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[ 2025/03/16 18:22 | ]
禅定と三昧
しいたけ出汁に、

しめじ、ちくわぶ、油揚げ、にんじんを煮込み、

うどんを加えて醤油で調え、

頃合いを見て、ゆでたホウレンソウとネギを載せ、

精進の鍋焼きうどん




それはさておき、

彼岸へ渡るカリキュラムには、

布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧

の六波羅蜜がありますが、

その中の禅定は、

心を集中して、安定させること。

毎日の生活で、心を平静に保つこと、

とされ、

英語では、

メディテーション(meditation)

と訳されます。瞑想ですね。


『密教辞典』には、

禅定(dhyāna)は予備修行であり、

三摩地は終局の境地

とあります。


三摩地(サマーディー:samādhi)は新訳で、

旧訳では三昧。

『密教辞典』では、

妄念を離れて、心を一箇所に集中して、動乱せず、寂静安和の状態

この三摩地に住して、三密の修法を行ずると、

煩悩を断ち切って本尊の内証の智慧を如実に体得することができる。


『日英佛教語辞典』には、

 a mental state of concentration and focusing of thought on one object.
The object of concentration can be a physical one a metaphysical principle or a transcendental existence.
 This exercise is usually practiced repeatedly for a long period of time until the practitioner against a concentration of thought in which he realizes some reality-principle or visualize a transcendental object.

とある。


『戒序』では、

五部三部の尊、森羅としてまどかに現じ、

刹塵海滴の仏、忽然として湧出せん。

この三昧に住するを秘密の三摩地となづく。


密教では、

生きる行為とは、自他を救うことであり

なぜ生きているかと云えば、道を求めるためであり、

そのためには、

絶対自由の心を体得する三昧(三摩地)の修行が必要

としています。

この心は本来具有しているのだけれど、

それが隠れているので、

三昧によって顕現させます。

具体的には『菩提心論』などに、

日月輪観、阿字観、三密行、五相成身観が説かれていますが、

禅定を続けて、三昧に至ります。



パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』では、


凝念
心を特定の場所に縛り付けること 

静慮
凝念の連続的な延長で、
同一の場所に対象とする想念が一筋にのびてゆくこと 

三昧
静慮が外見上、その思念する客体ばかりになり、自体を無くしてしまったようなとき


とあり、

定義を失し、言亡慮絶(『不動次第』)

延促を須ひずして唯円明のみになる(『無想観』)


のような、

直観(主客未分)、五官不要 な世界。


この状態(悟り)を証と云いますが、

田中先生の

『真言宗における証について』には、

凡人にとっては価値の無い醜や悪や賎や矛盾において、

ついでのように美、善、貴、調和を見る。

したがって、常に歓喜、浄福、自在、光明、経験の中に住するのが覚証である。


とあります。


証と未証を混同しないように、

注意深く勉強しながら行なうべきですが、

いづれにしても、

禅定は心を静め、

三昧は悟りを体験する

ということ。



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[ 2018/03/02 11:57 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
孔雀坐
我が家の近くにダチョウ園がある。

電車の窓からも見え、

ダチョウが走り回っている。


娘が通った幼稚園には孔雀が飼われていた。

広げた羽に出会うことは稀だった。


孔雀明王の図像仏像には、美しい作例が多い。

高野山の孔雀明王坐像 はこちら
http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/myo/kujaku.html 


インド初期密教のころ、

孔雀が猛毒の蛇を食うため、

一切諸毒を除く能力を神格化させたのが孔雀明王。

孔雀経法では、息災延命除難請雨の修法が行なわれる。


ところで、

クロロフィルが酸素の力を借りて、ヘモグロビンになる、

と食養では考えていますが、

それは陰性が陽性になるプロセス。

人間は陽性過多になりやすいけれど、

時には陰性過多で不調になることもある。

そういうときに、

孔雀坐は効果的。



 
山崎泰廣先生の『密教瞑想法』には

密教瞑想の準備体操として孔雀坐を取り上げ、

脾臓、肝臓肥大、糖尿、内臓下垂、便秘、胃炎、痔

に効果あり、

と書かれている。

これらは基本的に陰性症状が多い。

『金剛頂大瑜伽秘密義訣』には、

転法輪王はこれを以て坐とす

『青龍軌』には、

衆生の三毒を消して悪業を除くを本誓とする

とのこと。


『ハタ・ヨーガ・プラディービカー』には、

マユーラ(孔雀)・アーサナとして、 

脾臓肥大などの疾患のすべてを取り除き、

体質の異常から生じたもろもろの病気を治す

大食した粗悪な食物をことごとく灰と化し(消化し)
 
また、胃の火を起こして猛毒を中和することができる

とある。

動物性の毒は溶血性なので極陰性。

つまり、

陰性を消し、身体を陽性にする、ということ。

だから、

妊娠を望む女性には向かないかもしれない。



[ 2018/03/05 13:22 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
仲良し減税
ゴボウを多めの油で炒め、

豆腐、キノコ、その他野菜を加えてキムチで煮込む。



冬に溜まった陽性を消す春の料理。


それはさておき、

僕は住民票ではひとり世帯ですが、

住所が違う長男次男を扶養家族にしています。

で、

彼らのアルバイト料が、扶養控除の上限にかかるかどうかが、

今年の確定申告のトピックでした。


所得税の申告には、

基礎控除の他に、

雑損、医療費、 社会保険料控除、 生命保険料、地震保険料、

寄附金、 扶養控除、 配偶者などの控除がありますが、

今後は、

無病息災控除と仲良し減税の導入をお願いしたい。 

健康で元気なら税金が控除される、

みんなと仲良くしていれば減税される。


具体的なことは、まあいいとして、

逆に考えれば、

世間は病人と争いをしたい人が少なくないから、

税収は増えるかもしれない。


とにかく、

ニコニコして腹を立てなければ減税。


家族友人に限らず、

国家間、企業と政府、地域と行政、学校と家庭、

など、あらゆるもに適応していただきたい。 






[ 2018/03/07 09:00 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
思い立つ一念
レンコンすりおろしをグルテン粉でまとめて焼く。

野菜のみじん切りを塩もみし、

これもグルテン粉でまとめて焼こうと思ったけれど、

トロロと和えてつけ合わせにした。



野菜をたくさん食べる料理のひとつ。


それはさておき、

学生時代、

いつ、どの授業だったか忘れたけれど、

こんな講義があった。


ソクラテスには常に相談できる神がいて、

神とともに生きてきたのだけれど、

死刑が近づいたとき、

その最後の際には、神は何も答えなかった、

と云う。

そして、

ソクラテスはそれを受け入れた。


自分と神、それは別な存在だったけれど、

向かう側にある神が、最後には自分の中にいることが分かった、

ということだろうか。

『秘鍵』の

「仏法はるかにあらず、心中にしてすなわち近し

真如外にあらず、身を棄てていずくんか求めん

迷悟われに在れば、発心すればすなわち到る

明暗他にあらざれば、信修すればたちまちに証す」

(仏の教えは遥か遠くにあるのではなく、
わが心の中にあり、極めて近いのである。
悟りは自らの外にあるのではない。
わが身を捨てて、どこにそれを求めるのか。
迷いといい、悟りといっても、
我が心のいかんによることであるから、
思い立つ一念のうちに、直ちに悟りの境地に到達することができる
悟りの光明も、迷いの暗闇も、
自らの他にあるのではないから、
自らが教えを信じ、修行すれば、忽ちに証ることができる))

と同じだろうか。 


僕は最近、

あることにピンときて、

生活スタイルを変えました。

長年無意識に続けてきたことを、

そうだ、変えよう

と思った瞬間、

目の前が明るくなり、背負っていた荷物が軽くなる、

ということがあります。

 
_________________________

姓名学(画数)や望診法(手相人相)のご相談は、

メールでも結構です。望診は写真を添付してください。

食養相談は、

メールでは分かりにくいので、電話してください。

密教ヨーガ、密教瞑想修行は、

日時を問い合わせの上、予約してください。一緒に実習しましょう。

メール:gbqmk185@ybb.ne.jp



[ 2018/03/08 09:14 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
親の想い
9日は高野山へ上り、雪でした。

今日の当地はウグイスがないています。

これから、息子ふたりと東松島へ。

暖かそうでありがたい。7年前は寒かった。



親が子のために、

と考え行動するのは、

愛情や優しさ以前に、

子孫を残す、種を保存する、生き延びる、という、

生き物としての本能があります。

恋愛も同じかもしれない


わが子のことを考えて、

日常の食べ物や生活スタイル、

受験や就職、

災害や事故時の対応

など

親は何かをします。

そして、

その言動の後、親は後悔することが少なくない。


健康のために、

将来のために、

といろいろ考えたのだけれど、

それは子のためではなく、親自身のためだったかもしれない。

もっと違う方法があったかもしれない。

果たしてこれで良かったのだろうか、

と親はいつも思い悩む。

そういうものです。


でも、

そのように自己反省することは大切です。

反省すれば改善できるから。


もし、

失敗や混乱があったとしても、

それらを含めて今の自分がある。

そして、

その経験は、同じような立場の人に寄り添い、優しさと思いやりを持つきっかけになるでしょう。




僕らの業界には、加持祈祷というものがあります。

本来は

仏と我が一体になること、

仏の慈悲を私の信心が受けとめること。


多くの場合、

病気や貧乏や不幸不満がある時にお加持をし、祈祷します。


例えば、
 
誰かが病気になり、医者からはあと一年の寿命と云われる。

加持祈祷をしても、

やはり一年しか生きられないかもしれない。

でも、

大丈夫だよ、毎日拝んでいるから安心してね、

と、希望を持ちながら生きるのと、

何も無く暗くじめじめしながら生きるのでは、

同じ一年でも、人生の値打ちが違う。


同じように、

親が子のためにと考えて行動したことは、

何もしなかったよりも、人生の価値が違う。




[ 2018/03/12 09:08 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
続ける祈願
東松島市は快晴。

今日は暖かいようです。

これから、東名、野蒜、宮戸へお参り。

復興工事の安全祈願もあるようです。


お寺や神社にお参りして、

ほんの数分間拝むだけでも、何かしらの御利益はあるのかもしれないけれど、

多くはちょっと気分転換になるだけで、

また、普段どおり煩悩の生活に戻りがちです。

でも、

いつもいつも拝む、

毎日拝む、

拝む続ける、

すると、いろいろ変化があります。

一度の勉強や練習では、

ひとつの体験になるだけですが、

毎日続ければ合格や勝利などの好ましい結果が現れる。

祈りは心のトレーニングですから、
 
毎日続ければ心が純化して調う。

 
心はシングルタスクですから、

続ければ心はそちらへ向きっぱなしになります。


すると、

目的に障碍があるものから自然に離れ、

役立つものには自然と近づく。

例えば、

無駄遣いをしなくなり、
 
お金を増やすアイデアが生まれ行動する。


休みなく続けることで、

成就する可能性は高くなります。





[ 2018/03/13 08:07 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
本来の意味と正しく唱えること
高野山の麓、九度山の慈尊院は,

国宝弥勒菩薩がおわす美しい寺で、お大師さんのお母様と縁が深い。


お母様は、

お大師さんがいる高野山へお参りしたかったけれで、当時は女人禁制。

だから、麓の慈尊院で暮らした。

そして、

お大師さんは、

ひと月に9度も、母を訪ねたので「九度山」という地名になった、とのこと。


月に九度とは、三日に一度ですから、そんなことはあり得ないし、

そもそも、

修禅の行者が母親に会いに行く、というのも心理的に考えにくい。


日野西先生は、

慈尊院へ、お大師さんのお母さんは来ていない

とはっきり書かれています。
https://books.google.co.jp/books?id=r40lDwAAQBAJ&pg=PT27&lpg=PT27&dq=%E6%97%A5%E9%87%8E%E8%A5%BF%E3%80%80%E6%85%88%E5%B0%8A%E9%99%A2&source=bl&ots=_Sxe51E2T0&sig=iPa4XvTAC4Q9F5MCKv1YtOLxx2w&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwie_5GJgeDZAhULwrwKHZZVABQQ6AEIMDAB#v=onepage&q=%E6%97%A5%E9%87%8E%E8%A5%BF%E3%80%80%E6%85%88%E5%B0%8A%E9%99%A2&f=false



伝説や神話は 、

教理を象徴的に表したものですから、
 
信仰の内容が事実と違うのはよくあることです。


また、

永く伝わる間に、事実が変わってしまうことがよくあります。

例えば、僕らが唱える真言や梵字。


真言や梵字は書いたり見たりするのではなく、

観想するためのものです。

だから、

その姿と音が象徴する意義を正確に知らなければ意味がない。

 仏像仏画も同じ。


『梵習字鑒』に、
アヴィーラ(a vīra)がアヴィラ(a vira)になっていることが書かれているけれど、

前者は勇者・如来ので、後者では意味がない。

読み癖があるのはしょうがないけれど、

本来の意味と読みかたを知らないのなら、それを唱える必要は無い。


『吽字義』には、

あらゆる存在の深遠なる名称の特徴や真実の言葉や悟りの言葉を理解しなければ、

その者のあらゆることばや思惟や修行などは、

いづれも誤ったものであり、無意味な虚構の存在である。

なぜならば、彼は、究極の真理を知らないからである。


とある。


これは信仰に限らず、

普段の言葉にも云えることです。





[ 2018/03/15 09:41 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
道草 高野山編
高野山の見所といえば、

郵便差出箱1号、通称丸ポストですね。


分かりやすい所に三ヶ所あります。

高野山の地理的な中心、千手院橋交叉点の東、高野郵便局前。



西隣の珠数屋四郎兵衛で、水晶の数珠を買う。

さらに西へ歩き、

途中の田原屋で下駄を、

勝間屋で豆腐の粉を買う。

そして、

金剛峰寺正面左側の鐘楼「六時の鐘」の下。




西に進んで蛇腹道を通れば大伽藍。

姿がなんとも美しい御影堂



旧正御影供(きゅうしょうみえく:お大師さん御入定の日の法会)が行なわれる

旧暦3月21日(今年は5月6日)の前の晩、

開扉され内拝できます。



金剛峰寺の北側、南院の向かい。


南院の波切不動は、毎年6月8日に御開帳。


さて、

千手院橋から東へ歩いて奥の院までは約3キロ。

途中の「かさ國」で、焼き餅と桜餅を店内の席で食べる。


一の橋からは奥の院参道、美しく清浄で荘厳な道。

参道の中ほど、中の橋近くにあるのが覚鑁上人縁の密厳堂。



ここで覚鑁さんはお不動さんになったのだろうか。


奥の院御廟前に着き、

石畳に三礼して拝む。

ここは日本の総菩提所。


現世で悟ってから涅槃に行くのが密教の思想、

ここはそれを感じる所。




 


[ 2018/03/16 16:23 | Comments(0) | 道草 ]
これから
3月12日、

息子ふたりと車で出発。

ここ数年、恒例になったドライブだけれど、今年から運転手が3人なので楽。

東北道、仙台南部道路、東部道路を経由し、

仙台港で降りて国道45号を北上。

矢本のホテルに投宿。夜は地元のちゃんこ鍋屋へ。


翌朝、

仙石線野蒜駅で永良尼を向かえ、

東松島市宮戸の潜ヶ浦(かつぎがうら)へ。

途中の野蒜海岸は防潮堤の工事が続いているけれど、

7年前と変わらない風景。

いつまで工事が続き、

それから先はどうなるのだろうか。

住めない地域、戻らない若者。


茗荷という名の地区で唯一残ったキジマさん宅へ。

津波で木が倒れ、

飛んでくる鳥の種類が変わった。

津波で海が攪拌されたから、栄養がよくなり、魚の様子も変わった。

今はちょうど、ワカメの旬。

このあたりは上等な海苔の産地だけれど、

ワカメもうまい。

春先は養殖の旬で、

天然ワカメの旬は6月、

ということを初めて知った。


松が植林されている。県の方針らしいけれど、

人がもどらない地域で、

この先の管理はどうするのだろうか。


宮戸は民宿も多い観光地で、

最近は合宿や臨海学校の生徒も来るようになっているよう。

ここはキジマさんはじめ、島の人が草刈や道普請をしているから、

また津波があっても避難路が整備され、確保されている。

でも、

人がいない地域は、

そうではない。



近くの橋と道路改修工事を担当する人たちと、

物故者供養・安全祈願をしてから出発。

鳴瀬川河口の長音寺、

野蒜小学校跡

東名地区慰霊碑で拝む。


以前は町があった場所も、ただ広くて何もない。

こういう場所が多く、重機とトラックが走り、埃っぽいのは7年前と変わらない。



これからどうする、どうなるのだろうか。


永良尼と分かれ、

仙台市荒浜の供養碑前で拝んでから、

福島・郡山へ。

夜は「奈良木」で食事。

ここは日本でいちばんうまい。



矢本のホテルで朝食をとっている時に、

NHKニュースで流れていたのが、

「震災、直接の記憶ない子の心にも影響 被災地で調査」

https://www.asahi.com/articles/ASL2N3CGQL2NUNHB001.html 


こういうことは慎重に事実を見極めることが大切である。


子どもの様子がおかしい

大人がそう感じている

というのが問題点ですね。 


本当にそうだろうか、

事実ではなく単なる意見かもしれない

そう思い込んでいる

色眼鏡で見ているのかもしれない

いつの時代でもいろいろな子がいて、

それぞれに特徴がある。

 
でも、何かあれば、

あの子は○○だから 

とレッテルを張る傾向はいつの時代でもあります。 


そもそも、それは問題のあることなのだろうか。


幼子を背負いながら、

僕ら福島を大きな声で罵倒していた親の家庭では、

東北でなくても何か影響があるかもしれない。

そんなことは無いかもしれない。

どうなのだろうか。





[ 2018/03/17 14:09 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
バラの包装紙
花遍路の季節になりましたね。

春は楽しい気分になります。


四国八十八か所霊場は、

阿波徳島が発心の道場

土佐は修行、伊予は菩提、讃岐は涅槃

の道場とされています。


この、

発心、修行、菩提、涅槃は、

五転とか五明と云われる、

真言の修行によって菩提心が次第に向上していゆく順位のこと。


発心は、

僕らが先天的に持っている悟りの心と、
 
後天的に本来の心を覚醒して起こす悟りに向かう心

発心すれば、

鏡のようにありのあままに映し出す智慧が得られる。


修行は、

上記後天的な悟りを求める心によって、修行すること

修行すれば、

総てを隔てなく平等に見ることができる。


菩提は、

修行によって得た智慧(本質を見極める直観)を得ること。つまり、悟り、成仏


涅槃は、

慈悲に包まれ、心やモノの本源を知ること。これによって、苦は消え、心は安らかになる。

そして、

方便究竟、何を言っても行っても、他を救い助けるようになります。


大切なのは、

まず悟ってから(成仏してから)慈悲に包まれ他を救うようになれる、

ということ。

そのためには、

心やモノの本源を知る

ということ。



僕らは、食べたり飲んだりする時、
 
辛酸甘鹹苦の五味を味わいます。

そのどの味の中にも、

必ず含まれている淡味と後味がある。

ご飯にも味噌汁にも漬物にも、

カレーにもラーメンにもハンバーグにも含まれている味。

そこから始まる、根源的な味。


僕らは、

白い画用紙にいろいろな絵を好きなように描くことができます。

鮮やかな色彩や淡い陰影、パステルトーンや原色が強調されたもの。

その画用紙に描く色の基本には、

もともとの白がある。


世の中には、

様々な音があり声があります。

そのすべての音には必ず「ア」という音が含まれている。

カ、サ、タ、ナ、ハ、マ、ヤ、ラ、ワはもちろん、

イもウもエもオも、

アから変化したものです。

アが根源的な音。


そのように、

すべての存在、心の発生には、

必ず含まれている基本があります。

それを知るのがさとり であり、

それは自らを知ることになります。


それはどういうものか。

バラの包み紙をみれば、

それが高島屋であると、一瞬で分かるようなもの、

と、先日師僧から教わりました。




[ 2018/03/19 12:32 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
横浜は危険である
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[ 2018/03/20 17:58 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
陰陽検定問題Ⅱ
陰陽で考えてみましょう。


1、お風呂で長湯できない、

または、

湯船に浸からずシャワーで済ます生活で、

特に女性にとって問題になるのはどういうことか。



2、セックスをすると、相手のことを理解する能力が欠けるのはなぜか。



3、ハグをするなど、

他人に触れることに抵抗が無いのは、心理的にどのようなことが考えられるか。




[ 2018/03/20 18:07 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
死の事実
田舎で、昔の風習が比較的残っている地域の葬儀が続きました。

都会のそれよりは、時間も手間もかけますが、

それでも、ずいぶんと簡略化しています。

僕が、

それは省略しましょう、

と促すこともあった。

お金と時間の関係で。


でも、

葬儀は簡略化しても、悲しみは簡略化できない。


死は事実です。

でも、

死んだらどうなるのか、

はいろいろな意見があるけれど、どれも事実ではない。

故人が火葬されて骨になるのは、事実だけれど、

故人は骨になった、という事実だけでは済まない心がある。

葬儀の簡略化は、

生と死のイメージが希薄になることにつながり、

悲しみや喪失感という、

正常な反応に向き合うきっかけが減ってしまうかもしれない。


仏性を持ったまま亡くなった人は、

成仏の可能性を残しています。

故人の成仏を願うということは、

残された人が感謝し、反省し、仲良く健康で生きること。

子がそうなることを親が喜ぶのと同じです。

葬儀は、

公に悲歎してかまわない場所ですが、

悲しみが故人の成仏を願い、自分がよりよく生きることに気がつく機会でもある。


故人が自分のことをどう思っていたかは、

残された人の気になることですが、

それを確認できるのも葬儀や法事です。

それは、

死を受け入れるということ。

墓や仏壇ではなく、

心の中にいる、

と分かること。

そして、

故人と自分は、生前とは違う新しい関係になり、

死によって、生者は成長します。




[ 2018/03/21 08:24 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
足を柔らかくすると、身体が楽になる
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[ 2018/03/23 09:18 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
出会うこと
ヘビースモーカーだったJ氏は、

外出のたびに

タバコの火をちゃんと消しただろうか

と気になって、家に戻って確認するということが続き、

それが面倒くさく、バカバカしくなってタバコをやめた。


僕は

ウンコをした後に外出すると、

あれ?

ちゃんと流しただろうか

と気になってしまう。

タバコと違って火事の心配は無いけれど、

ウンコをやめるわけにはいかない。

家人は何も言わないから、

ちゃんと流しているのだろうけれど、

もしかしたら、

まったく、しょうがないわねえ

と始末してくれているのかもしれない。

問題なのは、縁者のお宅でウンコをしたときで、

お暇した後、
 
ちゃんと流しただろうか、

と気になる。

戻って確認するわけにもいかず、

電話やメールで、

ウンコ、流したでしょうか

とも聞けないから困る。



それはさておき、

卒業式入学式の季節ですね。

こういう儀式は、

人生の節目になり、
 
社会的な立場を示し、

けじめになる。

学生の本文は勉強ですが、

入学式卒業式などの儀式も必要。

これをきちんとしなければ恥ずかしいし、

普段の勉強・生活ができていなければ、

儀式もまともにできない。

そこでは、

いつもの勉強不足・実習不足が露呈します。

これは、学校に限らない。



立場役割が新しくなれば、

新しい出会いが期待できます。

『性霊集』 第二 に、

 「悟りを得るのは難しいことではない、 この教え に遇うことが容易ではないのだ」

とある。

じっとしていても何かに出会いますが、

出発し歩き始めれば、その機会は格段に増える。

出会いは、

発心の機会になり、

優しさと思いやりの基礎につながり、

それまでの知識が智慧に変わり、

修行精進トレーニングの支えになります。

いづれにしても、

輝く未来が始まる。



[ 2018/03/23 10:28 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
メタ神経

陰陽研究塾の記事 73  



●メタ神経


飲酒、砂糖、薬物などの陰性なもの、

入浴や性交などの陽性を消すものの、

神経系に対する影響

https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/xFY9CRs-1ik




 

[ 2018/03/23 13:15 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
占い、医療、先祖供養
占い依存症というのがあるようですね。

そして、

占いサイトを利用し続けるうちに料金が高額になってしまう。

占いそのものよりも、

誰かに話したい、聞いて欲しい、

なんていうことが目的なのかもしれないけれど、

占うほうは、もうちょっと的確に「一度で」アドバイズすればいいのに。

これは 、

病気を一回で治さない医者(病気を作る医者)

何回も法事などの供養をさせる坊主(供養しなくちゃいけない理由を作る坊主)

と同じ構造なのでしょうね。

商売としてはお上手。



良心的な占いは統計学でしょうから、それなりにおもしろいですが、

守護霊とか先祖の何とか、前世とか来世なんていうのは妄想、お遊びの世界。

そんなものあるわけない。


人生では、

努力工夫精進すれば、それに応じた結果が現れますが、

そうしない人はそれまでのこと。


望診法は占いではありませんが、

手相や人相を診ます。そこに内臓の様子が現れるから。

例えば肝臓にストレスがあると(これは眼、頬骨、足の親指などで観る)
 
忍耐力が低下するから、人間関係に影響がでる。

ならば肝臓を改善する食べ物や生活をすればよろしい。

また、

手相の線が短い、 短命、早漏など、

早い短いのは陽性。

改善したければ陰性なものを摂ればいい。

そのあたりの実践、努力工夫精進をするかしないかの問題だけ。


心の問題は宗教が得意としますが、

仏教では、

心のレベルに応じて修行カリキュラムがありますから、

それに応じて勉強実践すればいい。

悩み苦しみの原因は外にではなく、内側にあり、

修行とは自心の内を観るものです。


姓名判断もそれなりの意味があり、面白いものですが、

最初からそれに頼るのはおもしろくない。

いろいろ考えて、

例えば、三つのうちから一つを選ばなければ、

というときに姓名判断(占い)を利用すればおもしろい。



僕は事情があって、

毎日これが最後だと思って暮らしています。

最後だから最高に楽しくしたい、
 
一番良いものにしたい。

怒るより笑ったほうがいいし、やらないよりやるほうがいい。
 
もったいないからね。


こういう思考では、

もっとも適したものを常に自分で探すために工夫するから、

占いはあまり役に立たない。


[ 2018/03/24 11:02 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
残り油
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[ 2018/03/24 11:41 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
入浴時間考

陰陽研究塾の記事 74     



●入浴時間考:不妊の一原因

https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/bkpimntM4gk







[ 2018/03/24 17:04 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
心のコントロール

陰陽研究塾の記事 75   



●心のコントロール

ハグをする心情分析
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/xELSt4mugOs








 


[ 2018/03/25 11:20 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
ライスカレー
カレーには思い出がたくさんある。

小学校の林間学校で、火を焚いて作ったカレーは塩辛かった。

インドに行ったときは、
 
毎日毎食カレー味なので、

カレー以外なら何でもいいと探したけれど、見つからなかった。

高野山加行道場でうまかったのは、

こんにゃくと油揚げのカレー。 


お店では、

成城にあった「マ・メゾン」の黒いご隠居カレー

新潟・万代バスターミナルの黄色いカレー


ここ数年は

妻の誕生日に、家族でカレーを食べてから寄席に行っている。


先日、

GABANのカレー粉セットを使ってみた。

スパイスは20種類。

カエンペッパー以外の19種類を、

多めの油で炒め、冷めてからガラス瓶にいれて、冷蔵庫で寝かせる。


ショウガ、玉ねぎを炒め、

トマトピューレ、その他台所にあった残り物を加え、

カレー粉を足して炒める。

昆布しいたけ出汁と、

ジャガイモ、人参、厚揚げ、しめじ、りんごを加えて煮込む。



カエンペッパーで辛味を調節。


ライスカレーは構造的に、味噌汁かけご飯と同じである。

丁寧に引いた出汁、豆腐、わかめ、なめこ、さといも、油揚げ、上等な味噌の汁をかける。

炊きたてでも、冷めたご飯でもうまい。
 

汁気がある料理は比較的陰性で、

ここに野菜の陰性、時間の陽性が加わる。

スパイスは漢方薬で、 

ターメリックは鬱金

クローブは丁子

フェンネルは茴香

シナモン桂皮、ナツメグはニクヅク、カルダモンはショウヅク、オレンジ・ピール陳皮、

クミン馬芹、キャラウェイ姫茴香など。


これらは、

苦味の陽性

辛味の陰性

芳香の陰性

があり、精進なら陽性をよく溶かす。



カレーは熱すぎないほうがいい。インドのように、手で食べられるくらいがいい 。

カレーは誰かと食べたほうがうまい。それが薬味になる。
 
おいしいね、

と言えば、心安らかになる。



鍋にカレーが少し残ったら、

昆布出汁とネギをたっぷり足して火にかける。

コショウ、醤油、味噌で調えてスープにすれば、

そのままでも、うどんに仕立ててもうまい。

陰性なカレーに、陽性な味噌(特に古いもの)が合う。



[ 2018/03/25 11:52 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
マネしてみる
すっかり暖かくなって、豆腐がうまい。



豆腐は緑の野菜と同じで、

その日のうちに食べるのがうまい。


それはさておき、

尊敬する人

憧れる人

あの人のようになりたい

目指すもの、求めるものがそこにある。


そんな時は、


その人と同じものを食べていれば、同じ身体になり、同じ血が脳に流れるかもしれない。

その他の生活習慣も真似してみる。

その人と同じ本を読み、

同じ思考を学び、同じトレーニングをする。

そうして、少し近づく。

似たものは同じもの、と思っても間違いではない。

そして、

その人の本誓を自分のものとする。


迷う凡人が悟る聖者に憧れて真似をする。

外から心中に、聖者を迎えているうちに、

それは心の中に、

迎えに行かなくても在るようになる。

円融相応瑜伽する。

おそらく、

本来あるものが、あるべきものとして体現する。

もし、そうなれば、

日常の行動も言葉も思惟も、

自他の役に立つ有意義なものになる。

拝む、とはそういうことなのだけれど、

どんなことでも同じだろうな。






[ 2018/03/26 16:31 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
見上げると
フロントガラスにヒビが入り、29日に修理を依頼。

通夜葬儀の予定が入り、

27日28日と長野まで往復700キロ近くを走る。

ガラスのヒビは、

振動や風圧で伸びるらしい。

どれくらい成長するのだろうか、

ヒビの先端に印をつけて出発する。


北関東道から上信越道を佐久南で降り、

浅間山を背中に旧中仙道を走る。

望月、笠取峠、和田峠と、美しい山と森を見ながら岡谷まで。

そこから、中央道に載って飯田で降りる。

桜はまだ咲いていない。

立石寺周辺は梅が満開、コブシも咲いている。

ヒビはほとんど成長していない。

翌日、

宗家に伺うと、早生の桜が三分咲き。


桜が咲くと、花を見上げる。空も見える。

花は微笑みを誘い、

微笑みは怒りを消して、耐え忍ぶ心を鍛える。

空は、

仕切りが無く、

どこまでも拡がり、

境目が無く大きい。

分別を離れ、

何にも染まらず、何にもこだわらない。

その中にすべてが包まれている。

心と同じ。

見上げれば、

本来のありようが見つかる。


葬儀が済み、

帰りは中央道から圏央道、国道4号線を走って帰宅。

我がヒビは、5ミリほど成長していた。

よしよし、良い子だ、

と撫でたくなる。


翌日、

近くへ出かけたら桜が満開。

見上げた空も広く青かった。


[ 2018/03/30 06:51 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
あの年のツクシ
昨日は埼玉草加、谷塚斎場で一日葬。

お通夜を拝まない、この形が最近は多い。

火葬場での葬儀は、出棺移動の時間が不要で、

余裕をもって行なえます。純粋な葬儀で、告別式は無い。


飯田立石では、

昔ながらの葬送が行なわれます。

お通夜は身内親族のみ(それでも親戚が多いから結構な人数になる)で納棺して読経。

翌日は出棺して火葬

収骨後、

斎場で告別式(縁者が焼香に来てごあいさつする告別式で、坊さんは不在)

その後に葬儀、

これは宗教儀式で、僕らが拝む。

葬儀と告別式が分かれている。


で、

出棺の後、葬儀までの間、寺で行法。

時間があるので、境内でツクシを摘む。


昔はいつも何かを摘んでいた。

セリ、ヨモギ、ツクシ、ノカンゾウ、クキタチ、桑の実、・・・。

春は苦味、夏は酸味、秋は辛味。

土と草の中に坐り、

地球の匂いをかぎながら摘む。

大地はすべてのよりどころ。

それは、

一切智々、浄菩提心、自性清浄心、大日如来の象徴。

そこからすべてが始まるから。

そこに総てが含まれているから。


2011年の春、我家は福島県郡山市にあった。

震災原発事故のあと、

学校は閉鎖、自宅待機がつづいていたので、子どもらは毎日遊んでいた。

ある日、

彼らがビニール袋にいっぱいツクシを摘んできた。


あの年は、青梅もだいぶ安かったので、

いつもより多い30キロを漬けた。

それを去年開封して、今は6年物の梅干を食べている。


あのツクシは食べないまま、畑に返した。

いつもと同じではなかった。



ハカマを脱がせ、ごま油で炒めて醤油で煮締める。

青味はノカンゾウ



高野豆腐粉でとじる。

僕はこれがとても好き。




[ 2018/03/31 05:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]



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