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[ 2025/03/18 21:42 | ]
陰陽で療法を考える。

陰陽研究塾の記事 101  

陰陽で療法を考える



 


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[ 2018/12/28 06:30 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
ジャガイモ千草焼き
久しぶりに動画を作りました。

ご笑覧ください。


[ 2018/12/28 06:33 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
連続合掌
リクエストがありましたので、動画を作りました。


[ 2018/12/28 10:48 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
精進料理の神髄
本文を読むにはこちらからパスワードを入力してください。

[ 2018/12/29 07:35 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
年末年始日記
あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。


年末30日は船橋の家でおせちを作る。

31日早朝、中央道を通り、飯田の立石寺へ向かう。

途中、富士山がきれいに見える。

お腹が空いたので、サービスエリアのレストランに入ったら、

大人ですか?

とレジで聞かれる。

えっ?

60歳以上は1割引になりますけど

と、ウエイトレスが言う。
 
僕も貫禄が出てきたのだろうか。

年寄りにみれらるのは、尊敬されるということである。


寺に着いて掃除、祈祷の準備。



夢守袋も据える。

夕方、ホテルへ投宿。


元日、6時に寺へ行き、

十一面観音の供養法と護摩法を修法する。

山の古寺,しかも建物の傷みが多いので、

堂内にいても屋外と温度は変わらない。

最も気温が下がる日の出時間だから、

仏器が冷凍状態で、水を入れると瞬間に凍る。

やはり、寅の刻(午前3時から5時)に拝むのがよい。


拝んでいると、

おめでとうございます

今年もよろしくお願いします

おみくじの棒は箱に戻すのですか

凶を引いちゃいましたよ

と話しかけられる。

返事をしたいのはやまやまだけれど、

真言を唱えたり観想しているから答えられない。


それから、

おみくじで凶を引いたら、

納得いくまで何回引いても構いません。

僕が平安を拝んでいますから。


それにつけても寒い。

寒いけれど、寒いだけである。

寒さで関節が痛い。

これも痛いだけである。



修法終わって片付け、

ごあいさつなどしてホテルに帰る。



2日早朝出発。

船橋へ戻る。

途中、諏訪から小淵沢までは雪で、ゆっくり走る。


お昼前に到着、

妻が作ってくれた雑煮で一献。




3日早朝出発して、栃木の家へ。

その後、足利市福厳寺へ墓参り。

寺の裏山で記念写真。


 
市内の織姫神社境内にあるそばや「蕎遊庵」で昼食。

夕方、熊本で地震がある。


帰宅後、

何かおすすめの本はある?

と長男から聞かれたので、

『駅前旅館』 井伏鱒二

『下駄の上の卵』 井上ひさし

『虚空の眼』 フィリップ・K・ディック

『当世書生気質』 坪内逍遥

『城の崎にて』 志賀直哉

を渡す。


アルバイト代のほとんどを服に使う次男が、

親父(祖父)や僕が若い頃着ていた服を漁っている。

時々、気に入ったものが見つかるらしい。

 


ひとこと

阿吽・精進料理散策




[ 2019/01/05 08:00 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
今月今夜の月
今日は日食ですね。

拝むには好日です。

そして、今日は新月。

僕は新月の日、つまり朔日に生まれました。 
 
ある日の月齢は19年先の日と同じになるので、

19歳、38歳、57歳、76歳、95歳の誕生日の月を見れば、

自分が生まれた日と同じ形の月が眺められます。


新月は数えて16日目に満月になる。

そのように、

隠れている心も16の修行によって、

満月のように光り輝く心になります。

『菩提心論』には、

瑜伽の観法(心をまとめる瞑想修行)によって、

ほんの少しの清らかな性質が次第に発展して、十六の円満体になる

元々具わっている仏の性質が、朔日から十五日に至って、円満で、さわりなきものになる

とあります。


「高野山家宝暦」によれば、
 
僕(57歳・三碧木星)の今年は、
 
自分らしさを大切にする年、

とのこと。 




ひとこと

精進料理日記








[ 2019/01/06 09:32 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
観音宝生
元旦には観音宝生のお札をいくつか拝みました。



笑うと周囲に宝が生まれますが、

観音を拝むと、自心に宝が生まれます。


『十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経』には、

任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)

という、観音を拝む勝利(功徳)があげられています。


観音とは、よく観察することですが、
 
観察して見極めることは、自心を知る上でとても大切。

そして、

自心を知ることが、仏の智慧であり、悟りであり、最勝の宝。


仏の智慧には宗教的修行によって体得する直観智が多いのですが、

この、見極める智慧は、人間的現実的科学的といえるでしょう。




[ 2019/01/07 15:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
幻味
食べたり飲んだりしていると、

実際の味ではなく、イメージの味を感じる。

おふくろの味とか、

思い出の味とか、

食べたときの精神状態や環境や習慣に基づくもの。

本当の味と思い出の味は半々くらいかもしれない。

その実在しない味は、

思い込み、錯覚、妄想であり、

幻、蜃気楼のようなものだけれど、

「実際には無い」という状態で存在する。 

仮味と実味。



食べた、という現実があり、

うまかった、と感じる現実もある。

その中に幻がふくまれているのも現実である。

本体本質はどこにあるのだろうか。

味覚だけのことではない。



[ 2019/01/08 11:47 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
僧衣あれこれ
薄田菫泣の『茶話』に載っている話を思い出した。

昔、ある学生が学校で時計を盗まれた。

それを知った校長先生は、

時計さへ持たなかつたら、盗まれる心配はないのだ

という素晴らしい教訓を学生に与えた。

しかし、

時計を持つていても、学校へ行かなければ盗まれる心配は無い、

というのも合理的な考えかたであり、


危険なのは、学校である、

という話。


 
僧衣を着て自動車を運転したら、

おまわりさんに捕まった、という話がある。

これは、

僧衣さへ着なければ良かったのだろうか。

それとも、

僧衣を着ても運転しない、と云うのが合理的なのだろうか。



僕は最近、

袖を邪魔に感じるので、

運転する時は作務衣を着て、現場で僧衣に替えている。



幕末から明治の傑僧で、東大印哲科最初の講師になった原坦山老師は、

身なりに無頓着で、洋服の上に袈裟を着けたりしていた。

法衣を着るように、と促す僧侶がいると、

「法衣はもともと中国の喪服だ。喪服が何になる!」

と一喝した話が『遺偈・遺誡』にある。


『秘蔵宝鑰』十四問答には、

多くの僧侶を見るに、頭髪を剃っても欲を剃らず、

衣を墨染めにしても心を善法に染めることを知らない

と書かれている。


法衣(僧衣)には元来二種類ある。

戒律を保つ僧が着る脱俗質実簡素なもの。

つまり、修行用の着物。

もうひとつは、

朝廷の服飾に準じた 華美なもの。

これは儀式用で、

複雑で種類も多く、官位僧位を表す。


堀内寛仁先生の『法衣法具解説』 には、

法衣の定義として、

僧徒が着用する衣服で、これを僧衣僧服とも称する。

法衣とは「如法の衣」であり、

日常生活を規定した律を守るものが着る。

仏教の精神が象徴されたものが法衣であり、

だからこそ、

僧と仏が同じ衣服を着用する


とある。




[ 2019/01/12 09:55 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
餃子のタレ

僕はコロッケもサラダも醤油をかける。


醤油は素材の味を引き出すけれど、

ソースはその力が弱い。



餃子のタレは、

醤油とお酢とラー油が定番である。

この組み合わせは誰が考えたのだろうか。

油を溶かす辛味と、たんぱく質を溶かす酸味を合わせるのが素晴らしい。


ところで、

醤油とお酢は簡単に混ざるけれど、

ラー油は油だから混じりにくい。

でも、丁寧に混ぜれば一体のタレとなる。


仏教の基本は、

仏と自分と衆生の三者がまったく平等である、

ということ。

この三平等が根底に無ければ、戯論であり、危険な思想につながる怖れがある。


仏と自分は、

自分と衆生は、

よく混ざり合い、一体になっているだろうか。

お互いの助けになり、

相互の味を引き出しているだろうか。


[ 2019/01/16 11:37 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
存在の原理
先日、横浜で望診法の講義をしましたが、

望診法のバックボーンになっているのは陰陽の理論です。

それは、

陰と陽の(力の)バランスによって、あらゆるものが存在する、

と考えます。

物理学や数学にもそれぞれの原理法則があるのでしょうが、

仏教には、

空、無常、縁起、無我、本不生などの言葉で表現される、

あらゆるものの存在の原理と法則があります。

仏教の目的は、それを悟る、ことです。

そして、

この原理法則を、

三摩地という瞑想修行によって体験します。

なぜ、そのようなことをするかといえば、

僕、あなた、仏、人間関係、生死、地球、宇宙、動物植物鉱物、心、悩み、不安・・・。

それら存在の原理法則を知らないことが、苦しみになるからです。


仏教は平等を基本にしていますから、

僕、あなた、仏、人間関係、生死、地球、宇宙、動物植物鉱物、心、悩み、不安は、

みな平等です。

ですから、

すべてのものは他のものが存在する助縁になっている、

つまり、
 
あなたが僕を存在させている、
 
植物が動物を、僕が地球を、生が死を存在させ、

他のものを生み出す働きをしている、

育てる働きをしている

助ける働きをしている

と考えています。

それを慈悲と云います。

そして、

他を助けるため(つまりは私が存在するため)には智慧が必要になる。

そうして、

慈悲と智慧というふたつが、仏教の中心になります。


[ 2019/01/17 12:27 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
おこげ
トーストは真っ黒になるくらい焦げたのが好き。

僕はお腹が冷えやすいので、オコゲのような陽性をおいしく感じます。

オコゲは炭素だけれど、

炭素は空気中にも体内にも、食べ物にも、いろいろなところにあります。 

有機物ですね。

空気中の二酸化炭素や塵などに含まれている炭素は、

もちろんひとつではなく、たくさんあります。

それらは同じ炭素だから、同じ姿と性質と働きがあると考えられます。

その空気中の炭素と、

僕の身体の中にある炭素と、トーストの炭素は、同じなのか違うのか。

きっと、隣に寄り添っているものは違うでしょうね。

でも、

個としては別物だけれど、

同じ性質、姿、働きを持っている炭素。

その炭素はどこからきて、どこへ行くのか。

エネルギーになり、

空気になり、

身体になり、水にもなり、

炭になり、

ダイヤモンドにもなる。

変化して、何かの共になる。

もちろん、

仏にも僕にも衆生にもなる。

しかし、

炭素という実体は、

本当は無い。
 

※「ひとこと

※「阿吽・精進料理散策

※「僕の鉄道日記

[ 2019/01/19 11:31 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
麦飯

陰陽研究塾の記事 102 

麦飯



 



[ 2019/01/22 16:26 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
ダイエット
本文を読むにはこちらからパスワードを入力してください。

[ 2019/01/23 08:34 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
そばがき

陰陽研究塾の記事 103  

そばがき
 


[ 2019/01/24 07:04 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
手相を観よう

1、体調と性格を観る

生命線は胃腸などの消化器系

頭脳線は神経系

感情線は循環器系の様子が現れます。


消化器は意志力

神経は知能

循環器は情緒に関係していますので、

その辺りも、線の色艶で観ます。


2、人間関係を観る

親指は親、人差し指は友人、中指は自分、薬指は連れ合い、小指は子どもとの関係が現れます。

指の形、傾き、指間の隙間で観ます。


3、将来を観る


生命線と頭脳線の色、

掌全体に現れる縦線と横線の始点(0歳)と終点(90歳)を観ます。

手相は体調が現れるので、

毎日変わります。

ですから、

心身のチェックにとても便利です。


[ 2019/01/24 07:17 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
真言を唱えよう
真言を唱えるのが真言宗、

といってもよいのですが、

唱えることは凡聖不二になるひとつの方法です。


十一面観音真言

「オン・マカ・キャロニキャ・ソワカ」


マカ・キャロニキャは「大悲尊」の意味。



不動明王真言

「ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダ・マカロシャダ・

 ソハタヤ・ウン・タラタ・カンマン」

大忿怒尊よ、砕破し、忿怒し、害障を破摧したまえ、

という意味。


真言を唱えると、その音声が自分の外へ出ます。

真言は仏の言葉ですから、

仏の音声も外に漂う。

空中に香煙のように漂う音声

これらの音声はどこからきてどこへいくのか

如来の口から自分の中に

自分の口から虚空の中に

音声が交流します。

そして、凡聖不二となる

さらには、

自分の言葉、周囲の音、全ての声が曼荼羅(仏の世界)を構成しています。

その中に自分も、全てもある。

 

[ 2019/01/24 09:05 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
授戒しよう
真言宗の経本には、

オン・サンマヤ・サトバン

という三昧耶戒(さんまやかい)の真言が必ずあり、

多くの人が唱えています。

この三昧耶戒を保つのが、真言密教の土台・基本。

その内容は、

1、大悲
(思いやりと優しさ、生きる上での最低限の行為、自他平等に観ること)

2、勝義
(向上心、存在とは何かを知ること)

3、三摩地(さんまぢ)
(あるがままの心を知ること)


『三昧耶戒序』に書かれているのは、

「諸仏如来、この大悲・勝義・三摩地をもって戒となし、時としてしばらくも忘るること無し」



 戒には二種類あります。

ひとつは、調伏。

自他平等に、

一切衆生を観ること、自分自身及び自分の恩人を観る如くならば、

自然に殺盗邪怒貪愚痴から離れる、

敢えて身命を害さない、

だましたり、あざむいたりしない。


もうひとつは、清涼寂静。

悪心を離れるから、心が清らかで静かになる。


小学生の勉強やトレーニングは、高校生になれば物足りない。

大学生、社会人と成長すれば、

もっと効果的なものを得るでしょう。

そのようにして、

最高の智慧を持つことが勝義ですが、

そこへ行けば他は未完成。

 未完成では個別心があるから悪が残ります。

最高の智慧は内外の悪を調伏し、善を増長し、心清涼になります。


三摩地は三密行によって、智慧を本物にすること。

仏と自分が相応することによって、

宇宙大の全てを包む心が出現します。

その心は、

人を生かし、人に元気を与える。

そして、

大悲と勝義(慈悲と智慧)は一切の制限を捨てて無限になります。

これが三昧耶戒。



[ 2019/01/25 08:58 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
記憶を呼び戻す食べ物

陰陽研究塾の記事 104  

記憶を呼び戻す食べ物



 


[ 2019/01/25 09:57 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
虚空蔵さんに似合うのは?
経本によって、

虚空蔵菩薩の真言には、ちょっとした違いがある。

ノウボウ アキャシャ キャラバヤ オン アリキャ マリボリ ソワカ

というものと

ノウボウ アキャシャ キャラバヤ オン マリ キャマリ ボリ ソワカ

と載っているもの。

真言は経典や儀軌によって違いがあり、

また訳者によって表記も異なるけれど、

梵語アリキャは「怨敵」の意味になる。

だから、

上の真言なら、

虚空蔵さんが怨敵(煩悩迷い執着)を砕破するイメージ。

僕は下の、

ノウボウ アキャシャ キャラバヤ オン マリ キャマリ ボリソワカ

と求聞持儀軌による音で唱えている。

意味は、

マリが「華鬘」

キャマリが「蓮華」

で、

虚空蔵さんの福徳によって、すべてがつつまれるイメージ。




我が家の虚空蔵菩薩像

左手は宝珠を載せた蓮華(智慧と慈悲)を持ち、

右手は五指を外へ向けて垂れ下げる、諸願を与えようとする形の印



マンダラに描かれている虚空蔵さんは、

左手を胸にあて、上に宝珠(福徳)を置く蓮華を持ち、

右手に剣(智慧)を持っている。


図像にも、いろいろ違い種類がある。




[ 2019/01/28 07:51 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
夢でもし会えたら
法事などで、

お経を聴きながら寝てしまう人は少なくないですが、

ただの居眠りよりは、

お経の音声に包まれて寝たほうが功徳になるでしょう。


読経の動画を撮りました。

ちょっと唱えかたのテンポが速いですが、

睡眠薬替りになるでしょうか。




仏さまに、

希望に、

光明に包まれますように。



[ 2019/01/29 09:43 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
大日は勇者

仕事柄、名づけ親を頼まれることがあります。

依頼してきたかたに、

候補の名前をいくつか考えてもらい、

その中から、最も適切な画数と数字の流れを選ぶようにしています。


将来お金に困らないように、とか、

親子兄弟が仲良く意思疎通できるように、とか、

そういう画数と数字の流れを選んで名まえをつければ、

保険に入ったような安心感が生まれます。


真言は、仏さまの名前ではないけれど、

名まえのように使われることもあります。

そして、その音声になった理由がある。


大日如来の真言のうち、

(オン)ア・ビ・ラ・ウン・ケン

は梵字でこう書きます。


(『梵習字鑒』より)

大日如来は、

本不生(存在とは何か)を悟った勇者で、

あびら avīra (原語に近く発音すればアヴィーラ)が勇者の意味。

これは、

お釈迦さまが菩提樹下で降魔成道した時、

神々が

ア ヴィーラ フーム カン
(おお勇者よ)

と讃嘆したことに由来しています。


ところが、

多くの経本や次第には、


(『十八道次第』より)

このように、

avīra(アヴィーラ)ではなく、

avira(アヴィラ)と書かれています。

梵字が違いますね。

これでは勇者の意味にならない。

永い年月の間に、間違ったまま伝えられているのでしょうが、

ちょっともったいないですね。


『秘蔵記』にも、

「本不生は阿卑羅吽欠(あびらうんけん)なり」

とあります。


[ 2019/01/29 10:30 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
露地偈
一日は日没から始まります。

その頃を初夜と云い、修行が始まります。

露地偈(ろぢげ)は、

道場に入る前に唱える偈文。

出典は『増一阿含経』二四

結婚式や七五三でも唱えています。


[ 2019/01/30 07:56 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
手相を陰陽で考える。
簡略に作りました。

どうぞ、ご覧ください。


[ 2019/01/31 10:54 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]



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