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トイレに坐って考える。
朝起きてトイレに入ります。

夜の間に自律神経や内臓が働いて、

消化吸収解毒などを経て、うんこが作られます。

僕はそれを命じた覚えもない無意識。

勝手に仕事をしてくれる身体はスゴイものです。

 
その後、朝ごはんで味噌汁を飲みます。

そうするとお腹が温まり腸が動き出し、また、うんこが出ます。

この場合、僕が味噌汁を飲む行動が引き金になっているので、

まったく無意識にうんこが出るわけではないかもしれない。

でも、

内臓や神経の動きは僕が完全にコントロールしているわけでもない。

便意は僕の意志ではない。

それでも、うんこは出る。

 
ところで、

悟りとか仏性とか如来蔵とか真如とは、

名前が違うだけでほぼ同じものですが、

それは全ての人に、

関心の無い人にも備わっている、

と仏教で考えています。 

それらは心の中にあります。

でも、なかなか出てこない、まるで便秘のような状態です。

でも、

ちょっとしたきっかけで現れます。

危機が迫ったときに、自分を省みず誰かを助けるように。

無意識といってよいでしょう。


そして、

努力精進工夫すれば、

冷たい氷が溶けるように、

暗闇が消えて明るくなるように、

つぼみが開いて花咲くように、

それが湧き出るようになるでしょう。


とにかく 、

本来あるものが出る、現れる、

ということが無意識にもあり、

意識的に出すこともできる、

ということかな。




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[ 2019/10/08 07:59 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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