十善戒の最初にある不殺生。
なぜ殺してはいけないのか。
自分がそうされたくないからである。
そもそも、
ダメなものはダメなのであって、
そうでないと、仲良く楽しく元気に暮らせない。
さらに、
殺すという業(ごう)を作ってしまう。
業には必ず結果(報い)があり、
それはおそらく、悟りや幸せの障害になる。
蚊もハエもゴキブリも、
牛もブタも魚も野菜も、
殺せば、「殺した」という業を作る。
でも、
それをしないで生きてゆけないから、どうするかが問題になる。
懺悔するのが基本だけれど、それだけで良いのだろうか。
ひとつでも、
食べるためなどの理由で、
これは殺してもしょうがないのだ、としてしまえば、
次々に自己正当化が生じるから、注意しなくてはいけない。
『三昧耶戒序』には以下のようにある。
戒に二種あり。
ひとつは「ビナヤ」、調伏と訳す。
一切衆生を見ること己身のごとし
この故に敢えてその身命を害せず。
この慈悲の心によって、自然と不殺生などの不善を離れる
これがビナヤ。
もうひとつは「シーラ」、清涼寂静と訳す。
悪心を離れるがゆえに、
心中が清涼寂静になる。
これがシーラ。
同じように、
勉強修行して、より良い心を目指すことで、
自然と一切の悪をを離れ、善を修す。
だから、一切衆生の利益になる。
この、
一切衆生の利益になることが、
不殺生をはじめ、戒が存在する理由でしょう。
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