよろしい。
普段の生活でも、
性欲は食欲で代替され、
食欲はコミュニケーション欲に代替される。
貪りはプレゼント することで、
怒りは微笑むことで、
無知は勉強の楽しみ を知ることで
代替されます。
もし、自他にとって迷惑になるような欲望があっても、
それを利益になる欲望に代替すれば、
自他ともに救われる。
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