お酒は好きだけれど、他人と飲むのは苦手。
飲んでいると言葉を間違うから、
しらふの時に、真面目に真剣に熱く話をしたい。
在家の五戒に不飲酒があります。
お酒を飲んではいけない。
なぜかと云えば、
仏教は覚醒の宗教であって、酔迷を嫌う。
修行の邪魔になるからですね、仏教は修行の宗教です。
そして、
お酒を飲むと、盗み、嘘、殺生、邪淫など他の悪を行う危険が高くなる。
この辺は『智度論』や『正法念処経』にあるのですが、
戒律を守ることは心を静かにすることにつながり、
心を静かにすれば仏の智慧を得ることができます。
だから、
戒律を守らなければ仏弟子ではない。
お大師さんの『御遺誡』にも、
「もし故に犯ずる者は、仏弟子にあらず、我もまた彼が師にあらず。かの泥団折木に何ぞ異ならん」
とある。
お酒を飲む僕は、
お大師さんの弟子どころか仏教徒ですらない。
世の中には、
不飲酒とは、酒を飲むこと自体を戒めているのではない。酒によって堕落し、悪を行うことを戒めているのだ。飲んでも飲まれるな、だ。
と言う人もいます。
一緒に酒を酌み交わすことが供養になる、酒を一緒に飲むことで、心を許して檀家さんと話ができる
と考えるお坊さんも多いだろうな。
でも、それは世間の意見にすぎない。仏教は世間の倫理道徳とは違う。
ホントはね。
とにかく、
仏教は瞑想の宗教で、飲んだら瞑想できない。
十善戒の最初は不殺生。
殺してはいけない。
仏教に限らず、どの宗教でも同じだろうな。
『正法念処経』『中阿含経』『華厳経』などに説かれていますが、
これは不飲酒と違って理屈は不要。
殺してはいけない、のに理由はいらない。
ダメなものはダメなんだ。
首から上で考えることではない、そういうことが世間にはいくつもあるけれど、
ダメだからダメ、と押し付けてはいけない世の中になっているみたい。
それにしても、
酒でダメになるヤツは、それまでのヤツ
という気持ちが無ければ、飲んではいけない
と自己弁護。
飲んでいると言葉を間違うから、
しらふの時に、真面目に真剣に熱く話をしたい。
在家の五戒に不飲酒があります。
お酒を飲んではいけない。
なぜかと云えば、
仏教は覚醒の宗教であって、酔迷を嫌う。
修行の邪魔になるからですね、仏教は修行の宗教です。
そして、
お酒を飲むと、盗み、嘘、殺生、邪淫など他の悪を行う危険が高くなる。
この辺は『智度論』や『正法念処経』にあるのですが、
戒律を守ることは心を静かにすることにつながり、
心を静かにすれば仏の智慧を得ることができます。
だから、
戒律を守らなければ仏弟子ではない。
お大師さんの『御遺誡』にも、
「もし故に犯ずる者は、仏弟子にあらず、我もまた彼が師にあらず。かの泥団折木に何ぞ異ならん」
とある。
お酒を飲む僕は、
お大師さんの弟子どころか仏教徒ですらない。
世の中には、
不飲酒とは、酒を飲むこと自体を戒めているのではない。酒によって堕落し、悪を行うことを戒めているのだ。飲んでも飲まれるな、だ。
と言う人もいます。
一緒に酒を酌み交わすことが供養になる、酒を一緒に飲むことで、心を許して檀家さんと話ができる
と考えるお坊さんも多いだろうな。
でも、それは世間の意見にすぎない。仏教は世間の倫理道徳とは違う。
ホントはね。
とにかく、
仏教は瞑想の宗教で、飲んだら瞑想できない。
十善戒の最初は不殺生。
殺してはいけない。
仏教に限らず、どの宗教でも同じだろうな。
『正法念処経』『中阿含経』『華厳経』などに説かれていますが、
これは不飲酒と違って理屈は不要。
殺してはいけない、のに理由はいらない。
ダメなものはダメなんだ。
首から上で考えることではない、そういうことが世間にはいくつもあるけれど、
ダメだからダメ、と押し付けてはいけない世の中になっているみたい。
それにしても、
酒でダメになるヤツは、それまでのヤツ
という気持ちが無ければ、飲んではいけない
と自己弁護。
PR