塩釜でシニアのかたがたとお話会をしてから、永良尼と東松島の津波被災地へ。
あれから、4年半。
変わったところ、変わらないところ、いろいろあります。
永良尼の同僚女性は、
あの日のことはまだ話すことができない、思い出すとつらくて言葉にできない、
と言う。
東名地区の慰霊碑。
最近、ようやく泣かずに読経できるようになった。
この周辺、
広大な土地に重機がたくさん動いているけれど、どうなるのだろうか。
農地なのだけれど、将来作業をする人はいそうにない。
でも、カキの養殖など、海の仕事は始まっています。
長音寺跡
高台に移転された仙石線野蒜駅ホームから見る海は美しい。
この景色をブランド化したい、と地元の人が言っていたけれど、
この地域はカキ、海苔など、ブランド化できる良質な産物が多い。
上空ではブルーインパルスがテスト飛行していた。
宮戸地区は人が少ない。
この集落は元市役所職員の木島さん宅だけが残って、地域の整備や復興作業をしているけれど、
そういう人もいない地域があります。
人がいなくなった土地の除草費用が、年間2億円くらいかかる地域もある。
さらに、
ここは文化財保護地域なので、復興作業にかかわる住民が困っている事案がうまく運べない、
という問題もあります。
おおぜいの児童が亡くなった野蒜小学校体育館跡地で読経。
あの日以来、あちらこちらで桜を植樹してくれても、そのあとの管理は地元のお年寄りがしなければならなくて、とても手が回らない。
ということもあります。
命があってよかったね、
と助け合ってきたけれど、年月がたつといろいろ利害が対立することも出てきます。
災害はいつ、どのようにやってくるかがわからない。
避難した場所に津波が来て、
クラスメートの遺体を踏み越えながら逃げた
という子らもいます。
避難場所に移動する途中、
車いすのお年寄りを押しながら津波に襲われた介護職員さんもいます。
子どもを助けられなかった、と自分を責める保育士さんも少なくない。
避難場所に何かの倒壊があるかもしれない。
避難した所に変質者が来るかもしれない、その時どうするのか。
普段の草刈りや道普請をしていなかったために、
地震で橋が壊れて川を渡れなかったために、
避難できなかったところもあります。
避難訓練を計画するうえで、
想定外が無いように、細心の注意を払い、よくよく考えて計画するべきです。
そして、いざという時に臨機応変に対応できるよう練習しておくのが良い。
人が死ぬのはとても悲しい。
その後、立ち直り、前向きに生きることに、その死が障害になることがあります。
自分のためにも、良い訓練にするべきです。
建物内にいたほうがいいのか、外へ出たほうが安全なのか。
体育館がいいのか、校舎の屋上が良いのか
誰がいて誰がいない、という確認ができるのか。
災害時には、
まず、自分が生き延びることを考えて行動します。
その次に、
隣にいる人が困っている人を助けます。
最後の手段で、自衛隊や消防団に助けてもらう。
何とかなるさ、
というのは、どんなことでも、普段から練習や思惟を重ねて真面目に取り組んでいる人のみがいえることです。
学校防災マニュアルについて(文部科学省)
http:// www.mex t.go.jp /a_menu /kenko/ anzen/_ _icsFil es/afie ldfile/ 2012/07 /12/132 3513_02 .pdf
あれから、4年半。
変わったところ、変わらないところ、いろいろあります。
永良尼の同僚女性は、
あの日のことはまだ話すことができない、思い出すとつらくて言葉にできない、
と言う。
東名地区の慰霊碑。
最近、ようやく泣かずに読経できるようになった。
この周辺、
広大な土地に重機がたくさん動いているけれど、どうなるのだろうか。
農地なのだけれど、将来作業をする人はいそうにない。
でも、カキの養殖など、海の仕事は始まっています。
長音寺跡
高台に移転された仙石線野蒜駅ホームから見る海は美しい。
この景色をブランド化したい、と地元の人が言っていたけれど、
この地域はカキ、海苔など、ブランド化できる良質な産物が多い。
上空ではブルーインパルスがテスト飛行していた。
宮戸地区は人が少ない。
この集落は元市役所職員の木島さん宅だけが残って、地域の整備や復興作業をしているけれど、
そういう人もいない地域があります。
人がいなくなった土地の除草費用が、年間2億円くらいかかる地域もある。
さらに、
ここは文化財保護地域なので、復興作業にかかわる住民が困っている事案がうまく運べない、
という問題もあります。
おおぜいの児童が亡くなった野蒜小学校体育館跡地で読経。
あの日以来、あちらこちらで桜を植樹してくれても、そのあとの管理は地元のお年寄りがしなければならなくて、とても手が回らない。
ということもあります。
命があってよかったね、
と助け合ってきたけれど、年月がたつといろいろ利害が対立することも出てきます。
災害はいつ、どのようにやってくるかがわからない。
避難した場所に津波が来て、
クラスメートの遺体を踏み越えながら逃げた
という子らもいます。
避難場所に移動する途中、
車いすのお年寄りを押しながら津波に襲われた介護職員さんもいます。
子どもを助けられなかった、と自分を責める保育士さんも少なくない。
避難場所に何かの倒壊があるかもしれない。
避難した所に変質者が来るかもしれない、その時どうするのか。
普段の草刈りや道普請をしていなかったために、
地震で橋が壊れて川を渡れなかったために、
避難できなかったところもあります。
避難訓練を計画するうえで、
想定外が無いように、細心の注意を払い、よくよく考えて計画するべきです。
そして、いざという時に臨機応変に対応できるよう練習しておくのが良い。
人が死ぬのはとても悲しい。
その後、立ち直り、前向きに生きることに、その死が障害になることがあります。
自分のためにも、良い訓練にするべきです。
建物内にいたほうがいいのか、外へ出たほうが安全なのか。
体育館がいいのか、校舎の屋上が良いのか
誰がいて誰がいない、という確認ができるのか。
災害時には、
まず、自分が生き延びることを考えて行動します。
その次に、
隣にいる人が困っている人を助けます。
最後の手段で、自衛隊や消防団に助けてもらう。
何とかなるさ、
というのは、どんなことでも、普段から練習や思惟を重ねて真面目に取り組んでいる人のみがいえることです。
学校防災マニュアルについて(文部科学省)
http://
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