東海林さだおの『誰だってズルしたい!』に、
「悟りというものは常に突然やってくるものだ。
悟りは常にひらめきと共にやってくる
ブッダやモハメッドやニイチェやアインシュタインのひらめきも突然やってきた」
とあり、
ショージ君は、
「この世の仕組みはすべてズルでできあがっている」
ということをひらめき、大悟したらしい。
それは、
人間の本性はズルである
ということ。
『大日経』に
菩提と一切智性は自心の中に尋求すべし
とあり、これは「心が本性清浄」という前提です。
人間の本性は清浄である、ということ。
いろいろまとわりついたり染まったり執らわれていることばかりだけれど、
そういうものをどんどん取り除いていけば、最後の最後に光り輝くものが現れる。
それが清浄な本性。
お大師さんの著作には、
本性清浄とは、衆生本来清浄の心なり。この清浄の心は、なおし円鏡の垢無く、よく諸の色像を現するがごとし(法華経開題)
衆生は無明妄想をもって本性の真覚を覆蔵するが故に、衆生の自秘という(二教論)
自心に菩薩および一切智々を尋求す。何を持っての故に、本性清浄なるがゆえに、心は内に在らず、外に在らず、および両中間にも心不可得なり (秘蔵宝鑰)
この三昧を修すれば、またよく、妄心より起こるところの雑染速やかに滅し、疾く本性清浄の法門を証す(法華経密業)
など、他にもある。
ところで、
お釈迦さんは長年の修行を経て、自心を如実に知るという悟りに至った。
アインシュタインは長年の勉強によってひらめいた。
かように、
修行、トレーニング、練習、勉強を長く続けていればこそ、悟りやひらめきがある。
何もしないでひらめいたのは妄想錯覚だ。
ショージ君は、長年のズルの積み重ねによってその本性を知ったのだろうな。
僕も同じ。
「悟りというものは常に突然やってくるものだ。
悟りは常にひらめきと共にやってくる
ブッダやモハメッドやニイチェやアインシュタインのひらめきも突然やってきた」
とあり、
ショージ君は、
「この世の仕組みはすべてズルでできあがっている」
ということをひらめき、大悟したらしい。
それは、
人間の本性はズルである
ということ。
『大日経』に
菩提と一切智性は自心の中に尋求すべし
とあり、これは「心が本性清浄」という前提です。
人間の本性は清浄である、ということ。
いろいろまとわりついたり染まったり執らわれていることばかりだけれど、
そういうものをどんどん取り除いていけば、最後の最後に光り輝くものが現れる。
それが清浄な本性。
お大師さんの著作には、
本性清浄とは、衆生本来清浄の心なり。この清浄の心は、なおし円鏡の垢無く、よく諸の色像を現するがごとし(法華経開題)
衆生は無明妄想をもって本性の真覚を覆蔵するが故に、衆生の自秘という(二教論)
自心に菩薩および一切智々を尋求す。何を持っての故に、本性清浄なるがゆえに、心は内に在らず、外に在らず、および両中間にも心不可得なり (秘蔵宝鑰)
この三昧を修すれば、またよく、妄心より起こるところの雑染速やかに滅し、疾く本性清浄の法門を証す(法華経密業)
など、他にもある。
ところで、
お釈迦さんは長年の修行を経て、自心を如実に知るという悟りに至った。
アインシュタインは長年の勉強によってひらめいた。
かように、
修行、トレーニング、練習、勉強を長く続けていればこそ、悟りやひらめきがある。
何もしないでひらめいたのは妄想錯覚だ。
ショージ君は、長年のズルの積み重ねによってその本性を知ったのだろうな。
僕も同じ。
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