右利きだった中学生が右足を悪くした後、
キックを左足で蹴るようになったらサッカーがうまくなった。
さらに、それまで苦手だった英語もできるようになった。
右利きだった小学生が、
コーチの指導で左バッターに変えたら、野球が上手くなり、
勉強もできるようになり、テストで学年一番になった。
右利きの高校生が左手でご飯を食べるようになったら、
成績が伸びて学年で一番になった。
これらの事象を、
左を使うことで右脳が刺激された結果である、
という感想を持つのは自由だけれど、あまり意味はない。
なぜなら、
右利きのままでいた場合と比較できないし、
ひとりの結果だけでは、他の理由によるものかもしれない。
そもそも、
右脳と左脳を比べることは不可能に近い。
それを、どのように計測するのか。
右脳と左脳の機能は違うが、有意な個人差はない
というのが現実。
目、耳、鼻、手足、肺、腎臓、生殖器など、左右にあるものの違いは陰陽のみ。
脳も同じ。右脳と左脳の機能には違う部分があるけれど、
どちらが発達しているから、この人はこうだ
というような分類はしても意味がない。
意識は右脳と左脳で異なる動きをしているだろうけれど、
それよりも、
何かを見たり聞いたり感じた時に、
その原因や、そこから起こる結果が事実であるか、妄想であるか、
ウソかホントか、
論理的か感情的か、
科学的知見か通俗か、
それらを意識は了別することができる。
どのようにでもなる、
というのが意識。
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