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[ 2024/11/23 21:49 | ]
心の科学
子どものころ、この季節になると光化学スモッグ注意報が頻繁に出された。

小学校4年生の時(1973年)には、年間300日も発表されている。

空がどんよりして視界が低下すると、そろそろだなあ、とみなが思う。

注意報が出ると校庭では遊べない。

休みの日は家の中にいるように言われていた。そんなことは守らないけれど。

光化学スモッグの影響で、運動会や遠足が中止延期になるということもあった。


僕は1962年神奈川県川崎市生まれ。その頃の川崎は公害の街と呼ばれ、
「白い雲をかえせ」というスローガンを覚えている。

※参考「公害の歴史:川崎市ホームページ」
http://www.city.kawasaki.jp/300/page/0000080437.html

「慢性気管支炎」、「気管支ぜんそく」、「ぜんそく性気管支炎」、「肺気腫」という公害病の子も少なくなかった。


僕は小学校から栃木に移ったけれど、田舎にも光化学スモッグは流れてきた。それでも森があり田畑が広がり、虫も鳥も多く美しい緑が多かったから、公害病は無い。

時折上京すると、東京の空は汚く、隅田川は濁って臭かった。

公害とは、

経済合理性の追求を目的とした社会・経済活動によって、環境が破壊されることにより生じる社会的災害。

便利さを求めた代償。科学がもたらした進歩の副作用。



寺田寅彦は、『科学者とあたま』の中で、

「科学の歴史はある意味では錯覚と失策の歴史である。偉大なる迂愚者の頭の悪い能率の悪い仕事の歴史である」

「頭のいい、ことに年少気鋭の科学者が科学者としては立派な科学者でも、時として陥る一つの錯覚がある。

それは、科学が人間の知恵のすべてであるもののように考えることである。科学は孔子のいわゆる「格物」の学であって「致知」の一部に過ぎない。

しかるに現在の科学の国土はまだウパニシャドや老子やソクラテスの世界との通路を一筋でももっていない 。芭蕉や広重の世界にも手を出す手がかりをもっていない。

そういう別の世界の存在はしかし人間の事実である。理屈ではない。

そういう事実を無視して、科学ばかりが学のように思い誤り思いあがるのは、その人が科学者であるには妨げないとしても、認識の人であるためには少なからざる障害となるであろう」

と云っている。


仏教の目的は悟りであり、極簡単に云えば「しあわせになること」

ダライラマはそれを「心の平和」であると云う(『傷ついた日本人へ』)

科学も人類の幸せのためにあるはずである。

その幸せ、心の平和には人間の意識というものを知らなければならないけれど、科学はそれを捉えられていない。

識と智、精神と感情、という仏教が追求解明してきたことが、

心の科学として自然科学に役立つようになりたい、と考えています。






※陰陽研究熟

「PM2.5と黄砂について」

https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/2ZiUCT6AJZw



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[ 2017/05/11 08:53 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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