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[ 2024/04/27 14:30 | ]
行法日誌・食と心の関係 1
・カテゴリ「行法日誌」は、行法の意義と、食と祈り(心と身体の動き)の実体験を書いています。

・カテゴリ「仏教医学研究」は、個別の行為・作法・環境が、身体と心にどのように作用するか、を書いています。


行法日誌
 
 行者は古来、修行中は他の招待を受けず、酒、塩の入ったものを食べず、悪い香りのするものを食べず、信心堅固にして沐浴し持斎生活し、妄語疑惑睡眠を少なくし、厳重には女人の調えたものを食べず、寝る時は帯を解かず云々・・というようなことを言われています。
 
 仏教は修行の宗教であり、瞑想修行という体験を通してさとりを得られるとしています。仏者はイコール行者です。
 
 弘法大師は「自受法楽をもって修行とし・・」と言われ、修行というものは苦しみではなく、仏と会い、仏と一つになる楽しみ、喜びである、ということです。苦行を経なければ悟れない、などとは言っていません。

 平成二年、高野山でのカリキュラムが一段落して、、結婚の話が出てきました。。その時、恩師に相談しました。
 
 私は行者でありたい、お大師さんのようになりたい、結婚したらそれはできない夢なのでしょうか。
 
 恩師は言いました。
 
 山で一人で拝んでくらすことは貴重なことである。仏と二人、ずっと拝んで修行生活ができるなら素晴らしい。でもそれはとても安楽で易しい修行である。
 
 町で暮らし女房家族を持って、それでも修行生活をするとすれば、それはそれは重い荷物を持ちながらの大変な苦行である。あえてその苦行を選ぶということは尊いことである。
 
 それに、扉を閉めて仏と二人っきりになる部屋があれば、お山でなくともそこが聖地である。
 
 
 お大師さんはじめ数多の先人聖者が修行しています。私などの行は取るに足らないものですが、私は特別な環境で特別に修行するのではなく、毎日のふつうの生活で修行したい、それは可能なのが仏教であると思っています。
 
 真言宗の二大法とも言われる虚空蔵菩薩求聞持法と不動明王八千枚護摩供は、時間と決心のいる行法ですが、決して晴れの行ではなく、自分のためにこっそりと修法するものです。その内容や結果を報告するのはあまり感心なことではないかもしれません。
 
 私がこの行法を修したいと思ったのはお大師さんが修法したから、恩師が修法していたからです。お大師さんのようになりたい、恩師に少しでも近づきたい、そういう重いが強くあって、修法しました。
 
師は自分で選ぶものです。そして師はもっとも大切なものです。

 私は栃木の農村で育ち、高校卒業後東京の大学に進みました。父親はサラリーマン、母は専業主婦、現在地元で教員をしている妹が一人います。
 
 昭和六十年三月、東京の私立大学の経済学部を卒業して就職し、コンピュータ会社のシステムエンジニアになりました。
 
 景気の良い時代でしたから残業も時間外手当も多く、独立して会社を起す同期生も少なくありませんでした。
 
 私も何かを求めていました。会社にも仕事にも不満はありませんでしたが、何か自分にしかできないことをやりたい、自分がいなくても会社は動くでしょうし、自分の代わりに仕事ができる人は大勢います。自分が何者であるか知りたい、何のためにに生きているか知りたい、自分が自分である理由を知りたい。
 
 その当時、一人暮らしをしていたアパートの近くに小さな料理屋さんがありました。ママと娘さんが二人で切り盛りしています。仕事帰りに一杯飲みながら、カウンター越しにママと話しました。
 
 僕は何者だろう。それを知るために坊さんになろうかしら。仏教には僕の疑問を鮮やかに解決してくれる何かがあるかもしれない。
 
 毎日そんな話をしていたら、ママが知り合いの住職を紹介してくれました。そのまた紹介で高野山へ。高野山内にある百数か寺の一つ寺の住職の弟子にしていただきました。
 
 僧侶の世界は師弟関係の世界です。弟子にしてもらって初めて勉強や修行ができます。
 
退社、引っ越しなどの用事を済ませて高野山大学の三回生に編入し、そこで田中千秋僧正に出会いました。
それまで、尊敬される人というのはアグレッシブで言葉がうまく、いつも場を盛り上げるような人である、と思っていました。田中先生はその時七十歳を過ぎており、体も小さく、目や耳が不自由で、小さな声で話をする人でした。教室の一番前に坐って耳を澄ませていないと何を言っているのか聞こえない。
 
私にとって先生の口から出る言葉は一つひとつが珠玉のようでした。一言も聞き逃したくなかった。拙著『子どもたちの子どもたちの子どもたちへ』に先生からいただいた言葉を書いてあります。
 
田中先生と私は、大学の演習・ゼミの指導教授と生徒の関係ですが、私にとって師僧とともに密教の心を教えていただいた恩師です。
 
 
二年後、高野山を下り、東京の寺に勤めました。
 
東京の寺は葬儀法事が多く収入も多かったのですが、果たしてこれで良いのだろうか。こういうことをするために僧になったのでは無いのに、と感じていました。もちろん、葬儀法事も大切なものですし、それはそれで貴重な布教の機会にもなります。
 
毎日を拝んで暮らしたい、拝むことより優先させることの無い生活にしたい、そう考えて寺を止め、埼玉県の田舎に越して、毎日行法をして、畑を作り、田舎暮らしを始めました。
子どもが生まれ、元気に育ちましたが、そろそろ幼稚園、という時期になり、それなりの収入が必要になってきました。
私は精進の生活で精進料理しか作れませんが、精進料理を作れる僧侶というのはそれほど多くないようです。
精進料理は野菜料理と違って、精進の生活をしていないと作れません。修行のための料理です。
あるご縁で、特別養護老人ホームの調理主任になりました。お年寄りに精進料理の給食を出す、という施設です。
しばらく勤務してから独立。借家住まいをし、自宅の一部をお堂として本尊をまつり、毎日行法を修す。自宅や出張して精進料理の講師をする、という生活になりました。法人としての寺は無い。ごく稀に、仲間の寺の手伝いをすることも、縁者の葬儀法事もすることもあります。
 
朝は寅刻念誦と言って、午前3時から5時の間に拝むのが作法です。拝む前には沐浴(水浴び)をします。朝が早いので夜は早く休みます。仏教の行はお釈迦さんが菩提樹の下で悟りを開いたような瞑想行です。身体を調え、呼吸を調え、心を調えます。密教では手に印を結び仏と同じ身体を現し、口に真言を唱えて仏の言葉とし、心に聖なる世界を瞑想して仏の心とひとつになります。
 
身体の具合が悪くても、朝起きてただ目が覚めればいいというものではありません。寝不足でもとにかく起きればいいというものでもありません。

 目が覚めて、拝む時には最高のコンディッションにしなくては瞑想行になりません。スポーツ選手が試合には絶好調の体調で臨みたいのと同じです。だから、夜遊び夜更かしはせず、食べ物を正しくします。無秩序に食べながら拝むことはできせん。体調が悪ければ呼吸も心も調いませんし、食べたものが血になって脳へ流れてモノを考えますから、食べ物の質によって脳がかわります。瞑想や祈りに適した脳、食べ物というものがあります。砂糖で薄くなった血や、血のしたたるステーキでコレステロールたっぷりのどろどろと流れにくい血は不向きです。
 
特別なことはなく、ただ毎日淡々と繰り返すだけです。これを行と言います。
 
そういう毎日の行法のほかに期間を決めて、まったく日常から離れて拝む行法があります。これは、それを修している間だけ意味があります。
 
真言密教にはいろいろな行法がありますが、中でも規模の大きなものが虚空蔵菩薩求聞持法と不動明王八千枚護摩です。
 
私は寺に住んでいないことを、経を唱えていただく布施が生活の主たる手段でないことを、とてもありがたいことと思っています。お釈迦さんの仏教には寺も葬儀も戒名料もありませんから。
 
料理は口で味わいますが、目で見て鼻で香り、と他の感覚も使います。きれいな景色や美しい絵画を見て心が感動するように、良い音楽で心が落ち着くように、味覚も同じです。うるさい音、臭いにおい、汚い景色で脳が刺激を受けるより、良い音や香りや味で脳は育ちます。食べ物は体や血を作りますから、病気も作ります。

 だから、食事を丁寧にすることにより、心身のトラブルを解決することができます。祈りと戒律による効果は大きいですが、食べ物の効果もとても大きいです。お釈迦さんの仏教も、祈りと生活法で人々を癒したはずです。そのためには自分も祈りや正しい生活を実践して、健やかで幸せな家庭を持っていなければウソつきかもしれません。
 
夜明け前に起きてトイレ、沐浴を済ませて朝ごはんと弁当の米を洗い、本尊の前で拝んで台所で料理修行。日中はやるべきことをただやる。
 
そんな生活が心を見つける方法だと思います。
 
そして時々、拝むだけの、仏と二人っきりの日々に浸りたくなる。
 
 
仏教は修行をする、という実践的な宗教であり、その修行のほとんどはお釈迦さんが菩提樹の下でさとりを開いたというような瞑想修行です。修行の目的は転迷開悟、人格の完成、成仏。簡単に言うとしあわせになることです。仏教では「さとり」といいますが、それは自分の心をありのままに知ること、と経典にあります。
 
 修行の方法を行法と言います。密教では修法とも言いますが、次第通りに真言を唱え、手に印を結び、心に本尊のさとりの世界を観じて、本尊と行者が一体になることを目指します。大日如来、阿弥陀さん、お薬師さん、お地蔵さん、観音さま、お不動さん、さまざまな仏を本尊とし、また火を焚く護摩や加持祈祷など行法には多くの種類があります。
 
 これらは毎日一生の間、淡々と続けるものです。特別な時に特別に時間を作って修法するというのもではありません。食事や仕事と同じように生活の一部にするべきものです。
 
 また、行法は本尊の前で坐って拝むだけではありません。一日のうちにほんの数十分間、仏と二人っきりになって聖なる時間を過ごすことは、心と体にとってとても意味あることですが、それ以外の一日の時間も行法の一つとすると、なお行法の目的に近づくことができます。起床から就寝まで、歯を磨いて顔を洗い、トイレに入り、食事をして、という生活が行法の一つになります。
 
 そのような毎日の行法の他に、ある期間を区切って、特別な場所で特別な作法で拝む別行という行法もあります。

 例えば虚空蔵菩薩求聞持法は五十日乃至百日間、虚空蔵菩薩の真言を百万遍唱え続ける行法、不動明王八千枚護摩供は二十一日の間、一日三回護摩を焚きながら真言を二十万遍唱え、最後の日に六時間ほどかけて八千本の護摩木を焼く行です。これらは毎日はできない。
 
 山の中で一人拝んで暮らす、というのはぜいたくで憧れる生活です。それに比べて街の中で、家族を持って、仕事をしながら修行を続けるのは難行です。聖と俗とが隣り合わせ、混合している中で日常に行法を毎日続けることは難しくもあり、工夫が必要です。
 
 ですが、特別な時間と環境でしか行法ができないのなら、仏教はあまり意味がありません。特別な人にしかできないのなら。
 
 高野山を下りて東京の寺で働いていましたが、結婚と同時に田舎に引き、畑をしながら拝む日々を送りました。
 
 子どもが生まれて生活費が必要になり、他の寺の手伝いをしたり、精進料理の仕事をしたりで暮らしをまかなうようになりました。庭の小さな護摩堂で毎朝行法をしています。
 
 寺が無いので自由です。だから、先の求聞持法や八千枚護摩も自分の意志でできます。寺があれば経営や檀信徒のお世話などで、長い間行法のために留守をするわけにはいかないでしょう。
 
 スポンジが水を吸う様に、仏教は目や耳で覚えるものではなく、毛穴からしみこむものです。だから、特別なことよりも毎日の行法に意味があります。

 特別な行法というのは行じている時は意味があります。学校で勉強することは意味がありますが、昔勉強していても今はダラダラしていたらあまり意味はない。。昔、会社で要職にあったとしても、その時は貴重で素晴らしい人生ですが、辞めた後につまらぬ人生ならつまらないだけです。
 
行法も同じ。だから、毎日拝むことが貴重です。
 
 しかし、別法にあこがれることが時々あります。それはお大師さんが行じたものだから、自分もぜひやってみたい、お大師さんのようになりたい。私の師が行じたものだから自分もやってみたい、師のようになれるかもしれない、というあこがれです。そして、その行法のあいだは、なんともしあわせで気分が良いものなのです。
 
 私は生活の中で行法をしています。そして、生活の中で別行を行じようとしました。
                       
                                 食と心の関係 1 終り
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[ 2009/12/01 09:36 | 行法日誌 ]
行法日誌 2

普段は朝4時に起きてウスサマ明王の真言を唱えながらうんこをし、お風呂でお不動さんと水天さんの真言を唱えながら水を浴びて、玄米を洗って羽釜にセットし、4時半過ぎから小さな護摩堂で拝みます。
 
春は鶯が鳴き、夏はヒグラシが鳴き、秋は虫が鳴き、冬は風が鳴く。雨の日は雨音。その音を聞きながら、お不動さんと阿弥陀さんとお大師さんと拝みます。

 後夜念誦、不動法、理趣経法、阿弥陀法、加持祈祷作法、大師求聞持大事、八千枚大事・・・日によって作法が変わりますが、家にいる限り同じ毎日の繰り返しです。
 
今日は日曜日だから特別、今日は疲れたから特別、というのはありません。毎日単純な作法を繰り返すだけです。ただ、淡々と繰り返すことが心を知る唯一の方法です。
 
その朝の4時半に最高の体調にするために前夜は遊びにも行かず、テレビも早く切り上げ、食事も調節します。
 
  たくさん運動して食べる量を減らせば痩せます。エスカレーターではなく階段を上り下りすれば運動になります。
 
 たくさん仕事をしてお金をもらい、使うお金を減らせば貯蓄が増えます。夜遊びや電気の無駄遣いをやめて早寝早起きをすれば簡単な節約です。
 
 簡単で当り前のことをしていれば何も困難な人生にはなりません。安楽で楽しくなるでしょう。
 
 一日に一度、ほんの三十分くらい、仏さまやご先祖さまや、目に見えない大いなるものと二人っきりで過ごす。世界中で昔からだれもが経験してきた祈り、自分と他者を拝む、そういう当り前で簡単なことを続けていれば、自分はどういうものか、心とは何か、何のために生きているのか、人生の真実とは、魂の解放とは、死とは何か、そういうことが身体にしみこむようになります。
 
 風邪をひいたら医者に行く、というのは当たり前のようになっていますが、 風邪をひいた原因は自分にあります。ウィルスに負けるような食生活をして、抵抗力や免疫力がなくなるような生活をしているからです。
 
 風邪をひいたらまず、自分の生活を改めるのが一番の解決法です。欲望を制御し、自分の内側を見る姿勢が大切です。
 
 風邪をひいても大事に至らないような身体と心にするべきです。風邪をひいても自分でなんとかする知識と生活法を体得すると便利です。
 
 自分でなんとかしない限り、医者やカウンセラーやさまざまなセラピーに通っても、それは風邪という表面を消すだけです。くさい臭いを消臭剤で消すようなものです。
 
 自分でそのくさい臭いのもとを断つような努力工夫精進をしよう、というのが修行の考え方です。

 自分に起こるあらゆることは自分に原因があります。怒りたくなるのは自分が怒りたいからで、相手の言動は関係ありません。聞こえないふりもできるのに、笑って済ませることもできるのに、怒ってしまう自分のせいです。病気も貧乏も不幸もみな同じです。
 
 自分に不都合な、いやなことがあったら、風邪をひいたら、自分が精進しなかったからだと罪悪感をもって反省するべきです。それが仏教的な態度です。
 
 そして、風邪をひいても、風邪をひいただけのこと、苦しくても苦しいだけのこと、最悪でも死ぬだけのこと、すべて自分の中に原因があることを知れば、何の迷いも悩みもなくなり、春になって重いコートを脱ぐように軽くさわやかな心身になることができます。

                                     2 終り

[ 2009/12/01 10:18 | 行法日誌 ]
行法日記 3
【不動明王八千枚護摩供】
 
 八千枚護摩は『不動立印軌(りゅういんき)』を典拠とし、不動明王を本尊とする護摩修行です。
 立印記には「菜食して念誦を作し、数数十万遍に満つれば、断食一昼夜して方に大供養を設けて護摩の事業を作せ。
 応に苦練木を以て両はしを酥にさして焼け。八千枚を限りとす」
 
(菜食で数十万遍の真言を唱え、断食一昼夜して八千本の護摩木を焼いて本尊の供養をする)とあります。
 
  八千枚(八千本)の護摩木を焼くのは、お釈迦さんが衆生を救うために八千回娑婆と浄土を往復した、という神話が元になっているようです。
 
 作法は普段の護摩供とさほど変わりませんが、普段は百八枚の木を焼くところで、八千枚の護摩木を焼きます。六時間ほどかかります。
 その、八千枚の護摩を焼く坐の前に前行(加行(けぎょう))があります。その間に不動明王の真言を十万遍唱えます。一日三回の護摩を焚きながら二週間続け、十万遍唱えます。次の一週間が正行期間で、また十万遍唱えます。
 口伝では、最初の一週間は()(さい)(昼十二時過ぎは食事を摂らない)、次の一週間は菜食、最後の一昼夜は断食断水と言われていますが、十年間菜食をしてから望むべき、という伝もあります。
 八千枚護摩は何人かにお手伝いを頼まなければできません。八千枚も護摩木を焼くとすぐに釜が灰でいっぱいになりますから、それをすくって取り除いてもらい、次々と焼く護摩木を行者の手が届くところに移動してもらい、供物の補給もしてもらいます。終始真言を唱えて行の安全と、有縁無縁のいのちの平和を祈ってもらいます。
 
 そして、護摩は費用がかかります。各種のお香や五穀、油などの供物。私の場合はこの行のために小屋に防火工事をして護摩堂にしたので、その費用もかかりました。
 
 八千枚で焼く護摩木はその年の最初の甲子の日に伐ることになっています。ですから、ずいぶんと前から準備が必要になります。
 
 本尊の不動明王はポピュラーな仏さまです。大日如来の化身で、火炎の中におわします。この火は様々な障碍を焼く智慧の火です。
 
 頭には七莎(しっしゃ)()という修行過程を示すものがあり、衆生を愛することを示す辮髪が垂れています。
 額には衆生を心配するしわがあり、右手に迷い・煩悩・有無両極端を切る剣を持ち、左手には迷った衆生をマンダラへ引き寄せるための索を持っています。
 
 大憤怒というとても怒った姿をしていますが、迷い不安・修行の妨げになるものを脅威し、煩悩を滅ぼすためです。
 
 多くの仏菩薩は蓮華の花の上に坐っていますが、お不動さんは盤石の上に坐ります。重障をしずめ、菩提心を山の如くに育てるということを象徴しています。
 
 護摩はインドのホーマ(homa)の漢訳で、もともとは供物を火中に投じて神に捧げること、という意味です。
 
 仏教に取り入れられてからは、智慧の火で煩悩と業を焼き、菩提心を実践する意味になりました。火はものを浄化し、安らぎと希望を与えてくれます。心を浄化し、永遠の真理とひとつになるための行法に護摩は発展しました。
 
 そして、内面に燃える煩悩の火を、瞑想によって消すことも護摩の修行のひとつです。
 
【修法日誌】
 
2005年2月9日
 
午後、家の南の山の木を伐る。地主のRさん宅へ酒を持って挨拶。全部伐ってもいい、と言われる。
 あまり太いのは手に負えないので直径十五センチ程度のものを四本。生の木はノコギリが引きにくい。日曜大工用のものでは目がすぐに詰まり、一本伐るのに時間と力がかなり必要。
 枝を落とし、庭に運び、六寸ごとに印をつけ積んでおく。乾いたら切断し、割って墨をつける。
 
2月25日
S堂に仏具、仏器の相談。注文。護摩の釜(一尺五寸)だけは至急に注文。
 
3月1日
S社に一尺の木札百本注文。
 
3月7日
もうすぐ梅が咲きそうなので南側のまっすぐな若い枝を数本、散杖用に伐る。一尺六寸に揃え、竹にひもで巻きつけて固定し形を調える。
 
3月27日
岩瀬村響きの森での薪割りクラブに家族で参加。帰りに玉切りのヒノキを二十本ほど貰い、持ち帰って庭で乾燥。これも護摩木(段木)にする予定。
 
5月連休
木が乾いてきたので護摩木作り開始。
丸太を割り、丸ノコで六寸に切り、ナタで細く割って根元に近い方に墨をつける。狭い護摩堂で炊くので、通常よりも細く(一分径)割る。
 
5月30日
園芸屋さんで根つきのシキミ十本購入。行中の供物の一つ。
庭に移植。雨が降ってきて良い加減になる。
 
7月21日
護摩木(乳木、段木)ほぼ割り終わる。虫がつかないように防腐剤を入れる。Yさんよりもらった松材は節の無いものを選んで段木にする。
 
8月18日
護摩堂工事始まる。棟梁はお世話になっているH寺住職のいとこ。
 
8月22日
護摩札書き始め。木面は自分で書き、白紙の願意、祈願者名の条書は妻に頼む。
 
8月30日
工事発注先の設計士・Hさん来。棟梁と打ち合わせ。
 
9月6日
S堂社長来。仏具(護摩五器八器)納入
 
9月8日
H寺から護摩用支具(各種香など)寄付していただく。
 
9月9日
十五時から、作壇作法。不動護摩一坐修す。約二時間。
煙が多く、ダクトからもれる。金剛界十七尊の印と真言、忘れていて作法に手間取る。
 
9月12日
棟梁、設計士さん来。ダクトと煙突の位置調整してもらう。
長野M師より激励の電話あり。とても嬉しい。
 
9月15日
護摩一坐修す。香炉を四つ用意する。
 
9月21日
供物用の餅をつき、小豆を煮る。それぞれ小分けにして冷凍する。
Oさんより供物の白米届く。
 
9月22日
丸香などを置く台、護摩札を置く台を作る。
M師より五万円奉納。
S堂より白檀の原木をもらう。とても固く自分では切れないので棟梁に頼む。
 
 
「一行者、勇猛の發心を以て八千枚を焼く時、十方法界の衆生同時に悉く八識相應の惑障の薪を焼き盡して、四智圓明の智火を成ず。よって一切衆生皆成佛道の妙行、八千枚修行に過ぎたるは無し。能く能く菩提心に住して修行すべし。菩提心といっぱ不動明王なり」
                         (『八千枚行儀用意事』)
 
9月23日
彼岸中日。
青ばたと黒ごまのおはぎを作って供える。
奉納の白米を炊いて、大佛供、小佛供を作り、小豆、餅、梨と供える。
近所のHさん、おこわとお酒をお供えしてくれる。
天気良く暑い。午後一時開白。
 
妻に褊襂の袖裏に紐をつけてもらう。袖先をまくって首の後ろで止めるようにするため。
護摩具の杓が弱そうなので針金で補強し、ステンレステープを巻く。
阿闍梨さまのM師とメールで打ち合わせ。
 
十二時五十五分登礼盤。不動真言(慈救呪)五千遍唱える。
今まで、毎朝供養法をして千遍ずつ、一年間で約三十五万唱えている。これは先行として良いと思う。
 
十四時五十分入護摩。
添え護摩はTさん、Sさんのを焼く。
 
十五時三十五分下礼盤。
すぐに神供をサンルームで修す。
 
義弟来。お布施いただく。
 
散念誦五千遍は長く眠い。起きていても心にいろいろ去来する。
片付けをして香花を盛り、入浴。妻に供物を下げてもらう。十八時二十分就寝。
 
八千枚は私の満足のためで、家族には負担をかけるものだが、子どもらも将来、何かの役に立つだろう。寺が無くても修法はできる。工夫すればやりたいことができるのだと。
毎朝沐浴行法を欠かさず肉食をしない父親を、何かの時に思い出すだろう
 
普段の生活とこの行中と、なんら変わりは無い。
 

[ 2009/12/02 14:06 | 行法日誌 ]
行法日誌 4

9月24日
一時起床。沐浴。水を汲み入堂。
一時四十分登壇。供養法を修し、念誦五千遍。
四時下礼盤。
本尊壇にほおづきとシキミを活ける。
 
四時半から炊事。子どもの弁当も作る。いなり寿司
供物は突仏供、玄米混ぜごはん、大師茶
妻に買い物(チャッカマン、火ばさみ、懐中電灯)頼む。
 
日中行 七時四十分入堂 念誦千五百遍
九時三十五分下礼盤
冗快さんと私の不動画像を飾る。
 
十一時昼食 玄米まぜごはん、味噌汁、栃尾油揚げ、ねぎ味噌
 
後夜 十三時五分入堂。散念誦で寝てしまう。
火の勢いが強く、百八支の途中で真言を唱えながら待つ。火が強いとダクトのモーター音がうるさくなる。
十五時出堂
雨になる。台風が近いらしい。
夕方、父、妹たち来。新米とお布施もらう。そば茶を飲みながら少し話す。
十九時半就寝
 
9月25日
二時四十五分起床。沐浴しアカ水をくみ、三時十分登礼盤 念誦千五百遍
四時十五分下礼盤。阿弥陀如来礼拝
父と少し話す。
 
朝食食事作法。玄米、味噌汁、かくや
供物をそろえ沐浴して日中行。七時四十五分入堂 九時四十五分下礼盤
右足ひざあたりに痛みあり。
姪たち来。
 
昼食、玄米焼きむすび、けんちん汁、みょうが漬物
初夜十二時五十分入堂。念誦三千三百編
三時半出堂。供物を下げ、施餓鬼作法
 
福井から新米届く、礼状を書く。
あすからは一坐二千四百編念誦とする。
 
小さなお堂なので火の心配をしていたが大丈夫なよう。父の話ではダクトのファンモーターも大丈夫とのこと。だめならすでに壊れているはずだと。
 
掃除、香花、入浴して十八時就寝。
 
ふくらはぎがだるい。拝んでばかりいると悲しくもなりさみしくもなり、すべてがいとおしくなり、すべてがありがたくなる。
 
今日は護摩の炎が特に美しかった。
 
行法は食がとても大切である。
 
9月26日 晴れ、台風一過
二時半起床。沐浴。アカを汲み、米を洗ってから三時五分後夜行、念誦千六百遍。
四時十五分出堂。後、阿弥陀さんと朝勤。
仏飯突仏供を作り、黒豆の煮ものを供える。
少し臭いうんこが出る。小食で古い便が出始めたよう。
 
夢を見た。断片的で目覚めたときに疲れ、内容は覚えていない。
これは過去のアルコール・水分の排毒である。肺、大腸、腎臓に疲れがあるのだろう。
人差し指、親指に黒線がある。肺と大腸のホルモンバランスが崩れている徴。原因は酒。
わずか三日間でこの酒が排毒されているのである。
 
岩原諦信僧正の日記を読む。
 
昨夜電話をもらっていた仙台のSさんに電話。右足骨折、お嫁さんは乳がんとのこと。日中行で心から拝む。
福井の親類とSさんに拝んでいますよ、とのはがきを書く。
 
日中行、念誦二千四百遍。
炎が美しく、昔親友Hと関西の寺を片っ端から巡って会ったお不動さんたちを思い出す。東寺、同聚院、南院、青蓮院、園城寺、滝谷不動・・・・
 
別行は美しく、心が広く優しくなるが、この楽しさは他人には教えられない、分かち合えない。
護摩札が無くなったので追加で書く。
 
初夜行十三時十分から十五時四十分。散念誦は眠気があった。そして暑い。念誦三千三百遍。ただちに施餓鬼。
子どもらと畑の野菜を取り、キャッチボールの相手をして入浴。十八時半就寝
 
9月27日 晴れ
二時半起床。炊飯器のスイッチを入れ沐浴。アカを汲み後夜行。二時五十五分から四時十分。念誦千六百遍。寒く眠く蚊がうるさい。
長女が早く登校。
食事作法をして出生飯。少し眠る。
 
日中行八時二十五分から十時二十分念誦二千四百遍。ハエが二匹仲良く褊襂に止まっている。
少し酸欠でふらふらする。
Yさんがワラを持ってきてくれる。
 
昼食・玄米おむすび、ししとう、梅干し、ひじき
堂内を片づけていたらハエが油皿の中で死んでいる。合掌。
初夜行十三時十五分から十五時五十五分。念誦三千二百遍。
頭痛がしたが念誦のうちに眠気が取れたと途端に治る。護摩の火を浴びたら全快。炎が美しい。
念のため入浴のまえに第一大根湯を飲む。
 
夕方、H氏来。ダクトの点検をしてくれる。
 
拝んでいる間、お金の心配をした。お不動さんに頼んだ。少し疲れているのかもしれない。便は正常。ただ、拝むだけ。
 
9月30日 晴れ
昨晩から客間でちゃんと布団を敷いて寝る。二時四十四分起床。後夜行三時十分から四時五十五分。念誦二千四百遍。
 
日中行八時十五分から十時十五分。念誦二千四百遍。リズムが良くなってきた。
 
昼食・玄米おむすび、キャベツ、梅干し、パンの耳。掃除をする。
初夜行一時十五分から三時三十分。念誦二千四百遍。眠くなる。
護摩の火煙でまた酸欠状態になる。アメをなめる。
 
乾燥しているので堂内に水を打つ。護摩の灰、炭を庭に埋める。
畑でニラとトマト収穫。
 
初夜行日中行ではいつもハエと一緒。なかなか面白い生き物である。体長良し、排便良し。少し食べすぎか。水分は抑える。
 
九州よりアトピーの相談電話あり。
気持はのんびり、どうでも良くなることがしみついてきている。これに感謝。
 
「念誦とは、
外障を除き内障を治し、心意を清め、勇健の菩提心に住する法としてある。
意念を浄め、不動の信に徹する方法である」(中川善教先生)
 

[ 2009/12/02 14:12 | 行法日誌 ]
行法日誌 5

9月29日 晴れ
二時四十分起床。月末で家の経済のことが心配になるが、今は拝むだけ。
 
後夜行三時十五分から四時五十分二千四百遍。
 
 いろいろと疑問が沸いてきて資料を読む。
 行者の意業もあり、口伝も大切。資料の解釈は慎重に。
 しかし、自分の実践に重きを置いてももう大丈夫だろう。念誦は口先ではなく、どう心をこめるかが大切。食事は食養の知識と経験があればうまくいく。行者の生理にあうようにする。
 
 日中行八時十五分から十時二十五分。二千四百遍。
 ハガキ、メールに返事をする。
 
 初夜行十三時十五分から十五時二十五分。二千四百遍。煙で頭痛。酸欠か。
 
 昼食の玄米ごはんを二百回噛む。
 古い便が出る。
キャッチボールする。
 
9月30日 晴れ 上弦の月。後夜行の前の月と星が美しい。
 
二時半起床。後夜行三時十五分から四時五十五分 念誦二千四百遍。
 
朝食と昼食、一回を二回に分けるような感じの量。昼はほんの二,三口。
 
日中行八時十五分から十時二十五分。二千四百遍。供物にカボチャ、ピーマン、味噌漬け
 
国保税と年金を払ってくるように妻に頼む。
 
後夜行一時から三時半 二千四百遍
散念誦で循環法をしたり宝珠を観想したり工夫する。
真言と息が堂内と自分を包む。後夜行で十分ほど気を失う。念誦の数取りが進んでいなかった。三昧か居眠りか。
 
終わって神供。施餓鬼。少々疲れあり。
 
犬と散歩する。大家さん宅まで行き、工事の話をする。自由に使ってください、とのこと。ありがたい。

仏像図典を取り出し、五大明王の御姿確認。

 
10月1日 曇り
 
各三座 二千四百遍。
拝んでいるうちに疑問あり。
 
これで悟った人はどれくらいいるのだろう。実践してさとりになるならば、食養のほうが簡単ではないか。
 
九州の御夫人より電話。娘のゼンソクがひどいらしい。
 
食養の実践は人によっては難しいのだろう。早起きさえもできない人はできない。
信がゆらがなければ問題ない。真言の力は無条件に信じられるくらい唱えている。
 
少し頭痛。だるい。風邪か油か。酥油の煙は陰性。吸いすぎれば陰性になる。中華の料理人のようになってしまう。
 
目も痛いから肝臓からの頭痛であろう。風呂で大根湯を飲んで、息子らと寝る。
 
作法は象徴であろうか。心だけでは難しいので口密身密がある。
 
護摩が外道でなくなったのは高い精神性、宗教性があり、さとりへの階梯となるからであろう。
 
Oさんより二万円寄附。十九時就寝
 
10月2日 曇り
りんご、なし、ぽんせんを供える。
 
十四時過ぎY氏来。後夜行から護摩の撮影をしてくれる。
 
ダクトの煙突を外して穴をふさぎ、油なしで焚いてみる。煙充満して効果なし。油はごま油がよろしい。他の油では陰性すぎる。
 
何も考えずただひたすら唱える。
 
梅醤番茶を飲み、風呂でニガリ入りの水を飲んで汗を出す。
午前中少し昼寝。半断食後の排毒症状と同じ状態でだるい。
 
今日で半分。
 
10月3日 晴れ
二時半起床。常の如し。各二千四百遍。Y氏の撮影続く。ひたすら唱える。油をごまと蜂蜜に替える。煙突調整。体調回復。
 
夕方、今日二回目の排便。くさいどろっとした古便出る。
 
邪心があると護摩の火は消える。真言を唱え、心を仏に戻すと炎が上がる。迷心があると煙が多い。
人間は邪心迷い煩悩があったほうが身体は健康かもしれない。元気な身体には邪心煩悩がある。


 
10月4日 雨
 
二時半起床。二千四百遍。
 
日中行八時四十五分から十時四十分。三千八百遍。
 
Sさんから六万円寄附。十三日十四日の予定表を作りY氏と妻に説明。客用のイスを買ってきてもらう。他に蜂蜜、粉糖。
 
Y氏八時半の列車で発つ。
 
結願当日、我が家の車はセブンイレブンに停める。谷田川駅からの地図作成。Tさんらに送る。

初夜行千遍。段木が細すぎて火が消えるので、助木を入れる。
気合いなく淡々と行じる。
 
添え護摩などの用意。


 
10月5日 雨のち曇り
二時半起床 各二千四百遍。

百八支の乳木の束を十束づつにまとめるための紐を妻に作ってもらう。

混沌供用容器準備。

堂内に照明をつける。外用の明かりを利用。千葉のNさん逝去のはがき届く。初夜行で菩提を祈る。坂村真民さんも鳩寿になり、もう字が書けないので休刊という。

八千枚結願参拝のハガキ書く。

私のは修行ではなく修法である。修行には一寸違和感あり。

修行は毎日の生活のことで、楽しく安楽なのもである。早起きし、水を浴び、行法し、料理し、働き、唱え、話す、歩く、掃除する。それをしなければ気が済まないものが修行である。それで法悦を感じるものが修行である。
 
八千枚は特別な修法である。本尊壇になってから火がつくようにするとうまく燃える。

 
10月6日 曇りのち晴れ
二時半起床。各二千四百遍常の如し。神供、施餓鬼

今日の炎はことのほかきれいである。金色に輝いている。

時間をかけて念誦する。痔の気あり、出血。水分過多か。


 
10月7日 くもり
二時半起床 二千四百遍

日中は加行結願の坐なので飯(大佛供、小佛供)汁・餅・果(りんご)を用意し、護摩札を正面左にまつる。
日中行八時十五分から十時二十五分 二千四百遍 以上十万遍了

急いで正行開曰の準備

乳木八千枚は右側にブロックを置き、柱を二本渡してその上に並べる。
左には机を置く。

正行開曰十三時十分 念誦五千遍十三時五十分から十五時十五分

護摩札申込者、勧進帳記載すべての名前を神分で唱える。
とにかく早口で念誦して集中する。

眠くならないために食べない。
S店にジンガー黒大豆を注文。コーレン、山芋粉と混ぜて使う。
 
掃除をして炉の周りに不動真言を書く。
神供。少々疲れ。体重五十四キロ


 
10月8日 曇り~雨~晴れ
一時五十分起床。水浴、アカを汲んで後夜行二時二十五分から四時四十五分。五千遍

スパッと良い排便。玄米粥食す。
佛飯を盛り、日中行七時半から十時。五千遍。

T家地鎮祭を修す。

初夜行ゆっくりと丁寧にと心がけ念誦。一時間二十分をかけて四千遍唱える。護摩は四十分
父母来。花を活けてもらう。

近所から差し入れららたイチジクの砂糖漬けを食べたら、頭痛と出血。護摩の火とブラックジンガーの陽性で治す。

YさんからFAxで質問あり。
十八時、棟梁が白檀を割って持ってきてくれる。固くて重い。そして何という良い香り。
四橛を高くする。
 

 
10月9日 くもり
二時起床。後夜行念誦六千遍。四時半出堂

昨夜の残りもののお好み焼きを食べ、母が持ってきたウコン、朝鮮ニンジン飲む。

日中行七時半から十時四千五百遍。

A先生が参坐。来年四月に得度したい、とのこと。
初夜行十二時二十分から十五時十五分
Mさん来。梨お供え
掃除をして、四橛に四大明王の真言を書く。白檀一本焼く。
 

10月10日 くもり

二時起床。各坐五千遍。初夜行終わって神供。

檀用小箒買ってもらう。
 
結願の準備を少しずつ始める。次第のチェック、焼八千枚の時に火が上がっていない時はどうするか、結願作法、佛布施、大事、巻数・・・・

念誦はいつもうまくいっているわけではないが、気分がよければ良い念誦か。
 
日中行の後、腹少し痛む。二度目の排便。古い固い便。
水を浴びたらきれいに出た。
畑でニンジン、ピーマン、トマト、ニラ、大根収穫。
浄髪。


 
10月11日 くもり

右足が痛い。組むととても痛い。

Kさんから手紙。息子さんは余命一年の診断とのこと。息災を祈る。各坐五千遍。
瓶のしきみを換える。

杉はおとなしく燃える。松はよくはねる。

足が痛いほかは快調。

子どもはけんかをする。親は子をしかる。
人が泣くのはかわいそうだ。悲しくなる。人が泣かないようにしようと思う心はいつからできるのだろうか。
相手が泣いたら自分が悲しい。だから泣かさないようにする。自分のためである。泣いている人をみるのはこの世で最も悲しい。

 
 
10月12日 晴れ
二時起床。食べずに水分が多いので陰性気味。だるい。水浴してしゃんとする。

丁寧に念誦二千五百遍。あと三日。この時間が至福の時であると思えてきてありがたくも尊い。

体重五十四キロ。排便二回。少ししか出ない。

お不動さんと二人っきり。もったいないような時間。時間そのものがいとおしい。

パキスタンで大地震らしい。被災者を祈る。
S堂から花輪届く。本尊右に供える。
Fさんから梨とすだち届く。お供え。
Sさんから栗届く。お供え。
Y氏来。

釜(炉)を点検。はずして掃除する。
御蔭の無いのが御蔭というのがよく分かる。
努力精進すればよいだけである。
結願の用意確認。
 

10月13日 
二時起床。各二千五百遍。後夜の星空は何とも美しい。しばらく見とれる。

仏器磨きする。午後、I氏来。初夜行終わって神供。

十六時、M師来。打ち合わせをして妻がホテルへ送る。

明日は無言行のため、今日のうちにI・Y両氏と綿密に打ち合わせ。

体重五十三キロ。今日は断食断水。排便二回。

背中と右足痛い。断水のための陽性の排毒か。頭は非常に軽い。

一九時半就寝。窓越しに美しい月を見る。

[ 2009/12/08 09:55 | 行法日誌 ]
焼八千枚

10月14日 晴れ
 
一時半起床。星が美しい。
後夜行二千五百遍。
 
I・Y両氏に手伝ってもらい、仏供を作る。堂内荘厳、写真で記録。
 
便通あり。水を飲んでいないのでのどがとても乾く。醤油番茶でうがい。
 
七時M師来。H寺、K寺、H院来。
 
M師から助法の説明後、入堂。洒水発音で慈求呪を唱えてもらう。これは結願まで続く。とてもありがたい。
大事をして入護摩。そして焼八千枚。
 
檀上は片づけられ、右から假金剛盤に乗った乳木百八支が運ばれ、慈求呪を唱えながら炉へ投げ、終わると左へ渡す。
 
三千枚くらいから足が痛みだし、五千枚を超すと腰、右腕が痛く、足は感覚がない。
 
やめたいくらいつらいけれど、子どもらの顔を思い出して続ける。
 
七千枚くらいから口の中の水分が無くなり、真言が唱えられない。心層念誦しながら焼く。
 
八千枚、淡々とした気持ちで淡々と投げられるようになる。
 
千枚を三十五分くらいのペースだったよう。
結願作法をして巻数を唱え、佛布施を加持して、終わって破檀。
足が痛くて礼盤からなかなか降りられない。
 
何人ものギャラリーが来て、真言を唱えてくれたらしい。
 
お坊さんやお手伝いの人は交代で休憩し、アーマテラスの弁当で昼食をとってもらう。妻が給仕。
 
これだけ拝めば絶対に大丈夫、というくらい拝んだと思う。
 
護摩札を取りに何人か来る。
 
着替えてから水を飲もうとしたら護摩の煙でのどが焼けて痛くて飲めない。唾液も飲めない。
塩気も痛い。何も喉を通らなくて死ぬかもしれない。
 
皆さんに謝し、入浴。
 
無言行は良い。普段余計なことばかりしゃべっていることが分かる。本当に話すべきことは少ない。
 
斎食。午後食べないのは脳に良い。
 
水断ち。つらいが極陽性になれる。
 
睡眠。小食なら三時間で良い。
念誦。これが一番気持ち良い。好きな人の名前を呼ぶのだから。
 
 

[ 2009/12/08 16:46 | 行法日誌 ]
求聞持日誌 1

【求聞持日誌】
2000年5月25日
午前中坦を調え、瓶花大事。栢はT家のもの。
小豆を煮て、玄米タイマーセット。 Tさんより、そば粉たくさんいただく。
 
5月26日
1時起床。   外道場作法でとまどう。アカ(水を汲む作法)の工夫要。
開白後夜二時二十分~九時二十分  お供えは突仏供 みかん、小豆
初夜十一時四十五分~十七時五分  暑い、眠い、足痛い。 換気の工夫要。
十時中食 そば粉(番茶でとく)、残りの味噌汁、玄米ケーキ1つ。
    
念誦にまだ集中できない。次第の観想だけではむづかしいので、覚鑁さんの訳を書いて、坦に添えたり、金文字で夏言を書いて並べた。
家でこんな行をして行になるのだろうかという魔障も沸く。ありがたいがみんなに申し訳ない。
笑った顔、泣いた顔、たくさん思い出す。


 
5月27日
1時起床。便、小水とても濃い。少飲で陽性反応出る。夕、少し偏頭痛。 陽性(肝)の排毒。酢水を飲む。
 
アカ作法(ヤカンを使う)
二時から正午十二時三十分までニ坐続けて修法。足痛い。
少し眠い時もあるが、呼吸法(吐く息に真言をのせる)の工夫と、御本尊に笑顔を向けるとスムーズになる。恋人に会うように、憧れるように拝む。
 
油にカヤ油を少し混ぜたら黒煙が無くなり、きれいで香りよく燃える。
長女が丁字を噛むので、自分も含香を脇机に置く。 虫歯は、ナスの黒焼きと丁字、そしゃくと玄米で治る。とりあえず玉ねぎを噛んでもよい。
午後、草取り、料理。
中食はそば粉2/3C番茶でとく。タクアン、ひじき煮つけ。このそば粉は上品。

そば粉を行者が使うのは、熱を加えなくても水溶きで消化できるから。とても陽性である。ただし粘りのない陽性、Naが多いので熱がいらない。

でも酸化しやすいので注意。行者で頭痛がしたり、背が張るのは酸化。果汁か野菜スープ、シイタケスープ、大根湯で治る。
 
修行を左右するのは心だが、一番基本は血になって大脳へ行く食べ物だ。
修行の成就は食にかかわる。

きのこは山中での見つけ方(毒の有無)もあるが、極めて陰性なで心身が阤緩するためによくないとされたのだろう。海藻は入手しにくいからか。

そばのNa、木の実(タネ)でカロリーは補える。
作り方、食べ方で命を知る修行が良い。
私の行は生活と一緒になった行。これも良い。
陽性なそば粉を陰性な水で溶くという食べ方をしている。

 
5月28日
坐布を高く、いつもの行法の気分で修したら、うまく行った。求聞持という気負いを無くした。
 
日中、()をのせる台を作る。鳥のエサ台になる()
今日から仏間で寝る。これは気分が良い。目が覚めればお浄土の中
 
静かに楽しく暮らしたいものである。
 
修行は毎日の暮らしのこと。別行はこっそりと迷惑にならないようにするべきだ。
もし今、どこかの道場に行けば妻は大変だし子どもも色々ある。

行をするのだから、拝むのだから、お堂を作るのは当たり前。みんながお金のことで心配    している間、心を静め、いのちの平安の為にまじめに拝んでいるんだから、協力して当然。妻子も僕が拝むのに協力して当たり前、と思っていた。これは大変な間違い。僕の問題だ。ひっそり、こっそり拝んでいればいい。料理も庭仕事も、掃除も遊びも修行なのだから、精進と供養の心さえあればいいだけ。
 
食は供養である。材料のいのちに、天地に、食べる家族やお客に供養する。行法と同じ。どうしたら心の供養になるのかを楽しむ。
 
生活の中に行があり、祈りがある。
普通の暮らし、普通の祈りは食から始まる。
 
普段から生臭を避け、行法に慣れ親しんでいなければ、祈りもいのちも分かりにくい。
自然の法則のくらしなら大事に至らない。まじめに祈っていれば大事には至らない。
別行は伝統と格式で、これをゆるがす事がある。
求聞持を始めたら、悩んでしまった。何という事だ。
 
普段肉魚砂糖で穀物のない、身土不二でない人がちょっとした期間、精進や断食をしても、一つの経験をしたというだけで悟りの道は難しいと思う。そういう心、そういう血、大脳、波長になっていないから。その上、また前の生活に戻ったら、ちょっと旅をしてきただけの事。
普段、金や地位や名誉の事で生きている人が、一寸それを止めても同じこと。ずっと止めなきゃ。
 
修行は楽しい。修行で生きることはありがたい。でも何にもならないのに何でやっているんだ。
 
5月30日 
二十三時半(29日)起床。用便、泍浴、アカ、外道場
零時二十分~四時五十分 一万二千遍
 朝食
八時二十分~十一時五十分  八千遍
 朝勤
草取りなどする、とても調子良い。 木坦が乾きすぎてヒビ入る。
 
もし普段肉食の陽性な行者がそば粉のみで行をすると、いかに水溶きという陰性な食べ方をしても、陽性の排毒がうまくいかなくなり、肩、背、スジなどが痛む。陽性になりすぎ、口もうまく回らないと考えられる。
もし、食事に副食が多すぎ、砂糖・添加物を使っていたら陰性になりすぎ、冷え、ふるえ、指先の麻痺などもおこり、頭の血も薄くなりすぎるので、うまく瞑想できない、と考えられる。(この場合、錯覚や妄想はたくさんおこる)
 
Nさん来。
 
5月31日 零時五十分~五時十分一座。八時五十分~十二時二座目。
滅罪の行法だから、懺悔しながら拝む。懺悔すると相手がいとおしくなり慈悲が生まれる。
口が回りづらくなり(唾液が濃い)背が張る、肝臓の排毒なので終わってからみかんジュースと夏みかんを食す。
毎日夏のような日々。布団も干せる。暑い。午後から涼しくなる。
I住職に電話。
 
朝に食べ、昼は食べても軽く。そばは陽性なので今はあまり食べない。
排便は二度ある。良好。陽性の便。

夕方から雨。
資料を見る。田中先生の論文が一番参考になり、心安い。
 
普段の生活での、酒で陽性を消していることをしなくなったので、小水も濃い。

[ 2009/12/09 15:28 | 行法日誌 ]
求聞持日誌 2

6月1日
カッコウが4時二十五分~五時くらいまで鳴いている。
拝めるのもいろいろな縁のお陰。働きもせずただ拝んでいるだけなのに。
今日はうまくいった。入法界観も気分よくできる。すべてが虚空。全てが心の蔵、全てが御本尊の万徳円満・福知是足している。全ての中にそれがある。
カヤの木を寄付してくれたUさん、本尊を描いてくれた冗快師、本坦を整えてくれたNさん、そば粉を届けてくれたTさん、カヤ枝を持ってきてくれたCさん、Oさん、Iさん、K師、カヤ油を寄付してくれたM社長、応援してくれるTさん。
 
M阿闍梨、ご先祖さん、故人の方々、妻と子どもたち。
拝んでいると感謝する人の顔が次々と浮かぶ。
 
6月2日
真言を和紙に書き、丸い筒にして坦に置く。
 
6月3日
つけ木(ワリバシに油をしみらせる)を作る。
甘夏がたくさん届き供物にする。
 
だいぶ慣れてきた。面倒なことを始めて、早く終わりたい気持ちもある。何か都合の良い理由で中断にしよかなど思うこともあったが、少し楽しみが増えてきた。ワクワクしながら、ドキドキしながら拝んでいる。田中先生を思い出して拝む。
祖母も思い出す。妻子に感謝して拝む。
 
生活の中の行は恵まれてぜいたくなのだが、こんな求聞持やっている人はいないと思う。
ただ暮らしているだけで、しあわせになればいい。
 
 
6月4日
母誕生日。町内草取り掃除、庭の石板掃除。毎日暑い。
毎日二時間半くらいの睡眠なので少し疲れた。念誦は慣れてきたが時々フッと意識がなくなる。三昧ではなくて居眠りだ。
今日はあまり義を思推せず。祈祷や回向も気にせず、ただ淡々と称えた。
今日も晴天だが少し風が涼しい。
 
朝三時頃ツグミが鳴く。四時からカッコウが鳴く。三時四十分頃から少し明るくなる。一~二分毎にシャッターを開けるように、パッパッと階段的に、ダイヤルをまわして照度を上げるように、空が明るくなる。これが虚空か。
念誦より入法界観で虚空に広がると、塵のように星屑のように景色が散らばる。
 
6月5日
時々目が痛くなるのは小食にして(時に油が入るからか)肝の排毒か。気功で治しながら拝む。
念誦の行が終わったら巡礼に出たいと思う。最上か出羽三山か。
 
 
 
明け方前、まだほの暗い頃か、両手で持つ数珠から白いものが漂い出ていた。
何かの気か、仏の姿か、白いケムリのようなものが、もわもわとしていた。
 
正念誦は循環法、入法界観は拡大法。
 
6月6日
ずっと晴れ。午後剃髪。
疲れが大分溜まっている。子どもたちと風呂に入る。
『大往生』永六輔著を読む。
 
6月7日
昨日もあったが、たぶん一酸化中毒で頭痛。風がなく、窓を開けていても(すだれはかけてある)灯明と香煙でよどむ。終了後、シイタケスープ丼1杯飲んで治す。
 
毎日きついのは足の痛みでもなく、肩こりでもなく、家で修法することの難しさと、毎日ニ万遍を五十日という決められたことをしなくてはいけない(ノルマ)という事だ。
うまく瞑想できれば時間も回数も関係ないと思うのは越法か。
今日で二十四万返。
 
多くの縁者や放人の事、これを助けてくれた人たちの事を思うと、感謝と心安い明るい気持ちになる。みんなが笑えるように祈る。北陸地震被災者を祈る。
 
6月8日
昨日から午前一時半起床。
二時十五分~五時十五分で八千返
八時四十分~十二時五十分で一万二千返
 
足[へそから下]を意識しなくなってきた。
 
世の中には志に反して、生活の為に、人の為に好きでもないことをして暮らしている人もいる。志通りに毎日拝むだけで生きているのはぜいたくである。
 
明日死んでもいいように今日は最後と思って拝む。
仏が驚覚してくれるかもしれない。
明日死んでもいいように今日は楽しく暮らす、拝む。
 
 
6月9日
行を始めてから初めての雨。突佛供を作る。
雨音の中の念誦も気持ち良い。
郵便が多くきた。
 
懺悔と報思感謝を思って拝む。亡くなった人のこと、いろいろ思い祈る。
祖母を思い出した。
 
口がだいぶ慣れてきた。よく回るが、後半はゆっくりになる。
なるようになる。なるようになった時に、心が対応すれば良い。必ず上手くいく。
掌の生命線がはっきりしてきた。気も良く通じる。
 
普段と違うのは朝早い、[一時]、念誦が長い[八時間、持斎、 酒が無い、一人寝[布団は敷かない]、家族以外と会わない。
いつもと同じ精進。供養としての料理もしている。
便通二回、体調はやや陰性。
信者さんの位牌届く。
 
6月10日
雨・くもり・十五日目。三(らく)(しゃ)了。(落叉は十万のこと)。ひと区切りと思う。庭で剃髪。
拝んでる限り、雑念というものはない。どんな思惟も皆瞑想だと思う。
田中先生の覚え書きでは、初回の十五日頃、つらくて止めたいような事も書いてある。同感。未だに、別行よりも普段の行法を続けている方が心には良いようにも思うが、別行もまた、力がある。
 
善良な人はそういう顔、腹黒い人はそういう顔、酒浸りの人はそういう顔をしてみんな生きていれば人間関係は何の問題も無くなりそうだ。
 
僕なりに楽しく静かにゆっくり生きて、死ぬときにその死を子供たちに見せ、教えるのが役目。
 
死に際[晩年]の事を思ってみると何という人生だったのかと思う人も少なくない。
 
死にたくないと思いながらの人、生きるのが面倒だった人、あきらめた人、逃げた人、家族から嫌われた人、意地悪され、罵られた人、我慢していた人、楽しめなかった人、怒っていた人、恨みを持っていた人、お金持ちを目指していた人、名誉を欲した人、死の手前がそういう状態だった人たちはどんな気持ちだったのだろう。死ぬときが喜びに満ちて、いい人生だったと言えるのが良い。旅や遊びから帰って、「楽しかったね」と言えるように。
 
春になって嬉しくなるように、死は帰ること。
死に方は生き方。生き方は祈り方と会い方。
 
覚鎫さんを拝むと安心し、力が湧く。
「澤知澤見の者は一念に三密を証し、重罪重障の人は七遍に二厳を集す。
不法の持誦なす。諸尊の瞑護を招く。順教の修行誰か一座の理延を疑わん。
たとひ如法ならざるといえども、常に誦せば福護ること是の如くならん」
などなど。

[ 2009/12/10 14:46 | 行法日誌 ]
求聞持日誌 3
6月11日
念誦は即身成仏への易行である。本尊を通して、本尊の誓願を自身の中に通す。

瞑想は我を外すことである。無我の中に大我を観る。

自分というワクを大きくし、ワクさえも無くす、溶け込む。

どんどん大きくなる、そして大きさという概念がなくなると時空を越える。

今日も雨。一日中カッコーが啼く。Iさん来。

夕方排便、古便が出る。

後頭部が丸くなってきた。

苦味、塩気を避け、そば粉を食べている。



6月12日
Sさん来。戒名の件。

念誦の時、若し散心あらば、出入の息を観じて一法界と為して、我身と及び本尊を此の一法界に摂し、又一切の諸法を此の一法界に摂し、然る後に念誦せよ(『秘蔵記』)

ただ大日如来のみいまして、この計度(はからい)の小我を越えた無我の中において大我(まことのわれ)を証得している。(『吽字義』)

心の本体の内容である心の働きである国土を、

微塵にしたほどの実に多くの眷属の誰もが、

ひとつとして、この大我の身を得ざるものあらんや。


行者、この大空三昧を修するにあたり、くさぐさの縁にふれて、妄心起こる時には、その妄心はいかにして起こりたるかの因縁を観じ、その因縁をきわめるとともに、それは縁生(かりそめ)にして無自性であり、つまりは空であるとの観に住して、その妄心に追随してはならない。かくて妄心 息むとき、心源自ら空寂となる(『菩提心論』)





6月13日
昨日からそばパンにしている。

Iさんから電話、コンサートのお誘い。

宝球と白ジャスミンを檀に置く。

普段、空を見上げ見つけることは多くない。それは大きい、限りがない、たくさんのものを含んでいる。地球も私も抱いている、包んでいる。これが虚空蔵なのか。

雲は無常を教えている。

夕方、Tさんより、頑張ってくださいと電話。

子どもたちに自転車を買ってあげようと思う。




6月14日
雨。熊谷さんより鳴門金時、タケノコ佃煮、本、届く。お供えする。

おれは修行しているのだから、協力せい、と思ってはいけない。

剃髪。



6月15日
お大師さんの日。
供物は、玄米、カヤの実、鳴門金時、小豆煮、りんご、餅、突き仏供

少し眠い、少し疲れがある。吸い玉をする。

午後、乳がんの人来。

Sさんから電話。ライオンズクラブの講演依頼される。

心は体より大きい。
心の中に体があり、毎日があり、社会がある。
心は何でもできる。だから、幸せになれる。










[ 2017/05/28 07:25 | Comments(0) | 行法日誌 ]
求聞持日誌 4
6月16日
皇太后崩御


6月17日
2時起床。
頭痛、だるさ、身体痛
今日で最後かもしれないとおもって拝む。

二座目が終わってから寝る。
靴下、シャツ、パジャマを着て、布団をたくさん架けて汗をかいて治す。

酸素不足なので、扇風機を窓に向けて置く。

心が動けば体が動く。

午後、Yさん来。お供えしてもらう。

シイタケスープとキャベツの塩もみ



6月18日
眞央と祥斗、剃髪する。

念誦心地よい。
本尊と心やすくなる。


6月19日
道場は正覚を成じる場である。


6月20日
中日、五落叉終える。
サツマイモ、突き仏供、玄米餅、カヤの実、黒豆昆布供える。

昨日から暑く、念誦終わると汗びっしょりになる。調子良い。

高野山大学図書館から覚鑁さんの入法界観のコピー届く。清書して檀に置く。

義父から電話


6月22日
襦袢の下を汗が流れる。
暑いと集中力が落ちる。道場のお陰がある。

最後の四千返くらいから、我念誦するにあらず、仏、我が内に在りて誦じ給う、という感じになる。
呼吸と真言の文字と意識が合えば良い。
風呂で剃髪

脾臓の位置を確認。


6月23日
風呂にないらない、布団に寝ないのは良いことである。

吸い玉する。夏みかんを食べる。

念誦中に昔のことを思い出す。

緑の木々の上に大空が広がっている。心の下に大地があり、いのちが育っている。

菩提は心であり虚空である。死ねば灰と二酸化炭素になり空に帰る。
だから、また会える。

6月24日
Aさん来。
修行道場は最良の場所、欲から遠ざかる。
自宅での瞑想修行は、高波に向かうサーフィンのようなもの


6月25日
0時半起床
1時半一座目
6時半から二座目

衆議院選挙投票日

内観して懺悔する。

僕は死なない、変化するだけ。

料理で重要なの淡味、人も淡い交わりがもっともよい関係。


6月26日
剃髪
右後頭部痛、里芋パスター貼る。



6月27日
0時半起床
1時半から5時
8時半から11時半
その後、施餓鬼
妻に新しいカヤの枝を採ってきてもらう。

拝んで一体何になるのだろう。子どもの頃を思い出す。


6月28日
終わってすぐ寝る。疲れた。


6月29日
玄米届く。
覚悟と修行(三井英光)読む。


6月30日
自分の心を知るために念誦する。
排便2回、吸い玉する。
人間少々の果報おや、拝むだけ。

人は死ぬと六大に帰る。












[ 2017/05/28 09:16 | Comments(0) | 行法日誌 ]
求聞持日誌 5
7月1日
蒸し暑い
口に念誦するのではなく心に念じる。

存在するものはことごとく、この自己の法身仏の内容に外ならない。

自身の数は無尽、天地の森羅万象が自身の内容

「雨の足多しといえども、ならびにこれ一水。灯光一にあらざれども、堅然として同体」(『吽字義』)

つねに誰かを責めている。もう少し分かってくれ、と。



7月2日
起きたら、どうでも良くなった。ただ、拝めばよいだけ。縁があるようになる。心を無駄遣いする必要はない。


7月7日
台風近づく。剃髪入浴


7月8日
台風3号。各地に被害あり。
朝食前に2万遍済ます。


7月9日
集中力欠ける。Yさんお参り。お酒お供え。



7月10日
充実、死のヴィジョンあり。
吠瑠璃色の如意宝球を観る。
脾臓に違和感あり。

コクウゾウムシが堂内に3匹いた。虚空蔵さんに会いに来たのだろうか。

Aさん、Mさんよりお供え届く。




7月11日
ケーナ注文
庭で剃髪
結願作法の予習

カブトムシ1匹、コクワガタのオス1匹、メス2匹、捕まえる。

念誦の時、不思議な気持ちになる。すべるように唱えた。




7月12日
暑い。
0時起床。トイレ、沐浴、供物の用意。
カッコーとカエルが鳴く。
ネコ、スズメ、ヒバリの声が聞こえる。

車の音、若者の声も。

働きもせず拝んでいる。毎日が過ぎてゆく。




7月13日
22:30に起床。昼寝する。


7月14日
0時半起床
5時まで一座

仏器を磨く。念誦は時間がたつと散漫になる。

結願作法確認





[ 2017/05/28 15:39 | Comments(0) | 行法日誌 ]
求聞持日誌 6
7月15日
くもり時々雨
0時起床
8時までに百万遍終える。
心が急いだ。
いろいろ思い感謝する。

夏の法衣を出し、納戸の掃除をする。

生きていてよかった。

生きていてもしょうがないなら、死んでもしょうがないことが分かった。


7月16日
23:30(15日)起床

トイレ、沐浴、突仏供用意

後夜念誦、閼伽作法をして、外道場作法、大師求聞持大事修法。

その後、阿弥陀法一座。

供物は
小豆煮、洗米、カヤの実、桃、突き仏供、餅

未得と得とすることが最も怖い。だから、懺悔し続ける。

人間は身体で実践して、ボンと受け止めるのが一番良い。

了。




[ 2017/05/28 15:55 | Comments(0) | 行法日誌 ]
修道記 1
高野山では得度(剃髪出家の儀式)のあと、授戒がある。

菩薩三聚浄戒 、求寂戒、苾蒭戒のみっつを授かる。

項目としては約260。


戒律は守るべきだけれど、通常の生活では守れないことが多い。

例えば、酒を飲んではいけないという戒律があれば、飲んではいけないのである。

少量なら良いとか、飲んでも飲まれなければ良いとか、

飲んでも悪いことをせず言わず、心やすらかになれば良いとか、
 
酒を酌み交わすことで檀信徒と心が通うから功徳になる、とか、

自分に都合の良い理由や、自己の正当化をしても、駄目なものはダメなのである。

だから、
 
破戒していることを認識して、毎日懺悔反省するべきである。

 
戒律には、

~してはいけない

というものと、

~するべきである

がある。


先の三聚浄戒は、

・戒律を守りなさい

・善いことを続けなさい

・一切の人々の利益になることをしなさい

ということ。

そして、密教で大切にしているのが

・正法を捨ててはならない
・菩提心を捨ててはならない
・正法を伝えることを惜しんではならない
・衆生を利益しないような事があってはならない

の四つ。


さらに、

思いやり(慈悲)の心は、

自に重く他に軽いところが改善され、

自他平等に生きることになるから、悪が滅び、心は清涼になる。だからこの心は戒である。


道を求め勉強することは、

最勝の智慧に到達することであり、そうすれば悪を調伏し、善を増長し、心清涼になるから、これも戒である。


心をまとめ、静かに観察することは、

自己の中に仏を観、他の中にも仏を観ることであり、

仏(宇宙法界)自他のみっつが平等であるという心になるから、

智慧と慈悲が無限になり、

俺が俺が、の心ではなく、すべてに通じる一心が現れ、

すべての戒が円満する。


授戒の後、加行という修行過程に入る。

これにはいくつかのカリキュラムがある 。

理趣経加行  一七日 
護身法加行  一七日 
十八道加行  五十箇日
金剛界加行  五十箇日 
胎蔵界加行  五十箇日 
護摩加行   五十箇日 

この214日間のうち、約90日を加行道場にて集団で行い、

残りは自分ひとりで、随意の場所で行う。

これによって、

歩く時には自然に両足が交互に前へでるように修法の作法が身についてくる。

この段階は所作タントラと呼ばれ、

その後、数年をかけて、行タントラ、瑜伽タントラの勉強と実践を日々の生活の中で行うこととなる。




[ 2017/05/29 09:26 | Comments(0) | 行法日誌 ]



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