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[ 2024/11/22 06:38 | ]
後ろ向きで向上する
こんにゃくを焼いて食べよう、

と思いつき、タケノコと昆布と。



これからしばらく、淡竹(ハチク)が採れる。


野菜をたらふく食べたいと、息子が来たので、

野菜と豆腐の黄檗焼き、野菜スープその他諸々を作る。



寮の食事は野菜が少ないので、

コンビニやイオンで、

千切りキャベツやレタスを買って食べているらしい。

ファミマの袋入りがうまい、と云う。



それはさておき、 

法事の後で話をしていたら、

「南無大師遍照金剛」とは何のことですか?

と聞かれた。

弘法大師空海、お大師さんを礼拝する文句なのだけれど、

なぜ唱えるのだろうか。

お大師さん存命のころに、この言葉は無い。

お大師さんが唱えなさい、と云ったわけでもない。

入定後、

自分のことを、そのように呼び拝まれている、

とお聞きになったら、どうなのだろうか。


古くからの宗教では、

真理真如といったものは既に明らかになっており、

それらは経典聖典に書かれている。

だから、

どんなつまづきがあっても、その経典をひもとき、そこへ立ち返れば良い。

その経典を勉強すること、読み解くこと、

そこに書かれている内容を実践することが重要になる。

これは、

科学技術や社会が、前に向かって進歩発展開拓を目指しているのとは違い、

ずいぶんと後ろ向きの姿勢である。


『迦羅摩経』には、

ただの信仰心で私の教えに随ってはいけない。

私の教えが正しいかどうかを、自分で調べ解き明かしなさい。

と盲目的な信仰を戒めている。

論理的な矛盾や根拠の欠如があれば、受け入れるべきではないのである。


しかしまた、

存在や縁起、心の仕組みなどについて、

仏教は整然な理論をもっているけれど、

それが身体にしみこみ、

日常生活に帰結しているとは云えない部分もある。

頭の中だけにとどまることが少なくない。



「南無大師遍照金剛」と唱えることが、

本来持っている清浄な心を了解するようでなければ、益は無い。


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[ 2018/05/29 12:09 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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