仏像が欲しいので手配してね、
と縁者から連絡があり、
仏具屋さんのナイスガイ・トミーにお願いして、お越しになった大日如来。
大日の智慧の光は、すべてのものを照らし、闇を消す。
大日の慈悲の光は、存在するものすべてを育む。
大日の智慧と慈悲の光は永遠。
大日如来とはあなたそのもの。僕もそう。
または、あなたも僕も大日の光の中にいる。
そしてまた、あなたや僕の身体は如来の住居。
さらには、あなたや僕の中に如来の種がある。
いろいろな言いかたができます。
息子が
悟りを開いた後はどうなるの?
もう、目標が無くなるの?
と聞く。
心を観察して、制御するトレーニングを続けていると「解脱」という状態になります。
心が変容した状態
それまで放し飼いの動物のように、煩悩まっしぐらだった心が、
いつでもイライラし、妬みや疑いや不安だった心が、
変わる。
解脱する前と後では、「自分」とか「自分のもの」という執着が消えています。自他の仕切りが無い状態。
誰を見ても、自分の一番大切な人と同等に見ることができる状態。
でも、解脱という状態では、
「もの」への執着は消えていません。
「自分の身体」のうち、「自分」は消えているけれど、「身体」は実体がある、と思っている。
煩悩は止滅しているけれど、一切を仏と見る智慧は得ていない。
で、
その解脱を越えたところにある「悟り」は、苦を滅する智慧があるので、
世界が変わり、あらゆる仕組みが分かる
という状態。
妄想と錯覚の無い世界。
暗闇では何も見えないけれど、ろうそく一本の光があれば、ぱっと明るくなっていろいろなものが見えます。
幽霊やお化けと思っていたものが、明るくなれば、柳の木や縄だと分かる。
同じように、智慧が無ければ真っ暗で何も見えませんが、智慧の明かりがあれば、すべてを正しくありのままに見ることができます。
仏教では根源的な無知のことを無明と言います。明るくないこと。
全ての苦は無明(迷い)が原因です。
この無明からあらゆる煩悩が生じ、
それは四諦八正道によって取り除かれる、
というのがお釈迦さまの教え。
自分とか我がある、という無明によって
それは変化するものであるのに、いつもあるものと見る無明によって
苦が生じますが、
無明は智慧によって消滅する。
そもそも苦というものが存在しているのではなく、智慧が欠如しているだけ。
智慧が無いから、無いものを有ると見たり、貪ったり執着した入りするのです。
おおざっぱに言えば
智慧=苦を滅する方法=空と縁起=比べない、こだわらない、つるまない、諦める。
悟りはenlightenment
とても明るい。
________________________________________________________________________________________
※穀菜食の舎会員ページ
・「エボラ出血熱を陰陽で考える
附 動物性食品の安全な食べかた」
https:/ /groups .google .com/fo rum/?hl =ja#!to pic/shi ntenan/ 0FMqaAj JSGc
・「心の探求」
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でもお答えしております。どうぞ、ご利用ください。時々の情報も載せています。
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仏具屋さんのナイスガイ・トミーにお願いして、お越しになった大日如来。
大日の智慧の光は、すべてのものを照らし、闇を消す。
大日の慈悲の光は、存在するものすべてを育む。
大日の智慧と慈悲の光は永遠。
大日如来とはあなたそのもの。僕もそう。
または、あなたも僕も大日の光の中にいる。
そしてまた、あなたや僕の身体は如来の住居。
さらには、あなたや僕の中に如来の種がある。
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息子が
悟りを開いた後はどうなるの?
もう、目標が無くなるの?
と聞く。
心を観察して、制御するトレーニングを続けていると「解脱」という状態になります。
心が変容した状態
それまで放し飼いの動物のように、煩悩まっしぐらだった心が、
いつでもイライラし、妬みや疑いや不安だった心が、
変わる。
解脱する前と後では、「自分」とか「自分のもの」という執着が消えています。自他の仕切りが無い状態。
誰を見ても、自分の一番大切な人と同等に見ることができる状態。
でも、解脱という状態では、
「もの」への執着は消えていません。
「自分の身体」のうち、「自分」は消えているけれど、「身体」は実体がある、と思っている。
煩悩は止滅しているけれど、一切を仏と見る智慧は得ていない。
で、
その解脱を越えたところにある「悟り」は、苦を滅する智慧があるので、
世界が変わり、あらゆる仕組みが分かる
という状態。
妄想と錯覚の無い世界。
暗闇では何も見えないけれど、ろうそく一本の光があれば、ぱっと明るくなっていろいろなものが見えます。
幽霊やお化けと思っていたものが、明るくなれば、柳の木や縄だと分かる。
同じように、智慧が無ければ真っ暗で何も見えませんが、智慧の明かりがあれば、すべてを正しくありのままに見ることができます。
仏教では根源的な無知のことを無明と言います。明るくないこと。
全ての苦は無明(迷い)が原因です。
この無明からあらゆる煩悩が生じ、
それは四諦八正道によって取り除かれる、
というのがお釈迦さまの教え。
自分とか我がある、という無明によって
それは変化するものであるのに、いつもあるものと見る無明によって
苦が生じますが、
無明は智慧によって消滅する。
そもそも苦というものが存在しているのではなく、智慧が欠如しているだけ。
智慧が無いから、無いものを有ると見たり、貪ったり執着した入りするのです。
おおざっぱに言えば
智慧=苦を滅する方法=空と縁起=比べない、こだわらない、つるまない、諦める。
悟りはenlightenment
とても明るい。
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