新学期新生活の季節ですね。
例えば、
自動車教習所で運転免許が取れますが、それは運転してもよろしい、というだけで、
運転がうまい、ということではない。
卒業後、何年もかけ毎日運転して、上手になります。
同じように、仏教も料理も、修行道場や料理教室に行ったから上手になるわけではなく、
そこで教わったことを毎日の生活で繰り返し、実践する人が、優秀な僧侶や料理人になります。
新しいことが始まる春、
いろいろ上手なことを増やして、楽しい人生にしましょう。
さて、始まりがあれば終わりもあります。
先の土曜日は福島・郡山の東山霊園、日曜日は千葉・萩の郷霊園で拝みました。
郡山では、
高齢の御夫婦が相次いで亡くなり、お子さんがいないので御親戚の方々と葬儀法事をしていましたが、
今回家を取り壊し、仏壇とお墓もしまうことになりました。
このように、後継ぎがいないなどの理由で、仏壇終い、墓じまいということが最近は多い。
仏壇にある位牌やご本尊は僕が持ち帰り、当庵で供養してお焚き上げします。
仏壇そのものは行政の処理場で処分できます。
お墓の遺骨は、共同納骨堂や縁者の墓地に移したり、散骨という方法もある。
墓石の処理は業者に依頼。
故人の供養は、葬儀をした寺の過去長に記載がありますから、寺のお勤めで毎月命日にご回向します。
これらは亡くなった後のことですが、亡くなる前のこともあります。
特に老人や重篤な病人のこと。
以前、
T病院の老人病棟へ、僧形で何度かお見舞いに行き、お年寄りのかたがたと四方山話をしました。
なんでもいいから、何か話をしに来てくれ
というお誘いを受けてのことでした。
ほとんどが末期がんの患者さん。
そういう人の中には、意志的な死を考える人もいます。
現世の苦しみから逃げるのではなく、
あまりみっともないことにならないうちに、お先に失礼します。
人生楽しかった、ありがとう、ごきげんよう
というような意志的な死。
終着駅に着いて、自らの力で下車したい。
太宰はこういう死を「グッド・バイ」と言いました。
自殺を進めるわけではありませんが、もし、そういう人が出てきた場合に、僕らに何かすることがあるはず。
と以前から考えています。
ところで、
仮に自殺があったとしても、それは自殺以外の死と違いはありません。自殺だから極楽へ行けない、などということは無い。
人はみなゆっくり自殺しているようなものです。
まじめに精進していれば、健康と長寿が得られるのに、
お酒を飲んだり不自然なものを食べ散らかしたり、
夜遊び夜更かし不規則な生活をしたり、不平不満をもって良くないストレスをためたり、
と、自らの心身を弱め、寿命を縮めています。
ですから、自殺しても、その死は事故死病死などと同じです。
みな、同じ死。
そして、
これらの生死を超えることを、悟りと言います。
_____________________________
○眞天庵仏教塾・密教塾「懺悔と誓願」
http://shintenan.syoyu.net/%E7%9C%9E%E5%A4%A9%E5%BA%B5%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%A1%BE%E3%83%BB%E5%AF%86%E6%95%99%E5%A1%BE/
○料理12か月「4月の料理・美人になるメニュー」
http://shintenan.syoyu.net/%E6%96%99%E7%90%8612%E3%81%8B%E6%9C%88/%EF%BC%94%E6%9C%88%E3%81%AE%E6%96%99%E7%90%86%E3%83%BB%E7%BE%8E%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC
○穀菜食の舎「諸悪を断つ:春の症状改善方法 冷え性 便秘 認知症」
http://shintenan.syoyu.net/%E7%A9%80%E8%8F%9C%E9%A3%9F%E3%81%AE%E8%88%8E%E4%BC%9A%E5%93%A1%E7%94%A8%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8/%E8%AB%B8%E6%82%AA%E3%82%92%E6%96%AD%E3%81%A4%EF%BC%9A%E6%98%A5%E3%81%AE%E7%97%87%E7%8A%B6%E6%94%B9%E5%96%84%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%80%80%E5%86%B7%E3%81%88%E6%80%A7%E3%80%80%E4%BE%BF%E7%A7%98%E3%80%80%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87
例えば、
自動車教習所で運転免許が取れますが、それは運転してもよろしい、というだけで、
運転がうまい、ということではない。
卒業後、何年もかけ毎日運転して、上手になります。
同じように、仏教も料理も、修行道場や料理教室に行ったから上手になるわけではなく、
そこで教わったことを毎日の生活で繰り返し、実践する人が、優秀な僧侶や料理人になります。
新しいことが始まる春、
いろいろ上手なことを増やして、楽しい人生にしましょう。
さて、始まりがあれば終わりもあります。
先の土曜日は福島・郡山の東山霊園、日曜日は千葉・萩の郷霊園で拝みました。
郡山では、
高齢の御夫婦が相次いで亡くなり、お子さんがいないので御親戚の方々と葬儀法事をしていましたが、
今回家を取り壊し、仏壇とお墓もしまうことになりました。
このように、後継ぎがいないなどの理由で、仏壇終い、墓じまいということが最近は多い。
仏壇にある位牌やご本尊は僕が持ち帰り、当庵で供養してお焚き上げします。
仏壇そのものは行政の処理場で処分できます。
お墓の遺骨は、共同納骨堂や縁者の墓地に移したり、散骨という方法もある。
墓石の処理は業者に依頼。
故人の供養は、葬儀をした寺の過去長に記載がありますから、寺のお勤めで毎月命日にご回向します。
これらは亡くなった後のことですが、亡くなる前のこともあります。
特に老人や重篤な病人のこと。
以前、
T病院の老人病棟へ、僧形で何度かお見舞いに行き、お年寄りのかたがたと四方山話をしました。
なんでもいいから、何か話をしに来てくれ
というお誘いを受けてのことでした。
ほとんどが末期がんの患者さん。
そういう人の中には、意志的な死を考える人もいます。
現世の苦しみから逃げるのではなく、
あまりみっともないことにならないうちに、お先に失礼します。
人生楽しかった、ありがとう、ごきげんよう
というような意志的な死。
終着駅に着いて、自らの力で下車したい。
太宰はこういう死を「グッド・バイ」と言いました。
自殺を進めるわけではありませんが、もし、そういう人が出てきた場合に、僕らに何かすることがあるはず。
と以前から考えています。
ところで、
仮に自殺があったとしても、それは自殺以外の死と違いはありません。自殺だから極楽へ行けない、などということは無い。
人はみなゆっくり自殺しているようなものです。
まじめに精進していれば、健康と長寿が得られるのに、
お酒を飲んだり不自然なものを食べ散らかしたり、
夜遊び夜更かし不規則な生活をしたり、不平不満をもって良くないストレスをためたり、
と、自らの心身を弱め、寿命を縮めています。
ですから、自殺しても、その死は事故死病死などと同じです。
みな、同じ死。
そして、
これらの生死を超えることを、悟りと言います。
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○眞天庵仏教塾・密教塾「懺悔と誓願」
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○料理12か月「4月の料理・美人になるメニュー」
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○穀菜食の舎「諸悪を断つ:春の症状改善方法 冷え性 便秘 認知症」
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