新年のご祈祷をして、お札をお送りしました。
一年間毎朝ご祈祷しますので、ご安心ください。
拝むことは心を静かにして観察することですが、
それによって心が晴れ、広く限界が開けます。
そうすると、
あらゆるものに対して優しさ、いとおしさ、懐かしさが生まれ、
他人のことを拝んでも、自分の心が平安になるので、自分自身が拝むことの恩恵を受けます。
拝むことで、他の心を開いて真理を示すというようなことにもつながる。
病気や災難を止めることは、心中の煩悩を除くこと
商売繁盛繁栄栄達を祈るのは、心中の福智を増進すること
怨敵悪魔を降伏させたいと願うのは、根源的な無知を降伏させようとすること
誰からも愛されたいと思うのは、慈悲の徳を大きくすること。
つまり、
世間の祈りの中に成仏(悟り=自分の心を知ること)が隠れています。
悟りとは幸せのことで、
幸せとは心が平安になることです。
世間の祈りは比較的即効性が期待されますが、
成仏(悟り)は時間がかかるりますし、必要と思わない人も多い。
でも、
長く祈り続けることで、世間の解釈は豊かになり、利益は長持ちします。
僕らには元々仏になる性質が隠されていますから、
苦しみ悩みを解決する能力もあるはずです。
密教は大日如来を総尊として、
阿弥陀、観音、不動、地蔵、文殊、普賢、薬師等々、
多くの仏を立てます。
それらの仏はそれぞれに誓願があり、特徴がある。
僕らの心が時間によって変わるように。
そして、
僕らの願いと仏の願いが溶け合う時に、
心が、それぞれの仏に成ります。
例えば、
仏さまを供養する。最大の供養は菩提心を発すことです。
菩提心は悟りを求める心で、その中心のひとつが慈悲心。
慈悲は思いやりと優しさです。
この心があれば、自他は平安になり、仲良く暮らすことができます。
仏の誓願は、皆が仲良く平和に暮らして、悟りに向かうことですから、
僕らが供養する時、僕らは仏になります。
自他の平安と所願成就のために、ご一緒に拝んでください。
一年間毎朝ご祈祷しますので、ご安心ください。
拝むことは心を静かにして観察することですが、
それによって心が晴れ、広く限界が開けます。
そうすると、
あらゆるものに対して優しさ、いとおしさ、懐かしさが生まれ、
他人のことを拝んでも、自分の心が平安になるので、自分自身が拝むことの恩恵を受けます。
拝むことで、他の心を開いて真理を示すというようなことにもつながる。
病気や災難を止めることは、心中の煩悩を除くこと
商売繁盛繁栄栄達を祈るのは、心中の福智を増進すること
怨敵悪魔を降伏させたいと願うのは、根源的な無知を降伏させようとすること
誰からも愛されたいと思うのは、慈悲の徳を大きくすること。
つまり、
世間の祈りの中に成仏(悟り=自分の心を知ること)が隠れています。
悟りとは幸せのことで、
幸せとは心が平安になることです。
世間の祈りは比較的即効性が期待されますが、
成仏(悟り)は時間がかかるりますし、必要と思わない人も多い。
でも、
長く祈り続けることで、世間の解釈は豊かになり、利益は長持ちします。
僕らには元々仏になる性質が隠されていますから、
苦しみ悩みを解決する能力もあるはずです。
密教は大日如来を総尊として、
阿弥陀、観音、不動、地蔵、文殊、普賢、薬師等々、
多くの仏を立てます。
それらの仏はそれぞれに誓願があり、特徴がある。
僕らの心が時間によって変わるように。
そして、
僕らの願いと仏の願いが溶け合う時に、
心が、それぞれの仏に成ります。
例えば、
仏さまを供養する。最大の供養は菩提心を発すことです。
菩提心は悟りを求める心で、その中心のひとつが慈悲心。
慈悲は思いやりと優しさです。
この心があれば、自他は平安になり、仲良く暮らすことができます。
仏の誓願は、皆が仲良く平和に暮らして、悟りに向かうことですから、
僕らが供養する時、僕らは仏になります。
自他の平安と所願成就のために、ご一緒に拝んでください。
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