便と言っても、お坊さんのうんこ
ではない。
全日本仏教会が、
理事長談話:「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」について
http:// www.jbf .ne.jp/ news/ne wsrelea se/1600 .html
というプレスリリーズをしました。
その内容は、
Amazonが僧侶手配サービスを販売開始した。
これは、「株式会社みんれび」が2013年から展開している「お坊さん便」というサービスで、全国どこにでも定額で僧侶を手配するというもの。
それに対して仏教会は、
お布施は、慈悲の心をもって他人に財施などを施すことで「六波羅蜜(ろくはらみつ)」といわれる修行の一つです。なぜ修行なのかというと、見返りを求めない、そういう心を持たないものだからであります。そこに自利利他円満の功徳が成就されるのです。
それで、
今回の「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」の販売は、まさしく宗教行為をサービスとして商品にしているものであり、世界的な規模で事業を展開する「Amazon」の、宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ません。
というもの。
六波羅蜜のうち、布施波羅蜜以外はきちんとしているのだろうか、と疑問を持ちますが、
お坊さんを手配する、というのは、デリ坊主ということかな。
その坊さんは何をしてくれるのでしょうか。
何より、
お坊さんの質は保障されているのでしょうか。
商品にするなら高品質でなければいけない。
読経するだけなら、ウチの息子でもできる。
世の中何でも、機械でも食べ物でも、
品質の良いものは高価で、
劣悪なものは値段が安い。
お坊さんの質はどうなのだろうか。
お寺は一般の家庭と比べると、その維持管理に費用がかかりますから、お寺にはそれなりの収入が必要です。
税金の問題もあるのでしょうが、
でも、いわゆるお布施を受け取る僧侶が何でもいい、というわけにもいかないでしょう。
そもそも、僧侶とは職業なんだろうか。
仏教には、
仏・法・僧という三宝があります。
その僧宝は、
仏法を後世に正しく護り伝えていく僧侶のこと。
その僧侶が集まる僧団のこと。宗派ですね。
仏を尊敬し、自らも仏になるべく仏の法により修行する人々のこと。
つまり、
僧侶とは、修行する人です。仏教は修行の宗教ですから。
『秘蔵宝鑰』の十四問答では、
「仏教は国家を鎮護し衆生を利済すべきであるのに、多くの僧侶は、頭髪を剃っても欲を剃らず、衣を墨染めにしても心を善法に染めることを知らない。
だから旱魃や洪水がしきりにおこり、疫病が年ごとに流行し天下が乱れるのである」
とあります。
それに対して、
「麒麟や鳳凰がひとたび世に出れば、天下太平であり、如意宝珠や金剛石がひとたび世に現れると、人の願いのままに種々な宝を降らす。
しかし麒麟や鳳凰が現れないからとて、禽獣の族を絶滅すべきでなく、如意宝珠が得られないからと言って、金玉の類を捨てるべきでなかろう」
僧侶がいるから、仏法が伝わるのである、
というのですね。
お大師さんの時代も、今と変わらないみたい。
そして、
「問題は僧尼にあるのではなく、経典の妙法そのものが貴いのである」
と言います。
さらに、
「非法の僧尼が多いのは、
美女は招かずとも好醜の男が争うて訪問し、医師の門には召さずとも病人が集まる
物の道理として、善と悪との雜住が是の如くに行われているのであるから、僧尼の中に非法乱行の者がいても、それは怪しむに足らない」
という。
仏教会は
全日本仏教会は、宗教行為としてあるお布施を営利企業が定額表示することに一貫して反対してきました。お布施は、サービスの対価ではありません。同様に、「戒名」「法名」も商品ではないのです。
としていますが、ちょっとね。
自動車教習所を卒業すれば誰でも免許がもらえるけれど、
誰でも運転がうまいわけではない。
運転がうまくなければ、運転を仕事にはできない。
それと同じなんだけれど。
いずれにしても、
僧侶の質が高ければ、お坊さん便やamazonが何をしようと関係無い。
ではない。
全日本仏教会が、
理事長談話:「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」について
http://
というプレスリリーズをしました。
その内容は、
Amazonが僧侶手配サービスを販売開始した。
これは、「株式会社みんれび」が2013年から展開している「お坊さん便」というサービスで、全国どこにでも定額で僧侶を手配するというもの。
それに対して仏教会は、
お布施は、慈悲の心をもって他人に財施などを施すことで「六波羅蜜(ろくはらみつ)」といわれる修行の一つです。なぜ修行なのかというと、見返りを求めない、そういう心を持たないものだからであります。そこに自利利他円満の功徳が成就されるのです。
それで、
今回の「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」の販売は、まさしく宗教行為をサービスとして商品にしているものであり、世界的な規模で事業を展開する「Amazon」の、宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ません。
というもの。
六波羅蜜のうち、布施波羅蜜以外はきちんとしているのだろうか、と疑問を持ちますが、
お坊さんを手配する、というのは、デリ坊主ということかな。
その坊さんは何をしてくれるのでしょうか。
何より、
お坊さんの質は保障されているのでしょうか。
商品にするなら高品質でなければいけない。
読経するだけなら、ウチの息子でもできる。
世の中何でも、機械でも食べ物でも、
品質の良いものは高価で、
劣悪なものは値段が安い。
お坊さんの質はどうなのだろうか。
お寺は一般の家庭と比べると、その維持管理に費用がかかりますから、お寺にはそれなりの収入が必要です。
税金の問題もあるのでしょうが、
でも、いわゆるお布施を受け取る僧侶が何でもいい、というわけにもいかないでしょう。
そもそも、僧侶とは職業なんだろうか。
仏教には、
仏・法・僧という三宝があります。
その僧宝は、
仏法を後世に正しく護り伝えていく僧侶のこと。
その僧侶が集まる僧団のこと。宗派ですね。
仏を尊敬し、自らも仏になるべく仏の法により修行する人々のこと。
つまり、
僧侶とは、修行する人です。仏教は修行の宗教ですから。
『秘蔵宝鑰』の十四問答では、
「仏教は国家を鎮護し衆生を利済すべきであるのに、多くの僧侶は、頭髪を剃っても欲を剃らず、衣を墨染めにしても心を善法に染めることを知らない。
だから旱魃や洪水がしきりにおこり、疫病が年ごとに流行し天下が乱れるのである」
とあります。
それに対して、
「麒麟や鳳凰がひとたび世に出れば、天下太平であり、如意宝珠や金剛石がひとたび世に現れると、人の願いのままに種々な宝を降らす。
しかし麒麟や鳳凰が現れないからとて、禽獣の族を絶滅すべきでなく、如意宝珠が得られないからと言って、金玉の類を捨てるべきでなかろう」
僧侶がいるから、仏法が伝わるのである、
というのですね。
お大師さんの時代も、今と変わらないみたい。
そして、
「問題は僧尼にあるのではなく、経典の妙法そのものが貴いのである」
と言います。
さらに、
「非法の僧尼が多いのは、
美女は招かずとも好醜の男が争うて訪問し、医師の門には召さずとも病人が集まる
物の道理として、善と悪との雜住が是の如くに行われているのであるから、僧尼の中に非法乱行の者がいても、それは怪しむに足らない」
という。
仏教会は
全日本仏教会は、宗教行為としてあるお布施を営利企業が定額表示することに一貫して反対してきました。お布施は、サービスの対価ではありません。同様に、「戒名」「法名」も商品ではないのです。
としていますが、ちょっとね。
自動車教習所を卒業すれば誰でも免許がもらえるけれど、
誰でも運転がうまいわけではない。
運転がうまくなければ、運転を仕事にはできない。
それと同じなんだけれど。
いずれにしても、
僧侶の質が高ければ、お坊さん便やamazonが何をしようと関係無い。
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