義父母の墓前にシャクヤクを供えて読経。
仏教には六波羅蜜という六つの修行カリキュラムがありますが、その中のひとつが忍辱(にんにく)。
耐え忍ぶこと。
花は忍辱の象徴です。花を見て怒りだすことは無いから。だから、心に花があるのがいい。
耐え忍ぶことは花のように美しい。
真言密教の完成された境地のひとつに
衆相皆円備せり
(しゅうそうみなえんび せり)
という心の状態があります。
自分は、汚れない力そのものであると悟る。
僕らの身体は悟りの姿であり、周囲のすべてに護られている。
ということ。
そこに至るまでにはいくつかのステージを経なければならないのだけれど、自らを見つめてみれば、そこにはすべてが備わっています。
だから、平安で安心で風通しの良い心でいられる。
自分には何の価値も無いと思い込んでしまうことがあるかもしれない。
特別な技術や才能もなく、世の中の役に立っていないよう感じることがあるかもしれない。
でも、僕らが生きていること自体が、あらゆるものが備わっている証拠です。
そして、
何もしゃべらず何もしなくても、
ああ、そこにいてくれたのか。
あんたに会えて良かったよ。
と思われる。
存在とはそういうものです。
山の奥深く、さみしい森の中で花を見つけた時のように。
だからせめて、微笑んでさえいればいい。すべてが備わっているから。
思い通りにならないことがあっても、それには原因がありますから、その原因を取り除けば改善する可能性があります。事象を変えず、心を変える方法もある。
取り除くのが面倒なら耐え忍べばいいだけのこと。
ただ咲いている花のように。
耐え忍ぶことは花のように美しい。
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※穀菜食の舎ページ更新しています。
「症状別食事の工夫・高野豆腐のレシピ」
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