『釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん)』に、
一切の言葉を、
迷いと悟りを基準に、五つにわけた五種言説が説かれています。
「言葉には五つの種類がある。
1、相言説(すがたの言説)
2、夢言説
3、妄執言説(とらわれの言説)
4、無始言説(ならわしの言説)
5、如義言説(まことの言説)」
( )内は栂尾先生の訳。
これを、お大師さんが
『弁顕密二教論 』に引いています。
真如は、人間の言葉で思考し、表現するのは難しいけれど、
如義言説という真実の「仏の言葉」で説くことができる
という内容ですが、
夢言説について、こうあります。
「夢の言説とは
もと過去に受用し、
経験した因縁生のいつわりの境界をつねに思念することから、
その境界を夢み、その夢の覚めおわった後
それがいつわりの境界によって起るもので、
実体があるわけではないことを知って生じるもの」
自分の過去に執着することが迷いである、
ということ。
今から1000年以上前に、
夢は過去の再生にすぎない虚妄である、
と判断していることが、
すごいことだなあ、と感じます。
一切の言葉を、
迷いと悟りを基準に、五つにわけた五種言説が説かれています。
「言葉には五つの種類がある。
1、相言説(すがたの言説)
2、夢言説
3、妄執言説(とらわれの言説)
4、無始言説(ならわしの言説)
5、如義言説(まことの言説)」
( )内は栂尾先生の訳。
これを、お大師さんが
『弁顕密二教論 』に引いています。
真如は、人間の言葉で思考し、表現するのは難しいけれど、
如義言説という真実の「仏の言葉」で説くことができる
という内容ですが、
夢言説について、こうあります。
「夢の言説とは
もと過去に受用し、
経験した因縁生のいつわりの境界をつねに思念することから、
その境界を夢み、その夢の覚めおわった後
それがいつわりの境界によって起るもので、
実体があるわけではないことを知って生じるもの」
自分の過去に執着することが迷いである、
ということ。
今から1000年以上前に、
夢は過去の再生にすぎない虚妄である、
と判断していることが、
すごいことだなあ、と感じます。
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