観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄
・・・
と始まります。
観音さまが、さとりの智慧を完成させるための瞑想修行をしている時、
・形あるもの(身体) ⇒変化するもの⇒壊れるもの
・感覚(見る、聞くなど)⇒変化するもの⇒壊れるもの
・表象(知ること) ⇒変化するもの⇒壊れるもの
・意志(行動力など) ⇒変化するもの⇒壊れるもの
・認識すること ⇒変化するもの⇒壊れるもの
の五つが空(くう)であると理解した。
その瞬間、あらゆる苦しみが消えた。
ということです。
ものすごく端折って乱暴に言えば、
形あるものに対しても、精神作用に対しても
こだわらないで
比べないで
諦めれば
あらゆる苦しみが無くなりますよ
ということ。
僕らは時間でさえ固定することはできない。どんどん進んでしまう。
ましてや自分や自分の感情や何もかも、固定的なものなど何も無いのだから。
観音さまは多くの人から観られ、多くの人を観て、その人たちを救うために修行をしています。
他の仏菩薩も同じですが、
観音さまという人格は、どこか遠いところにいるのではなく、全ての人に具わっています。
執着を捨てて衆生の中に生きようとする時
お先にどうぞ、と自分を後にする時
ざまあみろ、ではなく、気の毒だなあ、と思う時
あなたのために、と足を踏み出す時
その観音さまが自心に現われて、自他ともに光り輝きます。
般若心経はポピュラーなお経でとても短い。
写経用紙も文具店やネットで手軽に買うことができます。
写経は素晴らしい修行です。
大晦日には心静かに写経をして、お経の最後に願いごとを書き、
新年初詣に所縁の寺社に奉納して祈願しましょう。
とてもよい年になります。
それらは底なしで無限に広がっていた。
この両河の真ん中には、細長く一筋の白道がこちらの岸から向うの西岸まで続いている。
後ろを見ると、盗賊などが迫ってくる。
「急いで渡れ」
という声が聞こえた。
男は無事に西側、すなわち浄土にたどり着けた。
火の河は怒り
水の河は貪り
盗賊などは欲望を表す。
善導の『観経䟽散善義』にある
「二河白道」で、極楽往生を願う信心をたとえたものですが、
毎年末になると思い出す話です。
僕はまっすぐに歩けたのだろうか
来年はまっすぐに歩きたいものだと。
それはさておき、
お正月はお雑煮。
寒い時にはまず、暖かい汁ものが嬉しい。
だから、まず最初にお雑煮を出します。
その後、おせちで飲む。
雑煮の雑は混ぜるという意味で、いろいろ混ぜて煮たもの。
冬野菜の華は大根。
大根の汁を蘿蔔(らふく)汁と言い、最もシンプルなお雑煮になります。
昆布出汁は昆布を水に8時間ほど浸して引き、火にかけて沸騰する前に引き出します。
出汁が沸騰しないようにして塩と少しの醤油で調味、
大根と人参は下ゆでするか、出汁でそのまま煮ます。
出汁で煮る時は沸騰させないほうがおいしい。
焼いた餅を椀に入れ、小松菜、水菜等冬の野菜を添え、出汁を張って熱いうちに出します。 吸い口は柚子など。
大根と人参で紅白にするのを源平仕立てと言います。 めでたい配色。
切りかたも熨斗型、花形などにすると縁起が良い。
雑煮は味噌仕立てならおかずになり、おすましなら肴になります。
小さく切った具が多ければ陽性になり、大きく少ない具なら陰性に。
お餅は焼けば陽性に、煮れば陰性に。
写真は横浜の料理教室で作ったもの。
この教室は来年も一年間連続で開催されますので、どうぞご参加ください。
詳しくはこちら⇒http://
ご希望のかたには精進料理・食養料理「講師」または「教授」の認定証を発行できます。
の会報『ノグソフィア』17号が送られてきました。
今回は僕も少し書いています。
内容は
「仏典に見るウンコと肛門の拭きかた」
食べることと出すことが生きることですが、出した後のことは気にしない人が多い。
出した後、捨てた後にいろいろな問題があり、その辺を気にしているのといないのとでは、随分と違う未来になります。
そういった方面の話題が多いこの会は、とても勉強になり楽しい。
お気持ちがありましたら、ぜひどうぞ。
寒い日のお弁当は、食べる時に固くなるので、ちょっと工夫します。
薄い葛餡をからめる。
スダチなどの酸味を添える(酸味は陰性なので、ものを柔らかくします)
油と醤油で炒める時、長さと厚さを変えて隙間を作る。
それはさておき、
寒い日にはお風呂。
寒い(陰性)から熱い(陽性)なお風呂に入ると脱塩(陰性)しますから、陽性毒が排泄されます。
暑い夏や、西洋の陽性な食事をしている人は、陽性な風呂より陰性なシャワーのほうがお好みかもしれない。
最近は遠くへ行かなくても身近に温泉が増えましたが、温泉に成分にもいろいろあります。
ナトリウムやマグネシウムが多ければ陽性なお湯、カルシウムが多ければい比較的陰性なお湯。流行のバナシウムなどは比較的陰性。
陰性なもののほうが身体にしみこみやすいので、陰性な硫黄やリンが含まれていれば、より温まりやすいかもしれない。
冬は寒いので陽性なものを多く摂りますから、お風呂に入って陽性毒を抜くのはとてもいい。
風邪でもなんでも、陽性毒を抜いたら、きれいな陽性を摂るとなおよろしい。
それから
夜は副交感神経が優位になるとリラックスして快適。
副交感神経は陽性なものに刺激されますから。
なので、
寒い夜は寝る前にちょっと陽性なものを飲めば良く眠れます。
サトイモの仲間で、京イモ、エビイモは煮崩れせず、色も変わらないのが特徴ですが、何より皮がむきやすいので料理には便利。
面取りして昆布出汁薄い塩味、煮含めただけで味わい深い。
イモの味を引き出すように、穏やかな出汁にして、沸騰させずに炊きます。
出汁をひたひたにせず、少し芋が顔を出すくらいで炊くのがいい。
サトイモはカルシウムとリンの比率が1:3程度なのでアルカリ食品と言えます。じゃが芋よりは陽性で、あのぬめりは消化酵素になる。
すりおろして外用にすると優れた効用がありますが、これはその陰性とアルカリの性質が陽性毒を吸うためです。
サトイモを煮ころがす時は、調味した出汁や味噌汁の残りに入れて煮込みます。陰性なので陽性な出汁で煮ればいい。
これも、出汁は少なめに、味は濃いめに、弱火で。出汁が多いとうまくいかない。
鍋のそばで転がしながら仕上げますので、電子レンジなどではできない料理です。
他の素材も同じですが、料理してもしなくても味が変わってゆきます。芋の味も刻々と変わる。
だから、いつも同じ塩梅で同じ調子で料理する、という訳にはいかない。毎回変わります。だから、おもしろい。
同じようにあらゆるものは変化して固定的ではないので、その場所その時にあった対応をしなくてはうまくいかない。
身体も環境も日々変化していますから、食養でも修行でも内容を変えていかなければ改善進歩はありません。
心も同じ
毎日変化しています。
それをどのように「思うとおりに思うか」で、人生の楽しみが増減します。
華やかなバブル時代後半、東京でのサラリーマン生活を辞め、高野山へ。
高野山金堂でも天皇陛下追悼の法会があり、参坐しました。
天皇陛下の棺は誰が担ぐのだろうか。
その直前に『天皇の影法師』(新潮文庫)を読んでいたので気になっていました。
猪瀬直樹の処女作。その後『ミカドの肖像』で彼はメジャーになります。
この人、「作家としては」優秀だと思うのだけれどねえ。
『天皇の影法師』に八瀬童子の話がでてきます。
京都洛北大原近くの八瀬には、八瀬童子と呼ばれる人たちがいて、後醍醐天皇の頃から、天皇が亡くなるとその棺を担ぐ役割を与えられていました。
天皇の棺を担ぐ、という仕事がある、と知ったことが当時の僕には衝撃的でした。
結局、昭和天皇大喪の礼では、八瀬童子ではなく宮内庁の職員が棺を担ぎました。
大喪の礼は東京で行われ、
今上天皇即位の礼も東京で行われました。
それまでは京都だった。
僕はあの時、東京が首都になった、と高野山中修行道場で感じました。
そして平成になり、
バブルがはじけ、オウム真理教事件や東日本大震災並びに原発事故など予想だにしないことがいくつも起こり、25年目ももうすぐおしまい。
来年はもっと素敵な年になりますよう。
毎月21日お大師さんの日も、年内は今日が最後。
当庵では28日に納めの不動護摩。
今年一年間、年忌供養などの法事ができなかったかたも、納め法要などで先祖供養をする時期です。
ご先祖さんのことをうっかり忘れてしまっていた、なんていうかたは、報恩感謝をどうぞ拝んでください。
さて、雪の季節になりました。 昨日は雪かきを3回。
鉄道のレールが分れるところにある分岐器=ポイントは雪に弱い。
現在では電気式のヒーターなどが設置されていますが、以前はポイントの下に灯油式のカンテラを置いて温め、凍結防止していました。
そのカンテラを固定するために、サボと呼ばれる列車の行き先表示版やナンバープレートが道床に差し込まれており、翌朝雪が融けたころに行くと、石油で汚れたサボが捨ててありました。
僕らはそれを拾ってコレクションに。
いまやオークションなどで高値がついています。
あのころは線路近くで遊んだり写真を撮っても怒られなかった。
運転士さんから話しかけられたりしたものです。
その頃撮った宇都宮運転所のEF57。
当時は電車のほかに、機関車が古い客車を引っ張る鈍行列車があり、上野発郡山行、福島行き、一ノ関行きもあった。 1978年。
これはDD51ディーゼル機関車。
長男が生まれたころは埼玉県小川町の田舎で暮していましたが、そこを走る八高線には秩父からのセメントを積んだ貨物が多く、天国のようなところでした。1994年。
当時は新原町田という駅だった小田急・現町田駅の西で、ロマンスカー3000系二編成連結。 1984年。
年末大掃除をしていると、こういう古い写真が出てきて、作業効率が下がります。
ちょっとした時間に辞書を引いたり、何か普段と違う勉強をするのは気分転換に良い効果があります。
般若心経を英語で考えてみると、冒頭は、
Avalokiteshvara Bodhisattva, when practicing deeply the prajna paramita, perceived that all five skandhas in their own being are empty, and was saved from all suffering.
Avalokiteshvara Bodhisattva,はサンスクリット語で観音さま
prajna paramita,は般若波羅蜜、ブッダの智慧を完成させるための瞑想修行
five skandhaは五蘊。英訳すると the five constituent elements of all existences
で、その内容は
1, Matter or form
2, perception
3, Conception
4, Volition
5, consciousness
あらゆるものはこの五つで作られた塊なんです。あなたも僕も、仏も魔類も。
物質、知覚、概念、意志作用、意識といったところですが、日本語で考えるほうが難しいですね。
つまり、
観音さまが般若波羅蜜をじっくりと修行している時、五蘊は空(empty)であると観想し、その瞬間あらゆる障害と苦しみから解放されたのです。
諦めた時、執着と分別差別が無くなった時が「空」ですが、その時に苦しみは消えるのですね。
空(くう)は、
void または emptiness と訳されることが多いですが、
The opposite of existenceということで
大乗仏教では
Not only ‘self’ but also other existing things are originally void
と考えています。
これは、あらゆるものが縁起の法則による
つまり、原因があり、縁と条件によってすべての存在が決定するのみであり、決まった実体などは無いということで
すべては
Coming into existence by depending on other things
と説明されています。
今年は五分附きのもち米10キロを二晩水に浸し、水を切ってから
圧力鍋で蒸して機械で搗きました。蒸すのは圧力がかかってから弱火で5分程度。
もち米が蒸しあがるのを子らは楽しみにして、搗く前に茶碗によそって我先にと食べます。
納豆、とろろ、お茶漬け
カレー、中華丼、みそ汁かけご飯
ご飯は何を載せもかけてもおいしいのがエライ。
岡山のクニサダさんから
お歳暮贈るけど、アレとコレとコンニャクと、どれが欲しい?
と気の利いた連絡があったので、コンニャクを所望。
たくさん届いたのでいろいろ作っています。
コンニャクを乾煎りして、油揚げ、玉ねぎと炒め、トマトピューレを入れて煮込みます。
三年寝かせた麦みそを加え、一旦冷ましてからもう一度火を入れて、こしょう少々。
ご飯にかけて食べます。
陰性なトマトは陽性な味噌と合いますが、豆味噌や古い味噌と合わせると、酸味とコクがコンニャクに染みてとてもいい。
おせちにはコンニャクを冷凍した、凍みコンニャクを煮しめにします。
陰性なものを陰性にすると陽性になりますが、
凍らせてから解凍すると、水分とアクが抜けて陽性なコンニャクになり、
鬆が入って味が良く染み、独特の歯触りが楽しめます。
少量の昆布しいたけ出汁でキノコを煮ます。エリンギでもシメジでもなんでもよろしい。
回し切りの玉ねぎを加えて数分、中火から弱火で煮ます。
出汁または水を加えてから、大ぶりに切ったレンコン、小さく切った人参、サトイモを順に入れて煮込み、
塩コショウで調えます。
火を止め、リブレフラワーを振って表面を薄く覆い、蓋をします。
しばらくして粉がスープを吸ったら火にかけ、とろみが出るまで煮ます。
野菜を食べる、野菜スープを飲む、という両方の効果で腎臓と腸を養い、陽性な水分で身体を温めます。
風邪予防には干ししいたけ、大根を入れて。
セキがあるならレンコンすりおろしを。
お通じをより良くするにはゴボウと炒り玄米を加えて。
などなどいろいろ工夫できます。
さてさて、
悪事の限りを尽し、他人の迷惑を何とも思わず、感謝や懺悔はまったくない、
というような人でも、その暗黒の心の奥底には、ほんの小さな光があるかもしれません。
極悪非道な言動のあとで、寒そうに震える子犬を抱くかもしれない。
食欲と性欲の煩悩のままに暮らし、倫理以前の世界に住する心も、何かの縁によって善心を起こし、道徳ある生活をするようになるかもしれない。
そして、いつか他を愛し、慈しみを抱く人になるかもしれない。
自我を主張して自己中心的な妄想や錯覚に漂う人が、
無我を知り、論理的に物事を考えることにより無知を除くことが出来るかもしれない。
さらに、
他の苦しみを救いたい と願い、
縁起と空を知り 、
あらゆるものは心から生まれる真実であると知り、
または、
あらゆるものは心が作る幻のようなものと知り、
いつしか思想の対立を越え、自他のしきりを低くし
秘密荘厳の心の世界を知るかもしれない。
心の奥底にあるわずかな光でも、それは闇を除き、あらゆるものを目の当たりに見せてくれます。
ぱっと明るくなり、闇は無くなる。
仏者は悟りを得ることを希望として修行生活を続けます。
勉強好きな若者は、知性の光が迷いや不安を除き、希望に満ちた人生が開けます。
希望は楽観的な思考を導き、不安や迷いを消します。
希望の光は最初のうち、とても小さく弱い。
でもそれは、いつかすべてを照らし、自他を生かし、目を覚まさせます。
ですから、希望という名の光を見つけたらしめたもの。
例年の精進おせちでございます。
今年の豆腐は味噌ではなく塩麹に漬けました。水切りをしっかりすれば簡単に漬かります。
揚げ物はコーフーとレンコンですが、衣にレンコンすりおろしを混ぜました。レンコンは1センチの輪切りで。
なますは大根人参を塩もみして一晩置き、熱湯に通して梅酢で調えます。
梅酢で炊いたレンコンとキクラゲを和えました。
慈姑は素揚げ。
煮しめは凍みこんにゃくを絞って乾煎り。
油を足してゴボウ、戻した干ししいたけ、レンコン、人参の順に炒め、塩と醤油を少しづつ降り、素材から水分を引き出して煮〆ます。水は使わない。
何はともあれ、明日は大晦日。
今日明日と、有明の月、三十日月がきれいです。
お正月に修法する、ということですが、その内容は悔過修正。
前年を反省して悪を正し、新しい年の平安を祈願します。
どんな心も修正するには懺悔から始まります。
ああ、悪いことをしてしまったなあ、申し訳なかったなあ
と思う。
懺悔反省することで心は純化します。
僕らは貪り、怒り、無知のために過ちをおかします。それが疑い、慢心も引き起こす。
それに気がつくことが最も大切なことで、そうして幸せを期待できるようになります。
密教はひとりひとりの中に大日如来が住む、各自の心は仏の住居である、という立場です。
自然や他人や日々の出来事が、
ほらほら、あなたは仏さまそのものですよ、早く気がつきなさい
と呼びかけてくれます。
今年一年毎日そうだったのですが、気がつかないことが多いまま過ぎました。
さて、来年は。
ともあれ、今年もお世話になりました。良いお年をお迎えください。
あけましておめでとうございます。
一年の計は元旦にあり、と言いますが、お大師さんの『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』には、
「初めて心を起こした時が、そのまま悟りの完成だという正しい見解を忘れないように」
という言葉があります。
決断して努力すれば結果はついてくる、ということですが、まず心を起こす、決断してそこに腰を据える、そうすれば目的を完遂する可能性があります。
まず、これを目指そう、そこにジャンプしようと、強烈に思うことが成就への方法です。
さて、
おせちで残った煮しめ、含め煮、なますなどと炒り玄米、りんご、玉ねぎを圧力鍋に入れ、カレー粉を加えて火にかけ15分ほど炊いておせちのカレー。ミキサーで調えると美しく食べやすい。
五味六味が重なります。
ご飯は山形の「つや姫」
このお米は素晴らしい。
正月三日はとろろの日。
飲み過ぎ食べ過ぎのお腹に滋養となります。
すり鉢でよくすって、昆布出汁少々で伸ばします。することで香りと味が格段に良くなります。
ともあれ、
本年もよろしくお願いいたします。
大滝詠一のスタジオ・アルバム『A LONG VACATION』
その中で一番好きだったのが
「雨のウェンズデイ」
あの頃、水曜日はいつも雨だったような気がする。
今年の元日は水曜日で新月。
ということは16日が満月。
衆生の悟りには十六の階梯があり、それぞれマンダラの十六大菩薩に象徴されています。
発心の位から涅槃の位まで十六の過程があるんです。
それを修行して上ってゆけば誰でも悟りを得られる。
新月から満月になる16日間になぞらえています。
『理趣経』には
清浄を明らかにする原理そのままの智慧の道を開くことができれば、
あらゆるものの平等を知り、心がまとまり、あらゆるものに囚われぬ心を自在に得て、限りなき楽しみと歓喜を得る。
ついには汚れなき十六の菩薩の功徳を一身に生ずることを得て、如来の悟りになる。
とあります。
密教では月を悟り、心、真実の象徴としています。
「自ら観ぜよ、 わが心は無色無形なりといえども、 本来清浄にして潔白なることなおし満月のごとし」 (『秘蔵記』
「われ、 自心を見るに形月輪の如し、 如何が故に月輪を以って喩とするならば、 いわく、 清月自明の体は、 即ち菩提心と相類せり」 (『菩提心論』)
「全ての人は、貪り、瞋り、痴さを離れ、月輪の観想をすることにより本来の心の姿を見ることができる。それは清らかで、満月のように虚空に普くして隔てがない」 (『十住心論』
月は明るい。
だから、「つきへん」の漢字はその明るさを表しています。
例えば
朝、期、望、朧、朗、朔、有
それに対して身体に関係がある漢字のへんは「にくづき」
月ではなく肉ですね。
例えば、
肌 肝 肛 肩 胃 肺 背 胆 胸 脈 腎 脾 膵 脳
心臓はもっとも陽性な臓器ですが、それと心について、仏教では以下のように考えています。
心(しん)にはチッタとフリダヤの二つがある。
モノの対がチッタ
般若心経にある五蘊の、色蘊以外の四蘊。
知覚、概念、意志作用、意識 です。
そして、チッタには
心の統一的主体とそれが働き出す作用面のふたつがあります。
つまり、
チッタは 対象をとらえて思いはからう心。
もうひとつのフリダヤは 心臓。
この心臓を八葉の蓮華に例え、それを観想瞑想することにより、仏の身体を開顕するのが密教の修法です。
心の蓮華が開くように、菩提心が開花する。
お正月のお供えも心臓の象徴です。
中庸でバランスが取れていれば夢は見ない。
腎臓が疲れていれば怖い夢を、肝臓が疲れていれば怒るような夢。
お腹が不調なら不安な夢、心臓なら興奮する夢・・・・・。
歳をとるとだんだん陰性になるから、思い出もモノクロで浮かんでくる。
(七条大橋 昭和53年)
おっさんが抱く将来の夢も、バラ色ではなくて山水画のようなモノトーンになるのかもしれない。
モノクロの世界では白と黒と中間色のみっつがあるけれど、ほとんどは中間色で成り立っている。
(赤坂見附 昭和58年)
中間色がもっとも重要で、白と黒を引き立てる。
白と黒に分けたり、区別比較したりするのはあまり意味がなく、心の無駄遣いに終わることが多い。イライラの原因で最も多いのはそれかもしれない。
中間のトーンに気を配り、それを大切にすれば、いろいろなことがうまくいく。
カラーの鮮やかな思い出よりも、モノクロームのそれのほうが中間色に気づきやすいかな。
各々数枚入れて煮たスープは、困った時に役立ちます。
風邪なら、その症状に合わせてこの出汁に適宜野菜を加えます。
最近の風邪は陽性な症状が多いですから陰性なものが効果的でしょうが、サトイモやサツマイモはカルシウムとリンの比率が1:3程度なのでアルカリ。なおかつとても陰性ですから、これらもよろしいと考えられます。
これはカボチャのスープに炒り玄米でゆでたサトイモ。
それをマッシュして衣をつけた焼いたもの。
お芋は寒さに弱いので早めに食べましょう。
それはさておき、
客間のタンスは僕のおもちゃ箱になっていますが、これらは将来どのようになるのだろうか。
切手やコインのコレクションは息子が素直に受け取ったけれど、鉄道のキップはいらないらしい。古いものがたくさんあるのに。
写真とそのネガもたくさんあるけれど、運転席の圧力計などは迷惑なものに過ぎない。
昔の電車の天井で回っていた扇風機、なんて大きなものもある。
マニアには値がつきそうだけれど。
僕が好きなものは僕にとってかけがえのないものだけれど、興味の無い他人にとっては迷惑なゴミにすぎない。
だから、僕が死んだその瞬間、その宝物はゴミに変わる。
あなたは私の宝物、
と片時も忘れず死ぬまで思っていれば、誰でも平和に生きられるけれど、世の中そうでもないこともありそうだ。
あの人はいい人だった。
と言われる人が、あるひとつのことがきっかけで、誰からも嫌われるみじめな人になるかもしれない。
反対に、極悪非道な人が、ある縁によって素晴らしい偉人になる可能性もある。
コレクションもゴミも、
善人も悪人も、
錯覚と妄想に過ぎないのだけれど、僕ら凡夫はそれで安心を得ようとして生きている。
さて、
引越もあるし、僕の人生にも限りがあるし、
どうしようかな。
本来は旧暦ですが、1月6日から15日までの小寒と16日から2月4日までの大寒の時期に行う所作を寒行といいます。
寒さに耐えることが功徳をもたらす、という信仰ですが、
自分に厳しさを課す
ということが行の主眼。
滝行、水行、托鉢のほか、寒い堂内で心静かに坐る寒行。
氷点下のお堂で凍える指先で数珠を繰り、凍りそうな息を吐きながら坐禅瞑想念誦する。
供えた水は拝んでいるうちに凍りますが、心はいつしか温かくなります。
朝起きて、まだ布団の中にいた時の体温が残っている時間に何かするのはとても気持ちがいい。
全国の受験生のみなさんも寒い中で勉強しているでしょうが、勉強はいざという時に役に立ちます。
将来、いろいろな場面で迷いや不安が減るでしょう。勉強によって判断する材料が蓄積されますから。
頭部は陰性な場所ですから、陰性な寒さに刺激されます。
だから、寒くても勉強しましょう。
どんな仕事でも寒さの中で行えば寒行ですが、
仕事をしている僕らはいつもと変わりはなく、ただ自然が寒くなったり暑くなったりするだけ。
寒くなってくれるから、坐るだけで天地の無常を知ります。
胃が痛いと子が言うので、手相を観たら消化器の線が乱れていた。
梅干しのタネを1時間ほどしゃぶらせて唾液を出し、その後に手相を観たらきれいな線に変わっていました。
かようにあらゆるものは常に変化しており、固定的な実体は無い。
これを諸行無常と言い、空とか縁起の理解につながります。
料理には焦がす、揚げる、炒める、煮る、炊く、和えるなどいろいろな方法がありますが、
干す
というのも料理のひとつです。
干すことにより味と滋養が変わり、
基本的には干せば水分が減るので陽性になります。
山一ベジフルから発売されている「そらやの乾燥野菜」が楽しい。
http://soraya.free.makeshop.jp/shop/shopbrand.html?search=
http://soraya.free.makeshop.jp/shopbrand/002/O/
乾物は料理の素材としておもしろい。色々な使いかたがあります。
昨日は無塩食ご希望のお客さんがいらしたので、無塩による陰性を補うためにこの乾物を多く使いました。
切り干し大根とコンニャクの煮しめ
ポテトサラダ ドライトマト煮
蒸し野菜の無塩玄米ドレッシング添え 乾燥菊入り
かぼちゃ、にんじん、サツマイモ、エリンギ、干しエノキを素揚げして、レモン汁で和えたマリネ
皮も無塩で作った餃子。具は炒り玄米、白菜、ニンニク
無塩の料理はその陰性で陽性毒を消しますが、火や時間の陽性の外に、乾物という陽性の素材を使うことで陰陽をコントロールできます。
いつもは人が少ないその場所に若者が何人もいて賑やかでした。
成人式のお祝いでもあったのだろうか。
お大師さんは良家に生まれ、親族の大きな期待を受けて京の大学に入ります。
儒教を学び、将来は官吏となって立身出世が約束されていました。
しかし、二十歳の時に大学を中退し、山での修行生活に入ります。
親族の期待に反し、誰からも祝福されることのない二十歳の出発。
厳しい冬の深い雪の中でも葛衣で作った粗末な衣を着て精進の道を実践し、炎暑の夏には
非常な暑さの中で穀類や飲み物を断って、朝な夕なに懺悔する(『秘蔵記』)
という生活をし、
室戸岬の洞窟で虚空蔵さんの修法をして、
谷、響きを惜しまず、明星來影す(『三教指歸』)
とういう経験をした後です。
・現世の栄華と安定、家族親族の安心
・人生の真実、魂の解放
このふたつの間で心は揺れたはず。
僕らは多少なりとも、生活のため、家族のため、世間のために、自分の大切なものをしまいこみ、我慢し、自分の好物を諦めています。
もし、その我慢し犠牲にしているものが、人生の真実を知るためのものだとしたら、
大いに悩むはず。
この内面の葛藤が青春の象徴。
これがある限り、僕も若者でいられるかもしれない。
美人は小野小町
賢くてきれいなのが清少納言
というのが僕の理解ですが、
人生は多種多様でみな違い、それぞれが希望や夢を与えてくれる。
僕のまわりにも素敵な人が大勢います。
シンガーソングライターの上田和寛さんが今月末にメジャーデビューするという。
多才有能な作曲家・杉山勝彦さんと結成したバンド『USAGI』で。
http://
成功して陽の当たる世界で活躍することでしょう。それがとてもうれしい。
多少の縁があって、彼の地元大阪や被災地東松島でご一緒しましたが、さわやかで他を明るくする才に長けています。もちろん歌がうまい。
人間の能力は本質的に大きな違いがないと思うけれど、心のありかた、努力の有無によって人生は大きく変わります。
ひたすら何かを届けようとする努力は報われるでしょうし、
その努力の基礎となるものは心構えです。
高野山の故・中川善教先生が
人間と生まれた以上は、自らに忠実であることが自分自身への勤めである。
事の成否は総て自分の努力次第である。
とおっしゃっていたことを、彼らを見て思い出しました。
ともあれ、輝く未来を田舎の坊主もこっそりと応援しています。
僕の初恋相手は東寺十二天屏風のうち水天。
初めて会った夜は眠れなかった。
最近見ないのが建物の屋上と駅ホームの洗面台。
高校の卒業記念写真は校舎の屋上で撮った。
勤めていた頃は会社の屋上でお弁当を食べた。
デパートの屋上には小さな遊園地があった。
ホームの洗面台では歯を磨いた。
井の頭公園でデートしたカップルは分かれる、というウワサがあった。
公園の近くでは桜並木の下を井の頭線の電車が走り、その写真を撮りにいったついでに、対立に別れをつげようと思い、池の周りを歩いた。
精神生活の中で障害を起こす原因は
むさぼり、いかり、おろかさ
の三毒煩悩だけれど、これは対立的にものを考えるから引き起こされる。
水天は名の通り水の神であり、
水は高いところから低いところへ平等に流れ、あらゆるいのちを潤し、その形姿は自在で固定的ではない。
水道にも池にも、心にも水がある。
水は対立を超越し、不可得である。
智慧と福徳の仏さまでございます。
左手に如意宝珠を載せた蓮華を持ち、右手は諸々の願いを施す印。
これは智慧と福徳を増す料理のひとつ。
ごま、青菜、玉ねぎ、粉唐辛子を炒め、炊いた炒り玄米、味噌、豆腐を加えて炒め煮し、水溶きの吉野葛で仕上げます。
左手にフライパンを持って揺らしながら、右手の木べらで混ぜます。
さて、
右があれば左がある
右が無ければ左も無い。
右あってこその左。
右だけでは単独に存在できない。
こちらから見れば右だけれど、あちらから見れば左。
かように右、あるいは左という固定的な実体はなく、右も左も特定することはできません。
そもそも、そんなものは無いのですね。
でもまあ、仮に右と左に分けてみますと、
何でも右側に現れる症状なら陽性過多で肝臓の疲れ。
そのような時は眼が疲れ、頬に吹き出物。
イライラする、我慢できない、許せない。
野菜ときのこ料理と酸味と
睡眠と耐え忍ぶ気持ち
などで調えます。坐禅瞑想はとても役に立つ。
左側なら陰性な脂肪過多で胃の不調。
口の周辺が汚れ、後頭部に吹き出物。
不安や迷いが多くなります。
旬のものをゆっくり楽しんで食べ、
堂々と自信を持つことで調えます。念誦はとても役に立つ。
まあ、右と左では違う、
というだけのことです。
夕飯、なに食べたい?
と聞くと、
まだ、カレーあるの?
と言う。
で、シチューにしました。
生芋コンニャクをから煎りし、菜種油と玉ねぎを入れて炒め、
ジャガイモ、人参、炊いた炒り玄米を加えて塩を振って蒸し煮。
水をひたひたにしてローリエを入れ煮込みます。
柔らかくなったら火をとめ、リブレフラワーを振って蓋をし、1時間ほど寝かせる。
粉が十分にスープを吸ったら再び火にかけます。
翌日のお弁当用に、厚揚げを生姜醤油に漬けて青海苔を振っておく。
朝、水溶きした地粉をつけて油焼き。
中火で時間をかければ、冷めてもカリッとします。
さて、
当病平癒や試験合格などのご祈願が多い時期ですが、
願いが叶うのはご自身の努力の結果で、かなわない時は僕の法力不足。
治るか治らないか、合格するかしないか
も大事ですが、病気の期間や勉強しているときに
希望を持っているかどうかはもっと大切。
冷え性の問い合わせも多い時期ですが、
最近は陽性の冷え性が多いようですね。
色黒短気身体が固い元気がある
などは陽性。
ふろふき大根、お餅やうどんが入った煮込み鍋、野菜のシチュー、香辛料を焼いたもの
などの温かい陰性料理がいい。
僕は明け方前、両肘両膝額を床につける礼拝を百八遍しますが、
身体を動かせる人は動かすと、ずいぶんと暖かくなります。
※眞天庵・穀菜食の舎ホームページ
http://shintenan.hanagasumi.net/