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[ 2024/11/25 16:27 | ]
希望と勇気
もう5年なのかまだ5年なのかはわかりませんが、とにかく5年。

3月9日、10日。

郡山で何人かと会ってお話。 

郡山は除染と復興作業で景気が良いところもあるけれど、

除染は何のためにやっているのかわからない。線量が上がることもあるし。

庭はきれいになるけれど。

原発周辺からの避難者と、地元の人との間ではなかなかうまくいかないこともある。

地震で家が壊れた。

津波で流された。

原発で避難した。

人が亡くなった。

それぞれ事情も保証も賠償金も違う。

住めないという点では同じなのに、家の壊れかたでも違う。

でも、

福島の農産物と酒はうまい。

安全基準や検査が厳しいから、都会のものより安心。何より鮮度が違うし安い。

今や、放射性物質についてはデータや情報が整理され、冷静に判断できる環境ですが、

事実と違う間違いを認められない、情報の確認も出来ない人は少なくない。


11日、

福島第二原発がある富岡町へ。 第一原発までは6~7キロ。  

ここは居住制限区域ですが、今の線量は0.2μ㏜/hくらい。 

震災後、我が家が住んでいた郡山と同じくらい。


国道6号線は通れるけれど、

これより北は帰宅困難地域で線量も上がります。

道路から離れるとバリケードがあり、防護服を来た人たちが作業をしている。

富岡町・双葉警察署北の公園に慰霊碑があるのでそこで読経


線量計が並ぶ常磐自動車道を走って、宮城県名取市・閖上に。

11日なので、慰霊碑には大勢の人がお参りし、テレビやマスコミも多い。



空が青い。


若林区荒浜の深沼観音で読経。

周囲はあの日のまま。ここは人が住めない地域。

海には防波堤ができて、砂浜に出られるようになっていた。

海に向かって読経。

風が冷たい。


翌日は津波被災地から仙台市に避難しているかたがたと写経の会。

家族を亡くし、家や仕事を無くし、

ようやく5年、まだ5年。

立ち直る人、そうでない人。

家族が死んでも、その分思いっきり生きようと思える人。

5年たって、ようやく泣けるようになった人。

生きているから泣ける、考えなおして生きてゆく、と思う人。

人によって心の恢復は異なるけれど、

ほとんどの人の心にある故郷の空は美しい 。


その後、

東松島市宮戸地区、長音寺跡、野蒜小学校跡、東名慰霊碑を巡拝。




旧野蒜駅は保存され、ここで売っている「海苔うどん」がうまい。



津波の跡には多くの重機が入り、大規模な圃場整備や土地のかさ上げ工事が進んでいますが、
今後どう使うのか決まっていないところも多い。

移転する費用が無い人も少なくない。

原発の影響が強い福島と、津波で多くのかたが亡くなった宮城とでは、

いろいろなことが違っています。

そして、どちらも、

負の遺産が残りそうな復興事業が多い。




それにしても、

人が住まなくなったところには泥棒が多い。

エアコンの室外機なんかも売れるからね。


宗教は懺悔(自分自身に対する)と感謝(自分以外に対する) が基本です。

生きていれば悟りや幸せを目指して、懺悔感謝の修行ができる。

亡くなったかたはそれができないから、生きている人が功徳を積んで回向する。

生きることには、そういう役割もある。


生きてゆくためには、希望と勇気が必要です。家や食べ物より重要かもしれない。

何かあったとき、

自分で希望と勇気を持てないことがある。

そういう時、

誰かが応援したり、手伝ったり、手をつないだり、拝んだりすれば、

希望と勇気を持つきっかけになります。

生きることには、そういう役割もある。


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[ 2016/03/14 07:59 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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