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矛盾
これをやったら

もしくは

これをやらなければ、ここにはいられない

ということがある。

これはやりたくない、

自分の生きかたに反する

理不尽でおかしい
 
しかし、やらなければこの組織にとどまれない 。

やめてしまえばよいのだけれど、それができない。

これは苦しいですね。

こういうことは、会社でも学校でも部活でも町内会でも政治の世界でもあるでしょう。

もちろん、宗教にも。

 

オウムという団体は何を拝んでいたのだろうか。

本尊はあるのだろうか。

wikiにいくつか書かれていた。


最終地点まで導くグル(霊的指導者)の存在

というのはお笑いだけれど、

教義に無常観があり、輪廻転生も信じられているよう。

これは矛盾である。


無常は仏教の基本。あやゆるモノは変化している、ということ。
 
コップでも「私」でも変化しているから、

一瞬前のコップや私ではない。

川の水が流れて、常に新しい水が「そこ」にあるようなもの。


とうことは、コップとか私には、絶対に変化しない自性実体が無い、ということ。

宇宙でも時間でも、

「これが”宇宙”だ」

「これが”今”だ」

というものを取り出すことはできないのは、無常だからである。


輪廻転生は生まれ変わり。

教祖にはいろいろ前世があったらしい。


無常ならば輪廻転生しない。輪廻する主体が無いのだから。

そもそも、

存在苦しみなどの、

やらなければならない、などの、

無常無我を悟ることが、迷いからの解脱悟りである。
 
迷っているから、

怒り貪り嫉妬無知の世界を輪廻する。 

それに、

もし「私」という主体が存在するなら、

それは不変なものか変化するものか、どちらかである。

不変であるなら「私」は決して生滅せず、永久に輪廻を続けるから解脱できない。

変化するなら「私」はいずれ滅びてなくなるので輪廻は成立しない。


輪廻転生はあったら面白いけれど、

それと無常とは絶対に矛盾する。


無常であるからこそ、大切なのは心のあるようである。

勇気、忍耐、落ち着き、

同情慈悲、他人を理解しようとすること、
 

ところで、

三密行によって速疾に成仏するのが、密教の目的である。

三密行には次第があり、それに随って修法するのだけれど、

続けていくうちに、なぜこうするのだろうか、と疑問がわく。

そうすると原典を調べる。 なるほど、元々はそういう意味なのか、と理解する。


仏教の作法には如来菩薩明王などの仏さまが登場する。

次第の文章だけではイメージがつかめないけれど、仏像や仏画で表現されているので、

それらを文献や、各地の寺にまつられているものを観る。

ああ、こういうことだったのか、と理解する。
 
言葉ではわからなくても、モノを観ればわかる。

つまり、

やることが決まっていても、自分で疑問を解決しながら前進する。

こういう工夫が無く、妄信するだけでは何も解決できない。


これはカルトに限らず、

原発賛成もしくは反対運動でも、

部活動でも政治でも何でも、

同じである。


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[ 2018/07/14 06:14 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
Return to the point of origin or departure
ネコは一日の大半、瞑想している。




不安や怖れがあるとき、

イライラ、ドキドキするとき、
 
押しつぶされそうに苦しいとき、

思い通りにならないとき、


そういうことを思う前の心に帰れば、何とかなるかもしれない。

もともとのキレイで混じり気の無い心に戻れば。


ちょっと坐ってみましょう。イスでもよろしい。

背筋を伸ばして、坐禅です。

ポイントはみっつ

1、掌は上に向ける

これで骨格の余計な緊張が取れる。


2、口を閉じ、舌先を上顎につける

これで睡魔、怠惰、邪念から離れる。


3、頭頂に1キロ程度の重さの座布団などを載せる

これで丹田に力が集中する。

 
そして、鼻からゆっくり呼吸するだけ。
 

心を開放し観察する観想は、いくつかのパターンがありますが、

最初は難しいので、

好きな人や憧れている人のこと、など楽しいことを思うだけで良い。


暑いときも、暑いだけになれます。



[ 2018/07/12 09:22 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
略式の人生 3
先週土曜日に施餓鬼法会をつとめた。

この中で拝むのは施餓鬼の略作法である。

なぜ略式なのかといえば、

時間と環境の点で、正式なものを行なうには無理があるから。


葬儀も略式である。

フルサイズの葬儀(引導作法)をすると、おそらく三日くらいかかり、

人手もずいぶん必要である。


日々の行法でも、

急ぎの時や旅先など用の略作法が、

『秘蔵記』などに説かれている。



世間でも、

時間的経済的な点から、略式の作法をすることは少なくない。

略式とは、

正式なもののなかから、エッセンスを抜き出してコンパクトにまとめたものである。

なので、

略式では、なぜそうなるかが分からない、省略されている。
 

料理でも、略式のものもそれなりにうまいけれど、

正式なものに比べればちょっと劣る。

そもそも、

正式なものを知らなければ略せないはずである。

だから、

略式しか知らないのは、何も知らないのと同じ。 

略された部分の理由を知らなければ意味はない。

理由を知らない、ということは、危険を伴うことがある。

 
ところで、

煩悩とは迷いのことであり、迷いは無知から生まれる。

だから、

真如真理を知れば苦しみから解脱し、迷い煩悩は智慧に変わる。

これは理論であり、

思いやりと優しさをもって行動する、

という実践と合致することで、

心は平安になり、自他を救うことが可能になる。


理論を勉強する際も、実践面でも、

自己批判自己反省が足りないと、錯覚、妄想、勘違いに気がつかない。

これでよいのだろうか

本当だろうか 

論理的に破綻していないか

誰かを笑顔にできているだろうか

あなたは安心と平安を得ているだろうか


自分で判断できなければ師や先輩に聴く、

過去の文献で確認する、

そしてまた考え実践する。

この繰り返しを、略してはいけない。

 略して自分を正当化すると、

自分独自の危険な思想ができあがる。



理論と実践

智慧と慈悲

を両立させよ、と仏教では説いている。

その根底に、

他人を見ることは、自分もしくは自分の大切な人の如くせよ、

と『戒序』にある。



[ 2018/07/11 13:03 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
略式の人生 2
平成12年(2000)の春、

個人所有の坐禅堂を

ご自由にどうぞ

と使わせてもらうことになった。

そこで

虚空蔵菩薩の修法をするために準備を始めたとき、

近隣の寺院から横やりがはいった。

あいつはヘンなヤツだ。

拝むなんて、修行なんて、余計なことをしている。

オウムみたいなやつかもしれない、アブナイぞ。

と所有者に圧力がかかり、

そこは使えなくなった。

僕は関係ないのに。

ただ、拝むだけなのに。 


平成23年(2011)、

我が家は福島県郡山市で被災した。 

講演会お話会座談会その他で会う人の中に、

僕らを非難攻撃する人たちがいた。

あんたが福島に住み続けるということは、

原発は安全だ、ということになる。

それはまったくけしからん、

ということらしい。

僕らは関係ないのに。

ただ、住んでいるだけなのに。


オウムと原発政策

そこには、

全体を理解することができない人が集い、

略式の思想が充満しているような気がする。






[ 2018/07/10 07:42 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
略式の人生 1
平成元年(1989)の夏、

和歌山県中部の田舎町にある自然食品店へ行くと

これからハルマゲドンが起こるから、

まじめに修行しなければ生き残れない

と、店主らしきおばあさんが云いながら、

孫娘に昼ご飯を食べさせていた。

お弁当箱に入った冷たい玄米ご飯に、生卵をかけたものだった。

こんな田舎のおばあさんが、

と驚くとともに、とても奇妙な感じがした。


そこにいた若い男性は、台湾で修行をしてきたと云う。

その内容は、

高野山の僕らが一年かけてやることを一週間で行う。

なんだかすごいもののようだった。



平成2年(1990)

高野山での生活を終えた僕は、東京の小さな寺に世話になる。

密教の修行カリキュラムの中に加行があり、

それは262日を必要とするボリュームである。

高野山の道場では、そのうち90日程度を行う。

残り日数分をどこで行おうかと探していた時、

その寺が、

好きに使っていいよ、

と場所を提供してくれた。

262日+αの作法が終わる頃、

そこの住職が新しい寺を建てることになった。

都会の仕事や生活で疲れた人が、

心を癒やし、のんびり過ごせる寺にすると云う。

写経や座禅や精進料理などでリフレッシュして、また都会に戻ってがんばれるように。

ついては、アンタにその寺を任せたい。



建設予定地へ行くと、

そこは自然豊かな美しい土地で、目の前には富士山が大きくそびえていた。

ここであれをしよう、これもしよう、などと住職と話し合った。


そんなことを考えているすぐ近くで、

強大な施設が作られ始めていた。

サティアンと呼ばれ、

そこの人たちが世間を騒がすようになっていく。 

そして、

こんなところに寺なんて建てらない状況になり、

僕らの夢は頓挫した。


・・・続く、

[ 2018/07/09 07:46 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
幸福論

豪雨等災害お見舞い申し上げます。

また、

被災地の安全とご無事をお祈りしております。



信州飯田も雨が続き、緑色が深くなっています。




ところで、

『ある市井の徒』(長谷川伸 中公文庫)は、

最近読んだ中でもとびきりおもしろかった。

著者は股旅物を世に広めた大衆作家、

代表作はもちろん「瞼の母」

弟子に池波正太郎がいる。


この母がすごいと僕は思う。


歌丸さんが生まれた色街の近く、

横浜日ノ出町の土木請負業の男に嫁ぐけれど、

夫が妾を家に連れ込み、伸が3歳のとき家を出る。

伸は、土方、遊郭の出前持ち、住み込みの走り使いや水撒き人足などとして働く。


母はその後、

三谷宗兵衛という裕福な商人と再婚し、

法学者で哲学者の三谷隆正、

外交官で侍従長の三谷隆信を産む。


社会の底辺と思われるようなところで生きる伸と、

エリート貴公子のような三谷兄弟。

その両方の母である。


一校の良心と云われた三谷隆正の遺稿に『幸福論』がある。

キリスト教に基づく考えかたで、

自己を棄て、

他者に自己を奉げるところに人生の幸福があるとする。

他者とは神のこと。


『幸福論』はヒルティのそれが著名だけれど、

阿川弘之は『エレガントな像』のなかで、

人が求めてやまない幸福の感情のなかには、
 
食の幸福感があるべきなのに、ヒルティ『幸福論』には、それが無い、

生き物が幸福な生涯を送るに必要な基本条件は、

食べたい時食べたいものを充分食べられること、その逆は不幸の始まりと考えている

と書いている。


確かに、

ああ、おいしかった、

という時は、ひとつの幸せである。

さらに、

誰かが、そう言ってくれればもっと幸せを感じる。

手作りの料理はもちろん、

外食でも、駄菓子屋で買ったお菓子ひとつでも、

人に食べさせるのは幸福である。

飼い猫にエサをやるのでさえ、幸福を味わえる。



僕はここ数年、

他人と食事をするのが苦痛で、

できるだけ避けている。

それは面倒臭いから。

食べたくないもの、

食べたくない時、

があるから。

しかし、

こういう僕の姿勢は、

誰かの幸福感を奪うことにつながっているのだろうな。


これは、まったく困ったことである。



[ 2018/07/07 06:41 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
角質

知り合いが何人もいる宴会の夢を見た。

会合、パーティー、儀式、お祭りなどの夢をみるのは、

脾臓膵臓胃、つまりお腹が不調なときである。


きゅうりをたくさん食べようと、冷やし中華にした。



他の具は油揚げとエリンギ、モロッコインゲン


朝ごはんで、とろろご飯が食べ切れなかったので、

きゅうりと一緒にトーストの具にした。




足の角質をナイフで削っていたら、

飼い猫が近づいてきて、うまそうに食べた。

動物の皮はご馳走なのだろうな。


胃が不調なときは、足の第二指が固くなったり角質ができる。

皮膚が固く成れば排毒が滞る。
 
それの原因になることをやめれば治るのだけれど、

面倒くさいからそのままにしている。

固いのは陽性だから、

陰性なキュウリやトマトは有効である。


良くない習慣は、心を固くする。

そうすると、心の排毒ができないから、苦しみが生まれる。

柔らかくすれば治る。

心の場合、笑ったり諦めたり、

悪習慣や執著をやめれば良いだけである。


角質はタンパク質で、

鳥のくちばしやウシやサイのツノも角質

だから、

角質があれば攻撃力が増すかもしれない。



仏教は、

ただ居る、

ただ在る、

だけで充実することを教えているけれど、

そうなれば、心身の硬さは取れる。




[ 2018/07/04 16:29 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
続・ブッダの望診
『やさしい仏像の見方』(西村公朝 飛鳥園 編 新潮社)を参考に、

仏の三十二相と望診法をむりやり関連づける話の続き。


「両頬は膨れる 頬骨は出ない」
 
優しさの表現ですが、

脂肪と塩気の両方が多いと頬骨がでます。肝臓が固い陽性過多ということ。

肝臓が陽性過多ならイライラして忍耐力に欠ける。

魚の陽性の場合が多い。


「耳は厚くて幅広くて大きい

 耳たぶは垂れ下がる」

いわゆる福耳ですね。

たんぱく質、デンプン、ミネラル分が適量ならこうなる。

そして、耳が形良くきれいなのは腎臓機能が良い。

つまり排毒がスムーズなので、心身に汚れがなく、

恐れがないから他を攻撃しない。勇気がある。


「顔全体は円満で荘厳で満月のよう

 観る人が喜びを感じる表情」

三角や四角の顔を比べると 中庸な顔ですね。


「腕は長い」

直立して腕を下げると膝くらいまでありますが、

これは衆生を救うため。
 

「カラダの姿は丹精で、背筋がまっすぐ」

だから、鼻の形がよくなる。


「手の指は長い」

掌より指のほうが長いのは比較的陰性で、思慮深い。

反対に、指が短く相対的に掌が大きい人は、陽性で力強く活発。


「爪は幅が細く長く光沢がある

 指には水かきがある」

これも衆生を救うため


「指紋は深く長くはっきりしている」

最近はこういう人が極めて少ない。

これは陰陽のバランスが崩れているから。

指紋がきれいな渦を巻かず、流れているのは、その方向に身体が傾いている。




「仏の手相は生命線、頭脳線、運命線のみっつのみ」

これは興味深い表現です。

感情線はない。

意志力(生命線=消化器系の力)と智慧(頭脳線=神経系の力)

があれば、良い運命になる、

ということか。


「臍は穴が深く、丸みがある

「陰部は体の中に入っている」


「身体にある穴はみな清浄で円満、丸くて形良い」

生き物の身体でもっとも重要なものが穴。

必要なものを取り入れ、

不要なものを出すから。


「足は赤ちゃんのようにすとーんとした形で、偏平足」

これは安定を現しています。

「掌はふっくらと柔らかい

 赤ん坊のよう

 両肩の肉は豊かで丸みが在る

 手足は柔軟

 赤ん坊のよう

 美しく柔らかい」

赤ちゃんのように表現されるのは、

悩む前の自分、
 
汚れる前の自分が仏、と考えていい。そこに戻る。


さあ、自分の中に仏を探しましょう。

いくつも見つかるはず。

そこから出発できます。 



※お知らせ

1、7月7日施餓鬼供養(先祖供養)のお知らせ

2、8月4日お盆のお知らせ

3、ご祈祷のお知らせ

4、出張講座・教室のお知らせ

お参りに行けないけれど、供養祈願を頼みたい

というかたも、ぜひどうぞ。

5、心の調えかた:家庭での瞑想修行次第(pdf)

6、仏さまの拝みかた(pdf)

pdfが読み込めない場合はこちらからご覧ください。



[ 2018/07/03 15:31 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
相好・ブッダの望診
願いごとを書く護摩木と、

最後の行に願いごとを書く写経用紙と、

願いごとをイメーじするおみくじの用意をしながらちょっと考えた。

故人先祖の菩提も、自分の悟りも、他人の幸せも、

それらはみんな祈願です。

おねがいして、それをかなえるために工夫する。

自分の問題。

なのに、何か難しくしている部分があるような無いような。


それはさておき、

相好は仏教語で、仏の身体的特徴を三十二相八十種好という。

つまり、

仏の優れたありさまとふるまい、のこと。

一般には顔かたちのことをいう。

相はサンスクリット語のラクシャナ(lakşaņa)の訳語 意味は大きな特徴

好はアヌブヤンジャナ(anuvyaňjana) 、意味は 小さな特徴 


仏(ブッダ)の身体的特徴である三十二相は、

いくつかの経典にあるものを、後でまとめたもの。


内容は、

「カラダは金色で光がでている」

オーラですね。

「背後は光輝いている」

これが仏像の光背として表現されています。

「皮膚は細やかで繊細、清浄で汚れがない

 悪いにおいも垢もない、良い香りがでている」
 
極めて健康、ということ。

肌は腎臓の影響が現れますから、きれいで美しいのは、

腎臓(排泄)の機能がよく、たんぱく質を取りすぎていない。

「カラダは柔軟で潤いがある

 ケガ、きず、ホクロ、いぼ、こぶは無い」

「体毛は上にむいて右旋 色は紺青  光沢がある」

「頭のは肉髻層」

ポコンと膨れている。これは智慧の袋らしい。

頭頂は循環器系の様子が現れ、それが膨れている(丸い)のは情緒が安定している。

「髪の毛は長くて紺青色

緻密に生え、抜け毛やハゲは無い

良い香りがして 、一本一本が細く滑らかで光沢がある」


髪の毛は食生活の影響がよく現れるところで、

そこがキレイなのは、正しい食生活をしている証拠。


「額は広く、円満で平ら

 中心に白白毫があり、白い毛が一本、

 右回りで光を放っている」

これは慈悲の光ですね。


「眉毛は長く細く、柔らかい

 光があって潤いがある

 形は三日月のよう

 とても美しくあでやかで、紺瑠璃色」

 眉間に近いほうが幼少時、

目尻のほうが晩年の様子。

優しさが現れる。

髪は腎臓、

他の体毛は小腸のようすが現れます。

キレイなのは、そこの調子が良く、

腎臓が快調なら怖れがなく勇気があり(したがって他を攻撃しない)

小腸が良ければ、興奮せず落ち着いている。


「瞳は金色で、少し青味をおびている

 白目の部分と瞳の部分がはっきりとしている 濁っていない」

 これは重要なことで、

脳の機能が低下すると、白目と瞳の境がはっきりしなくなる。

「鼻は高くまっすぐで、穴が見えない」

これは姿勢が良い、ということ。

「唇の色は赤くて丹色

 光沢と潤いがある」

胃腸が良いのですね。

ということは

不安がなく

理解力同情心にあふれている、

ということ。

「歯の形が整い、真っ白で隙間が無い」 

「唾液は何を食べてもおいしい味に変える」

「声は自由自在、どんな人にも聞き取れる声

 余韻があり、美しく谷間にこだまするよう」


そのほかは、

次回に続く。


※お知らせ

1、7月7日施餓鬼供養(先祖供養)のお知らせ

2、8月4日お盆のお知らせ

3、ご祈祷のお知らせ

4、出張講座・教室のお知らせ

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5、心の調えかた:家庭での瞑想修行次第(pdf)

6、仏さまの拝みかた(pdf)

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[ 2018/07/03 11:22 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心とカラダ
心の状態は身体の表面全体に現れますが、

分かりやすいのが眼と手。

だれでも、眼を見れば何となく分かりますね。

緊張すれば眼球が寄り、黒目が小さくなり、目全体が細くなる。

リラックスすれば逆の様子になる。


ウソツキの手は遊んでおり、

真実を語る時は固く不動。

けれど、

手首が固い時は、思考も固い。



それはさておき、

東海林さだおの「ビーフシチューの態度」(『おにぎりの丸かじり』)に、

ビーフシチューの態度は嫌いだが、

ビーフシチューそのものは好き。

これは、

性格は嫌いだが、カラダは好き

と同じ

とある。 


この性格、つまり心とカラダは別なものかどうかは、よく議論される。


イチローを拝んでも野球はうまくならないけれど、

イチローのように練習をすれば、少しはうまくなる

練習すれば、イチローのようなカラダと心になれるかもしれない。

仏教でも、

仏像や仏画を拝むだけでは仏になれず、

仏のようなことをすれば仏の心とカラダになる。


仏教は瞑想の宗教で、瞑想によって世間の実相を体得するのが目的。 

自分と仏が同じという三昧を得れば、

他人に対しても仏の心で接するようになる。


自分の中にある仏の性質を見つけ、
 
それを確固たるものにすると、

自分は仏と同体であり 、

それが自分以外も同じであると理解できる。

その時、

自身は仏体になる。


仏のような行いをすれば仏になり、

仏の身体になれば、仏の行いをする。


密教では、

自らの金剛性を体得する

と云う。

 
こうして、

性格もカラダも好き

という状態になるかな。





※お知らせ

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[ 2018/06/30 06:07 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
最近の大人
手相の生命線は消化器の様子、
 
頭脳線は神経系の様子、

感情線は循環器の様子が現れます。

これがきれいな線であれば調子が良い、ということ。

赤ちゃんはこの3本の線しかないことから考えて、

流年法では、線の始まりを0歳と観るのが良いでしょう。

生命線と頭脳線は人差し指下のはじまりが0歳、

生命線では手首の線が90歳、
 
頭脳線は打撃縁が100歳、

必ず両方あわせて観察します。



それはさておき、

学生寮の保護者会に出席して、親の意識というものがずいぶんと変わったのだなあ、

と感じました。

こういう会議では、

事業会計報告の後、質疑応答になります。

数年前までは、

災害時の対応、インフルエンザなどの対策、成績向上のための取り組み

爆弾騒ぎ(年に一度くらい、爆弾を仕掛けたというツイッターが流れて休校になる)の対応、

などが質疑の内容でした。

集団生活にかかわること、みんなの問題、安全とか社会倫理の問題。

ところが、

最近の1年生の保護者は、

個人的なことばかり。

ウチの子はこうなのだけれど、対応してもらえないのか。

わが子がこんな状況なのだけれど、規則や習慣を変えてもらえないか。

個人的な用事があるから、寮の行事は欠席させてもらえないか。


たとえば、

アレルギーなどは昔からあるので、

どこの学校でも「個別に」対応するでしょう。

でも、今はちょっと違う。

最近の親はおじいちゃんおばあちゃんみたい。
 

家庭では、集団生活の規律や約束事は教えられない。

集団生活ゆえに、友達が増え、趣味の幅も広がり、

人によっては、勉強もできるようになる。

上下関係があるから、あいさつや礼儀も覚える。

嫌なことがあっても、

ずるがしこく抜け道を探す、

ということも学ぶ。

当然、家庭とは違う。だからこそ、勉強になる。



強烈だったのは、

お金(寮費、給食費)を払っているのだから、

学校(寮)側は何とかするべき、と発言する人がいたこと。

こういう人の手相をぜひ観てみたい。


世界の情勢、日本の政治経済、いろいろな問題があるようだけれど、

一般の人みんなの問題から生まれているのではないだろうか。




 


※お知らせ

1、施餓鬼供養(先祖供養)のお知らせ

2、お盆のお知らせ

3、ご祈祷のお知らせ

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お参りに行けないけれど、供養祈願を頼みたい

というかたも、ぜひどうぞ。

5、心の調えかた:家庭での瞑想修行次第(pdf)

6、仏さまの拝みかた(pdf)

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[ 2018/06/29 13:43 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
観音さまはどのようにして願いをかなえてくれるのか。
悟りへ向かう道のりは長く目的地は遠い、

その道理を理解するのが難しく、

修行は厳しい。

しかも、

そのどちらも長い期間が必要である。

もしかしたら、現世では到達できないかもしれない。

そんなものが必要なのだろうか。

それとも、

仕事でも何でも、人生とはそういうものと考えるべきなのだろうか。

そもそも、

お金や健康を願う人は多いけれど、

悟り菩提成仏を必要と考える人は少ない。

 
難行は誰にでもできるものではないから、

何かひと言、心から唱えればよろしい。

唱えれば願いが叶う、そういうものが流行します。

カンタンで誰でもできるから。

でも、

本当だろうか、

唱えるだけで願いが叶うなんてあるわけがないではないか。



観音経は般若心経とともに、日本ではポピュラーなお経です。

観音さまをおまつりしているお寺も多い。

このお経には、

観音さまを念じると、どんな災いがあっても救われる、と書かれています。

念彼観音力
 
なぜ、念じるだけで願いが叶い、苦難から救われるのだろうか。


お経というのは、それを口でパクパクムニャムニャと唱えても、何の意味もありません。

そこに書いてある生きかたを実践しなければ、功徳も何も無い。

 
観音経のおしまいのほうに、こうあります。

「真観、清浄観、広大智慧観、悲観及び慈観。常に願い、常に瞻仰せよ」

真観は、正しく見ること。貪り怒り無知を離れ、色眼鏡で見ないこと。
 
清浄観、

キレイ汚いという仮観ではなく、それは同じものの感じかたに過ぎないのだから、

総ては清浄であると観れば、全てはが光明を放つ。

広大智慧観、

これは空とか中観のことで、根源的な惑いを断つ見かた。

総てのものは川のように流れ、時間のように過ぎて変化することを感じること。

悲観、

相手の苦しみを抜こうとする。ごめんなさい、と言えること。

慈観、

相手に楽を与えること。ありがとう、と笑顔で言えること。

こういう観想(瞑想修行)をすれば、苦しみから解放される、ということ。

観音経ではそれを教えています。

観音さまはそうしているから、願いが叶う。

そして、

観音さまは外ではなく、自分の心の中にいるのだから、

そうすれば願いがかなう。


ついでですが、

大乗仏教から密教になると、

今のこのカラダのまま、今すぐに成仏できる、

と考えるようになりました。

そのためには三密行(身と口と心を調える)と、

三種菩提心(生きるとは慈悲の行為をすること、自分の心を知るための向上心、瞑想による自由な心) が必要。


[ 2018/06/28 07:58 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
お風呂談義 4
スーパー銭湯などの温泉施設は広すぎる、

銭湯の大きさが丁度いい、

と次男は言う。

子どものころはベジタリアンだったので、その陰性ゆえに長風呂だったけれど、

家を出てからお肉をたくさん食べて陽性になったからか、

入浴時間が短くなった。

そして、

水の浄化について研究している。


仏教では、あらゆるものには原因があるというけれど、

その原因を作った原因をどんどん探っていくと、

最終的な大本の原因はどう説明するの?

と長男が聞く。


長男は複雑系物理化学の研究室に、

次男は物質工学の研究室にいる。

前者は理学(science)、後者は工学(engineering)

であり、このふたつはずいぶんと違う

理学は基礎研究であり、あまりお金にならない。

成功より失敗の原因を追究するようなところがある。

工学は生活の役に立ち、お金になる研究が多い。
 
成功が目的である。

仏教はサイエンスに近いかな。


浄厳さんの『別行次第秘記』には、

「あらゆるものは因縁(原因と条件)によって生じるが、

因縁によって生じるものには、みな始がある、本がある。

これをさかのぼって考えると、

最初の因縁となるものは、どうやって生じたのか。

これより前に因は無い。

こう考えると、因縁によって生じるという考えかたは最終的に破綻する。

また、

最初の一つは、自然に生じた(神さまが造ったなど)、

と云うのは論理的ではないし、証明できないから成り立たない。

すると、

一切のものは、本からあるもの(生じたものではない)で、

因縁より生じたものではない、

だから、

始めも終わりもない、ということになる」

と書かれている。


この境界は認識できず、自心を知るための瞑想によって直観するもの、

そして、

誰もが具足している、

と云うのが仏教の立場です。


ひとことで言えば、

分割できない全体性が流れている(固定していない)

ということ。

 
おそらく、

自分とは何か、宇宙とは何か、

の答えは、理学も工学も仏教も同じになるだろうな。

それが楽しみ。



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[ 2018/06/26 11:30 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
お風呂談義 3
僕は三枚刃のカミソリ(ジレットのシェーバー)で、

3~4日に一度、お風呂で髪を剃る。

ある日、

五枚刃で剃ってみたら、一回の動作で剃れる量が多いからか、

スムーズに剃れた。

長男は毎週日曜日に、三枚刃で剃る。

五枚刃では皮脂が詰まるし、髪が多いから剃りにくい、

と言う。

若いとは、そういうことである。



ホテルに泊まると、バスルームのアメニティにシャワーキャップがある。

勿論、僕は頭に使うことは無いけれど、

キュウリやダイコンをアレの中に丸め入れて、塩もみを作る。

そして、

ホテルでは下着にボディソープをつけて身体を洗う。

入浴と洗濯の一石二鳥である。


子が幼い頃、

一緒に風呂に入ったのは楽しい思い出である。


あの愉快なお風呂と比べると、

今の僕の入浴ライフは、まったく面白味が無いなあ。




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[ 2018/06/26 08:48 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
お風呂談義 2

風呂場でおっさんたちが交わす会話の多くは病気のこと。

高血圧、糖尿、腰痛、肝臓腎臓、尿酸値にコレステロール値・・・、

ほぼ自慢話である。

病気は排毒、つまり不要なものが排泄されることだから、

自慢してもいい。


もうひとつは子どものこと。

昔は、

他人の子を褒めて、自分の子のことは謙遜したものだけれど、

今はそうでもない。みな、自慢している。

でも、その時は嬉しそうでいい顔をしている。

おっさんは普段、あまりいい顔をしない生き物である。



身体は仏の住居であり、

子どもは仏のシンボルである。

だから、

どちらも自慢するのは良いことだろうな。


病気は食べ物と生活方法を変えれば改善する。

人間関係は言葉で改善する。

もし、

何も改善しないのなら、それは仏さまの戒めかもしれない。





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[ 2018/06/26 07:31 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
お風呂談義 1
最近は、銭湯や温泉施設にも、外国人のお客さんが増えましたね。

常連のお年寄りと仲良くなっている人も少なくない。

彼らを望診するのも勉強になります。

人類の起源はアフリカらしいけれど、

肌の色から観て、

黒人、黄色人種、白人を比べると、

黒人が最も陽性で、白人は陰性。

陰性だから陽性なものを食べ、

陽性な思考をし、

陽性な行動をとるのだろうな。


銭湯や温泉の風呂は男女別だけれど、

混浴があれば、それは若返りによろしい。

女性ホルモン男性ホルモンは皮膚からも吸収されるから、
 
という話が柳沢文正医学博士のエッセイにある。
(サラリーマンの愛情管理法11『若返りプロ』週刊サンケイ)

ちなみに、唾液の交換も同じである。

身体を洗うとき、

背中は流すだけで、石鹸で洗わないほうがいい 。

背中の脂肪を取りすぎると、皮膚の抵抗力が低下して風邪を引きやすい。

背中は陽性な症状が現れる、つまり陽性な排毒をするところである。

健康のために背中を石鹸で洗わないことは、

池波正太郎もどこかに書いていた。




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[ 2018/06/26 06:39 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
弘法大師の安心
安心は仏教語で、読みかたは「あんじん」

意味は、心がやすらかであること。 

安心はおしつけられるものではなく、そう思わずにはいられない心のこと。

原発とか在日米軍とか政治家とか、

安心なのかどうかは、そういうことです。

幼子は親がそばにいれば安心。

おとなになっても、親がいることで安心します。


宇宙法界も一粒の塵も、あなたも私も大日如来であるという立場なら、

現実にそうでは無くても、その自覚に生きていれば、

大日に包まれて生きるという安心が生まれます。親子と同じ。


親がいない時、

何か危険なことがあると、他の家族や近所の人が助けてくれれば安心。

同じように、

大日如来を感じなくても、薬師不動観音地蔵などが力添えしてくれます。
『弘法大師觀』(森田龍僊著)には安心について、

「三界六道、長く一如の理に迷い、常に三毒のことに酔うて幻野に荒猟して、帰宅に心なく、夢落に長眠す。覚悟いずれの時ぞ。

今、仏眼をもってこれを観ずるに、仏と衆生と同じく解脱の床に住す。これもなく彼もなく、無二平等なり。不増不減にして周円周円なり。すでに勝劣増益の法なし。何ぞ上下損減の人あらんや」(吽字義 汙字の義)

「平等の三密は法界に遍じて常恒なり。五智四身は十界に具して欠けたることなし。悟れるものをば大覚と号し、迷えるものをば衆生となづく。衆生痴暗にして自ら覚るに由なし。如来加持してその帰趣を示したもう」(声字義)

をあげています。

どちらも、衆生すなはち悟りの仏だから、それを信じ、理解し、勉強し、体得すれば安心、

ということ。

これは自分の心を知ることです。

だって、自分と仏が同じなのだから、

自心をよくよく観察して理解すれば、そこで仏になる。 


こういう心を身につけるのはトレーニングが必要。

多くの種類があるけれど、真言宗の先達は、

真言を念誦するというトレーニングを勧めてきました。

「これは老人婦女子も簡単にできる容易な修行である」

と、蓮体和尚の『真言開庫集』にあります。


 
僕に大きな可能性があるように、

宇宙全体すべての存在が大きな可能性を持っています。

その可能性は心のやすらぎになるばかりでなく、

社会や他人への貢献にもなる。


念誦や瞑想や勉強などで、大きなものを知り、

それと自分は同じと理解したとき、

一切の不安苦しみが消え、安心が得られます。



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[ 2018/06/22 18:12 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
合蹠
ゴボウのアクを抜くと、ごぼうの甘味は得られない。

陽性なアクは陽性な火によって、陰性な甘味に変わります。

ゴボウは便秘の滋養によろしい。

すりおろして使うのが最も効果的。


『顔体手相による自己診断』(渡辺正医学博士著 光和堂1969刊)を読んでいたら、


「天庭はいつも明らかで、光沢が無ければなりません。

横行結腸に大便が溜まると、前脳従って天庭の部に影響して額が黒ずんできます。

このような時には、他人の暗示を受け入れやすくなります。

新興宗教の熱狂的信者等には、このような人が多く見受けられます」


とあった。

つまり、

陽性過多の人、しかも繊維が足りず、脂肪のカロリーが多い人である。

天庭とは髪の生え際から少し下のあたり。


この人は西医学のお医者さん。

西式は手当て法がみな同じなのでどうかと思いますが、

その中の

合掌合蹠運動は面白くて気持ちがいい。

蹠は「セキ」、足裏のこと。

床の上に寝て、両手は合掌。

左右の足の裏を合わせ膝を開いて引き付ける。

この状態で、手足を伸ばしたり縮めたりする。


股関節が硬いと腰痛になりやすいですが、これをすると楽になり、

足が柔らかくなると、心が安楽になって、よく眠れる。





[ 2018/06/21 17:23 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
仕事と法則
賢いのは紫式部

美人は小野小町

両方兼ね備えているのが清少納言

と僕は理解していますが、

密教の仏さまには多くの姿形と能力性質があります。

全知全能を役割分担しているようなもの。

身体全体と多くの細胞のようなもの。

日の丸と君が代が日本を象徴しているようなもの。

いろいろ考えられます。




(『曼荼羅図典』大法輪閣から。下の写真も同じ)


このかたは虚空庫菩薩。

怨みと親切、悪と愛のような対立を離れ、

我と人など、社会の差別を超越し、

平等で平安な心を得る 瞑想の対象。

金剛業(こんごうごう)菩薩とも云う。

業とは仕事のこと。

『理趣経』には、

悟りを求める行い、

人をみちびく行い、

教えを受け持つ 行い、

それらが供養(仕事)である、

と書かれています。

この場合の供養は「サービス」のこと、

と松長先生は『理趣経』に書いています。

つまり、

仏の働きを表した仏さま。

それは衆生の救済、

他人の特徴をみつけて、その人のために働くこと。





こちらは金剛因菩薩。

因とは原因、法則のこと。

成道悟りの因は瞑想修行。

どんな瞑想か?

『理趣経』には 、

顔をやわらげ

心をよろこばし

微笑をたたえ

総てをとこしえの世界にみちびかんとする誓いに住する

とある。


この仏は、

纔発心転法輪(さいはっしんてんぽうりん)菩薩とも云う。

わずかに発心しただけで法を説く。


自分をじっくり観察すれば、

それが仏である、本質的なものは仏と同じ

と分かるから、すぐに説法できる。


どの仏さまも、

自分だけの小さな怒りやこだわりを、

仏の大きなそれに育てることを、

表現しています。



※出張いたします。

精進料理教室

密教瞑想法、密教ヨーガ教室

お話会(食養手当て法、望診法、姓名学)

その他いろいろ

一般のご自宅でできます。

・お問い合わせ先

電話:090-6257-1472

FAX :0285-35-4901

メール:gbqmk185@ybb.ne.jp





[ 2018/06/20 16:39 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
甘えて迷惑をかける
7年前の震災で、

屋根瓦が壊れたところは、業者が修理に来るまで、布ガムテープで補修した。

雨と紫外線で腐食するので、週に一度くらい屋根へ上がり、ガムテープを貼った。

当時最も効果的な方法であり、それが1年くらい続いた。


それはさておき、

空の思想に立てば、

過去も未来もなく、ただ現在が存続しているだけ。

では、

総てのものはどのように生まれ滅するのか。

真如縁起という考えかたがあり、

これは如来蔵縁起とも云う。

そこでは、

衆生は如来の胎児であり、
 
衆生は如来に蔵されており、
 
衆生は如来を蔵している 。

衆生は如来の功徳を蔵している。


この真如は、

衆生の煩悩の心の中にあって、しかもその煩悩に汚されたり滅せられたりしない。

それが如来の性質であり、僕らの本心、自性清浄心である。

この真如・如来蔵があるから、

生まれたり滅したりするのである。

僕らの心が悟りへ向かうか、迷いへ向かうかは、

水と波(本は水)のようなもので、

縁と条件による。

 
人は甘えられると嬉しい。

相手のことを好ましく思っていれば、

何をされても迷惑ではなく、

迷惑だとしても、それが嬉しい。

如来は衆生をそのように思っており、

僕らはそういう心になることができる、

ということ、と理解しています。




[ 2018/06/20 09:56 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
後半戦
今年も半分が過ぎましたが

2018は各桁を足すと画数11。

3桁以上の数字はこの方法で観ます。

11は、

不運があっても強運で跳ね返す力があり、努力が実る。

後半は安泰になる数 。


でも、

平成30は画数42

うだつがあがらない、才能が開花しない、

環境に欠点があり、周囲のアクシデントを被る。


今年はなるべく西暦で書きましょう。


夏は五行で火性、3と4が影響する季節。

これは名前なら人格 。

「須永 晃仁」では、永と晃を足した数。

僕は5(15)で土性だから、特に問題は無い。

3,4は1,2,5,6とは相性がよい。

ここは心臓を現す。無理をすると心臓が傷む。


夏は自我意識が刺激されやすいので、

自他を平等に見る練習をしていると、

心が調い、他人とうまくいきます。 



手相では、
 
生命線のはじまりを0歳

手首の線を90歳として、その真ん中が45歳

自分の年齢あたりの場所を観ます。
 
色が薄いなら陰性だから、陽性な食べ物を摂り、よく運動する。

色が濃すぎるくらいなら陽性なので、陰性な飲み物をたくさん飲み、
 
読書瞑想芸術鑑賞などがよい。


人相では、

髪の生え際が0歳、

顎の先を60歳として、同じように観ます。

鼻先が40歳、

左の小鼻が41、右が42、

上唇が48、下唇が49になる。

そこの色艶がよければ問題なく、

色が薄ければ陰性なので、陽性なものを、

色が濃ければ陽性なので、陰性なものを摂れば良い。

 
暑い日は汗をかいて身体を冷まし、

身体を冷ますカリウムの多い野菜をたくさん食べる。
 
寒い日はお腹と足首を温め、

身体を温める時間をかけたもの、少し焦げ目がついたものなどを食べる。


心を安穏にするのは、

他への親切、

何かの手伝いをしたり、手を差し伸べる、

それで心は平安になる。

また、

ありがとう

おいしかった

楽しかった

と言えば、自分も相手も心地良い。


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[ 2018/06/19 17:17 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
地震お見舞い申し上げます。
物故者の菩提とともに、

被災地の復興と安全をお祈りいたします。


7年前、我が家周辺では、

水道の復旧にもっとも時間がかかりました。

お風呂に貯めてあった水をトイレに使い(田舎なので外でも出来たけれど)

井戸のある家から水を貰い、

最後には、水が出る親の家まで行きました。

そういう時 、

必要なのがガソリン。

自転車も有用ですが、

遠距離や荷物がある時は自動車に頼らざるを得ない。

逃げる時や助ける時にも必要。

なので、

あれ以来、ガソリンは常に満タンにするよう心がけています。

それからバッテリー。

車のシガーソケットから充電できる充電器はとても有効。


情報は地元放送局のラジオや行政の発表が役に立ちました。

情報で大切なのは事実かどうかです。

事実の確認が取れないのは拡散すべきではありません。

 意見や感想は控えたほうがいい。


安否確認は、電話やメールより

LINEやSNSのほうが安定しています。


最も大切なのは思いやり。それが不安を減らします。



目を大きく開き

掌を上にして、

深呼吸をしましょう。


いつどこで起きるか分からない災害ですが、

お互い気をつけましょう。





[ 2018/06/19 11:28 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
若者とおじさん
今月のサクランボと8月の桃は、旬の時期が短いけれど、

他の季節では味わえないうまさがある。


そのサクランボを寮生活している息子に届けた。 

 定期試験と受験が済み、晴れやかな顔をしていた。

この夏はたくさん遊ぶらしい。


若者とオジサンの違いはいろいろあるけれど、

視線もそのひとつ。

若者は前を向いている、そして前進する。

オジサンさんは後ろを見て懐古する。

あの頃は良かった、なんて。

だから、

前を見ていれば、僕だって若者になる。

でも、ちょっと気を緩めると過去を思う。

あの時、一緒にここへ来たなあ、楽しかったなあ。

あの日、スーツを着た後姿を見送ったなあ。

あの震災を思い出せば、涙さえ出てくる。



仏性とか如来蔵とか本有本覚という言葉がある。

僕らは既に成仏している、元々完成している、

ということ。

僕は満月のように清浄で光輝いていた。

なのに、

いつのまにか、世間の垢塵でそれが見えなくなっている。

ならば、

オジサン特有の力で、過去を思い出すことができるかもしれない。

迷う前の自分に帰ることが。

その時、

何に対しても、切なくて優しくて美しく、

清々しい心をもてるようになるのだろう。


※ホームページに勤行次第と瞑想次第 載せました。

どうぞ、ご利用ください。




[ 2018/06/18 07:22 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
じゃんけん
BIGLOBEのトップページに、

ジャンケンでくじがもらえるコーナーがあり毎朝挑戦。

連戦連勝である。


じゃんけんの研究はいろいろあるようで、

わずかにパーが勝ちやすい、という傾向があるみたい。
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180407103039.pdf?id=ART0010356931

まったくランダムならグーもチョキもパーも、

その割合は33.3%づつのはずだけれど、

いくつかの調査によると、

チョキが31.7%
グーは35%
パーは33.3%

わずかにグーが多い。

なので、パーを出すと勝ちやすい。


陰陽で考えてみましょう。

グーは陽性な 形です。

自律神経が陽性なとき、つまり興奮していると出しやすい。

陽性な力があれば、必ず息を吸う。

赤ちゃんは陽性なので、掌を握っています。


パーは指を伸ばす、つまり拡がる力だから陰性な形。

リラックスしていると出しやすいけれど、

指の出しかたには違いがあります。

体調がよければ五指がピンと伸び、

疲れがあると指が曲がります。

ジャンケンでパーを出す時は、

思いっきり指を伸ばすことが多いので、陰性な力がある、

ということ。

こういう時は呼気が調っている。

もし、

陰性な力が無い、つまり陽性過多なら指を伸ばせないから縮まりグーになる。


チョキは陰陽両方の力がある形。

通常は人差し指と中指を伸ばすけれど、

人差し指は大腸、中指は脈 と関連しており、

そのあたりが弱いと、伸ばせない、力が入らない。


地球上の陰陽は、

陰陽が若干多いくらいでバランスが取れているので、

少し陰性なら、陽性とも陰性とも渡り合えます。


上記のことから、

陽性な体質、または陰性な環境ではグーを出しやすいので、パーを出せば勝てる。

陰陽のバランスが比較的取れている、同じくらいの相手の場合、

チョキを出す可能性が高い。


相手がコンピュータの場合はどうなのだろうか。

なぜ、僕は連勝しているのか。

もう少しで答が出そうな気がするけれど、

じゃんけんの上級者はチョキが多いようです。

[ 2018/06/14 12:33 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]



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