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[ 2026/03/15 12:31 | ]
晴天に満月の円明を見る
『仏法者のための月輪観法』(森口光俊 智山学報第51輯)に、

大学生が月輪観の実習をしたレポートが載っており興味深い。

対象は、

仏教学ではなく、法律や経済を専攻している学生である。

ある程度長く実習したようだけれど、

その体験は、

人間の本質を考えること、その奥の深さを知ることができた。

観法によって、自己を認識し、心の安らぎと広がりを感じた。

「空」とは比較の無い世界を体験すること。

などとレポートにある。 




月輪観は満月を瞑想するもの。

満月は仏の智慧、清浄な自分の心、仏そのものの象徴。

覚鑁さんの『月輪観頌』には、

心月輪は、

悟りの本体、すべてを生み出すもの、仏と吾が同じであることの本源、存在の本性

とある。

なぜなら

心は月のように、

白く清浄、明るく照らし、分明清涼寂静であるから。

悟り(自他のしあわせ)を求める心は清浄で円満で明るい。

そして、

晴天に満月の円明を見るようにして、

月すなはちこれ心なり、

心すなはちこれ月なり

であり、

月輪観では、心が月ならざるものを表象することなきように

とある。


この月は、

仏であり自心であり、一切衆生でもあるから、

この三平等が基本になければならない。



月を明瞭に観想することで、

自分の心の姿と性質に通達することが

悟りへの前提と成ります。

そして、

月輪に象徴する清浄すなわち自心であることを、

この身体をもって体得します。


そこから、

あらゆるものの存在の原因が何であるかを知り、

その時、

自己制御が可能になり、

苦から開放されます。

生も死も観念であって、真実では無いことも知る。 



月輪観の実習、

お気持ちのあるかたにはお教えします。




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[ 2018/04/08 10:05 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
名前について
先の選挙のとき、

立憲民主党なら良いね

と妻と話していた。

政策や人柄はともかく、

画数が良いのである。 


立憲民主党は51画。

デリケートだけれど、うまくやれば大丈夫という数。


民主党は、30画。強引で、絶えず浮き沈みがある。

吉凶が交互するけれど、最終的には凶。


民進党は40画。

徳望が乏しく、動けば失敗を招き、進めば難を生じる。



ちなみに、

自由民主党は41画、隆運繁栄の吉数で、

自民党の31画でも頭領運があり、順調満帆の吉。


数の吉凶は統計学的なものだろうけれど、

何も無いのは陰性で 、

そこから始まるのは陽性な力だから、1は陽性。

陰陽は繰り返し、互いに生み出すから、偶数は陰性、奇数は陽性、

と考えても良いし、

偶数は二つに分かれるから陰性と考えてもいい。
 
例えば、

3は陰陽五行説で火行に相当し、

夏、心臓小腸、苦味、興奮に関わるから、

それで吉凶を考えてもいい。

陰性と陽性なら合い、陰性同士陽性同士なら反発するから、

相性もよく分かる。



先日、

あるかたから名前の相談があった。

孫の名前を五つ考え、

その中から最も良い画数を教えて欲しい、

というもの。

こういう方法はとても良いですね。

名前の画数は保険のようなもので、

おばあちゃんが孫のために、

いざというときのために、

ということ。




池波正太郎が『日曜日の万年筆』のなかで、

「いずれにせよ、あまり凝った名前はつけぬほうがよいと、私は思っている。

作家のペンネームにせよ、俳優の名前にせよ、一人前にならぬうちは平凡な名前に見えても、

次第にちからがつき、世に出るようになると、その名前にも、それ相応の感じがでてくるものだ」

そして、

「私の老婆は「鈴」というが、とても、そんなやさしいしろものではない」

と書いている。

相当なジャジャ馬だったらしい。

名前と人が合っていないということは、よくあることだから、

太郎次郎三郎のように、

どうころんでも良い名前が良いかもしれない。


悩み苦しみなどの原因のひとつは「知らないこと」。

知っていれば、パッと明るくなる。


人生の吉凶は、

生活習慣、特に食生活が関係し、

怠惰であるかどうか

勉強しているかどうか
 
希望と勇気があるかどうか 

やさしさと思いやりがあるかどうか

で決まるけれど、

名前は隠し味のように関係しているかな。



※画数のご相談はメールでどうぞ。




 

[ 2018/04/09 11:10 | Comments(1) | 米ぞうの家 ]
したくなる。
タケノコの季節になりました。これからしばらく続く。

山椒の若芽も萌えてきて、

この二つが揃えば料理したくなる。



山のものは海のものと。

陰性なタケノコは水を使わず陽性に。

これでうまくなる。


包丁を持てば切りたくなる。

バットを持てば打ちたくなり、

ボールを持てば投げたくなる。

数珠を持てば拝みたくなり、

姿勢よく坐り、深い呼吸法をすれば瞑想したくなる。

このとき、

眉間、奥歯、肩、両腕の力を抜いてリラックス。



仏教では、

自分の心を実の如く知るために瞑想するのだけれど、


この「知る」というのは、

国語数学理科社会のように、読んだり聞いたり調べて知るのではなく、

そのなかに入り込む、それそのものになることです。

そのために、瞑想という方法は便利。


いろいろと問題が起きるのは、執著があるからで、

それを諦めれば改善するはずです。

そして、

本来の自分、迷う前の自分、あるがままになれば、執著は消える。

だけれども、

何もせず怠惰なままであきらめたり、あるがままでいても、何も解決しない。

同じように、

知識のないまま瞑想しても意味はない。

『月輪観頌』には、

身と心とを整え

方便を習い学して

よく知って観行すべし

とある。


『天台小止観』には、

正しい瞑想修行によって、

布施をしたり、戒律を守ったり、父母に孝行したくなる。

身心に良い状態が整い、

慈悲心や念仏する心が内面から沸き起こる

と書かれている。


いずれにしても、

自心を知れば、

自他共にほっとして、

あぁ、楽しかった、

という毎日になる。


これは、

自他を救い、

自分の道を求め、

心をまとめる

日々である。






[ 2018/04/11 11:07 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
野球物語
プロ野球独立リーグ・BCリーグの

「栃木ゴールデンブレーブス」対「群馬ダイヤモンドペガサス」の試合 を母と観戦した。

場所は、小山運動公園野球場。

これが予想以上におもしろかった。

何より、

グラウンドが近い、選手が近い。

栃木の3番は元ヤクルトの飯原、

4番はあの村田修一。

村田効果で観客は多い。



陽が強かったけれど、昭和12年生まれの母も楽しんだらしい。

 
母は戦争中、鹿児島県高尾野へ疎開していた。

戦後、遊ぶものが無い時代、

担任の先生が、どこからかバット、グローブ、ボールを見つけてきて、

子らに野球を教えた。

青い空の下、

白球を追いながら、

広い校庭で思いっきり投げて打って走る。

こんなに楽しいものがあるのか、

と男子も女子も一緒になって歓喜した。


その後、

神奈川県川崎市に戻った母は、

そこで大洋ホエールズや、

都市対抗常連の日本鋼管、東芝、三菱ふそうの野球に出会う。

娘時代から、

川崎球場や後楽園に通ったらしい。


結婚後、栃木に家を建て、僕はそこで育つ。

そのころは王・長島、村山・江夏の時代、

そして、

近所には江川卓がいた。


小学校6年生の時、

学校の授業を休み、母は僕を後楽園球場へ連れていった。

欠席理由は「家事都合」

ハンク・アーロンと王貞治のホームラン競争、

ニューヨーク・メッツ対巨人の試合を観る。

トムー・シーバーが投げた。



普段、登校前には家の前の道路で父とキャッチボール、

中学生になってからは、

M君宅の庭でキャッチボールしてから登校。


放課後や休日は、公園で、三角ベースや、二人対二人の野球 

あのころ、

いつも野球があった。



僕も結婚して子が生まれた。

何より楽しかったのは、長男次男とのキャッチボール。

地域の野球チームに入れ、

毎朝の練習や休日の応援に行くのも楽しかった。



2011年3月、

震災原発事故で、日本の野球も大きな影響を受ける。

例年より遅れて開幕したプロ野球を観るために、

まだ開通していない鉄道の代行バスに乗り継ぎ、子らと上京。

あの、重苦しい被災の気持ちを、

勇気と希望 に替えてくれたものはいろいろあるけれど、

野球もそのひとつである。



大谷クンが活躍して、心踊りますね。

今年も楽しみな季節になっています。





[ 2018/04/12 10:55 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
女人禁制
今朝の朝日新聞 文化・文芸欄に

「土俵は女人禁制」起源は

が載っています。デジタル版は少し前に出ている。

「女人禁制」そもそもどうして生まれた?宗教的に考えた
https://www.asahi.com/articles/ASL4B72J3L4BUCVL024.html 



 高野山も開創以来、

1904年(明治37年)まで女人禁制でした。

その後、

昭和になっても、奥さんがいることを後ろめたく感じ、

奥の間に隠して、人目にさらさないようにした住職もあった、

という話を田中千秋先生から聞いたことがあります。

今でも、

女人禁制の地域はいくつもあります。

また、寺院等で、

ある一定の場所、堂宇は男のみ、

としているところもある。


次男の学寮では、

男子寮に女子は入れない、

女子寮に男子は入れない。


なぜそうなのか。

仏教では、

不邪淫戒を根拠として説明していることがありますが、

それはどうだろうか。

もともと出家修行者(比丘)には軽重の戒律があります。

そのうち、

不淫は重要であり、これを破ることは重罪。

不倫とか浮気ではなく、

性交してはいけない、ということ。

道徳ではなく、宗教の戒です。

それが、

いつのまにか不邪淫などと、言い訳じみたものに変化しました。

では、

なぜなのか。

ラーマ・クリシュナは、

射精によってメタ神経が壊れ、

神に対する判断力が低下するから、

と言っており、(『ラーマ・クリシュナの福音』)

密教の口訣・口伝でも、

夢精射精した場合の念誦法、祈祷法が説かれていますが、


性のことは、特に若い行者にとって心内の大きな問題だからです。

女性がいると、あれやこれやが気になって集中できない、

だから、

女性がいないところで修行する。

女性がいなくても、心内に煩悩の火が燃えていれば同じことですが、

未然に防ぐための用意です。


『求聞持行者用心』に、修行者の心得として、

厳重には女人の調えたものを食わず

とあるのは、

女性に近づかないようにするためでしょう。



この、

煩悩の考えかた以外に、

女性は出産や月経の血の故に穢れている、

という考えかたが昔からありました。


僕らが現在拝む作法でも、

準提観音を本尊とする安産の祈祷は、

安産除穢之秘法と云います。 


しかし、『密教辞典』には、

「女性を先天的に罪悪重々のものと見るのは、

男性側の意志の弱さを原始仏教時代からすでに制度化して、

一応解決したかに満足している独善にすぎないともいわれる」

とある。

  

男女の問題ではなく、

こんな人は禁制にするべきだ、

と感じることは多いですが、

そもそも、

至心に修行していれば、

それに障りのあることからは自然と離れます。

心から真剣にお金持ちになりたいと思えば、

無理なくムダ遣いから離れるように。


ところで、

最近は性別の違いが複雑になってきましたが、

オネエとかオカマと呼ばれる人たちは、

土俵に上がってよいのだろうか。

修行道場では、どうなのだろうか。







[ 2018/04/17 09:55 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
妙観察智 たえなる見きわめの智慧
仏教には、

空や縁起などの論理的な部分と

瞑想修行という直観を基盤とするものがあり、

この二つは不二、両方必須です。


悟りの智慧にも、

対象に入り込むような直観知と、

科学的な分析知があります。

そのひとつである妙観察智(みょうかんざつち)は、

あらゆる存在が、それぞれに持っている目鼻舌耳皮膚などの全知覚によって、

世界を観察し、慈悲の世界を作り上げる智慧です。


身体全体をつかって、

よくよく見極めること。


ところで、

料理する、消化吸収する、身体が成長する、衰退する、老化する、

健康になる、病気になる、

これらはすべて化学反応の結果です。

そこに超自然的な力などは無い。

バランスと排毒の問題にすぎません。

生活習慣や「心がけ」も生理に影響しますが、

これも自律神経などの化学反応です。


『十住心論』には、

すべての病の原因は無明(根源的な無知)

とあることや、

不生禅によって病を克服した盤珪禅師の話から、

執着がトラブルの原因となっていることが考えられます。

こだわるな 

あるがままでいる

そのままを仏の智慧(直観知)に照らす

ことが解決になる。


分析知から見れば、

心身のバランスは

Na とK

MgとCa

CaとP

の比率によって変わり、

繊維と脂肪の比率によって

排毒能力が変化します。


瞑想修行は、

睡眠のようにリラックス状態(副交感神経優位)ではなく、

緊張も存在しているので、

陰陽、つまりNaとKのバランスが調っている必要があります。


以上のことは、

旬のものを食べて、

早寝早起きして、

発汗するくらいの運動をして、

にこやかに朗らかに暮らしていれば、

自然とバランスがとれます。

そういう環境になくても、
 
センスと才能があれば、工夫できる。

それが無くても、

妙観察智によって成就できます。




[ 2018/04/18 08:52 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
共に拝む
4月14日、

信州飯田市立石寺春の大祭で大般若祈祷会。

拝んだ後、経典で参列者にお加持をする。

これは、

共に拝む行為である。


経典を唱えたりパラパラとめくったりしても、

般若の教え、空を理解することはできない。

あらゆる存在に自性は無い、

現実にあるのは仮の存在であり、

それらは、常住断滅どちらにもかたよらない中道である。

法要でそれを体得できるのだろうか。


加持とは、

「如来の大悲と衆生の信心とをあらわす」

と『即身成仏義』にある。

宇宙の慈悲を修行によって受けること。

仏の慈悲を信仰心がうけとめること

この加持が成立するのは、

仏と衆生が本来不二だからである。

衆生の身体、言葉、心が、

仏のそれと加持する。

つまり、

加持は即身成仏の実現である。

この 加持をきっかけにして、衆生は仏の世界に入る。

加持は、

あるがままで飾らずに仏(宇宙法界、自分以外のすべて)と接すること。



翌朝、

本堂で行法をしていたら、

蟇股から羽のある生き物が出てきた。

コウモリか、ムササビか。

この田舎の古い穴だらけのお堂には、

いろいろな生き物がいるようである。

彼らと共に拝む。



有情無情が飛び回る、

香煙が揺れる。

なぜか、

心が飛び回り、揺れているから。


午後は下條村藤本院のお祭。

参加者はそれぞれ自宅から花を持参して供える。


お釈迦さんの涅槃(2月15日が多い)とお花まつり(4月8日が多い)が一緒のお祭りで、

田舎ではこういうことも少なくない。





みんなで拝んだ後は宴席。

コシアブラのテンプラや冬野菜の漬物が並ぶ。



二日後、

柏のマンションで法事。

90歳の喪主さんが、

お経が覚えられなくてねえ、

と言う。

覚えなくてもいいけれど、ただ唱えても意味は無い。 
 
経典とは、

仏が僕らを悟りに導くために説かれたもの。

それを仏に向かって唱えるのは、どういうことだろうか。

唱えるだけなら、それを聴くだけならCDでもいい。

内容を理解し、

信じて行ずるに価するのかどうかを思惟する。

それが無ければ読経に意味は無い。


ただし、

読経そのものに功徳があると信じることで、

自分の行いを正すきっかけには、なるかもしれない。






[ 2018/04/19 07:57 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
たけのこ吹き出物語
千葉では旬、

栃木では走り、

飯田ではこれから、

というタケノコ。


竹の子は成長が早い、

中が空洞である、

カリウムが多い、

など陰性である。広がる力が強い、ということ。

だから、

身体を緩める。

食品成分データベースでは、

ナトリウム 未検出
カリウム  520
カルシウム  16
マグネシウム 13
リン     62
(可食部100g中の㎎)


陰性だから陽性な海藻や、

煮〆キンピラなど陽性な調理法と合う。


この陰性が細胞を緩めるので排毒を促すけれど、

多すぎると陰性過多になり、末端が動かなくなる。

なので、

陰性なものと合わせて陽性に料理すれば、

より陽性が強くなり、ガンなどの食養に使われる。


タケノコはアクが強い。

このアクはマグネシウムで、

日がたつにしたがって細胞が老化して、マグネシウムが細胞内液から外液に滲出するので、

アクが強くなる。

まあ、その日のうちに調理するのがよい。


このマグネシウムはうま味になるけれど、

マグネシウムが多いと血中リン濃度が高くなり、

すると相対的にカルシウム濃度が低くなるから、酸性体質になる。

だから、

陽性でアルカリの調理をせずに食べ過ぎれば、

胃腸障害で吹き出物が多くなる。

吹き出物が出る場所を観察するのは望診法の基本。

陰性な排毒では額に、

胃の不調は後頭部に、

肝臓は頬、

腎臓系は顎にでる。

鼻は最も陽性な卵や鶏肉、

胸元は香辛料やフルーツの陰性

消化不良は二の腕等々。


アク、つまりマグネシウムは強精薬である。

肉や玄米も多いけれど、

そういうものが好きなヤツは、スケベである可能性が高い。


[ 2018/04/20 06:54 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
鳴門不動院護摩供のお知らせ

5月14日(月)12時から


鳴門市撫養町木津 不動院にて、

護摩供を修法します。


JR鳴門線 金比羅前駅下車


駅前に長谷寺の仁王門があり、それをくぐると左に毘沙門堂、

その先に金比羅神社の参道階段。

このあたりの風景は「神仏習合」の名残り。

階段を上りきると金比羅神社


左手へまわると、

裏山への登山道があり、

20分ほど登った頂上に、小さなお堂があります。

そこで護摩を修法します。

天気がよければ眺めも良い。

どうぞ、お参りください。

狭く小さいお堂なので、護摩の火も近いです。


前日、翌日は大阪にいます。


 


[ 2018/04/23 17:34 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
念珠
修理を頼んでいた数珠が届く。



左の一連は中糸の通し替え。

この珠は星月菩提樹で、青いのは瑠璃。晴れの行法用。

真ん中は房替、

素材はカヤ。軽くて使いやすい、毎日の行法用。

房の交換は結構高額です。

右は新品、珠は水晶。

真言宗では、

水晶で装飾した数珠を装束念珠と云い、

これは半分が茶水晶なので、半装束と呼びます。儀式用。

 『陀羅尼集経』には、

「諸数珠中水精を以て第一」

とある。

 
仕立てかたにも、いろいろ種類があるのだけれど、

中糸を赤にするのは、

阿弥陀如来の色、以前書いた妙観察智の色、金剛界(智慧)の色。

『秘蔵記』には、

「水の中に一切の色とか姿の区別がはっきりあらわれるのを妙観察智にたとえ」

とあり、

「念珠は説法の義であるから、説法断疑の智たる妙観察智の如来たる阿弥陀仏に配すること

念珠は記憶を功とするから、その点を考えれば記憶は妙観察智の三昧であるから阿弥陀仏を母珠とする」

と、堀内先生の『法衣法具解説』にある。母珠とは、

数珠を二分する大珠のこと。


中糸はナイロン製と絹糸があり、

ナイロンは伸びない、絹はキレイだけれど使っているうちに伸びます。

右の半装束のみ絹糸。


黄色の房を選ぶのは、

虚空蔵菩薩の色、胎蔵(慈悲)の色。本当は金色なのだけれど、その替り。


数珠は使っていれば切れます。

拝まない人の数珠は切れない。

下駄も履いていれば鼻緒が切れるけれど、

履かない、歩かない人の鼻緒は切れない。

そう考えると、

健康とは良いことなのだろうか。

努力精進すれば、身心が磨り減り弱るのは当然かもしれない。


数珠は数を取るために使い、

真言陀羅尼などを唱え(念じ)る珠なので念珠とも云う。

なので、それらを唱える密教由来のもので、

元来の修行者の持ち物ではない。お釈迦さまも使っていないでしょう。


例えば、

真言を100回、1000回など唱える時に、

それを数えながら数珠を繰ります。


これはいつでも何処でもできる。




[ 2018/04/24 13:32 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
前方便
タケノコの下処理にはいくつかの方法があります。

どれも新鮮さがいのち、収穫してその日のうちに。


1、皮をむき、スライスして大根おろし汁に2時間ほど漬ける。

大根おろしそのままで良いけれど、

大根おろし汁を同量の水で割り、塩少々を入れたものなら、なおよろしい。

これは火を通さないので、酵素が生きて歯ざわり良く仕上がる。


2、皮をむき、適当に切ってたっぷりの湯で1時間程度ゆでる。

タケノコ1本につき、タカノツメ1本を入れる。

これは陰性な方法で、火を通すからやわらかくなる。

陽性なマグネシウムが抜ける。


3、皮つきのまま、根の部分はアルミホイルで覆い、

炭火かオ-ブン200℃で1時間程度焼く。

これは陽性な方法。陰性なエグミが陽性な甘味に変わる。

最も風味が良くなります。



揚げ物で余った油の中に、

細切りのたけのこ、きくらげ、にんじん、ピーマンを重ね、

油煮して醤油で調え、水溶きの吉野葛を引く。

葛が油を溶かします。

 



タケノコ昆布

髪の滋養、痔、婦人科系、前立腺などの滋養になります。


ガンなどの食養には、

ごぼう5:れんこん3:たけのこ2

の割合できんぴらにします。

醤油は濃い目に 。

タケノコの硬い繊維が陰性な細胞の増殖を抑えるけれど、

醤油は濃いめにして水分は飛ばし、陽性に仕上げること。





[ 2018/04/25 11:17 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
ちほうの時代
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[ 2018/04/26 09:35 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
たくさんたくさん
外出して世間の食事を見ると、

こんなにも野菜が少ないのか、

と驚く。

陰陽と酸アルカリのバランスから観ても、

野菜はその他穀物や生臭や塩気の5倍以上必要である。

クロロフィルが少ないとヘモグロビンが足りなくなる。


野菜はたくさん食べるのが良いけれど、

真言もたくさん唱えるのが良い。 


片道300キロの運転中に何をしているかと云えば、

1/3は米朝を聴く。トランプと金でない。

1/3は景色を楽しむ。

そして1/3は真言陀羅尼を唱える。


入浴中も布団の中でも唱える。


護摩では、火を焚く前に、真言を少なくとも千回唱える作法になっている。

ものによっては10万回唱える。

唱えずに護摩を焚いても、ただの焚き火である。


唱えることで、

仏と衆生と自分が平等であることを知る。

唱えることで、諸仏の功徳を讃嘆する。


あなたは素敵だ、すばらしい、

と誰かのことを言い続けるとどうなるか。

そういう心と口の人間になる。 


『秘蔵記』には、五種類の念誦が説かれている。

蓮華念誦:自分の耳にかすかに聞こえる程度に唱える。
金剛念誦:唇と歯を合わせ、口を開けず声を出さずに唱える。
三摩地念誦:心の中で唱える。
聲生念誦:蓮華と商佉(ほら貝みたいなもの)を観想して唱える。
光明念誦:口から出る真言が光明となり法界に遍じる、と観想しながら唱える。

このうち、

三摩地、声生、光明は観想を伴うので、

運転中には向かない。

それに、

『石山次第」には、

金剛念誦が勧められ、

初心の修行者は、

蓮華念誦が良いと、

『中院流諸尊通用次第撮要』にある。


唱えることに飽きたら、

口を真一文字に結び、

両目を思いっきり大きく見開く

こうすると、あらゆることがうまく運ぶ。

両目は肝臓

唇は胃と大腸

と関係があり、

忍耐力(微笑み)と同情理解が身につくから。

また、

腹式呼吸を伴えば、

それは肝臓と腎臓をマッサージするので、

微笑みと勇気が得られる。




[ 2018/04/30 07:42 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
初夜と初七日
お通夜の風習は、地域によって随分と違う。

納棺してから拝む所があり、

拝んでから、皆で納棺する地域もある。

通夜は家族身内の儀式だから、

普段着で家族親族のみ参列、というところがあれば、

ご縁のある人は誰でも喪服を着て、お参りに来るお通夜もある。

お通夜、というものは無い、

という地域もある。


お通夜は初夜のお勤めで、

儀軌口訣 には多少の違いがあるけれど、

初夜は戌の刻、黄昏、宵、午後8時

に行じる。

寅の刻、暁、午前4時などに後夜の行。

この時間が、朝のお勤めになり、

本尊に自分の徳の欠けている所を補ってもらうよう祈願する。
 
そして、

日中行は午の刻、正午、午前中など。

これが所謂お葬式になる、

と僕は考えている。



葬儀の後に続けて初七日を拝むことが多くなっている。

これも地域によって随分と違いがある。

火葬・葬儀・初七日の順に行うところがあり、

葬儀・火葬・初七日もある。

葬儀・初七日・火葬も増えた。

昔は土葬だったのだから、

今の風習はどれも新しいやりかたである。


初七日は亡くなった日から数えて七日目だけれど、

火葬場が混んでいれば、

その日を過ぎてからの葬儀もある。

今は、火葬場の予約最優先で葬儀日程が決まることが多い。

すると、

初七日はすでに過ぎているのに、初七日がセットになっていることもある。


過ぎていますよ、

と言っても、

構いません、

と返事がある。

いいのだろうか。


そもそも、

なぜ初七日があるのか、

その本尊がなぜ不動明王なのか、

典拠があるのか。


先日、ある地方の葬儀次第を見せてもらった。

棺前作法と野辺送りの作法が別々に、葬儀式次第として組まれており、

僕が知っているものとはずいぶんと違った。


密教の葬儀次第は、

即身成仏の思想と、世間で流行している往生浄土の思想が融合したもの、

になっているけれど、それがまとまったのは室町時代以降くらい。

お釈迦さんやお大師さんの頃には無い。


どんな儀式作法所作も、

自身の求道と、

他者の祈願のために行う。

その目的は、

菩提、さとり、しあわせである。  


通夜も初七日も、

自他の成仏のためであり、

「他」には故人も含まれている。

なぜなら、

総てに仏性があるからである。




[ 2018/05/01 10:18 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
社長の戒名
麦畑が多い栃木県南部


 
青々として美しい。しばらくすれば、黄金色の麦秋になります。


それはさておき、

2年前に亡くなったかたに、戒名をつけて欲しいと依頼があり、

ご家族に電話でお話を伺い、

いろいろ考えて授与。

最近は、このような形も少なくない。


数年前、

木材関係の社長さんから、生前戒名が欲しいと言われた。

仕事と人柄にかかわりのある字を選び、

形ばかりだけれど、授戒もした。

●●院△△■■居士

という戒名。



その後、

知り合いの石材屋さんに会ったら、

すごい戒名だねえ、

と云う。

そうでもないけどなあ、

とよくよく聞いたら、

社長さんは、自分の墓を建て、そこに戒名を刻んだ。

それは、

上記戒名の、

院の次に「殿」をつけ加え、

△△(道号と云う)を4文字に増やし、

居士の前に「大」を足した。

ずいぶんと長いものになっているようだ。


世の中にはいろいろな人がいるものです。


戒名は必要か、

と聞かれれば、

ある意味では必要だけれど、仏教的にはどちらでもかまわない、

と僕は考えます。

仏教の目的は成菩提、人格の完成。

そのために必要なのは戒律と修行と勉強。

戒名の有無とは関係ない。


でも、

生前に得度授戒して戒名になるのなら、

心機一転の良いきっかけになるでしょう。


社長さんはどうだったのだろうか。




[ 2018/05/03 12:57 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
なるほどなるほど
豆腐を水切りして並べ、

畑で採ったニラと一緒に蒸し焼きし、

裏山で摘んだ木の芽を盛る。



ニラの辛味と木の芽の香りは、

ともに強い陰性で、陽性を溶かし、

身体が柔らかく軽くなります。

暑がりは陽性過多であり、

そういう人は冷房に強い。


それはさておき、 

ヨドバシカメラで新しいレンズを買う。

デジタルカメラのセンサーには種類があり、

フルサイズセンサー(フィルムカメラでいう35ミリ)は高価。

小さいサイズの場合、

同じ焦点距離なら望遠になる

と云うことを初めて知った。

同じ焦点距離でもセンサーが違うと、画角が違うのですね。



センサーといえば、

僕は自動ドアや水道の蛇口センサーに反応しない。

と話したら、

一歩足りないだけだよ、

と長男が言う。

人生そのものだな。



僕は服をあまり持っていないので、

妻子に付き添ってもらいユニクロへ行く。


僕の着こなしを見た妻が、

だらしなく着ない、

歳をとったらそういうことに気をつけなさい

と云う。

この歳になると、

ただでさえ、だらしなく見えるらしい。


法衣を着るまでもない時のために、

ジャケットが1着あるといいよ、

と次男が云う。

さらに、

黒とグレーと紺のパンツがあれば、

何とかなるよ。

言われた通りのものを買う。


これなら、外見でいじめられることはないだろうな、

と言ったら、

私は友達がいない、

だから、いじめられることは無いのよ、

と母が云う。


 最近気がついたのは、

立石寺は16画

僕の名前、須永晃仁の外格も16画 


同じ数がひとつあると仲良しになり、

ふたつ以上あると、もっと深い関係になります。




[ 2018/05/04 10:30 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
仲良くしよう
国家間でも組織集団でも、

個人と個人でも、

仲良くすればうまくいくし、楽しい。

それがなかなかできずに、争うことは多い。

生存競争で勝ち抜くために、

そういう生き物になったのだろうか。


故人が一番喜ぶのは、

残された家族親族遺族が仲良く暮らすことです。

 それは、

生きている僕らが、

子や孫が仲良く楽しく暮らしているのを見て、

うれしく思い、安心するのと同じ。


誰かと仲良くすることで、

一番の恩恵を受けるのは自分自身です。

仲良くする、という行為が、

自分に無上の平安と充実感を与えるから。

そこに見返りはいらない。

その時、

他を助けたから自分が助けられる、というものではなく、

助けたら助かる

という縁起になる。


 反対に、
 
争いや揉め事を起こしていれば、

自分の心は乱れ、悩みは増える。

助けないから助からない、ということになる。


何か意見が合わないことがあっても、

違うのはその意見だけのことであり、

人格とは関係ない。

意見が違えば、こちらの知見は広がる。


急がなくてもいい、

ゆっくり仲良くすれば良い。



『菩提心論』では、
 
こよなきさとりを求めるためには、

慈悲(仲良くすること)
向上心(道を求めること)
瞑想修行(心をまとめること)

が必要としているけれど、

仲良くすることが第一に挙げられているのは、

僕らは、本来清浄で仏のような無限の心をもっているのだから、

仲良くして、

互いに利益安楽しようとするのが当たり前なのである。


[ 2018/05/06 14:14 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
純愛

毎日タケノコ、の季節ですが、

娘のリクエストでから揚げ



僕は焼いて葛かけ



翌朝は、おこわ

うるちともち米半々で3合、水2合半、昆布と純米酒少々振って炊く。



木の芽が柔らかくてうまい。


それはさておき、

学生時代に友人と恋愛談義をしたことを思い出し、

その時、話題に上がった泉鏡花の『外科室』を再読した。

医学士と伯爵夫人の恋愛。

といっても、この二人は以前に一度だけ、

それも小石川の植物園ですれ違う程度に会っただけである。

それだけなのに、

相手を思う心を外へ出さないために、

ふたりとも自死を選ぶ。

「語を寄す、天下の宗教家、かれら二人は罪悪ありて、天に行くことを得ざるべきか」

で話は終わる。



柴又帝釈天の東、

江戸川を矢切の渡しで越えると、


対岸が矢切の村。

ネギ畑が広がる農村で、『野菊の墓』の舞台。

子どものころから仲良しの二人、政夫と民子に、いつしか恋心が芽生えるけれど、

世間体を気にする家族親戚によって引き離され、

望まない結婚をした民子は、

産後のひだちが悪くて死んでしまう。

その手には、

政夫からの手紙と写真が握られていた。


この話で思い出すのは落語の『たちぎれ線香』

若旦那と芸妓の小糸は幼い恋仲だけれど、

これも周囲の力で引き離され、若旦那は百日間の蔵住まい。

その間に、

小糸は、今で云うノイローゼか拒食症になって死んでしまう。

若旦那から贈られた紋入りの三味線にもたれて。

「小糸、堪忍してや。怨んだやろなぁ。

こんなんと分かってたら、わしゃ、蔵破ってでも抜け出して来たんや。

堪忍してや。その代わりなぁ、

わたしはもぉ、生涯女房と名の付くものは持たんで」

と若旦那は云う。



仏教で最も大切な行願(慈悲)は、

相手の要求になんでも命がけで答える、

捨て身になることである。

でも、

『宝積経』には、禁じている五つの布施がある。

・不浄の財

・酒と毒薬

・狩りの器具

・刀杖弓箭

・女色 

つまり、

相手に与えるもの、助けるものは、

自他を高め、ともに清い喜びをもたらすものでなければならない。


あの時の恋愛談義が、

どんな結論になったのかは、忘れてしまった。


[ 2018/05/10 11:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
キュウリのサンドイッチ
畑のキュウリに手を加え、ネットを張る。

いよいよ胡瓜の季節が来る。

タケノコもそうだけれど、

キュウリは旬と新鮮さがいのちである。

季節はずれの、しかも収穫して時間が経ったものはうまくない。

高級すし屋にもカッパ巻があるのかどうかは知らないけれど、

そこでのキュウリは、魚と同じように旬で新鮮なのだろうか。


阿川 弘之の『食味風々録』に、

バッキンガム宮殿で開かれる園遊会で、

格別珍重されるのが胡瓜のサンドイッチ 。

あちらでは古来、胡瓜は高級品貴重品

栄養の上、品位の上で最も優雅な上流社会の風俗

とある。



トーストして味噌漬けの豆腐を塗り、

胡瓜を載せる。



東海林さだお の『タクアンの丸かじり』にも、

サンドイッチの話があり、おもしろい。



[ 2018/05/12 06:52 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
町の名前
信州へ車で往復するとき、

中央道を通ることもある。


山梨県に入ると、都市名標識を見て、へえーと思う。

もともと、

町名都市名は地名だった。

今は違うところが多くなった。


大月甲府塩山と昔からの地名を見ると、

ああ、甲州に来たなあと思う。

そんな中、

南アルプス市という看板標識が見える。

カタカナの名前は他にもあるけれど、へーと思う。

南アルプスとは、赤石山脈のことではないのか。

 
中央市もある。

シンプルだけれど、その土地を表しているとは思えない。


甲斐市と甲州市がある。

山梨県の旧国名は甲斐

甲州と言うのは、

信濃を信州、長門を長州と呼ぶのと同じ。

 
甲州の生まれ、

といえば山梨県の生まれで、

甲州へ行ってきた、

といえば、山梨へ行ったと、僕は思う。



山梨県が甲斐で甲州なのに。

全体を表す名を、一部の地域が使うのはどうなのだろうか。


僕の現住所がある下野(しもつけ)市は、

以前、下都賀郡国分寺町だった。下野国分寺がおかれた町。

合併で下野市になった。

県南の一部地域である。

もちろん、

栃木県の旧国名が下野。

詐称と言ってよいような気がする。


昔々、この辺りを毛野と呼んだ。

豊かな土地、という意味である。

不毛ではない土地。

鬼怒川は毛野川であろう。


都に近いほうが上毛野(かみつけの」

遠い地域が下毛野(しもつけの)

律令制度では、国名は二文字と決められたから、

上野と下野になり、

読みかたには「け」が残り、

こうづけ、しもつけ

になった。

上野は上州、下野は野州である。


 
ここは小山市 三田地区。

名前の通り美しい毛野で、

今は実った麦畑と、田植えが済んだばかりのたんぼが広がる。


そういえば、

名前の相談でもいろいろある。

人の名前、商品や会社の名前で、

画数のことばかり気にして、

吉数だけれど、音や字面がなあ、

ということは少なくない。


まあ、どうでもよいのですが。




[ 2018/05/14 05:42 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
いざという時
山椒の実を収穫



今が旬で、数日後には固く茶色になる。

今年は時期が早く、収穫量が多い。



それはさておき、

被災時を思い出すと、

安否確認の方法は悩ましい。

その後

LINEというサービスができて、災害時に役立ちそうである。


普段の生活でも、

歳をとって、しかもひとり暮らしになると、

その安否はなかなか分からないことがある。

あの人は、生きているのだろうか、と。

そこで、

LINEでトーク(メッセージ)を送り、

既読になれば、

生きている、と判断する。

既読が無ければ、

電話をかける、家を訪ねるなどして安否確認をする。 

こちらは、

既読にすることで、

相手に「生きてますよ」とサインを送る。



終活の相談が増えてきた。

多いのは遺品整理の問い合わせ。

引き継げない位牌や仏具をはじめ、

遺品になるであろうものを、供養処分または保管して欲しい、

などなど。

エンディングノートにアンタの連絡先を書くからヨロシク、

もある。



護摩の後に、

不動明王の話をするように云われ、

『不動次第』にある因業不可得を説明した。

お不動さんを象徴する梵字には、

原因と結果の束縛から離れる

という意味がある。

たとえば、

自分の不幸不調不満の原因を探ると、

多くの場合、言い訳にたどり着く。

そうではなく、

それらの現実は真実であり、始まりも終わりも無いものである。

だから、

あるがままに生きて、

慈悲心と向上心が身につくことを護摩で祈願すればよろしい。

身につけば、確実に改善する。


いざと云うときにも、役に立つと考えています。



[ 2018/05/16 11:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
いま僕にできること
泊まったホテル近くでライブがあり、

TANEBIが歌っていた。

TANEBIは、

上田和寛(うえだ たかひろ)と 杉山勝彦のデュオ。

杉山さんは 、

乃木坂46、家入レオ など多くの作曲を手がける音楽プロデューサー、

去年、レコード大賞作曲賞を受けている。


10年くらい前 、

大阪の天才治療家・宮島先生から

関西で一番歌がうまいヤツです、

と紹介されたのが 上田さん。 同級生とのこと。


震災後、

津波に遭った町を巡拝していたら、上田さんが老人施設で歌っていた。

何遍も来てくれている。


ウチの護摩と上田さんの「いま僕にできること」




オリジナルはこちら




ライブで歌っていたTANEBIの「スターマイン」

 



震災復興ソング「また明日」



僕らに必要なのは、

温かいうまい食べ物と希望であり、

どちらかを選べば希望かもしれない。

希望があれば生きてゆける。

歌には希望がある。


僕らは何のために拝むのか

そんなことに意味があるのか。

理由はいくつもあるだろうけれど、

そのひとつが、

いま僕にできること

だからだろうな。



[ 2018/05/17 08:59 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
夏の湯豆腐
野菜や果物は、昔とずいぶん変わりました。

形・色・肌触り、そして味も。

それは、

土地や肥料や気候や栽培方法などが変わったからでしょう。


人間も変わりました。

昔とは違う。

これも、

食べ物・環境・育てかたが変わったからでしょう。

昔の野菜を食べるには、

昔のタネを昔のように育てれば可能かもしれませんが、

人間はどうなのでしょう。

おそらく、

もう戻れませんね。



密教は縁起論(存在分析学)よりも、

仏身論(仏とは何か)、成仏論(悟りの方法)に重きをおいているから、

なぜだろう、なぜかしらの原因より、

現実の価値を大切にする修行法になっています。

でも、

最近はそんな特徴が世間の仏教には見られない。

宗教へのアプローチも、

変わるのでしょうね。

夏は沐浴もしやすく、

朝が早いので、修行によろしい。



暑い夏に、

昔は麦茶、トマト、キュウリ、スイカなどのカリウムで冷やしていたのが、

最近はエアコンと冷たい食べ物飲み物で冷やすことが多い。


夏に暑い煎茶やほうじ茶はうまいものですが、

湯豆腐もうまい。

夏の薬味は、

みょうが、しょうが、実山椒、すだち

辛味酸味が、夏に濃くなる血を薄めて血行を促します。

これが暑さをしのぐ方法のひとつ。

暑いと感じるのは血が濃い血行が悪い陽性だから。

汗をかくのは排毒に最もよろしい。

どぜう鍋は夏に汗をかきかき食べるようですが、

精進では、

油揚げと豆腐を煮きり、熱々にトウガラシを振る。


夏は油が傷みやすい。

うまい天ぷら屋は店内に油の匂いがしませんが、

それは油が新鮮だからでしょう。

そういう天ぷらは夏でもうまく、胃にもたれない。


サラダを注文して、

ドレッシングは何にしますか、

と聞かれても、酸化した油のドレッシングはいらない。

夏は、

酸味辛味に塩をあわせたものがすっきり感じます。




[ 2018/05/18 10:32 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
修行論
十善戒というものがある。

1、殺さない(食べるためにはしょうがない、というものではない)
2、盗まない
3、性交しない(夫婦や恋人なら良い、というものではない)
4、嘘をつかない(ウソも方便は無い)
5、飾りごとを言わない
6、悪口を言わない
7、二枚舌を使わない
8、貪らない
9、怒らない
10、不邪見:事実ではなく噂話で判断しない

自分流に都合良く解釈せず、

これらを守ることが出来ない自分をどう思うか、

をよくよく考え、懺悔反省する。


それらの悪をなす煩悩の根本が三毒とされる。

1、貪り
2、怒り
3、無知 (真実とか本質を見ないこと)


以上を制御するための修行カリキュラムとして六度(六波羅蜜)がある。

1、布施 仲良くする
2、持戒 思いやり
3、忍辱 微笑む
4、精進 淡々と続ける
5、禅定 こころをまとめる
6、般若 向上心


十善戒のうち、

殺盗淫は持戒で、

口が災いとなるものは精進と禅定で、
 
邪見は智恵 で調う。

また、

三毒の貪りは布施で、

怒りは忍辱で、

無知は般若で治まる。

しかし、

これらは対処療法であり、

根本を退治するものではないから、毎回毎日それを続けなければならない。



お大師さんの『三業十條義』には、

「六度のうち、どれかひとつでも完全に実修すれば、他の五度は包含される」

とある。

六度を実践するべき、とお大師さんの書いたものには多くみられ、

「成仏には慈悲を根本とする福智二行が必要。

福は五度を行じる。
 
智は経典の研究、講讃、思惟」

と『理趣経開題』にもある。

しかし、

六度は一生の間、長い時間修行するもので、その先に悟りがあるのかどうかはわからない。

密教は、

今すぐに悟る即身成仏の立場である。

三密行という密教の修法により忽ちに悟る、

という文章も、お大師さんの書いたものには多くある。

三密行は、

仏の身体、言葉、心を、

自分のそれらと相応させるもので、

いくつかのカリキュラムがある。



那須政隆博士の『弘法大師の修行論』には、

六度は法性自爾、誰しもその自性の内に具有している。

自性開悟の時には、六度の功徳が自然に現れる。

とある。


お大師さんの『ばざらだらま(原文は梵字)記』に、

「本来六度等を具足して一生の中にして満徳円満するなり」

とあるように。


つまり、

六度は元々僕らの心の源底にあるものだから

実の如く自心を知る、

という三密の修行の果で自然に身につく。

そして、

本不生(存在の理由)を理解し、

三摩地(自分以外と自分の交流相応)の妙境を味わえば、
 
現実すべてにおいて、真実性を発見する。


そこでは、

十善戒は保たれ、

三毒は消える。




[ 2018/05/20 16:15 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]



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