もう5年なのかまだ5年なのかはわかりませんが、とにかく5年。
3月9日、10日。
郡山で何人かと会ってお話。
郡山は除染と復興作業で景気が良いところもあるけれど、
除染は何のためにやっているのかわからない。線量が上がることもあるし。
庭はきれいになるけれど。
原発周辺からの避難者と、地元の人との間ではなかなかうまくいかないこともある。
地震で家が壊れた。
津波で流された。
原発で避難した。
人が亡くなった。
それぞれ事情も保証も賠償金も違う。
住めないという点では同じなのに、家の壊れかたでも違う。
でも、
福島の農産物と酒はうまい。
安全基準や検査が厳しいから、都会のものより安心。何より鮮度が違うし安い。
今や、放射性物質についてはデータや情報が整理され、冷静に判断できる環境ですが、
事実と違う間違いを認められない、情報の確認も出来ない人は少なくない。
11日、
福島第二原発がある富岡町へ。 第一原発までは6~7キロ。
ここは居住制限区域ですが、今の線量は0.2μ㏜/hくらい。
震災後、我が家が住んでいた郡山と同じくらい。
国道6号線は通れるけれど、
これより北は帰宅困難地域で線量も上がります。
道路から離れるとバリケードがあり、防護服を来た人たちが作業をしている。
富岡町・双葉警察署北の公園に慰霊碑があるのでそこで読経
線量計が並ぶ常磐自動車道を走って、宮城県名取市・閖上に。
11日なので、慰霊碑には大勢の人がお参りし、テレビやマスコミも多い。
空が青い。
若林区荒浜の深沼観音で読経。
周囲はあの日のまま。ここは人が住めない地域。
海には防波堤ができて、砂浜に出られるようになっていた。
海に向かって読経。
風が冷たい。
翌日は津波被災地から仙台市に避難しているかたがたと写経の会。
家族を亡くし、家や仕事を無くし、
ようやく5年、まだ5年。
立ち直る人、そうでない人。
家族が死んでも、その分思いっきり生きようと思える人。
5年たって、ようやく泣けるようになった人。
生きているから泣ける、考えなおして生きてゆく、と思う人。
人によって心の恢復は異なるけれど、
ほとんどの人の心にある故郷の空は美しい 。
その後、
東松島市宮戸地区、長音寺跡、野蒜小学校跡、東名慰霊碑を巡拝。
旧野蒜駅は保存され、ここで売っている「海苔うどん」がうまい。
津波の跡には多くの重機が入り、大規模な圃場整備や土地のかさ上げ工事が進んでいますが、
今後どう使うのか決まっていないところも多い。
移転する費用が無い人も少なくない。
原発の影響が強い福島と、津波で多くのかたが亡くなった宮城とでは、
いろいろなことが違っています。
そして、どちらも、
負の遺産が残りそうな復興事業が多い。
それにしても、
人が住まなくなったところには泥棒が多い。
エアコンの室外機なんかも売れるからね。
宗教は懺悔(自分自身に対する)と感謝(自分以外に対する) が基本です。
生きていれば悟りや幸せを目指して、懺悔感謝の修行ができる。
亡くなったかたはそれができないから、生きている人が功徳を積んで回向する。
生きることには、そういう役割もある。
生きてゆくためには、希望と勇気が必要です。家や食べ物より重要かもしれない。
何かあったとき、
自分で希望と勇気を持てないことがある。
そういう時、
誰かが応援したり、手伝ったり、手をつないだり、拝んだりすれば、
希望と勇気を持つきっかけになります。
生きることには、そういう役割もある。
3月9日、10日。
郡山で何人かと会ってお話。
郡山は除染と復興作業で景気が良いところもあるけれど、
除染は何のためにやっているのかわからない。線量が上がることもあるし。
庭はきれいになるけれど。
原発周辺からの避難者と、地元の人との間ではなかなかうまくいかないこともある。
地震で家が壊れた。
津波で流された。
原発で避難した。
人が亡くなった。
それぞれ事情も保証も賠償金も違う。
住めないという点では同じなのに、家の壊れかたでも違う。
でも、
福島の農産物と酒はうまい。
安全基準や検査が厳しいから、都会のものより安心。何より鮮度が違うし安い。
今や、放射性物質についてはデータや情報が整理され、冷静に判断できる環境ですが、
事実と違う間違いを認められない、情報の確認も出来ない人は少なくない。
11日、
福島第二原発がある富岡町へ。 第一原発までは6~7キロ。
ここは居住制限区域ですが、今の線量は0.2μ㏜/hくらい。
震災後、我が家が住んでいた郡山と同じくらい。
国道6号線は通れるけれど、
これより北は帰宅困難地域で線量も上がります。
道路から離れるとバリケードがあり、防護服を来た人たちが作業をしている。
富岡町・双葉警察署北の公園に慰霊碑があるのでそこで読経
線量計が並ぶ常磐自動車道を走って、宮城県名取市・閖上に。
11日なので、慰霊碑には大勢の人がお参りし、テレビやマスコミも多い。
空が青い。
若林区荒浜の深沼観音で読経。
周囲はあの日のまま。ここは人が住めない地域。
海には防波堤ができて、砂浜に出られるようになっていた。
海に向かって読経。
風が冷たい。
翌日は津波被災地から仙台市に避難しているかたがたと写経の会。
家族を亡くし、家や仕事を無くし、
ようやく5年、まだ5年。
立ち直る人、そうでない人。
家族が死んでも、その分思いっきり生きようと思える人。
5年たって、ようやく泣けるようになった人。
生きているから泣ける、考えなおして生きてゆく、と思う人。
人によって心の恢復は異なるけれど、
ほとんどの人の心にある故郷の空は美しい 。
その後、
東松島市宮戸地区、長音寺跡、野蒜小学校跡、東名慰霊碑を巡拝。
旧野蒜駅は保存され、ここで売っている「海苔うどん」がうまい。
津波の跡には多くの重機が入り、大規模な圃場整備や土地のかさ上げ工事が進んでいますが、
今後どう使うのか決まっていないところも多い。
移転する費用が無い人も少なくない。
原発の影響が強い福島と、津波で多くのかたが亡くなった宮城とでは、
いろいろなことが違っています。
そして、どちらも、
負の遺産が残りそうな復興事業が多い。
それにしても、
人が住まなくなったところには泥棒が多い。
エアコンの室外機なんかも売れるからね。
宗教は懺悔(自分自身に対する)と感謝(自分以外に対する) が基本です。
生きていれば悟りや幸せを目指して、懺悔感謝の修行ができる。
亡くなったかたはそれができないから、生きている人が功徳を積んで回向する。
生きることには、そういう役割もある。
生きてゆくためには、希望と勇気が必要です。家や食べ物より重要かもしれない。
何かあったとき、
自分で希望と勇気を持てないことがある。
そういう時、
誰かが応援したり、手伝ったり、手をつないだり、拝んだりすれば、
希望と勇気を持つきっかけになります。
生きることには、そういう役割もある。
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