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[ 2025/03/17 02:05 | ]
春は笑顔
エリンギ君は1月生まれなので、

胎児の頃は夏から秋、

だからお母さんは陰性なものを多く摂っている可能性が高い。

したがって、比較的陰性な体質になる。


パツキンツイッターおじさんは6月生まれなので、

お母さんは冬から春が妊娠期間。

だから、

陽性な生活をして、比較的陽性な体質と考えられる。

すると、

陰陽は引きつけあうから、

このふたりは案外気が合うかもしれない。

もっとも、

日本でなく、環境も何もかも違うから、何とも言えないかな。


4月生まれは比較的陽性になるでしょうね。

その陽性がたまっているからか、

花粉症になる人が多く、

葬儀や法事の最中に鼻をすする人が多い。

どうぞ、遠慮なく鼻はかんでください。

すする音は気になる。


気になると言えば、

おまわりさんの笑顔。

交叉点近くで車線変更をしたら、

白バイが近づいて停められた。

最近のおまわりさんは、ずいぶんとニコニコしていますね。

満面の笑顔で違反切符を切る。

ちょっと気味悪いけれど、

春は笑顔の季節。

笑顔があれば、何でもできる。




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[ 2018/04/02 15:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
妄信止む時
若い頃は、

何でもたくさんあるのがいいと思っていた。

大盛り無料、おかわり自由大歓迎。

でも今は、

何でも少しがいい。


コンビニでコーヒーを買う。

機械にカップを置き、間違えてアイスコーヒーのボタンを押したら、

濃いコーヒーがカップの半分くらい出てきた。

作り直して構いませんよ、

とお店のお姉さんが新しいカップをくれたけれど、

濃くて少ないから、得した気分になって、それを飲む。


宴会ではお酌をする人がいる。

お酌には問題が多い。

お酒でもビールでも、

飲み干していないグラスや盃に足したものは、ひどくまずい。

グラスにいっぱい入っているのに、

まあまあ、などと言って、つぎ足す隙間を作らせる。

自分のペースで飲めない、

不味いものを無理やりという、パワハラの世界である。


若い頃は、

お酒もたくさん飲める人が偉いと思っていたけれど、

今は、ちょっと飲むくらいが上品に感じる。


座禅瞑想や法事の読経も、長いほうが良いと、

若い頃は思っていた。

今は、そんなことは無い、ということを知っている。


火を焚いて拝む護摩では、

乳木、段木という護摩木のほかに、

散香、塗香、切花、ケシの実、ごま、薬種、丸香なども、

供物として焼きます。

それをネズミに荒らされた。

彼らが気に入ったものは、ケシの実と薬種。

漢方薬ですね、

身体に良いものを選んだのかしら。

まあ、他のものは食べるとまずいどころか、

殺菌力防腐効果の高いものだけれど。


ネズミは獲物があればあるだけかじる。

少量で我慢、ということは無いみたい。



それらを片付けて修法していたら、

何か気配がする。

田舎の山寺だから、いろいろなものがいる。

鳥の声が聞こえても、

迷いがなければ「聞こえるだけ」だけれど、

それを鳥の声、と認識したら、煩悩になる。 


何でもかんでも、原因があり、

それは縁と条件によって変化する。

つまり、 

そのものに自性は無い。

自性の無いものは、

生じることも滅することもない。

そして、 

その根源にスポットを当てて瞑想すると、

明朗のみになる。 

そこには、

量の多少や長短が無い。

大きくて小さい

短くて長い

そのような時、

妄信が止む。



[ 2018/04/03 06:27 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
仏の姿
加藤精神博士の『大乗佛教の起源と発達』の中に、

「阿字本不生の悟り方」という章がある。


「本尊と自分と一体であると云ふことを観念修行するのであります。

これが唯一の成仏の法であります。

例えば観世音菩薩と首っ引きをして何をしているのかと云ふと、

何も別にするわけではありませぬが、

即ち観世音菩薩の本誓を表している菩薩の印を手に結びて、

先づ身体の上に観世音菩薩と自分と同じ三昧に入るのであります。

~中略~

この瑜伽行を日日修行すると観音と自分とがだんだん親しくなってくる。

後には何んだか自分は半分くらい観音になったようになり、

しまいには自分と本尊が全く一つになる・・・」



この本尊は自分の心のなかにある菩提心のことで、

これを体得すれば、

日日の行動言動思いが、すべて仏と同じになる、という仕組みで、

これを成仏と云う。

その時、

心は、あるがままになる。


誰かを思う時、

心静かに見つめるだけのことがある。

悪さを見つけて怒ることもある。

善業を発見して讃嘆する、

道理に会わないことは笑いながら叱る、

そして、

外見ではなく、相手の本質を見つけて、思いやりを持ち、援助する。

できることなら、

苦しみを抜き、楽を与えたいと思う。

迷いを断ち切り

畏れを除いて安らぎを与え、

よくよく見極めて敬い、

自分と相手と仏が平等であると感じ、

あるがままで生きて欲しい、生きたいと願う。





ネコは寝ている時間が長い。

何を考えているのか分からない。

あるがままである。




[ 2018/04/05 13:23 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
春の手相
春になると毛穴が開いて、

冬の間に溜まった陽性が排毒されます。 

手相を観ると、

春の特徴は、

乾燥している

色が濃い(赤黒い、濃い赤)

手相の線の色が濃い

などで、みな陽性です。


掌小指の下のふくらみを月丘と云い、

小腸 免疫系の様子が現れます。

ここがきれいな桜色で、つやがあれば問題ない。 


親指のつけねのふくらみは金星丘と云い、

大腸のようす、つまり排毒系です。

ここの色艶がよければ排毒ができている。



春は肝臓がよく動く季節ですが、

姿勢よく坐り、肛門をしめ、腹式呼吸によって肝臓マッサージすると効果的です。

その際、

自分と他を冷静に観察する瞑想、

は肝臓を治します。 



春キャベツのグルテンバーグ

吉野葛餡

ネギ味噌きり和え




大根おろしと、菜の花おひたし芥子和え


陰性な春の野菜と、酸味辛味が、

冬の間に溜まった陽性を溶かし、

肝臓の滋養にになり、

春の快適身心になります。



※4月14日(土)13時半から

飯田市立石寺春季大祭 大般若祈祷会

どうぞ、お参りください。

前日翌日もお寺にいますので、

望診ご希望、修行について知りたい、身心を調えたい

などのかたは、どうぞお越しください。


※穀菜食の舎メールサービス
「春の手相」
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/06zZCVRtRWs







[ 2018/04/06 14:00 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
末代真言行者用心
覚鑁さんの『末代真言行者用心』には、

「いかなる心を発す者、必ず悉地を成就するや。謂く、深信ある者、よく悉地を得。いかなるを深信をいふ。謂く、久々に修行して法験を得ずと雖も、疑慮を生ぜず、退心を生ぜざるなり。かくの如くの人必定して悉地を成就す。或いは本尊、行者を試さんが為の故に、或いは諸天等、その信心の浅深を試むがために暫くもってこれを抑ふるが故に。或いは宿障重深なるが故に、暫く不成に似たりと雖も、まことによく成就すれども、自ら知らざるが故に。
或いは魔旬、妨を成して暫く覆蔽するが故に。かくの如き等の種種の因縁あるが故に、疑怠
すべからず。」

とある。


どのような心で修行すれば、悟りという願いが叶うのだろうか。

それは、

深く信じる心のある者が、願いを叶えることができる。

深く信じるということは、

長く修行して、たとえお蔭がない、効果が無いと感じても、

疑うことなく、決して止めずに修行を続けることである。

たゆまず続けていれば、必ず成就する。


なぜ、すぐに効果が表れないのか。

それは本尊が、

行者の信仰の度合いを確かめているのだろう。

また、

行者の業が妨げになり、長い目で見れば、いつの間にか願いが叶っているのに、

それに気がついていないのである。

だから、

疑うことなく修行を続けるべきである。



つまり、

淡々と続けること

不放逸であること

そうすれば、

苦境を乗り越え、悟りの願いが叶う。




[ 2018/04/07 11:26 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
心の探求 1

陰陽研究塾の記事 76   



●心の探求 1

心は太陽の明るさや暖かさのようなもの

https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/0O9nxVleCWk







 


[ 2018/04/08 09:02 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
晴天に満月の円明を見る
『仏法者のための月輪観法』(森口光俊 智山学報第51輯)に、

大学生が月輪観の実習をしたレポートが載っており興味深い。

対象は、

仏教学ではなく、法律や経済を専攻している学生である。

ある程度長く実習したようだけれど、

その体験は、

人間の本質を考えること、その奥の深さを知ることができた。

観法によって、自己を認識し、心の安らぎと広がりを感じた。

「空」とは比較の無い世界を体験すること。

などとレポートにある。 




月輪観は満月を瞑想するもの。

満月は仏の智慧、清浄な自分の心、仏そのものの象徴。

覚鑁さんの『月輪観頌』には、

心月輪は、

悟りの本体、すべてを生み出すもの、仏と吾が同じであることの本源、存在の本性

とある。

なぜなら

心は月のように、

白く清浄、明るく照らし、分明清涼寂静であるから。

悟り(自他のしあわせ)を求める心は清浄で円満で明るい。

そして、

晴天に満月の円明を見るようにして、

月すなはちこれ心なり、

心すなはちこれ月なり

であり、

月輪観では、心が月ならざるものを表象することなきように

とある。


この月は、

仏であり自心であり、一切衆生でもあるから、

この三平等が基本になければならない。



月を明瞭に観想することで、

自分の心の姿と性質に通達することが

悟りへの前提と成ります。

そして、

月輪に象徴する清浄すなわち自心であることを、

この身体をもって体得します。


そこから、

あらゆるものの存在の原因が何であるかを知り、

その時、

自己制御が可能になり、

苦から開放されます。

生も死も観念であって、真実では無いことも知る。 



月輪観の実習、

お気持ちのあるかたにはお教えします。





[ 2018/04/08 10:05 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
食べかた:料理の順番と胃腸の関係
本文を読むにはこちらからパスワードを入力してください。

[ 2018/04/09 10:34 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
名前について
先の選挙のとき、

立憲民主党なら良いね

と妻と話していた。

政策や人柄はともかく、

画数が良いのである。 


立憲民主党は51画。

デリケートだけれど、うまくやれば大丈夫という数。


民主党は、30画。強引で、絶えず浮き沈みがある。

吉凶が交互するけれど、最終的には凶。


民進党は40画。

徳望が乏しく、動けば失敗を招き、進めば難を生じる。



ちなみに、

自由民主党は41画、隆運繁栄の吉数で、

自民党の31画でも頭領運があり、順調満帆の吉。


数の吉凶は統計学的なものだろうけれど、

何も無いのは陰性で 、

そこから始まるのは陽性な力だから、1は陽性。

陰陽は繰り返し、互いに生み出すから、偶数は陰性、奇数は陽性、

と考えても良いし、

偶数は二つに分かれるから陰性と考えてもいい。
 
例えば、

3は陰陽五行説で火行に相当し、

夏、心臓小腸、苦味、興奮に関わるから、

それで吉凶を考えてもいい。

陰性と陽性なら合い、陰性同士陽性同士なら反発するから、

相性もよく分かる。



先日、

あるかたから名前の相談があった。

孫の名前を五つ考え、

その中から最も良い画数を教えて欲しい、

というもの。

こういう方法はとても良いですね。

名前の画数は保険のようなもので、

おばあちゃんが孫のために、

いざというときのために、

ということ。




池波正太郎が『日曜日の万年筆』のなかで、

「いずれにせよ、あまり凝った名前はつけぬほうがよいと、私は思っている。

作家のペンネームにせよ、俳優の名前にせよ、一人前にならぬうちは平凡な名前に見えても、

次第にちからがつき、世に出るようになると、その名前にも、それ相応の感じがでてくるものだ」

そして、

「私の老婆は「鈴」というが、とても、そんなやさしいしろものではない」

と書いている。

相当なジャジャ馬だったらしい。

名前と人が合っていないということは、よくあることだから、

太郎次郎三郎のように、

どうころんでも良い名前が良いかもしれない。


悩み苦しみなどの原因のひとつは「知らないこと」。

知っていれば、パッと明るくなる。


人生の吉凶は、

生活習慣、特に食生活が関係し、

怠惰であるかどうか

勉強しているかどうか
 
希望と勇気があるかどうか 

やさしさと思いやりがあるかどうか

で決まるけれど、

名前は隠し味のように関係しているかな。



※画数のご相談はメールでどうぞ。




 

[ 2018/04/09 11:10 | Comments(1) | 米ぞうの家 ]
したくなる。
タケノコの季節になりました。これからしばらく続く。

山椒の若芽も萌えてきて、

この二つが揃えば料理したくなる。



山のものは海のものと。

陰性なタケノコは水を使わず陽性に。

これでうまくなる。


包丁を持てば切りたくなる。

バットを持てば打ちたくなり、

ボールを持てば投げたくなる。

数珠を持てば拝みたくなり、

姿勢よく坐り、深い呼吸法をすれば瞑想したくなる。

このとき、

眉間、奥歯、肩、両腕の力を抜いてリラックス。



仏教では、

自分の心を実の如く知るために瞑想するのだけれど、


この「知る」というのは、

国語数学理科社会のように、読んだり聞いたり調べて知るのではなく、

そのなかに入り込む、それそのものになることです。

そのために、瞑想という方法は便利。


いろいろと問題が起きるのは、執著があるからで、

それを諦めれば改善するはずです。

そして、

本来の自分、迷う前の自分、あるがままになれば、執著は消える。

だけれども、

何もせず怠惰なままであきらめたり、あるがままでいても、何も解決しない。

同じように、

知識のないまま瞑想しても意味はない。

『月輪観頌』には、

身と心とを整え

方便を習い学して

よく知って観行すべし

とある。


『天台小止観』には、

正しい瞑想修行によって、

布施をしたり、戒律を守ったり、父母に孝行したくなる。

身心に良い状態が整い、

慈悲心や念仏する心が内面から沸き起こる

と書かれている。


いずれにしても、

自心を知れば、

自他共にほっとして、

あぁ、楽しかった、

という毎日になる。


これは、

自他を救い、

自分の道を求め、

心をまとめる

日々である。






[ 2018/04/11 11:07 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
手相から分かること
晩年の父はアルツハイマーで、最期はガンだったけれど、

僕はいつも父の親指を触っていた。

親指は肺に関係しているから、

親指に力が無ければ肺が弱っている、と判断する。

肺が動かなければ死んでしまうから、

そこに注意していた。

親指は父の生きるシンボルだった。


生命線は寿命に関係があるけれど、

これは消化器系の様子が現れるだけなので、

胃腸が動いているかどうかを観る。

 
胃腸が丈夫なら健康と考えていい。

その線も、大切なのは色艶。

顔色でも何でも、

望診で見るべきは色ツヤである。


それが良くないときは、

生活を変えれば、きれいな線が現れる 


手相は内臓の状態があらわれるものだから、毎日変わる

ストレスで疲れていれば疲れた線になり、

元気なら元気な相になる。

 血行が良く、

排毒できていればよろしい。


僕はいま、

妻子が元気なことを望んでいる。

近くにいないからね 。

それを手相で確認する。

中指は一番陽性な循環器気と心包系の様子があらわれるのだけれど、

それは自己の拡充とつながっている。

だから中指に力があれば、自分自身は大丈夫である。

その他の四指で家族の様子を観る。

 これは内臓と関係があるのかどうか、まだ検証していないけれど、

統計学的にそう表れる。


中指が自分、

無名指が妻、

小指が子ども

と観ればいい。




[ 2018/04/12 07:58 | Comments(0) | 望診法の世界 ]
野球物語
プロ野球独立リーグ・BCリーグの

「栃木ゴールデンブレーブス」対「群馬ダイヤモンドペガサス」の試合 を母と観戦した。

場所は、小山運動公園野球場。

これが予想以上におもしろかった。

何より、

グラウンドが近い、選手が近い。

栃木の3番は元ヤクルトの飯原、

4番はあの村田修一。

村田効果で観客は多い。



陽が強かったけれど、昭和12年生まれの母も楽しんだらしい。

 
母は戦争中、鹿児島県高尾野へ疎開していた。

戦後、遊ぶものが無い時代、

担任の先生が、どこからかバット、グローブ、ボールを見つけてきて、

子らに野球を教えた。

青い空の下、

白球を追いながら、

広い校庭で思いっきり投げて打って走る。

こんなに楽しいものがあるのか、

と男子も女子も一緒になって歓喜した。


その後、

神奈川県川崎市に戻った母は、

そこで大洋ホエールズや、

都市対抗常連の日本鋼管、東芝、三菱ふそうの野球に出会う。

娘時代から、

川崎球場や後楽園に通ったらしい。


結婚後、栃木に家を建て、僕はそこで育つ。

そのころは王・長島、村山・江夏の時代、

そして、

近所には江川卓がいた。


小学校6年生の時、

学校の授業を休み、母は僕を後楽園球場へ連れていった。

欠席理由は「家事都合」

ハンク・アーロンと王貞治のホームラン競争、

ニューヨーク・メッツ対巨人の試合を観る。

トムー・シーバーが投げた。



普段、登校前には家の前の道路で父とキャッチボール、

中学生になってからは、

M君宅の庭でキャッチボールしてから登校。


放課後や休日は、公園で、三角ベースや、二人対二人の野球 

あのころ、

いつも野球があった。



僕も結婚して子が生まれた。

何より楽しかったのは、長男次男とのキャッチボール。

地域の野球チームに入れ、

毎朝の練習や休日の応援に行くのも楽しかった。



2011年3月、

震災原発事故で、日本の野球も大きな影響を受ける。

例年より遅れて開幕したプロ野球を観るために、

まだ開通していない鉄道の代行バスに乗り継ぎ、子らと上京。

あの、重苦しい被災の気持ちを、

勇気と希望 に替えてくれたものはいろいろあるけれど、

野球もそのひとつである。



大谷クンが活躍して、心踊りますね。

今年も楽しみな季節になっています。





[ 2018/04/12 10:55 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
女人禁制
今朝の朝日新聞 文化・文芸欄に

「土俵は女人禁制」起源は

が載っています。デジタル版は少し前に出ている。

「女人禁制」そもそもどうして生まれた?宗教的に考えた
https://www.asahi.com/articles/ASL4B72J3L4BUCVL024.html 



 高野山も開創以来、

1904年(明治37年)まで女人禁制でした。

その後、

昭和になっても、奥さんがいることを後ろめたく感じ、

奥の間に隠して、人目にさらさないようにした住職もあった、

という話を田中千秋先生から聞いたことがあります。

今でも、

女人禁制の地域はいくつもあります。

また、寺院等で、

ある一定の場所、堂宇は男のみ、

としているところもある。


次男の学寮では、

男子寮に女子は入れない、

女子寮に男子は入れない。


なぜそうなのか。

仏教では、

不邪淫戒を根拠として説明していることがありますが、

それはどうだろうか。

もともと出家修行者(比丘)には軽重の戒律があります。

そのうち、

不淫は重要であり、これを破ることは重罪。

不倫とか浮気ではなく、

性交してはいけない、ということ。

道徳ではなく、宗教の戒です。

それが、

いつのまにか不邪淫などと、言い訳じみたものに変化しました。

では、

なぜなのか。

ラーマ・クリシュナは、

射精によってメタ神経が壊れ、

神に対する判断力が低下するから、

と言っており、(『ラーマ・クリシュナの福音』)

密教の口訣・口伝でも、

夢精射精した場合の念誦法、祈祷法が説かれていますが、


性のことは、特に若い行者にとって心内の大きな問題だからです。

女性がいると、あれやこれやが気になって集中できない、

だから、

女性がいないところで修行する。

女性がいなくても、心内に煩悩の火が燃えていれば同じことですが、

未然に防ぐための用意です。


『求聞持行者用心』に、修行者の心得として、

厳重には女人の調えたものを食わず

とあるのは、

女性に近づかないようにするためでしょう。



この、

煩悩の考えかた以外に、

女性は出産や月経の血の故に穢れている、

という考えかたが昔からありました。


僕らが現在拝む作法でも、

準提観音を本尊とする安産の祈祷は、

安産除穢之秘法と云います。 


しかし、『密教辞典』には、

「女性を先天的に罪悪重々のものと見るのは、

男性側の意志の弱さを原始仏教時代からすでに制度化して、

一応解決したかに満足している独善にすぎないともいわれる」

とある。

  

男女の問題ではなく、

こんな人は禁制にするべきだ、

と感じることは多いですが、

そもそも、

至心に修行していれば、

それに障りのあることからは自然と離れます。

心から真剣にお金持ちになりたいと思えば、

無理なくムダ遣いから離れるように。


ところで、

最近は性別の違いが複雑になってきましたが、

オネエとかオカマと呼ばれる人たちは、

土俵に上がってよいのだろうか。

修行道場では、どうなのだろうか。







[ 2018/04/17 09:55 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
妙観察智 たえなる見きわめの智慧
仏教には、

空や縁起などの論理的な部分と

瞑想修行という直観を基盤とするものがあり、

この二つは不二、両方必須です。


悟りの智慧にも、

対象に入り込むような直観知と、

科学的な分析知があります。

そのひとつである妙観察智(みょうかんざつち)は、

あらゆる存在が、それぞれに持っている目鼻舌耳皮膚などの全知覚によって、

世界を観察し、慈悲の世界を作り上げる智慧です。


身体全体をつかって、

よくよく見極めること。


ところで、

料理する、消化吸収する、身体が成長する、衰退する、老化する、

健康になる、病気になる、

これらはすべて化学反応の結果です。

そこに超自然的な力などは無い。

バランスと排毒の問題にすぎません。

生活習慣や「心がけ」も生理に影響しますが、

これも自律神経などの化学反応です。


『十住心論』には、

すべての病の原因は無明(根源的な無知)

とあることや、

不生禅によって病を克服した盤珪禅師の話から、

執着がトラブルの原因となっていることが考えられます。

こだわるな 

あるがままでいる

そのままを仏の智慧(直観知)に照らす

ことが解決になる。


分析知から見れば、

心身のバランスは

Na とK

MgとCa

CaとP

の比率によって変わり、

繊維と脂肪の比率によって

排毒能力が変化します。


瞑想修行は、

睡眠のようにリラックス状態(副交感神経優位)ではなく、

緊張も存在しているので、

陰陽、つまりNaとKのバランスが調っている必要があります。


以上のことは、

旬のものを食べて、

早寝早起きして、

発汗するくらいの運動をして、

にこやかに朗らかに暮らしていれば、

自然とバランスがとれます。

そういう環境になくても、
 
センスと才能があれば、工夫できる。

それが無くても、

妙観察智によって成就できます。




[ 2018/04/18 08:52 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
共に拝む
4月14日、

信州飯田市立石寺春の大祭で大般若祈祷会。

拝んだ後、経典で参列者にお加持をする。

これは、

共に拝む行為である。


経典を唱えたりパラパラとめくったりしても、

般若の教え、空を理解することはできない。

あらゆる存在に自性は無い、

現実にあるのは仮の存在であり、

それらは、常住断滅どちらにもかたよらない中道である。

法要でそれを体得できるのだろうか。


加持とは、

「如来の大悲と衆生の信心とをあらわす」

と『即身成仏義』にある。

宇宙の慈悲を修行によって受けること。

仏の慈悲を信仰心がうけとめること

この加持が成立するのは、

仏と衆生が本来不二だからである。

衆生の身体、言葉、心が、

仏のそれと加持する。

つまり、

加持は即身成仏の実現である。

この 加持をきっかけにして、衆生は仏の世界に入る。

加持は、

あるがままで飾らずに仏(宇宙法界、自分以外のすべて)と接すること。



翌朝、

本堂で行法をしていたら、

蟇股から羽のある生き物が出てきた。

コウモリか、ムササビか。

この田舎の古い穴だらけのお堂には、

いろいろな生き物がいるようである。

彼らと共に拝む。



有情無情が飛び回る、

香煙が揺れる。

なぜか、

心が飛び回り、揺れているから。


午後は下條村藤本院のお祭。

参加者はそれぞれ自宅から花を持参して供える。


お釈迦さんの涅槃(2月15日が多い)とお花まつり(4月8日が多い)が一緒のお祭りで、

田舎ではこういうことも少なくない。





みんなで拝んだ後は宴席。

コシアブラのテンプラや冬野菜の漬物が並ぶ。



二日後、

柏のマンションで法事。

90歳の喪主さんが、

お経が覚えられなくてねえ、

と言う。

覚えなくてもいいけれど、ただ唱えても意味は無い。 
 
経典とは、

仏が僕らを悟りに導くために説かれたもの。

それを仏に向かって唱えるのは、どういうことだろうか。

唱えるだけなら、それを聴くだけならCDでもいい。

内容を理解し、

信じて行ずるに価するのかどうかを思惟する。

それが無ければ読経に意味は無い。


ただし、

読経そのものに功徳があると信じることで、

自分の行いを正すきっかけには、なるかもしれない。






[ 2018/04/19 07:57 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
たけのこ吹き出物語
千葉では旬、

栃木では走り、

飯田ではこれから、

というタケノコ。


竹の子は成長が早い、

中が空洞である、

カリウムが多い、

など陰性である。広がる力が強い、ということ。

だから、

身体を緩める。

食品成分データベースでは、

ナトリウム 未検出
カリウム  520
カルシウム  16
マグネシウム 13
リン     62
(可食部100g中の㎎)


陰性だから陽性な海藻や、

煮〆キンピラなど陽性な調理法と合う。


この陰性が細胞を緩めるので排毒を促すけれど、

多すぎると陰性過多になり、末端が動かなくなる。

なので、

陰性なものと合わせて陽性に料理すれば、

より陽性が強くなり、ガンなどの食養に使われる。


タケノコはアクが強い。

このアクはマグネシウムで、

日がたつにしたがって細胞が老化して、マグネシウムが細胞内液から外液に滲出するので、

アクが強くなる。

まあ、その日のうちに調理するのがよい。


このマグネシウムはうま味になるけれど、

マグネシウムが多いと血中リン濃度が高くなり、

すると相対的にカルシウム濃度が低くなるから、酸性体質になる。

だから、

陽性でアルカリの調理をせずに食べ過ぎれば、

胃腸障害で吹き出物が多くなる。

吹き出物が出る場所を観察するのは望診法の基本。

陰性な排毒では額に、

胃の不調は後頭部に、

肝臓は頬、

腎臓系は顎にでる。

鼻は最も陽性な卵や鶏肉、

胸元は香辛料やフルーツの陰性

消化不良は二の腕等々。


アク、つまりマグネシウムは強精薬である。

肉や玄米も多いけれど、

そういうものが好きなヤツは、スケベである可能性が高い。


[ 2018/04/20 06:54 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
鳴門不動院護摩供のお知らせ

5月14日(月)12時から


鳴門市撫養町木津 不動院にて、

護摩供を修法します。


JR鳴門線 金比羅前駅下車


駅前に長谷寺の仁王門があり、それをくぐると左に毘沙門堂、

その先に金比羅神社の参道階段。

このあたりの風景は「神仏習合」の名残り。

階段を上りきると金比羅神社


左手へまわると、

裏山への登山道があり、

20分ほど登った頂上に、小さなお堂があります。

そこで護摩を修法します。

天気がよければ眺めも良い。

どうぞ、お参りください。

狭く小さいお堂なので、護摩の火も近いです。


前日、翌日は大阪にいます。


 


[ 2018/04/23 17:34 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
念珠
修理を頼んでいた数珠が届く。



左の一連は中糸の通し替え。

この珠は星月菩提樹で、青いのは瑠璃。晴れの行法用。

真ん中は房替、

素材はカヤ。軽くて使いやすい、毎日の行法用。

房の交換は結構高額です。

右は新品、珠は水晶。

真言宗では、

水晶で装飾した数珠を装束念珠と云い、

これは半分が茶水晶なので、半装束と呼びます。儀式用。

 『陀羅尼集経』には、

「諸数珠中水精を以て第一」

とある。

 
仕立てかたにも、いろいろ種類があるのだけれど、

中糸を赤にするのは、

阿弥陀如来の色、以前書いた妙観察智の色、金剛界(智慧)の色。

『秘蔵記』には、

「水の中に一切の色とか姿の区別がはっきりあらわれるのを妙観察智にたとえ」

とあり、

「念珠は説法の義であるから、説法断疑の智たる妙観察智の如来たる阿弥陀仏に配すること

念珠は記憶を功とするから、その点を考えれば記憶は妙観察智の三昧であるから阿弥陀仏を母珠とする」

と、堀内先生の『法衣法具解説』にある。母珠とは、

数珠を二分する大珠のこと。


中糸はナイロン製と絹糸があり、

ナイロンは伸びない、絹はキレイだけれど使っているうちに伸びます。

右の半装束のみ絹糸。


黄色の房を選ぶのは、

虚空蔵菩薩の色、胎蔵(慈悲)の色。本当は金色なのだけれど、その替り。


数珠は使っていれば切れます。

拝まない人の数珠は切れない。

下駄も履いていれば鼻緒が切れるけれど、

履かない、歩かない人の鼻緒は切れない。

そう考えると、

健康とは良いことなのだろうか。

努力精進すれば、身心が磨り減り弱るのは当然かもしれない。


数珠は数を取るために使い、

真言陀羅尼などを唱え(念じ)る珠なので念珠とも云う。

なので、それらを唱える密教由来のもので、

元来の修行者の持ち物ではない。お釈迦さまも使っていないでしょう。


例えば、

真言を100回、1000回など唱える時に、

それを数えながら数珠を繰ります。


これはいつでも何処でもできる。




[ 2018/04/24 13:32 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
前方便
タケノコの下処理にはいくつかの方法があります。

どれも新鮮さがいのち、収穫してその日のうちに。


1、皮をむき、スライスして大根おろし汁に2時間ほど漬ける。

大根おろしそのままで良いけれど、

大根おろし汁を同量の水で割り、塩少々を入れたものなら、なおよろしい。

これは火を通さないので、酵素が生きて歯ざわり良く仕上がる。


2、皮をむき、適当に切ってたっぷりの湯で1時間程度ゆでる。

タケノコ1本につき、タカノツメ1本を入れる。

これは陰性な方法で、火を通すからやわらかくなる。

陽性なマグネシウムが抜ける。


3、皮つきのまま、根の部分はアルミホイルで覆い、

炭火かオ-ブン200℃で1時間程度焼く。

これは陽性な方法。陰性なエグミが陽性な甘味に変わる。

最も風味が良くなります。



揚げ物で余った油の中に、

細切りのたけのこ、きくらげ、にんじん、ピーマンを重ね、

油煮して醤油で調え、水溶きの吉野葛を引く。

葛が油を溶かします。

 



タケノコ昆布

髪の滋養、痔、婦人科系、前立腺などの滋養になります。


ガンなどの食養には、

ごぼう5:れんこん3:たけのこ2

の割合できんぴらにします。

醤油は濃い目に 。

タケノコの硬い繊維が陰性な細胞の増殖を抑えるけれど、

醤油は濃いめにして水分は飛ばし、陽性に仕上げること。





[ 2018/04/25 11:17 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心の探求 2

陰陽研究塾の記事 77    



●心の探求 2
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/X3yjPgGVxOY




 

[ 2018/04/25 16:00 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
ちほうの時代
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[ 2018/04/26 09:35 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
道草 飯田編
長野県飯田市は、

南信と呼ばれる長野県南部に位置し、

長野市、松本市、上田市に次ぐ県内第4位の人口がある。

経済的文化的には愛知県に近く、

中日新聞が流通し、

ドラゴンズファンの匂いがする。


中心部は天竜川沿いに位置し、

古くは河川運輸が盛んで、

リンゴや市田柿の産地であり、

昔は養蚕が盛んだった。

人形劇の街としても知られ、「南信州の小京都」とも呼ばれる。


その飯田の見所といえば、

郵便差出箱1号、通称「丸ポスト」ですね。


飯田市街地は、碁盤の目のように道がある。

飯田駅から中央通りを下り、

中央交叉点を左折、商店街を通り伝馬町のポスト。




中央通りに戻り、2・3丁目を右折して南西に進み、

本町2・3丁目交叉点「いとうや」前のポスト。



通り町を南東へ歩き

人形美術館を過ぎたら右折。

動物園がある水の手通りへ出たら、

静態保存D51の北側小道を降りると低い町へ出る。

道なりに曲がって下り、愛宕町・加藤酒店前のポスト。

 


飯田市の南端、立石という美しい山村に立石寺があります。

柿の観音 、加喜の観音と呼ばれる、

藤原時代の十一面観音や薬師如来をおまつりしています。



これから法務のために向かいます。

みなさまも、

どうぞ、お参りください。


[ 2018/04/26 10:48 | Comments(0) | 道草 ]
心の探求 3

陰陽研究塾の記事 78    



心の探求 3
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/tDfK4an2Yxs


 


[ 2018/04/26 11:06 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
たくさんたくさん
外出して世間の食事を見ると、

こんなにも野菜が少ないのか、

と驚く。

陰陽と酸アルカリのバランスから観ても、

野菜はその他穀物や生臭や塩気の5倍以上必要である。

クロロフィルが少ないとヘモグロビンが足りなくなる。


野菜はたくさん食べるのが良いけれど、

真言もたくさん唱えるのが良い。 


片道300キロの運転中に何をしているかと云えば、

1/3は米朝を聴く。トランプと金でない。

1/3は景色を楽しむ。

そして1/3は真言陀羅尼を唱える。


入浴中も布団の中でも唱える。


護摩では、火を焚く前に、真言を少なくとも千回唱える作法になっている。

ものによっては10万回唱える。

唱えずに護摩を焚いても、ただの焚き火である。


唱えることで、

仏と衆生と自分が平等であることを知る。

唱えることで、諸仏の功徳を讃嘆する。


あなたは素敵だ、すばらしい、

と誰かのことを言い続けるとどうなるか。

そういう心と口の人間になる。 


『秘蔵記』には、五種類の念誦が説かれている。

蓮華念誦:自分の耳にかすかに聞こえる程度に唱える。
金剛念誦:唇と歯を合わせ、口を開けず声を出さずに唱える。
三摩地念誦:心の中で唱える。
聲生念誦:蓮華と商佉(ほら貝みたいなもの)を観想して唱える。
光明念誦:口から出る真言が光明となり法界に遍じる、と観想しながら唱える。

このうち、

三摩地、声生、光明は観想を伴うので、

運転中には向かない。

それに、

『石山次第」には、

金剛念誦が勧められ、

初心の修行者は、

蓮華念誦が良いと、

『中院流諸尊通用次第撮要』にある。


唱えることに飽きたら、

口を真一文字に結び、

両目を思いっきり大きく見開く

こうすると、あらゆることがうまく運ぶ。

両目は肝臓

唇は胃と大腸

と関係があり、

忍耐力(微笑み)と同情理解が身につくから。

また、

腹式呼吸を伴えば、

それは肝臓と腎臓をマッサージするので、

微笑みと勇気が得られる。




[ 2018/04/30 07:42 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]



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