クルミをすって味噌と合わせ、昆布しいたけ出汁で伸ばしたら、
パンチが無いわ
と妻が言うので、梅干しを叩いて練り混ぜ、朝の冷奴。
このような、朝から一杯やりたくなるような料理を毎日作ってはいけない。
鼻を高くしたい、という女性に、高くするためのストレッチを教えたら、鼻づまりも治ったと言う。
鼻づまりが治るなら、毎日ストレッチするのはいい。
姿勢が悪い人は両手を使わない生活をしがちですが、両手を使わない人は足が悪いことが多く、そのような人は頭痛持ちになる傾向があります。
両手を使って、丁寧に生活するのはとてもいい。
それはさておき、
お葬儀が続きまして、火葬の間に喪主さんたちと少々お話をして、いろいろと聞かれます。
例えば、
「戒名って必要なんですか?」
戒名は仏弟子の名前です。生まれた時に親が名前をつけるように、仏弟子となった時に、師から名前を貰います。戒律を授けて戒名を授ける、ということを、仏教の得度式やお葬儀で行います。
戦国武将の武田信玄・上杉謙信・山名宗全・大友宗麟などの名前も戒名。
もちろん、僕ら僧侶の名前も戒名。
では、お葬儀に際して戒名は必要なのだろうか。
これ、結構悩ましい問題なんです。
無くても構わない、という立場もあります。
生前の名前を戒名にしても良いですし、信仰があるなら、あなたの名前が仏教徒の名前ですから。
そもそも仏教徒なら、キリスト教の洗礼みたいに、生前に授戒して戒名を貰うべきだけれど、そういう機会に巡り合わないだけでしょうし。
戒名を授ける側が、あまり経典読んでいない、全く勉強不足の場合もありますし。
でも、そう考えない人もいます。いろいろな考えかたがある。
信仰は無いけれど戒名欲しい、という人もいる。
戒名をつけないのなら、仏式の葬儀をする必要は無い。他の宗教や無宗教でも良いのだから。
と言われれば、そうかもしれない。
ただ僕は、戒名にそれほど重きを置いていない。
僕は剃髪が良いと思っているけれど、お釈迦さんはそんなこと言っていないし、螺髪だし。
何を大切に思うかはいろいろです。
仏教は修行の宗教なので、もっとみんなで仏道修行するべきなのですが、そういうことに戒名の問題はつながらないように感じています。
最近多いのが、
「お墓をどうしようか悩んでいます。」
近頃お墓はいらない、という人が少なくありません。
子どもがいない、跡継ぎがいない、結婚しない、
お墓を作ってもお参りする人がいない。
それぞれ事情がありますから、一概には言えないけれど、
散骨も今は5万円程度の費用で難しい方法では無くなり、共同納骨墓や、無縁塔など、いろいろな埋葬の方法がありますから、有縁のお寺や葬儀屋さん、公営や民間の霊園などに相談されると良いでしょう。
もうひとつ、
「死んだ人はどこへいくのか? 四十九日までは近くにいるのか?」
僕なら、死んで霊となり、その辺をふわふわ漂い、家族縁者の様子を覗いていられるなら、それはそれでおもしろいなあ、と思うのだけれど。
僕らのまわりには、見えるものも見えないものも、思ったことが「在る」のです。
思わないことは「無い」。
霊魂もあの世も、それを思う人には存在します。どこにあるかというと、その人の脳の中にある。心の中ですね。
実際に、どこそこの何番地にいる、というものではないし、宇宙のどこかでもない。
そう考えるのは面白いけれど、無い、と僕は考えています。
お釈迦さんはそういうことを言っていません。有るとも無いとも。
そんなことは修行に関係ないのだから、役に立たないことだから。
『摩羅迦小経』には
「(お釈迦さまは、死後存在するのかしないのか、などの疑問は)目的にかなわず、修行のための基礎にもならず、厭離・離欲・滅尽・寂静・智通・正覚・涅槃に役立たないので、説かない」
とあります。
もし、死んだ人の霊があるのなら、それは恐怖や慰撫の対象ではなく、仏になる(悟りの)可能性を持ったまま亡くなったのだから、仏の境界に上るように成仏を願うものです。
おそらく、死んだ人の霊よりも、生きている人の思いのほうがずっと強い。
それは壁をも突き通して、他に影響することがあります。その中に「霊」を見る人がいるのかもしれない。
で、大切なのは、その「在る」も「無い」も、有無どちらも「空」である、常に固定化した「これだ」という実体は無い、流れるように変化している、ということ。
それに執着しては煩悩悩み不安迷いの種になるだけです。
それから
「仏さまって何?」
仏はわが心の別名であり、この身体は仏の住居であり、だから肉体も大切なのだけれど、そのことを忘れてしまいがちなのがわが心。
月が多くの水鏡に映るように、仏は多くの人の心に映ります。
ある人が
歳をとると怒るのがもったいない、と思うようになった。
怒ると損するからね。
明日死ぬかもしれないから、笑顔でいたほうがトクなんだ。
だからといって、特別に喜ぶことも無い。
ただ平穏に、心が波立たないよう静かにしている。
怒ったりイライラする前に、優しい言葉を口に出せばよい。
だけど、肝臓が弱い人には難しいから、健康になったほうが得。
心が寂静になれば、世の中も静かになる。
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※穀菜食の舎会員ページ
「結婚・妊娠・出産と不妊症について」
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肝臓良くして穏やかになりたいな~
眉間のシワはとれないし、ホクロもある。今、模索中です。