仏性は、仏の性質、仏になる原因のことですが、
お大師さんの文章にもいくつかでてきます。
「卒塔婆はバン字の一字の所成なり。またアビラウンケンの五字の所成なり。
一一を取るに任せて、自性清浄心とも、真如とも、仏性とも、如来蔵とも、法性とも観ずべし」 (秘蔵記)
宇宙そのものも、僕らも含めて宇宙にあるものは全て大日如来であり
見方によれば、大日如来が変化したものであり、
考えようによっては、大日如来を宿しているものである。
つまり、仏性がある、
すでに悟っている、完成している、
それを観想して、宇宙と大日、自分と大日、自分と宇宙が同じであると悟る、
ということ。
「雙林に滅を告げてついに仏性を顕わせども、しかも聴衆あって果に羅漢を上ず」
(十住心論四)
『法華の儀軌経』にいわく、
「一切衆生の身中にみな仏性あり。如来蔵を具せり。一切衆生は無上菩提の法器にあらざることなし」 (十住心論八)
仏性があるのだから、修行してそれを開発する、
仏性があるからこそ、修行すれば仏になれる、
ということ。
「毛鱗角冠、蹄履尾裙、有情非情、動物植物、同じく平等の仏性を鍳みて忽ちに不二の大衍を証せむ 」 (為式部願文)
「鱗衫羽袍、蹄舃角冠、誰か仏性無からむ。早く実相を見よ 」 (藤大使為亡児願文)
毛のあるもの、ウロコがあるもの、角、蹄、尻尾があるもの、動物植物鉱物、
みな仏性があるのだから、仏になる可能性を持っている。
だから、みんなが悟りを開いて幸せになりますように、
ということ。
不二は唯一、
大衍(だいえん)は大乗
証は、悟り
実相は真如・悟り
のこと。
お大師さんの文章にもいくつかでてきます。
「卒塔婆はバン字の一字の所成なり。またアビラウンケンの五字の所成なり。
一一を取るに任せて、自性清浄心とも、真如とも、仏性とも、如来蔵とも、法性とも観ずべし」 (秘蔵記)
宇宙そのものも、僕らも含めて宇宙にあるものは全て大日如来であり
見方によれば、大日如来が変化したものであり、
考えようによっては、大日如来を宿しているものである。
つまり、仏性がある、
すでに悟っている、完成している、
それを観想して、宇宙と大日、自分と大日、自分と宇宙が同じであると悟る、
ということ。
「雙林に滅を告げてついに仏性を顕わせども、しかも聴衆あって果に羅漢を上ず」
(十住心論四)
『法華の儀軌経』にいわく、
「一切衆生の身中にみな仏性あり。如来蔵を具せり。一切衆生は無上菩提の法器にあらざることなし」 (十住心論八)
仏性があるのだから、修行してそれを開発する、
仏性があるからこそ、修行すれば仏になれる、
ということ。
「毛鱗角冠、蹄履尾裙、有情非情、動物植物、同じく平等の仏性を鍳みて忽ちに不二の大衍を証せむ 」 (為式部願文)
「鱗衫羽袍、蹄舃角冠、誰か仏性無からむ。早く実相を見よ 」 (藤大使為亡児願文)
毛のあるもの、ウロコがあるもの、角、蹄、尻尾があるもの、動物植物鉱物、
みな仏性があるのだから、仏になる可能性を持っている。
だから、みんなが悟りを開いて幸せになりますように、
ということ。
不二は唯一、
大衍(だいえん)は大乗
証は、悟り
実相は真如・悟り
のこと。
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