忍者ブログ


[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



[ 2024/11/24 14:07 | ]
引導法の研究
『六大新報』460-462(1912年)に、

栂尾祥雲先生の「引導法の研究」が連載されていたので、

担当者に頼んで複写を送ってもらう。

個人的意見を加えてまとめました。 


1、引導の起源

引導と云う言葉は

「衆生を引導す」(『法華経』方便品)
「仏自ら浄飯王を引導した」(『浄飯王般泥涅経』)

が始まりか。

大乗以前は、

僧侶が俗家の葬儀に関与することを禁じていた(『善見律』)


2、仏式葬儀の起源(日本)

622年 聖徳太子薨去のとき、

高麗の僧 恵慈が僧を請じ、齋を設けた(『日本書紀』第二十二)

702年(大寶2年)持統天皇を飛鳥の岡に火葬。 元興寺道昭により始行

756年(天平勝寶8年)聖武天皇崩御 香、華鬘、蓋繖などの仏器を用い、僧侶が讃唄を唱える。 これは誅詞のようなもの

まだ、引導作法というものは無い。

当時の一般庶民は、

家長が葬り、土葬、水葬、風葬などで棺は無く、遺体は山野に捨て置くことが多かった。

822年ころ、『日本霊異記』(薬師寺 景戒)で、

漢の「冥報記」に擬して、追善の修すべきこと、写経読誦の功徳を説く。

__________

同時期の『性霊集』に、忌日追善の願文・表白が28編ある。

空海は宝亀5年(774年) - 承和2年(835年)
__________

3、その後、

『引導大事』御流(大師作とあるが偽作)流通。

内容は、

授戒名、授戒、引導大事(智拳印)、アビラウンケン、仏眼、オン字、血脈、撥遣、

純粋に密教思想(即身成仏為本)に基づき、浄土思想は無い。
 
空海の時代、戒名をつけることは無かった。


支那では、

黄檗の希運禅師が引導の開祖(『山海里』)

「北星河水流不尽 我子五逆入無所
 一子出家九族生天 此語妄語諸佛亦妄語」
(死せる母に対する引導)


延喜以降、日本では陰陽師が陰陽道によって葬儀を行う。

1036年(長元9年)後一条天皇の葬儀(『類聚雑例』)

入棺後、殯宮に奉還し、翌日葬送

時日方角は陰陽師による

次第は、

黄幡
炬火者 十二人
御前僧 二十人  ⇒ 『浄飯王般泥涅経』棺前引導に擬したもの  天台僧が担当。
歩障
火輿
行障
御輿
香与
御膳辛櫃
開白相府
以下行列

引導法の基礎は、仁海僧正(951-1046)による。

それは、

宇治の関白頼道公のため経帷子に、

即身成仏の真言、決定往生の真言を書く

さらに、

陰陽師が行う地鎮法に密教の根拠を調えた。(地鎮法「付真言宗取葬所事」)


覚鑁上人(1095-1144)の「一期大要秘密集」に、
 
決定用心の事 、引導大事の次第がある。
 
______________

ここには、

大日如来の教令輪真にして、諸魔降伏忿怒の尊たる不動尊を祈念して、
天魔外道の障礙を避けることが書かれている。

葬儀の本尊は不動、という根拠のひとつかもしれない。
_______________

覚鑁さんの次第は、

まず死者に授戒、授戒名 仏弟子ならしめる。

これは、『善見律』などに、仏弟子にあらざるものを引導する事を禁じているから。

そして、

導師自身がまず成仏してから、亡者を成仏させる次第になっている。
 

_________________

現代でも、

引導の前に、自坊で不動法一座を修法すること

が伝授されるので、導師はそうするべきであろう。
_____________

鎌倉時代

成賢師『作法集』中の『葬送作法』では、

導師みづから成仏の観を成じたる後、初めて亡者を加持する

墓所を浄土とする

とある。


室町時代

浄土思想が取り入れられる(世間で大流行していたから)

具体的には、

阿弥陀如来来迎印、六地蔵、十三仏の思想など。
 
1254年(建長6年)の『十王讃嘆鈔』には、

年忌は三回忌まで(10回)

これによって、人死すれば直ちに不動を本尊として不動印明を結誦する、となった。
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0026-51101&IMG_SIZE=&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E5%8D%81%E7%8E%8B%E8%AE%83%E5%98%86%E4%BF%AE%E5%96%84%E9%88%94%E5%9B%B3%E7%B5%B5%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&IMG_NO=36

当時の次第は、往生浄土系の印言と、即身成仏の印言で構成された。

その後、高野山では『二巻疏』が著されるが、中の「引導作法」は不調和であり、

「引導略作法」は調和した内容になっている。

_______________

現在では、

『引導作法上・下』(東方出版 伊藤真城監修)

に、その引導略作法がある。

略作法といっても、

実際に使うには、とても煩雑で長い時間が必要。
________________
 

さて、

引導は、相手を仏道に引き入れることだけれど、

死者に対して行う、というのはどういうことだろうか。

当然のことながら、

死者も死者の魂も、墓や仏壇や寺にあるのではなく、心の中にある。

死者が行くとされる浄土も地獄も心の中にあり、密教では現世が浄土と考える。

ということは、拝む人を引導することになる。

そのような次第になっているのだろうか。

そして、

引導する資格があるのかどうかを自らに問い、

その資質が保てるよう、導師は普段から努力精進しなければならない。


PR


[ 2017/09/02 06:56 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]

コメントを投稿する






<< お大師さんはなぜ右を向いているのか 2  |  ホーム  |  あの日あの時 >>