供養でも祈祷でも、読経の最後には『回向文』(えこうもん)を唱えることが多い。
これは『法華経』の「化城喩品偈」です。
願以此功徳(がんにしくどく)
普及於一切(ふぎゅうおいっさい)
我等與衆生(がとうよしゅじょう)
皆共成佛道(かいぐじょうぶつどう)
訓読すると、
願わくは、この功徳を以って
普く一切に及ぼし
我等と衆生と皆共に
仏道を成ぜんことを
仏教の基本は慈悲慈愛ですが、一切のものに慈悲をもって接するとき、
それは善行となり功徳が生まれます。
その功徳をめぐらして、他の人々の苦しみを抜き、楽を与えることを願う。
それが回向です
善行の功徳により、亡者の成仏を祈り、有縁無縁の人々の解脱(苦しみからの解放)を祈ります。
良いことをしたらご褒美がもらえる。
それを自分のものにしないで、他のみんなにあげる。
ということ。
自分と他人と、みんなが悟るために、功徳をめぐらす。
みんな一緒に、悟りの庭で優遊することを祈ります。
相手に尊敬の気持ちが無ければ、お供物を供えても供養にはならず
信仰や慈愛の気持ちや戒律が無いままに、ただ経を唱えても功徳は少ない。
仏法は心を調え、清めることが眼目ですが、
そのためにまず、身の回りを調えるのがいい。
読経や念誦は心浄を目指しますが、
その前に身浄という前提が功徳を倍増します。
身を調えないと、念誦は濁り乱れます。
精進潔斎作法具足の用心が、ほんものの読経や念誦を生み、
それが本物になってくると、僕らは不徳を離れ、功徳を積みます。
その功徳を、皆のものにしましょう。
これは『法華経』の「化城喩品偈」です。
願以此功徳(がんにしくどく)
普及於一切(ふぎゅうおいっさい)
我等與衆生(がとうよしゅじょう)
皆共成佛道(かいぐじょうぶつどう)
訓読すると、
願わくは、この功徳を以って
普く一切に及ぼし
我等と衆生と皆共に
仏道を成ぜんことを
仏教の基本は慈悲慈愛ですが、一切のものに慈悲をもって接するとき、
それは善行となり功徳が生まれます。
その功徳をめぐらして、他の人々の苦しみを抜き、楽を与えることを願う。
それが回向です
善行の功徳により、亡者の成仏を祈り、有縁無縁の人々の解脱(苦しみからの解放)を祈ります。
良いことをしたらご褒美がもらえる。
それを自分のものにしないで、他のみんなにあげる。
ということ。
自分と他人と、みんなが悟るために、功徳をめぐらす。
みんな一緒に、悟りの庭で優遊することを祈ります。
相手に尊敬の気持ちが無ければ、お供物を供えても供養にはならず
信仰や慈愛の気持ちや戒律が無いままに、ただ経を唱えても功徳は少ない。
仏法は心を調え、清めることが眼目ですが、
そのためにまず、身の回りを調えるのがいい。
読経や念誦は心浄を目指しますが、
その前に身浄という前提が功徳を倍増します。
身を調えないと、念誦は濁り乱れます。
精進潔斎作法具足の用心が、ほんものの読経や念誦を生み、
それが本物になってくると、僕らは不徳を離れ、功徳を積みます。
その功徳を、皆のものにしましょう。
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