畑を耕せばオケラがモゾモゾ、犬の散歩に出ればナナフシがじっとしてイトトンボがふわふわ、庭に出ればカラスアゲハやクロアゲハがまとわりつく夏でございます。
この時期、冷たいものの摂りすぎでお腹が冷えることがありますが、冷えた時に塩気の陽性は身体を引き締めるだけなので、それほど身体を温めません。固くして血行が悪くなるだけ。
カリウムのあるもの(味噌など)、炭素を含むもの(おこげなど)、時間をかけたものが効果的です。
例えばゴボウをちょっと焦がす。
ごぼうを敷いて厚揚げを焼いたもの。さらに醤油を回してちょっと焦がす。
それはさておき、
例えば身体にできるイボやホクロは、自分の身体から出現した「私」の一部です。
イボやホクロが自分から独立して存在しているのではない。
おなじように、地球上の植物は、それ自体が独立しているのではなく、地球から生えている、地球の一部。
さらに、僕らは宇宙から独立して存在しているのではなく、宇宙の一部として、その中からイボやホクロのように飛び出ているだけ、と考えてみます。
身体はそうだとしても、心はどうなのだろうか。
お大師さんの『三昧耶戒序』 最後の部分に
この世における最低の人間は悪心を離れることができないでいるけれども、善知識に出会い、教え導かれれば、自分の分を節制して他人に施すようになる。
その人が倫理道徳を護り、因果の法則を知るようになれば、良い人間に生まれ変わろうとし、決まりを守ろうとするようになる。
その次には、優れた解脱の智慧を願うようになり、悟りや幸せのために修行するようになる。
そうしているうちに、善知識によって諸仏の教えの誘いを受けるようになるので、自分だけの悟りではなく、他を救いたいと願うようになり、
その中で最も優れた結果を願うようになるから、心身の不生不滅を悟るに至り、あらゆる対立を離れてそれ自体の自性が無いこと、つまり「空」を悟る。
そして、宇宙や自然や縁者の力で眼を覚まされ、究極のもっとも優れた「固く壊れない心」を願うようになる。
この「固く壊れない心」とは
自らの心の奥底をはっきりと見極め、自らの身のありようを根源からつかむもの
と『大日経』にあります。
この「奥底」は宇宙と同じ底辺である、と僕は考えています。
脳は身体の一部ですから、宇宙の一部。心は脳の働きだから、そこには宇宙の心があるのかな。
ちなみに善知識の略語が知識。
サンスクリット語のkaryāṇ -mitra(カルヤーナ・ミトラ)の訳語で、友人、優れた仲間の指導者という意味の仏教語。
心は一定ではなく常に変化しますので、一定のところに執着するべきではない、と悟れば、心は次々と展開し、優れたほうへ進みます。
この他、心について『十住心論』に多くの記述があります。
・自分のものでありながら、その実体を知りがたいのは、わが心である。
・目には見えないけれども、宇宙に遍満せるものは自分の中の仏である。
・人は生まれながらに仏である。しかしそのことは容易に悟ることができない。
・自分の心は小さく見えるけれども、実は際限もなく広くまた大きいのである。
・人は自分の心に迷って自ら苦しい世界を作っているのである。
・心の実体を悟ることができれば、澄み渡って静かな世界に、平穏に生きることができるのである。
・心はいつも動かぬ固定したものではない。固定したものではないので向上がみられるのである。
この時期、冷たいものの摂りすぎでお腹が冷えることがありますが、冷えた時に塩気の陽性は身体を引き締めるだけなので、それほど身体を温めません。固くして血行が悪くなるだけ。
カリウムのあるもの(味噌など)、炭素を含むもの(おこげなど)、時間をかけたものが効果的です。
例えばゴボウをちょっと焦がす。
ごぼうを敷いて厚揚げを焼いたもの。さらに醤油を回してちょっと焦がす。
それはさておき、
例えば身体にできるイボやホクロは、自分の身体から出現した「私」の一部です。
イボやホクロが自分から独立して存在しているのではない。
おなじように、地球上の植物は、それ自体が独立しているのではなく、地球から生えている、地球の一部。
さらに、僕らは宇宙から独立して存在しているのではなく、宇宙の一部として、その中からイボやホクロのように飛び出ているだけ、と考えてみます。
身体はそうだとしても、心はどうなのだろうか。
お大師さんの『三昧耶戒序』 最後の部分に
この世における最低の人間は悪心を離れることができないでいるけれども、善知識に出会い、教え導かれれば、自分の分を節制して他人に施すようになる。
その人が倫理道徳を護り、因果の法則を知るようになれば、良い人間に生まれ変わろうとし、決まりを守ろうとするようになる。
その次には、優れた解脱の智慧を願うようになり、悟りや幸せのために修行するようになる。
そうしているうちに、善知識によって諸仏の教えの誘いを受けるようになるので、自分だけの悟りではなく、他を救いたいと願うようになり、
その中で最も優れた結果を願うようになるから、心身の不生不滅を悟るに至り、あらゆる対立を離れてそれ自体の自性が無いこと、つまり「空」を悟る。
そして、宇宙や自然や縁者の力で眼を覚まされ、究極のもっとも優れた「固く壊れない心」を願うようになる。
この「固く壊れない心」とは
自らの心の奥底をはっきりと見極め、自らの身のありようを根源からつかむもの
と『大日経』にあります。
この「奥底」は宇宙と同じ底辺である、と僕は考えています。
脳は身体の一部ですから、宇宙の一部。心は脳の働きだから、そこには宇宙の心があるのかな。
ちなみに善知識の略語が知識。
サンスクリット語のkaryāṇ -mitra(カルヤーナ・ミトラ)の訳語で、友人、優れた仲間の指導者という意味の仏教語。
心は一定ではなく常に変化しますので、一定のところに執着するべきではない、と悟れば、心は次々と展開し、優れたほうへ進みます。
この他、心について『十住心論』に多くの記述があります。
・自分のものでありながら、その実体を知りがたいのは、わが心である。
・目には見えないけれども、宇宙に遍満せるものは自分の中の仏である。
・人は生まれながらに仏である。しかしそのことは容易に悟ることができない。
・自分の心は小さく見えるけれども、実は際限もなく広くまた大きいのである。
・人は自分の心に迷って自ら苦しい世界を作っているのである。
・心の実体を悟ることができれば、澄み渡って静かな世界に、平穏に生きることができるのである。
・心はいつも動かぬ固定したものではない。固定したものではないので向上がみられるのである。
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