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[ 2025/03/13 01:51 | ]
心は続くよどこまでも
毎日いろいろなことを考えて生きていますが、寝ても覚めても心はじっとしていない。

『十住心論』には、

凡夫の本能的我欲のままの心から、順次悟りへ転昇していく心の諸相が説明されていますが、

まだ執着と迷いの中にある「悟る前の心」が『大日経』に「六十心」として説かれています。これがなかなかおもしろい。

悟りとは自分の心をありのままに知ること、なので、その心がどういうものかを観察します。


初めに貪欲の心。

愛欲の心、性欲物欲名誉欲、コミュニーケーション欲、清らかな愛の心も貪欲。

そのほか煩悩の心として、
 
貪心 瞋心、痴心 疑心 闇心 闘心 争心 迷心 慳心

善に見えながら執着する心として、

無貪心、慈心 智心、決定心、明心、守護心、

他には、


商人心

安いものを買い、高値で売って利を得る。

修行するものは、高根で売るようなことをせずに、勉強して得たものをすぐに実践すべきである。


農夫心

広く聞き耕す。

広く学んでから跡に実践しようとすると、勉強するだけで終わってしまう。


河心

流れが岸に片寄らない。

正邪ともに信じたりするのを退けて、すみやかに悟りを得るように勤めるべき。



井心

窺い得ざる深みなり。

他人の容易に窺いえない心をもって得意としてはならない。
 

狸心

徐ににして獲物捕る。

時と場所を考慮することなく、見聞にしたがって直ちに実践し、恩の恵みに報いなえればならない。


狗心

少なきものに満ち足りる。

すぐれたものを求めようとしるべきである。



水心

常に不善を洗い去る。


清らかな悟りを求める心のなかにはすべての罪悪は消滅し、自己と仏が一体となることを思うべき 。


火心

燃え盛りてぞ熱を出す

善いことをなす場合でも、一気に功をあせらずに漸次に心をこめて継続するように勤めるべき。

などなど。


いずれにしても、僕らが思う心は迷いのもとであり、それを改善するには、


自己反省

思いやりの心とその実践

向上心を持った勉強

心を静かに観察する瞑想修行

が大切と説きます。


雑草を除きながら 一面苗をそだてるように、浄心を増長させる、


とある。


いずれにしても心は間断の無い連続で、ひと時もじっとしてないものですから、実に不安定なものです。

ですから、

心が思ったことそのままにとどまるか、

そこを越えてより良く生きるのか

が問題になります。


そして、

どんな心でも、慈悲を基本とするのが仏教です。

心を冷静に観察し、

慈悲の働きかけで煩悩や迷い苦しみを超克する。


それが人生の意味であり、それによって希望に満ちた世界になります。

優しさと思いやりという慈悲が根底にあって悟り(しあわせ)を求めれば、

真実の生きかたが見えてくるはず。


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[ 2017/01/25 18:48 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
道草 横須賀編
インフルエンザが流行っていますが、

そのウイルスも症状も陽性なので、陰性な飲み物が効果的です。多いほうが良い。

それから、下半身を温め、よく眠って免疫力を下げないようにすれば、なおよろしい。


それはさておき、

縁があって横須賀方面へ拝みに行くことが多い。 

自宅から車で行くときは

五霞で圏央道へ入り、東北道首都高を通って横浜横須賀道路に出るけれど、

湾岸を通るか、横羽線か

三ツ沢経由か、幸の浦へ出るか

経路がいろいろあって楽しい。


横須賀は坂が多い。行き止まりの谷のような地形で、

四国の棚田みたいな土地に住宅街がある。

昔は雪や凍結があると、坂道は滑るので側溝を歩いたらしい。


ここは海軍の街、神奈川県は沖縄、北海道の次に米軍基地が多い。

小学生のときに戦艦三笠を観て以来、僕は船のファン。横須賀・汐入付近で巡洋艦、護衛艦、イージス艦、時には空母も見える。

もちろん、戦争には反対である。世界平和を毎日祈願している。


市内のコンビニには葉巻や外国タバコ、アメリカのチューインガムが売られている。

街を歩くと、海兵隊員や海上自衛官ともすれ違う。米兵は気さくで、日本の若い自衛官は姿勢が良く礼儀正しい。 


自衛隊工科学校に合格したけれど、田舎の高専に入学した息子の同級生が二人いる。

親御さんの意向だろうか。僕がその立場なら、子に何と言うだろうか。


横須賀にはJR横須賀線と京浜急行が走っている。

横須賀線は東海道線より格が上である。

古都鎌倉、御用邸がある葉山に近い逗子、帝国海軍のある横須賀と東京を結び、皇族軍人文化人が利用していた。車両も高級で、電化も東海道線より早かった。

昔、横須賀線のサロ85というグリーン車が、クハ77に改造されて家近くの両毛線で走っていた。

その車内はソファのような座席で乗り心地が良かったのを覚えている。元は海軍高官が乗るための車両だった、とマニアのおじさんから聞いていた。


左から2両目がクハ77(1977.11.20 思川付近)


追浜、衣笠、横須賀中央駅近くの道路沿いには、歩いてみたいアーケード街がある。

シャッターを閉めている店も多いけれど。
 

生活するには不便な地形のためか、横須賀市は人口流出が深刻らしい。

住んで快適なのかどうかは分からないけれど、

出張で行くには、とても魅力的な街である。









[ 2017/01/26 13:51 | Comments(1) | 道草 ]
ビールの思い出
空気が乾燥しているのは陽性な条件であり、

そこで陽性なものを多く摂ったり、夜更かし(陽性)していると、陽性な症状が現われます。

なので、大根湯などの陰性なものが手当てになりますが、お酒が百薬の長になるのはこのタイミングですね。飲んだ後は寝ることが大切。

そして、陽性で鼻が詰まったときは、外耳やヒザ裏をマッサージすると効果的。


それはさておき、

1985年は僕が大学を卒業して就職、タイガースがバックスクリーン三連発で優勝した年ですが、

その頃流行していたのがサントリーのペンギンズ・バー。

このCMで流れる聖子ちゃんのスイート・メモリーズが良かった。

その3年後にサッポロから冬物語が発売。


最近、娘がビールに詳しくて、上面発酵・下面発酵とかいろいろ教えてくれる。

彼女が買ってくるグーズとかフルーツビールをお相伴したら、とてもうまかった。

僕はひとくちくらいしかビールは飲まないのだけれど、

市販のものではキリンのハートランドが好き。それが置いてある店は信用する。 


ビールについて思うことのひとつが、

缶ビールはお酌に合わないのではないか、ということ。

お酌する重さと形では無い。


さて、

平成元年に仏教美術研究上野記念財団の研究発表で、仁和寺の薬師如来像を見てから、

僕は積極的に密教の仏像を見て回るようになりました。

東寺観智院や神護寺の五大虚空蔵

花園宝金剛院、嵯峨遍照寺、三山木観音寺の十一面観音 

五大明王は東寺、醍醐寺、大覚寺

定朝様式の阿弥陀さまは、日野法界寺、鳥羽安楽壽院、伏見即成院、宇治平等院 等々。


その帰りに京都寺町の市場小路で、キリンの京都限定ビール「No.1497」を飲むのが楽しみだった。

あれはうまかった。でも、2008年に製造中止。

思い出は大きくなるから、今でもあのビールが一番うまいと思っています。


そのビールが、後の人生を大きく変えるきっかけになったことは記憶に新しい。

内容は秘密だけれど。



[ 2017/01/27 11:05 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
仏器
昨日28日早朝、月例の護摩祈祷いたしました。皆様の平安と所願成就を拝みましたので、ご安心ください。


真言宗など密教のお寺には必ずあるのがこの仏具。ご本尊さんの前にあります。



ウチのは磁器ですが、金属製のものが多い。

中央にあるのが火舎。抹香を盛って焼香するもの 。

その両側に三個づつあるのが六器。水、塗香、花の器です。

ここに生花や樒の葉を盛り、作法します。
 
その他に、洗ったお米、もしくは炊いたご飯

それから灯明がある。

水が貴賎に関係なく行き渡るような布施を、

塗香は匂いのように身体に染みつく戒律を、

花を見て微笑むように、怒らず耐え忍ぶことを、

ご飯は、それを食べて心が落ち着くような座禅瞑想を、

灯明で暗闇がぱっと明るくなるような智慧を

それぞれ象徴しています。

さらに、

金剛香菩薩、金剛花菩薩、金剛燈菩薩、金剛塗菩薩、金剛歌菩薩、金剛舞菩薩

という仏さまの三昧に入り、

花の香りと美しさを択び、

妙香を薫じて心を清浄にし、

食事の喜びは禅の悦びのようであり、

灯明は、自分の心を知るという根本的な智慧で世間を照らす

ことを観想します。


信仰は心のトレーニングです。

勉強すれば成績が上がり、

練習すれば試合に勝てるように、

祈りを続ければ、心が少しづつ純化する。


道範師の『行法肝葉抄』には、

浄心を塗香
万行を妙花
功徳を焚香
果徳を飲食
智慧を灯明
自心中心王大日尊心数曼荼羅を供養する
自分の心を自ら供養する
手印は三昧耶曼荼羅
真言は法曼荼羅
四処威儀は羯磨曼荼羅

とある。




[ 2017/01/29 07:07 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
やきそば
自動車学校に行ったら、お湯が出るタイプのカップ麺自販機(東洋水産)があり、

中にある「たんちゃん麺」は自販機専用とのこと。



ファンが多いらしいけれど、どういうことなのだろうか。


東海林 さだおのエッセイ「B級の覇者ソース焼きそば」には、

ソース焼きそばのB級度は群を抜いている。なにしろ値段の高い材料をひとつも使っていない。そして「高級化への道を閉ざされている」のです。 

中略

そして一生懸命作ってもそれほどおいしくならない、また、うんと手を抜いてもそれほどまずくはならない。だからソース焼きそばは、「うまい」とか「まずい」とか評価しないで食べるものなのです。であるからして、ソース焼きそばは向上心を持って作ってはならない。いいかげんな気持ちでいいかげんに作るのが正しい。

とある。


僕は固い焼きそばが好きで時々食べるけれど、お店のものはどこも甘ったるくてうまくない。

ちなみに皿うどんを始めて食べたのは京都・百万遍の「まつお」

それはうまかった、ような気がする。


先日、信頼できそうな著名店で 、五目あんかけ焼きそばを注文し、
 
あんかけは野菜だけにしてね、

と頼んだら、しいたけであわび、エリンギでイカを模してあった。






やっぱり自分で作るほうがうまい。

モヤシとチンゲン菜は下茹でした。



 
青のりをかけると、

絶倫隊の「日本の味」を思い出す。




[ 2017/01/31 18:30 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
宇宙の真理
難行苦行を経て、心の動きと呼吸も止めるような座禅瞑想修行をしている菩薩の前に、

諸々の如来が現れ、

「いくら難行を積んでも、一切如来の真実(宇宙の真理)を知らないなら、悟りをひらくことはできない 」

と言います。

菩薩はその宇宙の真理を教えてもらい、直に成道する。

という話が『金剛頂経』にあります。この菩薩はお釈迦さまのこと。


世間にもそういうことはよくある。

宇宙の真理(自然の法則)を知らなければ、どんなに品行方正道徳的で、

規則正しい生活をしていても、健康で平安な人生は得られない。

あるいは、

一生懸命まじめに努力していても、

的外れなことを続け、コンセントが抜けていることがある。



日本の仏教にはいくつもの宗派があり、それぞれに特徴があります。

それを、

どれも同じお釈迦さまの教えであり、どの宗派でも関係無い、宗派など不要だ。

と云う人がいます。

そうだろうか。


仏教の修行をしたい、という人に、

あなたが行っている学問仕事芸術スポーツ、

あるいはボランティア、畑仕事、子育てなど、

そういうものも修行であり、わざわざ修行道場に行かなくても悟りを開ける、

と言う人もいる。

果たしてそうだろうか。


人間には完と未完、熟と未熟、覚と不覚があり、

何でも同じ、と言えるのは完成された人間であり、未熟なものは言えないはずである。

同じだと知らないはずだから。


未完未熟な者は、劣を捨て勝を得るように努力するべきで、

宇宙の真理のようなものを求めて勉強実践してこそ、

得るものがある。



[ 2017/02/01 08:41 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
穢れはどこにあるのか
大乗仏教では、心について、

その本質(体大)、その姿かたち(相大)、その働き(用大)

という三つの側面を見ます。三大と云う。


すべてのものは元素などのモノで構成されていますが、それをそれと認識するのは心ですから、

どんなものにも三大がある、と考えられます。

総てに、

本質、姿、働き

の三つがある、ということ。


密教や多くの大乗各宗派は、

僕らの本心は元々仏と同じである、仏(清浄な悟り)の性質を持っている(如来蔵)という立場です。如来蔵でなければ、僕らは悟りたいと思わないはずですから。


「六道四生の一切有情は皆如来蔵を具す」(『四無量心観』)

「一切有情は如来蔵なり」(『理趣経』第十二段)

などとある。


あらゆるモノも心も、本源的なものがある。(それは仏の本質を象徴する地水火風空識の六大なのですが、詳細はまたいつか): 体大

それらは縁と条件によって、目に見える姿、音声、サイン、動きなどで表され : 相大

それぞれ慈悲の働きをしています。: 用大

太陽という本質には

大きく光輝く姿があり、

地球を暖め、生き物を育む働きがある。


死を穢れとしたり、

女性は穢れているから、特別な場所に入れないとか、

福島から来た僕らは汚ないとか、

そういう考えかたがいくつもあります。

えんがちょ、では済まないことが。



仮に姿かたちが汚れていても、その本質は清浄で如来蔵。

死が不浄だとしても、その本質は仏と同じく美しい。

故人も女の人も、どこに住んでいる子も、

みな如来蔵だから、成仏の可能性を持っている、本来清浄な存在です。




[ 2017/02/02 14:56 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
アレに効く
新生児に飲ませるK2シロップは、陰陽で見るとどうなの?

と聞かれまして、

1989年に乳児ビタミンK欠乏性出血症予防策で、それを飲むとよろしい、と厚生省が提示したようですね。  

ビタミンKは溶脂性なので比較的陽性で、陰性な野菜海藻納豆に含まれています。


指先が硬く割れているのは陰陽で見ると?

と聞かれまして、

硬くなる、というのは陽性過多です。

そういう時は陰性な生姜油や、それに代わるものがいろいろあります。

市販の薬は基本的に陰性なので効果があるでしょうが、

僕は時々、マムシ油や熊の脂を使っています。これが意外におもしろい。

油だから陰性。 常温で固まっていますから、ごま油などよりは陽性。

熊の体温は38度くらいなので、ヒトの脂肪より陽性です。当たり前ですが。


田舎では、スズメバチやマムシの焼酎漬けがポピュラーです。

それらにある溶血性の毒はずいぶんと陰性なので、陰性なアルコールに漬けておけば、陽性になるかな。

昔は陰性な症状が多かったから需要があったのでしょうね。

あの類を勧める人は、

アレに良く効くよ

と嬉しそうに言う人が多い。

比較的陽性なら、飲むより外用したほうが効きそうだけれど。






[ 2017/02/03 07:49 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
所願成就
家を少しづつ片付けていますが、古い写真もスキャンしたり処分したりしています。



54年前の後楽園



それはさておき、

福島と宮城のお寺で節分のご祈祷に参座して、みなさまの所願成就をお祈りしました。

拝んでも世界全員の貧困と病苦がなくなり、皆の生活が良くなることは無いけれど、

全員の心の眼が開け、平安になる可能性はあります。

生活を豊かにすることは大切だけれど、心を豊かにすることはもっと大切。

抜本的な解決にはそれが必要で、そのために祈る。


仏の慈悲と衆生の信心が重なることを加持と云いますが、

両者は本来同じものですから、第一に必要なのが慈悲心。

仏の智慧も、瞑想修行も、慈悲が基本となる。

悪いことを思い、不善を行っても、それらが出てくる元の生命は、

本来大きく広く清浄です。

そこに必ず慈悲があり、それが所願を成就させてくれる。





[ 2017/02/05 07:11 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
懺悔礼拝行
いくつかの仏教宗派で、懺悔文(さんげもん)を唱えます。

我昔所造諸悪業
(がしゃくしょぞう しょあくごう)
皆由無始貪瞋痴
(かいゆむし とんじんち)
従身語意之所生
(じゅうしんごい ししょしょう)
一切我今皆懺悔
(いっさいがこん かいさんげ)

僕らが昔から行ってきている様々な悪い行いは、

すべて始まりもない昔からの、貪りと怒りと愚かさが、

身体と言葉と心によってなされたものである。

それら全てを今、すべて懺悔します。


基本的に宗教は懺悔から始まる。 

『金剛頂経義訣』やお大師さんの『教王経開題』に、南天の鉄塔という話があります。

昔々、南インドの鉄塔に秘密甚深の経典が修められており、

龍猛(りゅうみょう)菩薩がそれを見るために出かけます。

このかたは学問も修行の果も超一流、他に追随を許さないくらいのすごい達人。

なのに、その塔の扉が開かない。どうしても中に入ることができない。

そこで懺悔をした。そうしたら、扉が開いて密教の秘密経典を得ることができた。

 
この塔は自分自身の象徴。

自分には万法が含まれているのに、懺悔が足りないからそれを見ることができない。

この鉄塔も自分も、大日如来=宇宙の分身です。



懺悔は心に思うだけ、上記の文を唱えるだけでもよいけれど、

もっとも良いのは、身体全体を使って懺悔礼拝すること。五体投地です。


ご本尊さまに向かって起立し合掌。

そのまま右ひざ、左ひざの順に折り、床につける。正座になる。

身体を前に倒して、右ひじ、左ひじ、額の順に床につけ、

手のひらを上へ向け、少し上げる。

上体を起こし、合掌して左足、右足の順に立ち上がる。

これでワンセット。スクワットみたいですね。

懺悔文を一回唱えながら、一度礼拝する。

これを二十一辺乃至百八遍

身体で懺悔を表します。

それから坐って拝む。

懺悔すれば願いも叶う。


この時期、これをすれば身体がポカポカ温まるというお蔭もある。




[ 2017/02/07 09:30 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
欲望の代替
インフルエンザに罹るか罹らないかは、体内に陽性がたまっているかどうかですが、

その陽性が少しでもあると、煩悩が生まれます。

でも、陽性がまったく無いと生きることができないので、

煩悩も無ければ生きられない。生のエネルギーになるから。

インフルエンザに罹るのは陽性の排毒ですが、煩悩の消化でもあるかな。


それはさておき、

『大日経』 では、

心を動きを観察して、ひとつひとつの迷いを慈悲の行いによって仏の智慧に転換し、

その後に、ものの見かたの執われを克服し、

心の純度を上げる。

その繰り返しの積集によって、如実に自分の心を知ることができ、それが悟りである、

としていますが、

『金剛頂経』では、

その積集が、「真言を唱える」ことで代替できるとしています。真言を唱えるだけで自分の心を如実に知ることができる。悟ることができる。

そのためには、仏と相応(ヨーガ)していることが前提ですが、

とにかく長年の修行と、真言を唱えることが同じ価値。


ちょっとした欲望は、

呼吸を止めるか、冷水を浴びれば消えますので、

毎日それを続ければ心が調う。


まったく邪魔な欲望を無くすには、

陰性な野菜に、陰性な酢と油とコショウのドレッシングを、お腹いっぱい食べればよろしい。 


普段の生活でも、

性欲は食欲で代替され、

食欲はコミュニケーション欲に代替される。


貪りはプレゼント することで、

怒りは微笑むことで、

無知は勉強の楽しみ を知ることで

代替されます。


もし、自他にとって迷惑になるような欲望があっても、

それを利益になる欲望に代替すれば、

自他ともに救われる。




[ 2017/02/08 06:42 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
浄土で涅槃 その1
良いゴボウが手に入ればすり下ろし、いろいろ混ぜて揚げる。

お通じにとてもよろしい。



ゴボウは浄土の味がする 。

その浄土には二種類あります。

往生する浄土と、荘厳する浄土。


前者は、お薬師さんの東方浄瑠璃世界や阿弥陀さんの西方極楽世界など、

将来生まれようとする世界 。

後者は、

心が清まり調えば、現在の世界も清まり調う「今、ここ」にある浄土。


仏教徒の目的は成仏、悟りですので、浄土は仏の世界、悟りの世界。

それが遠くにあるか、近くにあるか

自分の外側にあるか、内側にあるのか。


いずれにしても、浄土に行く、今ここを浄土にする、浄土に成る

には、ぼーっと待っているだけではダメで、信心と修行が必要。

信心とは、

心が混じりけ無く、清らかであるかどうかを自省すること。

『倶舎論』には、

 信は心をして澄浄ならしむ

とある。

修行は、

身体と言葉と心を、仏のようにしようと努力すること

他の人に利益になるように拝み、生活を工夫すること。

それができないと、

現世は苦悩の世界で、思い通りに行かない、矛盾に満ちた世界になり、

できれば、

光り輝く明るい浄土になる。

『菩提心論』には

「本から心の中にある清浄な世界へ戻れば、そこが密厳浄土である」
 
信心と修行により、仏との交流を体験すれば、そこが浄土になる、ということ。

また、

「地獄に堕ちるも浄土に遊ぶも心次第。もし、清浄で迷いの無い本心に常に住することができれば、そこが浄土」(『性霊集』巻八) 

とある。


仏の見かたをすれば、今すぐにそこは浄土となり、僕らにはその素質があります。

そして、

十方にある往生する浄土は、荘厳する浄土の一部。










[ 2017/02/10 15:12 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
浄土で涅槃 その2
2月15日はお釈迦さんが入滅された日。

この日に、お釈迦さまの遺徳追慕と報恩のための法要が各地のお寺で行われます。

涅槃会(ねはんえ)とか常楽会と云う。

その準備とお手伝いで鳴門・長谷寺に来ています。


涅槃とは、サンスクリット語・ニルヴァーナ(Nirvāṇa)の訳語で、本来の意味は「吹き消すこと」

煩悩の炎が智慧によって吹き消され、精神の迷いが無くなった状態で、悟りのこと。

涅槃にはいろいろ種類解釈があるのだけれど、お釈迦さまが亡くなったことを、涅槃に入られた、というようになっています。

浄土は悟った人の世界で、涅槃は悟った状態のこと。



昨日は南国なのに雪が舞いました。





この観音堂で十一面供養を修法。


 

観音堂本尊・十一面観音。

様々な病気や災難をとりのぞくことによって衆生に利益と安心を与え、

妙なる悟りの世界へ導こうとするのが十一面観音の誓願

それを拝むということは、自分もそれを目指すことです。 
 


本堂には涅槃図を掛け、

 



台所で精進料理を作る。



涅槃会のほか、仏教の記念日には、

お花まつりなどが行われる4月8日お釈迦さまの誕生日。降誕会とか仏生会と云う。

12月8日はお釈迦さまが悟りを開いた日。成道会(じょうどうえ)が行われる。


真言宗では、

3月21日、お大師さんが入定された日に御影供(みえく)

6月15日、お大師さんの誕生日に青葉祭り

が行われます。


このような行事が行われる場所は浄土であり、

お参りし拝む人は涅槃に近づく。


お気持ちがありましたら、ご縁のあるお寺にどうぞお参りください。






[ 2017/02/11 16:16 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
余りもので三昧
お蕎麦が余ったので、フライパンでパリパリに焼く。

キノコを蒸し煮した葛餡と、塩ゆでしたブロッコリーの茎を載せた。





うどんのお汁(昆布出汁)が余ったので、大根を炊く。

火が通ったら、干シイタケを差し入れて追い出汁にする。


 


鍋にがんもどき、きのこ、大根薄切り、ニンジンの順に重ね、

醤油を回し入れ、誘い水をして炊く。

落し蓋替りの大根が染みれば出来上がり。




百合根はほぐして6分蒸し、

梅干しを叩いて添える 。






[ 2017/02/14 15:47 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
道草 松江編
妻が友人と雪の出雲へ旅行して、その話を聞いた後、

続けて読んだ『日本の町』(丸谷才一、山崎正和)、『阿呆旅行』(江國滋)両著に松江の話が出てきて、いろいろ思い出した。

初めて松江に行ったのは昭和53年12月、16歳の時。

同級生MとY両人との旅。

東京から今は無きブルートレイン24系「出雲」のB寝台に乗り、

三朝、玉造と温泉に泊まってから松江に出た。

帰りはキハ82系特急「まつかぜ」。当時の山陰本線を代表する列車で、食堂車の銀色の食器が印象的だった。


数年前に数回、

松江駅近くの「自然食品 ひまわり」という素敵な店に呼ばれて精進料理を作った。



この店の隣に万年筆専門店がある。


その際、

一度目に泊まったのが宍道湖畔の旅館「松平閣」

ここは料理も温泉も、庭から見る宍道湖の夕陽もすばらしかった。

二度目からは「ホテル一畑」に泊まり、最上階の大浴場から宍道湖を眺め、

夕陽を眺めるためのタクシーに載った。

宍道湖のシジミは春秋が旬で、太ってうまいらしい。

宍道湖畔の道は風景を邪魔しないように作られ、

宍道湖大橋を下駄で渡ると、歯と石が当たる音が美しい。

湖畔の島根県立美術館には、

北斎、広重の他、僕が好きな森山大道の「光と影」がある。

そして、

この美しい町の北15キロに原発がある。


帰りは松江駅前で晩酌してから、サンライズ出雲のシングルデラックス(A寝台)に乗る。

洗面所とデスクがあり、ちょっと仕事もできる。



名古屋通過




川崎手前でサンライズ






[ 2017/02/18 08:02 | Comments(0) | 道草 ]
心病の治しかた
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[ 2017/02/19 13:50 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
生姜油、熊の脂、マムシ油
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[ 2017/02/19 14:07 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
心の旅
極悪非道な人や、

迷惑だなあ、イヤだなあ、と感じている相手に対して、

オマエなんかいなくなれば良い、どっか行ってしまえ

と思うのと、

良い人に変身してくれたらいいなあ、そしたら、仲良く楽しくやろうよ

と願うのでは、ずいぶんと違います。


人生で行き詰まりを感じたときに、

過剰な期待をしたり絶望するのと、

何が起きても冷静に対処すれば良いのだ、なるようになるさ、

という心持ちでいるのとでもだいぶ違う。


心ある人は、努力してもそれを表さず自慢しない。

他のお蔭と感謝する。 

努力した人の願いはかない、努力しなければ叶わないけれど、

真摯な人は他をたたえ 自分を語らないことが多い。

人一倍努力しても、それを忘れて他の力に感謝合掌する。

そうではなくて、

自分の功績道程を話し、

努力しないから願いが叶わないのに、自分流の言い訳を正当化する。

どちらになるかで、自他の心の動きはずいぶんと変わる。




僕らは修行して初めて仏になるのではなく、始めも終わりも仏である。

それを信じている人もいない人も同じ。

この考えかたは、自分に対する厳しさが無いと危険な場合があるのだけれど、

気をつけていても、

心には高い状態と低い状態があって、順次向上するかと思えば油断して下がることもある。



うまくいかない時は、固定的な観念で固まり、臨機応変に考えていないことが多い。

他と自分を比べて、優れたところと見劣りする点を探してしまう。

自他も変化するのだから、固定的に考えても意味がないし、比べることはなおさら無意味である。

そうして心が変われば、周りの環境も変わる。何でも無い風景が美しくなる。

自分の心が柔らかくクッションがあれば、移り変わる事態に対処できる。


ことあるごとに自分の心を冷静に観察して、
 
絶え間ない反省を繰り返しながら、向上につとめる。

その最終的な目的は自他の救済であり、

周囲宇宙自然からは慈悲の光が降り注いでいる

と知る。


これが人生の意味である、と考えれば希望に満ちた世界になる

というのが宗教の立場、と考えています。




[ 2017/02/20 11:57 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
病気になる食卓
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[ 2017/02/21 06:55 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
豆腐料理
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[ 2017/02/21 06:56 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
道草 石橋編
僕が育った栃木県下都賀郡国分寺町は、

2006年に隣接する石橋町、河内郡南河内町と合併して下野市となりました。

僕は旧石橋町にある石橋高校出身。

この辺りは下野国分寺があった所で、旧南河内町には東大寺戒壇院、筑紫観世音寺とならぶ三戒壇のひとつ、下野薬師寺跡があります。

日本仏教史上重要で、あの道鏡が左遷された寺でもある。

周辺には壬生、祇園などの地名があり、朝廷や関西との関係がしのばれます。


それはさておき、

先週、鳴門長谷寺の涅槃会で、上方落語の笑福亭学光さんとお会いして一献。

その際、

数年前に四国へ渡るフェリー内で、元栃木県警刑事さんのお遍路さんと出会い、

その人が今、栃木でうどん屋さんを始めているから訪ねてごらんなさい、おいしいよ

と聞きました。

お店の場所がよくわからないので、

高校の同級生で近くの交番に勤務しているコグチ君に聞いたら、

すぐ近くだよ 、高校の先輩だよ

と教えてくれた。


早速伺いました。我が家から車で16分、石橋高校からも近い。


うどんは注文してから15分ゆでる。四国ではその間にてんぷらやオデンを食べます。

食べてみました。

四国の味がして、おいしかった。

ごぼうは栃木の名品を丸ごと揚げている。


当地でお四国の味に出会えたのが嬉しい。

みなさま、どうぞお越しください。


[ 2017/02/21 08:50 | Comments(0) | 道草 ]
タバコの陰陽



タバコは食べ物ではない

煙を吸うということ

陰性な肺に影響がある

という点などから、タバコは比較的陽性なものである、

と考えられます。

詳細は⇒陰陽研究塾の記事 36 

https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/jHnkiQxfXHY

[ 2017/02/24 14:16 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
生まれた日の月
誕生日は19年目ごとに同じ月齢になります。

つまり、

19歳、38歳、57歳、76歳、95歳の誕生日の晩の月を眺めれば、

それは生まれた日の月と同じ。


人生には調子の良いときも悪い時もあります。

陰陽望診法では、胎内にいた9ヶ月と、生まれてからの60年を配当して、

妊娠3ヶ月目の事象が、20歳に表れると考えますが、

月を見ると、

19年周期に人生の昂揚期、転換期、衰退期が現れる。


月の軌道を二十七等分もしくは二十八等分して、そこに宿を置き、

陰陽五行説と西方からの七曜の概念を合わせて構築したものが『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』、略して『宿曜経』

二十七(二十八)宿、十二宮、七曜などの天体の動きや曜日の巡りをもとに、

日や方角等の吉凶を読み解く方法を説き明かした経典で、

お大師さんが唐から請来し、日本でも曜日が知られるようになりました。

密教では、造像・修法・灌頂などを行う際には吉日を選ぶこととされており、この宿曜経を根拠に日を決めています。

 
例えば僕は、昭和37年1月6日生まれ。この日は旧暦12月1日で虚宿。

原文では、

此宿生人 法合足穀食多貯積 合長貴勝蒙君主王寵愛 又好祭饗神廟終終身快楽

と極めて恵まれた星の下に生まれている。

日の吉凶としては 、

宜諸急速事 学問及沐浴 求乞子法吉 宜供養婆羅門 置城邑営兵 著新衣厳飾衣冠並吉

市販の暦では

虚宿は万事控えめに慎む日

となっており、原典とはだいぶ違う。

この宿と曜をあわせて、日の吉凶を見ます。

基本的に気にするのは何かを起こす日の吉凶のみで、人の性質や対人関係は見ない。

 修行して人格の完成を目指す宗教であり、万人は元々仏であるのだから関係ない。


でも、

密教は現象界の存在そのままが真実である

という立場なので、

星月の動きも真如であるとして、『大日経』にも日時を選ぶべきことが説かれています。

実際には、

吉日を選んで悪日を避けると、なお良いけれども、

一切の日は皆善

一切の宿は皆賢

菩薩は皆威徳を備え

羅漢はみな煩悩を談じる


と『孔雀経』にあるので、
 
菩薩の威徳に頼り、それが慎みである

と古来考えられています。

仏の力と修行による功徳で善悪吉凶を越えようとするのが仏教ですから。


そして『大日経疏』には、

所謂良日晨といっぱ 意は菩提心嘉会の晨にあるなり

とある。

向上心と慈しみの心をもって、

心を観察しながら冷静に自他の悟りを目指す時が吉祥。





[ 2017/02/24 17:21 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心の眼を開く
隣町二宮の渡邊麹店で麹を買う。

ここは昔ながらの麹屋さんで、昨今は甘酒が良く売れるらしい。

お米とお豆を持ち込めば味噌も作ってくれる。塩も指定できる。

 
母がいろいろ準備して味噌を仕込み、

あまった大豆を、あまった練炭コンロの火で炊いて晩酌のつまみ。枝豆みたいでうまい。




それはさておき、

同級生がぬいぐるみをたくさん持って来て、

拝んでから処分してくれ、と言う。

心は本来不去不来であるけれど、去来の法を修す。


大切にしていたものはゴミに出しにくいですからね。

被災地のガレキもゴミではなく、そういう大切なものの塊です。


 
昨日は七七日の法事と位牌の開眼を頼まれました。

開眼供養は拝む人の心の眼を開くことです。

それは自分の外側ではなく内側を観ること。


『般若心経秘鍵』には

あらゆるものが尊い仏であるのに、

心の眼の暗い衆生は、その盲のためにそれを観ることができない

とあり、

「医王の目には途に触れてみな薬なり」

と云う。


人は誰でも、大切なものは丁寧に扱う。

大切な人には優しく心を込めて接する。

それは心のちょっとしたことで、

大切だと思うことは心の内側を調整すること。

それは心の眼が開くことになる。

大切にするものはよく知り、心を開く。

それが拝むということ。


大切に思うことはとても大切。







[ 2017/02/26 09:09 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]



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