夏は冷蔵庫が満室なので、
スイカを冷やすスペースが確保しにくい。
それに、
大きなスイカは、家族で食べきれないことが多い。
そういう時は煮詰めてシロップに。
これは魚の陽性をよく消します。
夏の果物は、
| Na | K | Ca | P | Mg |
スイカ | 1 | 120 | 4 | 8 | 11 |
梨 | ― | 140 | 2 | 11 | 5 |
桃 | 1 | 180 | 4 | 18 | 7 |
ぶどう | 1 | 130 | 6 | 15 | 6 |
(可食部100g中の㎎)
Na/Kで観ると(カリウム量)ほぼ変わりませんが、みな陰性。陽性な夏に採れるのですから当たり前ですね。
スイカは大きく水分が多いので、ずいぶんと陰性。
ナシはもっとも酸性ですが、これは水分が多く白い陰性。
これは牛肉の陽性を消す。
桃は硬いうちに食べるのがうまいけれど、産地以外では無理かな。
古くから桃には邪気を祓う力があると考えられていました。
『古事記』では、イザナギノミコトが桃を投げつけて鬼を退散させ、
桃に大神実命(おおかむづみのみこと)の名を与えました。
桃源郷は仙境。魂の中にあり、俗世間の目的を持っていると到達できない。
その桃は卵やお肉一般の陽性を溶かします。
ブドウは紫で房があるから、もっとも陰性と考えられます。
なので、魚の出汁やチーズなどの強い陽性を消す。
まだまだ暑い日が続きますが、
旬のものを楽しく食べて、お大事にお過ごしください。
正座が続くので食事量を減らして体重を落としますが、
今はいろいろ作ってたくさん食べています。
当地はかんぴょうの産地。これが上手に炊けると嬉しい。
うまく炊けなかったり、作りすぎたときは雪豆腐を加えて高野とじ。
夏は陽性な季節なので、
陽性な高血圧やストレスを引き起こしやすい。
それには慈悲の瞑想が効果的で、
食べ物なら陰性な野菜を焼いたものがその原因である陽性を溶かし、かつ内臓を温めます。
内臓が冷えていなければ、体調は良く排毒も進みます。
玉ねぎ、キャベツ、にんじんをあらみじんに切って塩もみ。
半日寝かせて、グルテン粉とリブレフラワーでまとめて焼く。
トマトピューレで玉ねぎとピーマンを煮て、味噌コショウで調えパスタと和える。
これは、トマトで陽性を溶かして味噌でお腹を温める。
ジュンサイも旬になりました。
良質な豆腐とあわせるとうまい。
これはずいぶん陰性でアルカリなので、暑い日の晩に食べると、よく眠れる。
それでも、眠れない時は、銘香を焚いて真言を唱え続ければ、
副交感神経が優位になって眠れます。
____________________________
※穀菜食の舎
「 滋養になるカレーと毒になるカレー 」
: http://
※陰陽研究塾
「家族友人の様子を手相から知る」
https:/
その夏野菜が豊作で、食べるのが間に合わない。
半分くらいは畑の肥やしになっているのが、家庭菜園にはよくあることです。
ナスを炒め、醤油で焦がす。この炭素がお腹によろしい。
朝晩冷えてきたので、そろそろゴボウがよろしい。
素揚げしてナスと炊き、吉野葛で調えます。
ゴボウは、
黒い、細長い、硬いという陽性な形をしていますが、
その葉は大きいという陰性もある。
| Na | K | Ca | P | Mg |
ごぼう | 18 | 320 | 46 | 62 | 54 |
だいこん | 19 | 230 | 24 | 18 | 10 |
にんじん | 28 | 300 | 28 | 26 | 10 |
大根葉 | 48 | 400 | 260 | 52 | 22 |
(可食部100g中の㎎)
成分的にも、陽性なマグネシウムが一番多いのがゴボウ。そして、陰性なカリウムとカルシウムも多い。
大きな陽性があるので身体を温め造血力が高く、
大きな陰性もあるので、肉魚などの陽性を消します。
どんなものでも陽性だけ、陰性だけということはありませんから。
このように、大きな陽性があるものには、見えないところに強い陰性があってバランスをとっています。
モノでも人でも心でも何でもそう。
それにしても、
大根葉というのは優れた食べ物ですね。陰陽バランスが理想的。
畑に種を蒔き苗を植えたら、
ある程度の草取りをしないと、その力に負けて芽が出ない、苗が育たない。
苗が大きくなり、茎が太くなり、根を張るようになれば、
雑草が生えていても問題ない。雑草と共存してくれる。
心も同じようなもので、
仏性があるからといって、何もしなければそれは発現しない。
努力精進してこそ、自分の心、つまり仏がわかる。
最初は煩悩や迷いを知らんぷりする工夫をして、
生活を調え、
懺悔反省して周囲の雑草を抜いたほうが、悟りへ向かう心は育ちやすい。
慈悲と自らの心を静かにする方法が身につけば、
雑草があってもかまわない。何の問題も無い。
でも、
トレーニングをしていないと、そこにいくまでに煩悩に負けることが多い。
酒でだめになれば酒までの人になる。
『大日経疏』には、次のようなことが書かれています。
今ここに菩提の種が蒔かれてあるとする。
しかるにその周りには煩悩の雑草が生え茂っているので、中々その種は芽生えない。
そこでその雑草を取り除くことばかりをするのは、
煩悩を断ずる難行苦行の教えである。
しかるに今、
雑草はいくらとっても後から後から生えてくる。
それがむしろ雑草の本性。
人間の煩悩もまた取り除けられるものではない。
それは生命の根深いところから生えてきている。
むしろ煩悩はそのままにそっとしておいて、
それよりは菩提の種の根元に仏の大悲の肥料をしっかり施す。
そうすると、すぐにその種は芽生えて忽ち雑草を追い越し枝を張り根を繁らす。
そうなれば、下の雑草は蔭となって自然に枯れ、かえって菩提を培う資量となる。
こういう日は豆腐がうまい。
豆腐は水分が多い、極めて柔らかい、
という陰性なもので、成分も、
可食部100g中、
Na 59㎎、
K 140㎎
と陰性。(カリウムが多いのもは比較的陰性)
なので暑い夏にはとてもよろしい。
ちなみに、ほかの比較的陰性な食品のカリウム量は、
ビール 34
コーヒー 65
ナス 220
スイカ 120
ジャガイモ 410 ㎎
どれも調理すれば火と時間と塩気で、より陽性になります。
また、
Ca 86㎎、P 110㎎(P/Caが4以内がいわゆるアルカリ食品)
なので体液をアルカリにする食品。
ですから、肉や砂糖などの酸性食品を使わなければ、身体の酸毒を消します。
かように夏向きですが、陰性が強いということは陽性をよく引き付けます。
ですから、
水分を絞って炒り豆腐にしたり、ハンバーグやコロッケで水分を飛ばして焦がせば、とても陽性になる。
吉野葛をまぶして揚げだし。これはそれほど陽性ではない。
しっかり絞って、レンコンすりおろし、たまねぎみじん切りと混ぜて焼けば、ずいぶん陽性。
でも、
元々陰性な成分があるから、陽性に調理しても、他の陽性を排毒することができます。
そして、
元々が陰性だから、身体の陰性な部分の滋養になる。
朝は陰性なものを食べたほうが、副交感神経が刺激されて元気になるので、冷奴がいい。
熱いご飯に載せるとうまい。
ナスは新鮮なうちにスライスして酢で洗い、塩と粉わさびで和える。
それはさておき、
縁者から、体調不良なので仕事を手伝ってちょうだい、
と電話があり、もちろんお手伝いします、と答える。
病状を心配しているようなので、
拝んでおきますから大丈夫ですよ、
と言う。
それは何よりで、
と喜んでくれる。
病気にはいろいろな方法で対応しますが、いろいろな事情でうまくいかないこともある。
たとえば、陰陽の見かたさえ間違わなければ、食べ物で改善するけれど、
実践することが難しい場合が少なくない。
拝んで治るのかどうかは分からないけれど、
もし治らないものなら拝まなくても治らないのだから、拝まないともったいない。
で、朝のお勤め。
ご本尊さんの修法時、本尊加持後に病者を加持する。
加持とは、
仏の大悲を衆生が受け取ること。
祈祷は加持を受ける手段のひとつ。
密教の行法は、
自らの悟りを目標として求道する面と、
自分は本来仏と同じだから、その立場で人々を救う、
という面があります。
拝めば治る、と僕は信じて拝むけれど、
もしそうなら、拝まなければ治らないかもしれないということになるから、大変なことです。
拝む目的、祈祷の目的は現世利益と無上菩提。
その方法には四種あります。
祈祷の修法 | 現世利益 | 無常菩提 |
息災 | 当病平癒、厄除けなど | 心の中の煩悩を除く |
増益 | 商売繁盛、立身出世など | 福智増長 |
降伏 | 怨敵退散など | 無智を降伏させる |
敬愛 | 良縁成就など | 慈悲の徳を増大させる |
この中で、
現世利益は即物的で、無常菩提は心の救い。
多くの場合、
現世利益の祈願をしたけれど反応がないことがあり、
願いが叶っても、祈ったときの新鮮さ一生懸命さはなくなります。
さらに、
現世の病気を治したいとは誰でも思うけれど、
無常菩提、つまり悟りを得たい、と思うのは一部の人のみで、しかも時間がかかる。
でも、
無常菩提(自分の心を知る)を知れば、
世間の解釈は豊かになり、利益は長持ちして増大します。
昔、恩師・田中先生が不調になった時、
ご法友の織田隆弘師が、
ヨッシャ、わしが拝もう、
と言ってその場で拝んでくれたらしい。
それで効果があったのかどうかは自分でもわからない。
治ったわけではないけれど、そうして拝んでくれたことだけで十分である。
とおっしゃっていました。
三井英光先生の『加持祈祷の原理と実修』や中村公隆僧正の『密教を生きる』には、
拝んで病気を治したようなことがいくつも書かれおり、
昔の高野山では、
ある住職が病気になり、お見舞いに行ってとりあえずお加持をする、
という雰囲気が普通であった、
と田中先生のいくつかの本にあります。
お大師さんも天皇のために拝んでいます。
そして、
天皇の病気平癒を七日間、昼夜を分かたず護摩を焚いて拝んでいるけれども、
はっきりとした兆候は現われない。
これは自分の力が足りないからで、肝がただれるくらいに苦しい
と『性霊集』巻第九にある。
そうであっても、
田中先生は、
坊さんならお加持をしたらいい
たじろぐことは無い。
効くとか効かないということは問題ではない。
と言う。
拝めば、お加持すれば、祈祷すれば、拝む人の心が変わる、拝まれる人の心も代わる。それが快癒へ向かう力にならないとはいえない。
少なくとも、
暗い気持ちを変えることができます。
そして、
覚鑁上人の『末代真言行者用心』には、
「お蔭が現われなくても、疑いや退心を生じてはいけない。
本人が気がついていないだけで、必ずお蔭がある。だから、怠ってはいけない」
とあります。
坊さんに限らず、
誰でも誰かが良い方向へ向かうように、相互に拝んでいる世界は平安で美しい。
拝む、祈祷する、お加持するというのは同じ意味ですが、
それらは法(真実の心)の力となります。
___________________________
※陰陽研究塾
「柔らかい食べ物と固い食べ物の違い」
https:/
玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン、えのき、ひらたけ、まこもだけ、油揚げ、その他いろいろ野菜をシイタケ出汁で煮込み、月桂樹、塩コショウで調え、リブレフラワーでとろみをつける。
その他いろいろのあたりが魔法の由来。
それはさておき、
何のために食べるのかといえば、生きるためで、
なぜ生きるのかと言えば、生き延びるため。
自分の子孫を残すため、もしくは個ではなく種が滅亡しないために。
生き延びるために戦う。だから、人類は戦争と略奪の歴史を歩んできました。
そう考えると、
戦争をするのは人間の本性なのだろうか。
どんな生き物も、生存の欲求があります。
でも、戦争や災害や、悪意や社会の不平等などで思うようにいかないことがある。
そのなかで生き延びるために必要なのが飲食と生殖。
そして、
生きるために親が子に食べ物を与え、子育てをする。
雌雄夫婦が互いに助け合い、分かち合う。
これが慈悲の始まり。
この心はどの生き物にもある。
この心と行為を、家族以外の人間関係に応用したものが倫理や道徳で、
それによって秩序が保たれ、
戦争をしなくても生き延びることができるようになりました。
さらに、
日々の欲望を平和に転換するために宗教が生まれ、
平和共存というイマジネーションが論理的整合性を持つように工夫されてきました。
世の中には陽性な生き物と陰性な生き物がいてバランスを取っています。
人間も、
陽性な人と陰性な人がいて家族社会の平和が保たれます。
陽性な人だけならケンカばかりになり、
陰性な人ばかりだと家族社会という集団が維持できない。
男女、大人こども、強い人弱い人、
みんながいてバランスが取れます。
ところで、
倫理も道徳も宗教も、それを体得するには時間がかかります。
もともとはイニシャライズもされていないDVDのような心に、
それらを録画録音していくのが教育と修行です。
幸いにも、人間はゆっくり生きて比較的長生きするタイプの生き物で、
子どもの時間が長いから、教育する時間も十分ある。
小学校から高校卒業まで12年 。
他人を理解できるようになるにも12年かかります。
その人がどういう人かわかるまでに12年 。
何かの技術を体得するにも12年かかります。
いわゆる勘が働いて、失敗しないようになるまで。
仏教の瞑想修行も、身にしみこむには、
ひとつのことに12年かかります。12年修行して初めて、ある一定の効果が現れ、心が純化し、混じり気がなくなる。
ひとつにつき12年 を何回も繰り返すのが修行です。
これは、特別なことをするのではなく、
毎日ただ淡々と続けるだけです。
だから、陰性なトラブルにとても効果がある。
また、
強い陽性ですから、食べ過ぎれば陽性過多の状態になります。
焦げるのは基本的に有機物で炭素を含みますから、陽性な元素がより陽性になったということ。
味から考えても、苦味は一番陽性。
塩の陽性よりカロリーがあり、
締まりすぎの陽性とは違い、温める力は大きい。
タンパク質の一部で、焦げたものに発がん性が確かめられていますが、
「プレゼンテーション スライド - 国立がん研究センター」
http://
量の問題ですね。
ものすごい量を食べないと影響は出ないようですね、それまでにそれ以外の害が出ます。
それより残留農薬とか食品添加物とか食べ過ぎとか、
イライラとか不満とかストレスのほうがはるかに危ない。
量の概念が無いのは、ベクレルと同じようにただの笑い話ですな。
だいたい、
焦げすぎたものばかり食べてもおいしくない。
ちょっと飲みすぎてお腹が冷えたので、
焼きおむすびと、春巻きの皮にお惣菜の残りを包んで焼いて焦がす。
カレー粉で炒めた野菜は、バーナーで焦がす。
コンロの無い昔は、ずいぶんとおこげを食べて、陰性を消したのだろうな。
そろそろ疲れてきたから、
さあ、うちへ帰ろう。
ほとんどの人が病院で亡くなります。
看護師さんにきれいにしてもらい、葬儀社に連絡して寝台車を用意してもらう。
そして、
さあ、うちへ帰ろう。
葬儀が済んで火葬場に行き、
火葬の後に収骨して、骨壷を抱いて火葬場を出る。
そして、
さあ、うちへ帰ろう。
帰る家とは親のことでもあるから、
親がいなくなれば帰るところが無くなるけれど、
自分が親になれば自分が帰る家になるから、帰るところは自分であるとも考えられる。
悟りのことを、
自心の源底を知る
とか
自心の本宅へ帰る
ともいいます。
勉強しても、その基礎ができていなければ応用問題が解けないように、
自分の心の本源を理解していなければ、迷いや苦しみから解脱することができない。
『般若心経秘鍵』には
総てのものは行き行いて死に至り、
あらゆるものは去り去って墓場に入る。
人の世は旅に宿る仮の姿、
心こそまことのよりどころ。
とある。
迷いは仮の姿、
悟りこそ本当の我であるから、
うちへ帰ろう。
_____________________________
※穀菜食の舎
「ニラとピーマン」
https:/

※陰陽研究塾
「心病の治しかた」
https:/

「身病の治しかた」
https:/

http://
五種類の野菜と果物
生姜とえのき
乾燥チップセット
のサンプルが送られてきたので、料理を試作。
乾燥野菜の漬物
乾燥野菜のあんかけ
乾燥野菜のマーボー
レシピは後日「そらや」のサイトでご紹介します。
それはさておき、
ここのところお葬儀が続いて、今日もこれからお通夜に向かいます。
通夜葬儀の作法に、こうでなければならない、という決まりはありませんが、
一日は日没から始まるので、最初のお勤めがお通夜の作法になります。これを初夜行と言う。
翌朝、寅の刻くらいに後夜行という作法を自宅やお寺で修法して、
明るくなってからお葬式、これを日中行と言い、
この三つでワンセット。
お通夜は、夜が明けるまでひと晩中のことですが、僕らが拝むのはその中のほんの一部。
夜通しは拝まないので半通夜とも言います。
お通夜は、故人が寂しくないように傍にいる晩です。乳児や病人を安心させるのと同じかな。
最近は会場の都合などで、お線香を絶やさずにひと晩中起きていることはしなくなりましたが、
故人と遺族が眠れぬ夜にならないよう、
拝むという役割があります。
普段の生活でも、
眠れない、という相談が時々あります。
食養で考えると、
夕食に陽性なものを食べて副交感神経を刺激すれば、
内臓が温まり、夜にその温度が低下すると、安らかに眠ることができます。
朝は陰性なものを食べて交感神経を刺激すれば、活発に動くことができる。
僕は、
眠れない夜は本を読んだり、真言を唱えます。
それから、
もしタイガースが優勝したら、
もし大金持ちになったら、
もし電車の運転手になれたら、
などと実現が難しそうなことを想像していると
いつの間にか眠ってしまう。
霊柩車ですね。
昭和50年代まで使われていた、とのこと。
車で引いたり、人が担いだり、昔は牛が引いたらしい。
ずいぶんと小さい 。大柄な人は乗れないかもしれない。
人は太ることもやせることもできますが、
それは意識的にも無意識にもそうなる可能性があります。
ですから、
僕はやせている、
あなたは太っている、
というのは固定した永遠の事実ではありません。
人の身体も心も本来無自性なので、
人には固有の性質も無い。
心温かい人に出会うなどの縁によって、悪心は善心に移り変わり、
親に頼りっきりの子も、いつか自立する。
因果を信じれば、良い結果のために悪いことから離れる。
幸せを願うことによって、
真理とか悟りとか、本来宇宙自然に存在している道理が、
愚かな迷う心を、香りが移るように変化させます。
かように心は不変固定的ではなく、
憐れみや思いやりによって向上し、
たとえ悪いことをして、悪い結果があっても、
懺悔してその業が尽きれば悪いことは消えます。
同じように、
修行の果もすぐに尽きますから、
より上を目指して、常に続けなければいけない。
あらゆる迷い苦しみは「三毒」が原因と仏教では考えます。それは、
1、貪り
まあ、いいか、と諦めれば良いのだけれど。
腎臓が悪い人(タンパク質が過剰な人)はそれができない。
2、怒り
笑って済ませれば良いのだけれど。
肝臓が悪い人(脂肪が過剰な人)はそれができない。
3、無知
無知は無智とも無痴とも無癡とも書きますが同じこと。
貪りも怒りも無知ゆえに生じます。
だから、
すべての原因は無知。
『大日経』六十心にある癡心は
他人の言葉をうのみにして、是非善悪をわきまえない心。
噂話や、テレビや新聞で得ただけの情報で、
理論的バックボーンの無い話を真面目に扱う人のことですね。勉強しないこと。
ちなみに大日経では、
この六十心(実際には人の心は百六十心に分けられる)をひとつひとつ分析して観察し、
そのコントロール法をトレーニングして、実の如く自心を知るのが「悟り」
しかし、
金剛頂経では、
その長い観察過程を、仏をイメージして真言を唱えるだけで代替できるようになります。
また、
今の自分の(自分流)の意見が正しく、
それは昔も同じである、他の世界でも同じである
と思うことも、無知です。
事実ではなく感想に重きを置くのが無知。
昔は違う考えかた、立場であっただろう。
他の地域では違う意見だろう
と考えるのが正常 。
20年ほど前、肝臓病を治す呼吸法は3回呼吸するだけ、
と藤平先生から教わった時、
本当にそれで良いのかと思い、
自分では10分20分30分と、
長く続けたほうが効果があると思って実践していました。
でも、
ここ数年、僕の修法時間も短い。
昔は、できるだけ長時間座っているほうが効果的と思っていましたが、そうでもない。
一分間に一呼吸くらいなら、
三回呼吸すれば十分効果的です。
このように、
身体が覚えるには時間がかかる。
無知はこのようにトレーニングでも除かれるから、
何事も淡々と続けるのがよろしい、
と考えています。
「野菜をどれくらい食べれば良いのだろうか」
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/6WF_wsTZXGs
「ビール、発泡酒、ノンアルコールビールの陰陽」
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/BpITq_gKj2s
「心病の治しかた」
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/Ba4xTfq2w7A
その際、
お導師さん(僕)が入場するとき、ご遺族は座ったままでよろしいでしょうか。
と聞かれる。
それ、どこでも聞かれるのだけれど、
まさか、遺族は起立して私を迎えるように、
なんて言う和尚さんがいるの?
と聞いたら、いるらしい。
北の将軍様みたいに勘違いしている人がいるのですね。
東日本では、お葬儀の後、同じ日に初七日の法事をお勤めすることがポピュラーです。「繰り上げ法要」などという。
本来、
故人が亡くなった日を含めて七日目が初七日で、その後七日おきに七七 四十九日まで追善の法要をする、という習慣になっています。
この間をサンスクリット語でアンタラバーヴァ( antarabhāva)、古い訳で中陰(ちゅういん)、新しい訳では中有(ちゅうう)と言います。
人が死んでから次の生を受けるまでの間。
この中有が転訛したのが宙。
「宙に舞う」とは、中有の間は亡魂が迷っている、という信仰からきた言葉。
都会は人口が多いので亡くなる人も多い。
人が亡くなる時期には波があり、火葬場が込み合い、亡くなってから葬儀までずいぶんと日があくことがあります。
葬儀が初七日を過ぎていることも少なくない。それでも、初七日法要を葬儀と同日に頼まれます。
まあ、いいですけれど、どうなのでしょうね。
そもそも、なぜ初七日だけ特別に拝むのか。二七日、三七日もお祈りしましょうよ。
ご自宅では、
形式にこだわらず、お先にどうぞ、という気持ちで、毎日拝みましょう。
これをしてはいけない、これをしなければいけない
ということはありません。
もちろん、
将軍様みたいなお坊さんもいなくてよろしい。
手を動かして肺の機能が高まれば呼吸が調い、心(脳)が落ち着きます。
脳に酸素がよく届く。
なので、
手を使うとボケない。
でも、
手だけでは、ボケなくても性格は良くならない。
同じく望診法では、
足は腎臓が発達したものと考えています。
足が健康なら腎臓がよく働き、
そうすれば血液がきれいになり、脳に流れる血もきれい。
だから、脳の機能もよくなるので、冷静さ、優しさ、丁寧さなど、性格にも影響すると考えられます。
さて、
料理も脳のトレーニングによろしい。
玄米麹をもらったので、醤油にそのまま漬けて数ヶ月。
もろ味のようにうまくなったので、豆腐を温め、摘んできた紫蘇の実を添えて。
秋茄子にもっとも合うのはチタケですが、これは栃木県民以外は食べない、
揚げ巻湯葉を炊いた後は鍋に油が残るので、
細切りにした秋ナスを入れて蒸し焼きし、醤油で焦がす。
湯葉も茄子と合う。
ここはかつて舟運の商都でした。
廃藩置県の際、栃木市は栃木県の県庁所在地になりますが、
その後、県庁は宇都宮に移されます。
維新の際、
明治政府に協力した藩には「同一県名」が与えられました。県名と県庁所在地の名前が同じ。
(これには違う説もあるみたいだけれど)
九州はみなそうですね。
例外は、会津県にならなかった福島県かな。
明治新政府にとって、幕府側についた藩は目障り。
徳川時代のほうが良かった、なんて言われるでしょうから。
栃木には徳川の聖地・日光があるのだから、新政府から嫌われてもしょうがない。
栃木市にある旧県庁跡の案内板には、
「明治十七年、県令三島道庸は、強引に県庁を宇都宮に移しましたが、県名は栃木県としてそのまま残りました」
とある。
栃木高校出身の知人(大学教授)は、宇都宮で会議があっても出席しない。
何で宇都宮なんかに行かなければならないのか、
と言う。
それはさておき、
栃木駅前の駐車場に車を止め、
キャノンFー1に20ミリレンズをつけ、北へ向かって歩きます。
ミツワ通り共栄会という商店街を通る。
ここには玉川の湯(金魚湯)という銭湯があり、時々入ります。とても良い。入浴料300円也。
http://
そこから5~6分歩いて倭町のポスト。
庭にあるようなもの。水道ホースとシャベルとジョウロと。
そのまま10分程北へ歩いて、万町・木嶋屋菓子店横のポスト 。
雨が降ってきた。
西へ向かい3分くらいで、大通りに面した栃木信用金庫本店前のポスト。
南へ戻り、巴波川(うずまがわ)沿いを歩く。
鯉が泳ぎ、見た目の流れはきれいで観光客も多い。
走る人、サイクリストもいて、舟行という観光船もある。
http://
川沿い、湊町のポスト。
雨が強くなってきた。
北へ戻り、伝統建築物が並ぶ通りを歩き、
江戸火消し館の前を過ぎて、嘉右衛門町・岡田記念館(代官屋敷)前のポスト。
宇都宮は陸軍の飛行場があったので空襲がひどかったようだけれど、
栃木市の被害は軽微だったようで、古い建物が多い。
この近くに「あぶでん」という田楽屋(味噌屋)がある。古いりっぱな結構で、田楽もうまい。
http://
他にも蕎麦やうどんやウナギなどの名店があるようだけれど、食べないからよく知らない。
駅前の駐車場まで戻り、思い立った旅も了。
駐車料金2時間200円也。
食養では、人間の食べ物の陰陽比率は5:1が望ましいとしています。
これについては、理論的な文献が無いようですね。
事実を調べていないものばかり。
僕は頭と骨から陰陽の比率を考えてみましたが、詳しくは下記。
※「陰陽の比率を5:1としているのは正しいのだろうか」
https:/

で、
陰陽を5:1にするとしても、それが実際にはどのくらいの量なのかはなかなか難しい。
ひとつの方法として、
食品成分データベースhttp://fooddb.mext.go.jp/ から、
陽性な動物性食品に含まれる陽性な元素の代表であるナトリウムと、
陰性な植物性食品に含まれる陰性な元素の代表であるカリウムを比較してみました。
今が旬のサンマは、
可食部100g中ナトリウムが130㎎なので、必要なカリウムはその5倍で650㎎。
大根おろしでバランスをとろうとすれば、
大根100g中にカリウムは230㎎。
650㎎摂ろうとすれば、大根は282g。おおよそ1/3本くらいかな。
サンマにはそれくらい添えるとよろしい。
もちろん、
スダチの陰性、醤油の陽性、「焼く」という陽性が加わり、
大根おろしの辛味が脂肪を、スダチの酸味が余分なたんぱく質を溶かして味を膨らませます。
同じように計算すると、
Mサイズの卵(約50g)にはトマト167g(約1個)
とんかつなら、
とんかつ100gに対してキャベツ半個くらい。
これらも、料理法・調味料・香辛料、その他のおかずによってかわります。
生姜にんにくコショウなどを使い、
キノコと香味野菜のスープ、漬物を添えれば、陽性は簡単に消えます。
食欲の秋ですね、野菜もきのこもたくさん食べましょう。
ひとつは、
存在を構成する要素である五大(地大・水大・火大・風大・空大)の空(大)。
あらゆるものが元素で作られているように、五大で作られている。
酸素、窒素、水素、炭素、リン、イオウ・・・。
骨、血液、筋肉・・。
むさぼり怒りねたみ疑い慢心
慈しみ優しさ忍耐冷静さ
僕らを構成しているものはたくさんあるけれど、それらをまとめているのが空大。
これは虚空ともいい、サンスクリット語・アーカーシャ(Ākāśa)の 訳。
この空は識大という悟りの心、僕ら自信の本来の心を表現するもの。
虚空には塀も垣根も壁も仕切りも無い、ひろびろとしている
悟りの心とはそういうもの
この空(虚空)は何から起きたかといえば、
もとからある。
仏や神が創ったものではない。
だから、
原因も縁も条件も無い。
僕もあなたも何もかも、よくよくその元をたどってみれば同じ。僕らは虚空と同じ。
仏は虚空のようである
悟りの智恵は虚空と同じ
心は虚空と等しい
などと使います。
もうひとつが
般若の空。サンスクリット語・シューニャター(śūnyatā)の訳。
色即是空の空。
一切は空である
あなたも僕も空である
苦しみも悲しみも喜びも空である
などのように使います。
この空は、ごくごく簡単に言うと関係性のこと。
あらゆる存在、僕もあなたもひとりではなく、相互に依存しあってしか存在していない、ということ。
自分が自分が、というのではなく、それぞれが無我であるということになります。
これは縁起とも無自性とも言う。
空であるからこそ、その時点で満足(執着)せず、より良いレベルの心へと、向上心が生まれます。
で、
その空は虚空のごとし
というのが密教の重要な立場です。これを観想することが、悟りへの道。
あなたも僕も、心もモノも、
ひとりぼっち独りよがりではなく、常に何か誰かと関係しているから存在できており、
それは広々として何の障害もない風通しのよいものである。
僕らの本来の心は、
空に境目や色眼鏡が無いように、
ありとあらゆる万象をつつみこんで、
いつもある、変わらない。
心は大空のように広々として無我の状態。
不安や迷いに染まらない。
広々として仕切りが無いから、慈悲に満ちているはず。
『般若心経』の最後にある真言は、
その世界を説いています。
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※陰陽研究塾
「陰性なものの排毒」
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「 陰陽の比率を5:1としているのは正しいのだろうか」
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昆布出汁で豆腐を温め、マツタケを入れ、薄味で沸騰させないように炊きます。
炊き込みご飯は秋の料理。
先日、恵比寿・石濱先生宅で作ったお芋ご飯
昆布とヒジキで味を調えます。
お米、お芋は「お」をつけたい。
ごぼうと豆腐の味噌汁が残っていたのでミキサーして、
湯葉ときのこを加えて炊きます。
ご飯にかけてネギを盛る。
みっつとも、精神を安定させる料理です。
投宿して新聞を見たら、
1面に石原慎太郎氏、猪瀬直樹氏とある。
氏は姓につける敬称だから、
石原氏、猪瀬氏は良いけれど、石原慎太郎氏、猪瀬直樹氏はおかしい。
最近の新聞はダメですね。
それはさておき、
僕は最近、時間を見つけて丸ポスト探索をしています。正式には差出箱1号と言う。
先日、千葉県白井市を歩きました。
これは白井文化センター前にある丸ポスト
この丸ポストは、
長野県飯田市で雑貨店を営んでいた故 仁村眞一さんが58年間、お店と共に郵便利用する地域の皆さんのためにきれいにしてきたもので、
仁村さんが亡くなった後 お店は廃業、ポストは撤去されて飯田郵便局が保管していました。
その後、縁あって、千葉県白井で現役復帰。
その旨がポストの下部に書かれています。
明日午後1時より、飯田市立石寺にて、聖天さんの秋季大祭。
皆様の良縁をお祈りいたします。
灰燼に帰す、の灰なのにねえ。
それはさておき、
次男の担任は微生物が専門。先日、研究室を見学しました。
室内には生き物がいっぱい、見えないけれどね。
大腸菌や乳酸菌など著名菌の他に、危険なヤツもいるらしい
で、
氷点下90数度で保存されていたり、
冷凍保存では停電になると死んでしまうので、ドライイーストのように乾燥して保存されている菌もいる。
極低温でもカラカラの乾燥でも、死んでいるわけではない。
代謝を止めているだけ。
温度を上げれば、水分を与えれば、生き返る 。
すごいですねえ。
生と死がどういうことなのか、
が、僕らとは全く違う。
そもそも、僕らの生死だってはっきりしていない。
僕らはいつ生まれたのか?
受精の前、後、お母さんの身体から頭が出た時、足が出た時、へその緒を切った時・・・。
死はもっとわからない。
瞳孔が開いた時、呼吸が止まった時、心肺が停止した時・・・・。
宗教的な死もあり、社会的な死もある。
法律上の死はあるけれど、脳死なんてきわどいものも作っている。
『秘蔵宝鑰』 には、
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し。
とあり、
だからこそ、迷っている人は自分が迷っていることを知らない
と言います。
誰もが知っているように、
生と死は別々ではなくワンセット。
僕らの体内では、常に細胞が生死を繰り返して、「僕」という概念を引き継ぎながら、僕を存在させています。
そのような、それぞれ独立してではない、関係性をもっている現象を「空」と言います。
生と死は空であり、お互いが必要。
生は死との、死は生との関係性の中にあるもの。
「空」は仏の教えをすべて論じていない不完全な教えである、
というのが真言密教の立場ですが、
生も死も、それがあるという事実に真理を見ようとします。
つまり、
生も死も、迷いも悟りも区別はなく、どちらも仏の表象。
生と死が流れる全体性の中に僕らは生きている、
ということかな。
いずれにしても、
微生物はすばらしい。