即身成仏したからといって、もちろん見た目は変わりません。
栂尾祥雲先生は、
「あらゆるものの中で最も正確にその実際を知ることができるのは「われ」である。
「われ」以外は客観的にしか知ることはできない。
その「われ」を如実に知ることが悟りである。
悟りといっても、それは肉身に対する見かたであり、考えかたであって、
つまり、それを考える心の問題に他ならない」
とあります。(『密教教理概説』 )
ところが、
即身成仏は「即心」ではなく「即身」。
この即は不離のことですが、
『即身成仏義』では、相応、つまり瑜伽の意味で使っているように読めます。
自分と仏が瑜伽(ヨーガ:溶け合う)する、と。
『十住心論』第十には、
成仏を規定して、
「徹底的に自心の源底を覚知し、また実の如くに自身の数量をさとること」
とあります。
さらに、
成仏(さとり)にいたる方法である五相成身観では、自身は仏身になります。仏心ではない。
宇宙法界にあるものは(僕らが見るもの聞くもの感じるもの、あるいは感じないものも)
すべて仏のシンボルです。
宇宙法界が仏の象徴とも云える。
それを感じるのは自分の心ですから、
心の中に仏が遍満する宇宙法界があります。
その心も一切の仏のシンボルですから、
自心中の仏と、宇宙全体の仏が相即(ヨーガ)します。
彼此無別になる。
瞑想修行によって、
自心が、本来あるべき仏の身体として展開される。
ようするに、
悟りは心の問題ではなく、具体的な経験として存在することになります。
そして、
当然、それは自分だけのことではありませんから、
自分以外のすべてが、仏の顕在ということになります。
これを心のトレーニングで証明する。
栂尾先生は、成仏することで、
「しきりに不平不満を訴え、あらゆる罪悪感におののいていたものが、
いかにもすがすがしい平和な喜悦に輝く。
疑惑や混乱に悶えていたものが、忽ちにして安らかな生き生きとした心の持ち主となる」
と云います。
悩みを去り、疲れを癒し、無限の力と喜びを得て、再出発する。
そうして、他の苦を抜き、楽を与えることが、平常心でできるようになる。
金剛界次第には、
成菩提の後に五相成身観がありますが、
どの修法でも、
入我我入観で、五相を瞑想するのが良いだろうと考えています。
広観斂観が入我我入であり、
五相成身観の修金剛心から証金剛身は広観と斂観ですから。
一般のかた向けには、
月輪観という瞑想法があります。
簡単に言えば、
自分の心をよく観察して、静かにまとめるものですが、
上記栂尾先生の言葉のように、
衒(てら)わず、光を和らげて塵に同ずる、
平安な生きかたができるようになります。
栂尾祥雲先生は、
「あらゆるものの中で最も正確にその実際を知ることができるのは「われ」である。
「われ」以外は客観的にしか知ることはできない。
その「われ」を如実に知ることが悟りである。
悟りといっても、それは肉身に対する見かたであり、考えかたであって、
つまり、それを考える心の問題に他ならない」
とあります。(『密教教理概説』 )
ところが、
即身成仏は「即心」ではなく「即身」。
この即は不離のことですが、
『即身成仏義』では、相応、つまり瑜伽の意味で使っているように読めます。
自分と仏が瑜伽(ヨーガ:溶け合う)する、と。
『十住心論』第十には、
成仏を規定して、
「徹底的に自心の源底を覚知し、また実の如くに自身の数量をさとること」
とあります。
さらに、
成仏(さとり)にいたる方法である五相成身観では、自身は仏身になります。仏心ではない。
宇宙法界にあるものは(僕らが見るもの聞くもの感じるもの、あるいは感じないものも)
すべて仏のシンボルです。
宇宙法界が仏の象徴とも云える。
それを感じるのは自分の心ですから、
心の中に仏が遍満する宇宙法界があります。
その心も一切の仏のシンボルですから、
自心中の仏と、宇宙全体の仏が相即(ヨーガ)します。
彼此無別になる。
瞑想修行によって、
自心が、本来あるべき仏の身体として展開される。
ようするに、
悟りは心の問題ではなく、具体的な経験として存在することになります。
そして、
当然、それは自分だけのことではありませんから、
自分以外のすべてが、仏の顕在ということになります。
これを心のトレーニングで証明する。
栂尾先生は、成仏することで、
「しきりに不平不満を訴え、あらゆる罪悪感におののいていたものが、
いかにもすがすがしい平和な喜悦に輝く。
疑惑や混乱に悶えていたものが、忽ちにして安らかな生き生きとした心の持ち主となる」
と云います。
悩みを去り、疲れを癒し、無限の力と喜びを得て、再出発する。
そうして、他の苦を抜き、楽を与えることが、平常心でできるようになる。
金剛界次第には、
成菩提の後に五相成身観がありますが、
どの修法でも、
入我我入観で、五相を瞑想するのが良いだろうと考えています。
広観斂観が入我我入であり、
五相成身観の修金剛心から証金剛身は広観と斂観ですから。
一般のかた向けには、
月輪観という瞑想法があります。
簡単に言えば、
自分の心をよく観察して、静かにまとめるものですが、
上記栂尾先生の言葉のように、
衒(てら)わず、光を和らげて塵に同ずる、
平安な生きかたができるようになります。
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