お金儲けの方法、勉強ができるようになる方法、健康になる方法・・・、
そんなことを看板に掲げても関心を持たれないけれど、
神とは何か、人生とは何か
と話し始めれば、たちまち人が集まる、
というのがインド。
お釈迦さまの時代、古代インドで主流だった正統派バラモン教は、
霊魂の多様性を信じ、霊魂と物質とを区別して、現実の世界を実在としていました。
そして、世界の創造神・最高神としてブラフマンをたてます。
仏教は創造者を否定し、神を持たない人間中心主義なので、
バラモン教からは異端とされていました。異端の出家修行者を沙門と呼びます。
仏教以外にも異端の思想があり、それぞれ人気を集めていました。それらがまとまった形で書かれているのが『沙門果経』 。その中に六人の沙門が登場します。六師外道と云う。
その六人の名前と主張は、
1、プーラナ・カッサパ
無道徳論者。因果応報を否定し、善いことをしても悪いことをしても来世にその報いはないとする。
2、アジタ・ケーサカンパリン
唯物論者。人も世界も「地・水・火・風」の四元素で構成され、これのみが真実在とする。
だから、霊魂も善悪の報いも無く、宗教や道徳は無意味である。
死ねば四つの元素がそれぞれ他に移るだけで、人間そのものは無となり、死後には何も残らない。
3、パグダ・カッチャーヤナ
霊魂も物質とする唯物論者。人間も世界も、地・水・火・風・空・苦・楽・霊魂の7つの集合要素であり、物質ではない神は存在しない。
人を刃物で切っても、生命を奪うことは無く、刃のみが七要素を通過するだけ。
4、マッカリ・ゴーサーラ
運命論、決定論者。
生けるものの構成要素は、霊魂、地・水・火・風・空・得・失・苦・楽・生・死の12であり、
すべては運命によって決定されており、努力による救済など無く、人には意志も力も無い。
5、サンジャヤ・ペーラッティブッダ
不可知論者。人は知識によって真理に至ることができない、とする。
不可知論とは、
もし、あなたがあの世はあるのかと尋ねて、私がもしあの世があると答えたら、あの世はあると考えるだろうが、実際に私はそうはしないし、その通りだとも考えないし、別だとも考えない。
もし、あなたがあの世は無いのか、あの世はあってまた無いのか、あの世はあるものでもなく、無いものでもないのか、と尋ねても同じである。
という思想。 鰻論とも云う。
6、ニガンタ・ナータ・ブッダ
ジャイナ教祖。
森羅万象の一切に心と霊を認め、その心霊を支配しているのが自分の過去の行為(業)であるとする。
その業の輪廻から抜け出すために修行をする。
仏教と似ているけれど、違いは霊魂の常住を認めている点。
このうち、
4、マッカリ・ゴーサーラの運命論を、最も危険で下等な思想、と初期仏教では考えていました。
仏教の基本のひとつが不放逸。怠りなく修行をすること。
思い通りにならないこと(苦しみ)には原因があり、それを取り除けば苦しみから解放され、
その方法が修行であるから。
そしてあらゆるものは変化している。相互に依存して存在している。
だから、運命で決まっていることなど無く、結果は縁と条件で変わり、
修行と正しい生活によって変えることができる。それゆえに悟ることができる。
努力工夫によって幸せになることができる。どんなことでも可能性がある。
男女関係も災害も病も健康も幸不幸も、
運命では無く、遺伝も霊魂も前世来世も関係無い。
他のせいではなく、自分が作り出したもの。
現代には 、
阪神、横浜、広島、ヤクルト、中日、読売の六球団があり、
その中で読売は最も憎むべきものである、
というのが僕の思想。
そんなことを看板に掲げても関心を持たれないけれど、
神とは何か、人生とは何か
と話し始めれば、たちまち人が集まる、
というのがインド。
お釈迦さまの時代、古代インドで主流だった正統派バラモン教は、
霊魂の多様性を信じ、霊魂と物質とを区別して、現実の世界を実在としていました。
そして、世界の創造神・最高神としてブラフマンをたてます。
仏教は創造者を否定し、神を持たない人間中心主義なので、
バラモン教からは異端とされていました。異端の出家修行者を沙門と呼びます。
仏教以外にも異端の思想があり、それぞれ人気を集めていました。それらがまとまった形で書かれているのが『沙門果経』 。その中に六人の沙門が登場します。六師外道と云う。
その六人の名前と主張は、
1、プーラナ・カッサパ
無道徳論者。因果応報を否定し、善いことをしても悪いことをしても来世にその報いはないとする。
2、アジタ・ケーサカンパリン
唯物論者。人も世界も「地・水・火・風」の四元素で構成され、これのみが真実在とする。
だから、霊魂も善悪の報いも無く、宗教や道徳は無意味である。
死ねば四つの元素がそれぞれ他に移るだけで、人間そのものは無となり、死後には何も残らない。
3、パグダ・カッチャーヤナ
霊魂も物質とする唯物論者。人間も世界も、地・水・火・風・空・苦・楽・霊魂の7つの集合要素であり、物質ではない神は存在しない。
人を刃物で切っても、生命を奪うことは無く、刃のみが七要素を通過するだけ。
4、マッカリ・ゴーサーラ
運命論、決定論者。
生けるものの構成要素は、霊魂、地・水・火・風・空・得・失・苦・楽・生・死の12であり、
すべては運命によって決定されており、努力による救済など無く、人には意志も力も無い。
5、サンジャヤ・ペーラッティブッダ
不可知論者。人は知識によって真理に至ることができない、とする。
不可知論とは、
もし、あなたがあの世はあるのかと尋ねて、私がもしあの世があると答えたら、あの世はあると考えるだろうが、実際に私はそうはしないし、その通りだとも考えないし、別だとも考えない。
もし、あなたがあの世は無いのか、あの世はあってまた無いのか、あの世はあるものでもなく、無いものでもないのか、と尋ねても同じである。
という思想。 鰻論とも云う。
6、ニガンタ・ナータ・ブッダ
ジャイナ教祖。
森羅万象の一切に心と霊を認め、その心霊を支配しているのが自分の過去の行為(業)であるとする。
その業の輪廻から抜け出すために修行をする。
仏教と似ているけれど、違いは霊魂の常住を認めている点。
このうち、
4、マッカリ・ゴーサーラの運命論を、最も危険で下等な思想、と初期仏教では考えていました。
仏教の基本のひとつが不放逸。怠りなく修行をすること。
思い通りにならないこと(苦しみ)には原因があり、それを取り除けば苦しみから解放され、
その方法が修行であるから。
そしてあらゆるものは変化している。相互に依存して存在している。
だから、運命で決まっていることなど無く、結果は縁と条件で変わり、
修行と正しい生活によって変えることができる。それゆえに悟ることができる。
努力工夫によって幸せになることができる。どんなことでも可能性がある。
男女関係も災害も病も健康も幸不幸も、
運命では無く、遺伝も霊魂も前世来世も関係無い。
他のせいではなく、自分が作り出したもの。
現代には 、
阪神、横浜、広島、ヤクルト、中日、読売の六球団があり、
その中で読売は最も憎むべきものである、
というのが僕の思想。
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