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[ 2024/11/28 10:23 | ]
秘密
世間はヒミツヒミツとかまびすしいようですが、今朝の朝日新聞オピニオンに、物理学者で作家の円城塔さんが寄稿しています。http://www.asahi.com/opinion/

タイトルは

今こそ政治を話そう「好きな子の名前は秘密」

何かを隠したければ、その何かの存在さえも知られてはいけない

言ってしまえば、いることがバレるのだ。


この中で

秘密とは

「今はまだ想像もできない事柄の到来をただ待つしかないことに耐えること」の省略形

と言う。


秘密とは何なのか自体が秘密なのである。

ふつう、こんなバカげたことはない。

「秘密が何かは秘密」のすごさは、その秘密なるものが存在していなくても構わないところである。だって、秘密なんである。

秘密をほしいままにしようと試みるとき奪われるのは、秘密と名前をつけただけで壊れてしまう細やかな秘密の生活

などとあり、おもしろく読みました。



僕らの業界は密教と言います。秘密仏教のこと。

秘密には二種類ありまして、ひとつが「衆生の秘密」

事実(真理)はすべて公開されているけれど、 衆生はその公開されてる真理を知ることが出来ない、その能力が無い、ということ。

電波はたくさん飛んでいるけれど、ラジオにその電波を受信できる性能が無いようなものです。

花が咲き雨が降り風が吹く。

そのような形で如来は真理を説法しているのに気がつかない。

心が調っていない、修行が足りないから、衆生自ら秘密にしている。


もう一つが「如来の秘密」

『向こうから隠す』ということ。

泳げない人にいきなりバタフライを教えても危険なだけですから、まず水に慣れて浮くことから教えます。

小学生に微分や積分を教えてもわからないから、足し算から教える。

そのように、僕らのレベルにあわせて真理を教える、ということ。

そうでないと錯覚や妄想に陥り危険なことが多いので、会得体得していない人から見れば秘密になっている。


ですから、あるレベルまで行ったらバタフライができるように、微分積分も解けるようにならなければいけない。

そうしないのは罪悪になります。怠けてはいけない。


秘密とは自心の中にあり、精進修行すればすべて明らかになるものです。


政治家は秘密をどのように思っているのだろうか。


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[ 2013/11/21 09:16 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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