これは一昨日早朝の月。
金剛界マンダラの中央には大日如来がおわして、
大日如来の役割を四つに分け、それぞれ担当する如来が四方にいます。
その四方の如来には、各々四体、そばに仕える菩薩がいます。
四方の仏に各々四菩薩あるので十六大菩薩となる。
『菩提心論』には、
十六大菩薩の徳を、月の十六分に比して説明されています。
僕もあなたも、ケモノも花木も石ころも、
あらゆるものの本質中に、一分の清らかな性質があります。
この一分がだんだんと発展して、十六の円満な体質=満月のような心になる。
だから、始めの一分の中に、
すでに悟りや幸せや、慈悲や智慧の道が備わっている。
この清らかな本体はきわめて微妙だけれども、
今現在は地獄や餓鬼や恨みつらみの世界にいても、
その清らかさは必ずある。
あたかも、
満月を十六にわけて、
新月がほんの少しの光を持った明るさしかなくても、
必ず満月になり、光り輝くように。
心もトレーニングによって暗闇から満月に変る。
その時、
あらゆる障碍が無くなります。
月を見るたび、
いつか自心も満月になる、
と観想するのは、良い練習です。
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