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おこげ
トーストは真っ黒になるくらい焦げたのが好き。

僕はお腹が冷えやすいので、オコゲのような陽性をおいしく感じます。

オコゲは炭素だけれど、

炭素は空気中にも体内にも、食べ物にも、いろいろなところにあります。 

有機物ですね。

空気中の二酸化炭素や塵などに含まれている炭素は、

もちろんひとつではなく、たくさんあります。

それらは同じ炭素だから、同じ姿と性質と働きがあると考えられます。

その空気中の炭素と、

僕の身体の中にある炭素と、トーストの炭素は、同じなのか違うのか。

きっと、隣に寄り添っているものは違うでしょうね。

でも、

個としては別物だけれど、

同じ性質、姿、働きを持っている炭素。

その炭素はどこからきて、どこへ行くのか。

エネルギーになり、

空気になり、

身体になり、水にもなり、

炭になり、

ダイヤモンドにもなる。

変化して、何かの共になる。

もちろん、

仏にも僕にも衆生にもなる。

しかし、

炭素という実体は、

本当は無い。
 

※「ひとこと

※「阿吽・精進料理散策

※「僕の鉄道日記
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[ 2019/01/19 11:31 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
存在の原理
先日、横浜で望診法の講義をしましたが、

望診法のバックボーンになっているのは陰陽の理論です。

それは、

陰と陽の(力の)バランスによって、あらゆるものが存在する、

と考えます。

物理学や数学にもそれぞれの原理法則があるのでしょうが、

仏教には、

空、無常、縁起、無我、本不生などの言葉で表現される、

あらゆるものの存在の原理と法則があります。

仏教の目的は、それを悟る、ことです。

そして、

この原理法則を、

三摩地という瞑想修行によって体験します。

なぜ、そのようなことをするかといえば、

僕、あなた、仏、人間関係、生死、地球、宇宙、動物植物鉱物、心、悩み、不安・・・。

それら存在の原理法則を知らないことが、苦しみになるからです。


仏教は平等を基本にしていますから、

僕、あなた、仏、人間関係、生死、地球、宇宙、動物植物鉱物、心、悩み、不安は、

みな平等です。

ですから、

すべてのものは他のものが存在する助縁になっている、

つまり、
 
あなたが僕を存在させている、
 
植物が動物を、僕が地球を、生が死を存在させ、

他のものを生み出す働きをしている、

育てる働きをしている

助ける働きをしている

と考えています。

それを慈悲と云います。

そして、

他を助けるため(つまりは私が存在するため)には智慧が必要になる。

そうして、

慈悲と智慧というふたつが、仏教の中心になります。


[ 2019/01/17 12:27 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
餃子のタレ

僕はコロッケもサラダも醤油をかける。


醤油は素材の味を引き出すけれど、

ソースはその力が弱い。



餃子のタレは、

醤油とお酢とラー油が定番である。

この組み合わせは誰が考えたのだろうか。

油を溶かす辛味と、たんぱく質を溶かす酸味を合わせるのが素晴らしい。


ところで、

醤油とお酢は簡単に混ざるけれど、

ラー油は油だから混じりにくい。

でも、丁寧に混ぜれば一体のタレとなる。


仏教の基本は、

仏と自分と衆生の三者がまったく平等である、

ということ。

この三平等が根底に無ければ、戯論であり、危険な思想につながる怖れがある。


仏と自分は、

自分と衆生は、

よく混ざり合い、一体になっているだろうか。

お互いの助けになり、

相互の味を引き出しているだろうか。


[ 2019/01/16 11:37 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
僧衣あれこれ
薄田菫泣の『茶話』に載っている話を思い出した。

昔、ある学生が学校で時計を盗まれた。

それを知った校長先生は、

時計さへ持たなかつたら、盗まれる心配はないのだ

という素晴らしい教訓を学生に与えた。

しかし、

時計を持つていても、学校へ行かなければ盗まれる心配は無い、

というのも合理的な考えかたであり、


危険なのは、学校である、

という話。


 
僧衣を着て自動車を運転したら、

おまわりさんに捕まった、という話がある。

これは、

僧衣さへ着なければ良かったのだろうか。

それとも、

僧衣を着ても運転しない、と云うのが合理的なのだろうか。



僕は最近、

袖を邪魔に感じるので、

運転する時は作務衣を着て、現場で僧衣に替えている。



幕末から明治の傑僧で、東大印哲科最初の講師になった原坦山老師は、

身なりに無頓着で、洋服の上に袈裟を着けたりしていた。

法衣を着るように、と促す僧侶がいると、

「法衣はもともと中国の喪服だ。喪服が何になる!」

と一喝した話が『遺偈・遺誡』にある。


『秘蔵宝鑰』十四問答には、

多くの僧侶を見るに、頭髪を剃っても欲を剃らず、

衣を墨染めにしても心を善法に染めることを知らない

と書かれている。


法衣(僧衣)には元来二種類ある。

戒律を保つ僧が着る脱俗質実簡素なもの。

つまり、修行用の着物。

もうひとつは、

朝廷の服飾に準じた 華美なもの。

これは儀式用で、

複雑で種類も多く、官位僧位を表す。


堀内寛仁先生の『法衣法具解説』 には、

法衣の定義として、

僧徒が着用する衣服で、これを僧衣僧服とも称する。

法衣とは「如法の衣」であり、

日常生活を規定した律を守るものが着る。

仏教の精神が象徴されたものが法衣であり、

だからこそ、

僧と仏が同じ衣服を着用する


とある。




[ 2019/01/12 09:55 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
幻味
食べたり飲んだりしていると、

実際の味ではなく、イメージの味を感じる。

おふくろの味とか、

思い出の味とか、

食べたときの精神状態や環境や習慣に基づくもの。

本当の味と思い出の味は半々くらいかもしれない。

その実在しない味は、

思い込み、錯覚、妄想であり、

幻、蜃気楼のようなものだけれど、

「実際には無い」という状態で存在する。 

仮味と実味。



食べた、という現実があり、

うまかった、と感じる現実もある。

その中に幻がふくまれているのも現実である。

本体本質はどこにあるのだろうか。

味覚だけのことではない。



[ 2019/01/08 11:47 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
観音宝生
元旦には観音宝生のお札をいくつか拝みました。



笑うと周囲に宝が生まれますが、

観音を拝むと、自心に宝が生まれます。


『十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経』には、

任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)

という、観音を拝む勝利(功徳)があげられています。


観音とは、よく観察することですが、
 
観察して見極めることは、自心を知る上でとても大切。

そして、

自心を知ることが、仏の智慧であり、悟りであり、最勝の宝。


仏の智慧には宗教的修行によって体得する直観智が多いのですが、

この、見極める智慧は、人間的現実的科学的といえるでしょう。




[ 2019/01/07 15:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
今月今夜の月
今日は日食ですね。

拝むには好日です。

そして、今日は新月。

僕は新月の日、つまり朔日に生まれました。 
 
ある日の月齢は19年先の日と同じになるので、

19歳、38歳、57歳、76歳、95歳の誕生日の月を見れば、

自分が生まれた日と同じ形の月が眺められます。


新月は数えて16日目に満月になる。

そのように、

隠れている心も16の修行によって、

満月のように光り輝く心になります。

『菩提心論』には、

瑜伽の観法(心をまとめる瞑想修行)によって、

ほんの少しの清らかな性質が次第に発展して、十六の円満体になる

元々具わっている仏の性質が、朔日から十五日に至って、円満で、さわりなきものになる

とあります。


「高野山家宝暦」によれば、
 
僕(57歳・三碧木星)の今年は、
 
自分らしさを大切にする年、

とのこと。 




ひとこと

精進料理日記








[ 2019/01/06 09:32 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
年末年始日記
あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。


年末30日は船橋の家でおせちを作る。

31日早朝、中央道を通り、飯田の立石寺へ向かう。

途中、富士山がきれいに見える。

お腹が空いたので、サービスエリアのレストランに入ったら、

大人ですか?

とレジで聞かれる。

えっ?

60歳以上は1割引になりますけど

と、ウエイトレスが言う。
 
僕も貫禄が出てきたのだろうか。

年寄りにみれらるのは、尊敬されるということである。


寺に着いて掃除、祈祷の準備。



夢守袋も据える。

夕方、ホテルへ投宿。


元日、6時に寺へ行き、

十一面観音の供養法と護摩法を修法する。

山の古寺,しかも建物の傷みが多いので、

堂内にいても屋外と温度は変わらない。

最も気温が下がる日の出時間だから、

仏器が冷凍状態で、水を入れると瞬間に凍る。

やはり、寅の刻(午前3時から5時)に拝むのがよい。


拝んでいると、

おめでとうございます

今年もよろしくお願いします

おみくじの棒は箱に戻すのですか

凶を引いちゃいましたよ

と話しかけられる。

返事をしたいのはやまやまだけれど、

真言を唱えたり観想しているから答えられない。


それから、

おみくじで凶を引いたら、

納得いくまで何回引いても構いません。

僕が平安を拝んでいますから。


それにつけても寒い。

寒いけれど、寒いだけである。

寒さで関節が痛い。

これも痛いだけである。



修法終わって片付け、

ごあいさつなどしてホテルに帰る。



2日早朝出発。

船橋へ戻る。

途中、諏訪から小淵沢までは雪で、ゆっくり走る。


お昼前に到着、

妻が作ってくれた雑煮で一献。




3日早朝出発して、栃木の家へ。

その後、足利市福厳寺へ墓参り。

寺の裏山で記念写真。


 
市内の織姫神社境内にあるそばや「蕎遊庵」で昼食。

夕方、熊本で地震がある。


帰宅後、

何かおすすめの本はある?

と長男から聞かれたので、

『駅前旅館』 井伏鱒二

『下駄の上の卵』 井上ひさし

『虚空の眼』 フィリップ・K・ディック

『当世書生気質』 坪内逍遥

『城の崎にて』 志賀直哉

を渡す。


アルバイト代のほとんどを服に使う次男が、

親父(祖父)や僕が若い頃着ていた服を漁っている。

時々、気に入ったものが見つかるらしい。

 


ひとこと

阿吽・精進料理散策




[ 2019/01/05 08:00 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
連続合掌
リクエストがありましたので、動画を作りました。


[ 2018/12/28 10:48 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
ジャガイモ千草焼き
久しぶりに動画を作りました。

ご笑覧ください。


[ 2018/12/28 06:33 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
君の理由
君がイライラしている。

そのイライラはなぜ起きたのか。

その理由はあるけれど、今はどうでもいい。

そのイライラはいつか無くなる。必ず無くなる。

無くなってどこにいくのだろうか。

それも今はどうでもいい。

何より、

生じて滅するものだから、

唯一常住主宰ではない。

蜃気楼や幻と同じである。



子が親の言うことをきかない、

ということがある。

それは親の思い通りにならないということで、

子に何かあるわけではない。

だから、

なぜ言うことを聞かないのか、

と聞いても無駄である。


ウソをついてはいけない 、

人をだましてはいけない、

これらはなぜか、の理由はあるけれど、

ダメだからダメなのだ、という躾でもいい。

同じように、

イヤだからイヤだという子(大人)も、

イヤな理由はあるけれど、それを無視しても構わないはずである。

それらの理由は、

認識していないだけであり、

探索すれば不可得である、と知る。


僕は我慢を知っているから、

ただ、じっと見ることができる。


君は、

元気で生きていてくれれば、

イライラしても、言うことを聞かなくても、

まったく問題ない。

問題無い理由もあるのだけれど、

問題ないから問題無い、

ということで構わないのである。



[ 2018/12/23 11:10 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心の内外
飯田市立石寺本堂は350年前に建立。

建物の傷みが多く、あちこち穴だらけなので闖入者も多い。

先日はテンがやってきた。意外にキレイな動物である。

ネズミの被害も多い、とこぼしたら、

ある人が、

ネコを飼うに限る、

と云う。

別の人からは、

フクロウを飼えばいいんじゃない、

と教えられる。

境内にはフクロウが似合う大木がある。


それよりも、闖入者が入れないような新しい本堂を作れば解決する。

一生懸命働けば何とかなるだろう。


それはさておき、

僕は乗り物が好きなので、

車、電車、船、飛行機、重機などを見れば乗ってみたい、

できることなら運転したいと思う。

そうではなく、

仕事や買い物で必要だから車を運転する、電車に乗って出かけることがある。

乗りたくない、面倒くさい時でも、乗り、運転する。


数珠を持てば拝みたくなり、包丁を持てば何かを切りたくなる。

そうではなく、

拝むときに数珠を探し、

料理するから、包丁を手に取ることもある。

やらなければならないから、そうする。


ありがとう、と自然に心から思う時があり、

無理やり、又は形式的に言うことがある。



そうしたいから、そうするのと、

したくないけれど、そうするのとでは、

心の純度にずいぶんと違いがあるような気もするけれど、

よくよく考えてみれば、

環境(外見、形状)と心はつながっている。

だから、

そうすることによってこそ、心の純化が進むのかもしれない。



 


[ 2018/12/21 17:08 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
やめて
昨晩は、おみくじ紙2000枚の整理。

その中に凶は何枚入っているでしょうか。

教えたいけれど教えない。


テレビのニュースで、

清水寺の貫主さんが「今年の漢字」を大きな紙に大きな筆で書いていたけれど、

袖の大きな色衣に緋色の袈裟姿でした。

書きにくそうな衣体だなあ、とまず思った。

僕らの業界では、

作法に支障がある、拝みにくい、しかも高価な衣装が幅を利かせています。

なぜ、そのようなものを着るのだろうか。

本来は、ボロ衣をつなぎ合わせたものだったはずなのに。


自動車のハザードは緊急用です。

故障や事故、非常時停車や渋滞での減速などを伝えるためのもの。

最近は、

道を譲ったり、列に入れたりすると、ハザードを点灯させることが流行っていますが、

あれは止めてほしい。

非常事態かと思って緊張してしまう。

また、

LEDランプのハザードはとてもまぶしい。

夜に突然チカチカされると、眼が眩む。



Facebookで、

自分のプロフィール写真が誰かに変更されて、

ハングル文字の入った女性の写真になっていた。

アカウント乗っ取りというものらしく、

Facebookに報告して削除して、パスワードを変更。

こういうことも止めてほしい。


 


[ 2018/12/18 09:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心の壁、愛の橋
ジョン・レノンは9をラッキーナンバーとしていたらしい。

しかし、陰陽学の理解で9は凶数。

破壊のエネルギーがあり、一歩間違うと壊れる。

なんだか、ジョンの運命を示唆しているような気がする。


小学校6年生の時、

クラスには、ビートルズ派とカーペンターズ派がいた。

僕は、エルトン・ジョンとのデュエット曲「真夜中を突っ走れ」を聞いてから、

ジョン・レノンの、ビートルズのファンになった。

その曲はアルバム『WALLS AND BRIDGES(邦題:心の壁、愛の橋)』に入っている。

後に、ピンク・フロイドの『The Wall』に心酔して、

僕は壁の中のひとつのレンガ、

その心の壁を崩せば僕の世界は変わる、

と信じた。

『The Wall』の発売から10年後、ベルリンの壁が崩壊する。


ビートルズで好きなアルバムは、

『ホワイトアルバム』と『サージャントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド』

それまでの常識という壁を壊した作品だと感じている。

そして、

映画『イエローサブマリン』のなかで、

「一人ぼっちのあいつ」がかかる場面が大好き。 


受験生だった年の12月8日、

ジョン・レノン死去。

僕はその前々日に新作の『ダブル・ファンタジー』を買い、

ディクテーションをしながら、英語の受験勉強とした。

 
先週の土曜日、

錦糸町の「六弦」という素敵な音楽酒場へ、

SOYA BOXのライブに行く。

ビートルズの曲三昧で、メンバーにカッコいい同級生もいる。

一緒に行った妻は、洋楽にあまり詳しくないけれど、

ビートルズの曲は聞いたことがあるものが多く、楽しかったみたい。


僕は今でも壁の前にいるけれど、

それを壊すより、橋を架けたいような気持ちに変わってきている。





[ 2018/12/17 07:26 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
僕と僕以外のもの
迷い・悩み・苦しみ・執著・貪り・怒り・愚痴などの煩悩は、

酸性体質で交感神経優位の時に生じるので、

それを改善すれば消えます。

そうなると仏教など必要無いのですが、

多くの人は健康を維持することができないから、迷い煩悩が生じてしまう。

そして、

仏教の修行は、身体をアルカリ体質にして、副交感神経を優位にするから有効。


それはさておき、

近代仏教学の確立に貢献した木村泰賢博士が

「アビダルマを研究した人が玄人の仏教学者で、

 そうしない人が素人である」

と言っていたことが、『佛教哲理の発達』に書いてあります。

アビダルマとは、

「ブッダの教えに対する考察と研究」

ブッダ(お釈迦さま)の教えを勉強することで、

心が静まり、苦しみから解放される、と考えたものです。

具体的な内容は、「存在の分析」。

私は何者か、
 
あなたは、宇宙は、心は、迷いは、悟りは、苦しみは、

一体何なのか。

なぜ在るのか、どこから来て、どこへ行くのか

それらを分析して源が分かれば、解決法も見つかります。

 その秘密をお釈迦様は

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静などの言葉で説明しました。


密教では、それを「本不生(ほんぷしょう)」としています。

『大日経』に、

「私は、万物が本来的に不生であること、言語表現を超越していること、罪科を解脱していること、原因と条件とに束縛されないこと、空の智慧が大空に等しいことを悟った」

とあり、

『吽字義』には、

「始めの始めというように、展開してこれを極めれば、いずれも果てしのない因縁に従うゆえ 
 に、どれを取っても、その本とすべき固定したものはないのである。
 果てしの無い因縁の理を観察するに、その因縁の事相に即して、本初不生なる際限を知る。
 それがありとあらゆるものの根本である」

「もし本不生際を見るものは、これ実の如く自心を知るなり、実の如く自心を知るは、これ一切
 智々なり」
 
 (一切智々は大日如来の本体)

『十住心論』第九には、

「本不生はすなわちこれ心の実際なり。心の実際もまたまた不可得なり」

『秘蔵記』には、

「本不生際というは、心は虚空のごとくにして不生不滅なり。この本不生は不可得なり。
あびらうんけん(大日如来)なり」

とあります。


要するに、

存在の根本は大日如来であり、それは自心であり、宇宙であり、総てである、

ということなのですが、

その際、

大日如来とそれ以外、

自分と自分以外、

という区別が無いのです。

宇宙と宇宙以外の区別が無いのは、

全部が宇宙と考えれば分かるかもしれない。

僕は、僕以外のものがあるから僕が限定されて「在る」のですが、

その境目を無くす。

その上で、

大日如来は本不生を象徴しているのだから、

大日と自分は不二である、という瞑想修行によって本不生を悟る、

という仕組みです。

何でもかんでも、境目区切り仕切り塀を無くす、はずす。

すると何も無くなるのですが、そこが分割できない全体性という本不生際。



ひとこと

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[ 2018/12/11 09:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
望診法講座のお知らせ
私たちの体は「食べ物」によってできています。何をどう食べるかによって体質も変わります。
食べ物は血液となり、脳にとどき、性格や生活も変わります。
身体に関わるお仕事なら、知っておきたい大事な知恵です。

この講座では、手、顔、足などを手相や人相のように見ます。
内臓や心の状態は身体の表面、特に手・足・顔・皮膚などの末端に現れますので、
それを見て身体の中の様子を察するのが望診法。

自分や家族、クライアントの症状の理解が深まり、日常生活や食生活のアドバイスに役立ちます。

★こんな内容も取り上げます★
・食材だけでなく、元素にも陰陽がある
・O157などの菌やウィルスの形にも陰陽があり、それに応じた手当て食がある
・白目の色、耳の形、湿疹の出る場所、吹き出物、目の周りの色つや、ほうれい線でわかる性格
・足の甲での望診
・足先から脳にかけてのつながり(神経反射)
・病気の症状、名前の画数による病例
などを予定しています。

奥深い理論を、豊富な事例でご紹介いただきます。
聞きたい事項、症状があれば是非お申込時にお書き添えください。

ノートがメモで真っ黒になること請け合い!
ランチは、こちらで軽食(炒り玄米粥)をご用意いたします。

【日時】
2019年1月13日(日)
 10時~13時 :人相の見方
 14時~17時 :手相その他の見方

【場所】
横浜市西区岡野 「umiのいえ」


【参加費】16,200円(税込)+テキスト代2000円=合計18,200円(事前振込) 

※詳細とお申し込みはこちらから。



[ 2018/12/08 07:53 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
迎合
法事の読経後にお話をしていたら、

ハイ!

と手を上げて親類のかたが質問をしてきた。

40代くらいの男性。

南無大師遍照金剛とはどういう意味か、と。

弘法大師空海のことで云々、とお答えをしたら、

三回忌などの法事はなぜ行うのか?

と次の質問。

室町時代くらいから形作られた日本独自の習慣で云々。


こういうことはありがたいですね 。

普段、仏教について言いたいことはいくつもあるけれど、

なかなか機会がない。

仏教は長く続いているだけあって、ずいぶんと内容が広がっている。

その中で、おかしなことも多い。

最も多いのが迎合 。

例えば、

お経とは何か 、何が書いているのか、なぜ唱えるのか。

葬儀とは何か、先祖供養とは?

卒塔婆とは、仏像とは、袈裟とは、・・・。

密教とそれ以外では思想が違い、経典解釈も違うのに、

そのあたりも、ごちゃまぜになっている。

正しく伝えようとしても、

解釈も言葉も相手に合わせる、世間に合わせる、業界の都合に合わせる、

というようなことが起こり、

それを一つ始めると歯止めがきかなくなり、

耳障りでは無い、ウケが良い話に変更され、

次々に間違いも生まれ、迎合から偽造になる。

ですから、

質問を受けて疑問を解決するのが、こちらとしてもありがたい。

ですからみなさん、もっと質問してください

お経を聞くよりも功徳を積むことができるし、供養になる 。

質問大歓迎。




[ 2018/12/06 09:05 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
さだめなきもの
男性用尿漏れパッドのテレビCMを観ていたら、 

それを着けたであろう男性が、

最後に大ジョッキを嬉しそうに傾けていた。

これで安心、

ということだろうか。

尿漏れがあるならビールを飲まなければ良いのに。

身体は枯れてきたのに、欲は枯れていない哀れさを感じる。


モノがあふれて豊かな時代では、

何かを良くするためには、何かをやめるのが云い。

でも、

それでは経済が発展しないかな。

世の中は、

練習しないで試合に勝ちたい、

勉強しないで合格したい、

運動しないでダイエットしたい、

そういうことを解決する特効薬のようなものを作って、

経済は発展してきたともいえるかな。


それはさておき、

ある人から電話があり、

特に用事はない、と云う。

世間話をしてから電話を切る。

その後、ちょっと考えた。

ホントは何かあったのだろうか、と。

少し、心に引っかかるものがある。


このような思いは、いったい何に由来しているのだろうか

そんなことは思わなくてもいいのに。
 
世の中はそういうことばかりで、思わなくても良いことを思うのが毎日である。


そういう時は、その思いがどこから来たのか考えてみる

どんなことを思っても、それは無自性である。

栂尾先生は「さだめなきもの」とか「さがなきもの」とフリガナを振っている。


一切は無自性であると悟れば、

その悟る心も、さだめなきものであるから、総てが平等になる。

これが身体であり、これが心である、という差別も無くなり、

大空の安らいの中に入って、

静けさと究極の智慧に住して、

怠け退く心が無くなる、

というようなことが『菩提心論』にある。

つまり、それらは妄心なのであろう。

無自性だから追随しなくてもいい。

そうわかれば、

これで安心、である。



[ 2018/12/04 12:01 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
2019年 新年祈祷・年間祈祷のご案内
子が親を呼び(自分の工夫)

親が子に気づき(仏の力添え)

近くの人が手を貸す(宇宙の包容力)

このみっつで願いは叶います。

2019年も、一年間の平安と所願をご祈祷いたします。

皆様のご祈願を拝みますので、

お気持ちがありましたら、お申し込みください。



1、新年祈祷(30cmの護摩木札をお送りします。祈祷料 5,000円)

元旦に本堂でご祈祷します。

2、年間祈祷(30cmの護摩木札をお送りします。祈祷料 10,000円)

毎月18日に、一年間ご祈祷します。

●願意例

厄除招福、家内安全、商売繁盛、心願成就、開運厄除、身体健全、当病平癒、良縁成就、安産成就、学業成就、

交通安全、旅行安全、方災消除、如意円満、如意吉祥

報恩感謝、滅罪生善、止息煩悩、心身寂静、福智増長、一切調和、諸仏加持、転迷開悟など


3、先祖供養(故人の菩提を祈願します)

一年間、毎月命日に拝みます。

戒名、命日をお知らせください。祈願料一霊 10,000円



お申し込みはこちらのページ下のメールフォームから。

※祈祷・祈願料のお支払い方法(振込口座)は、

お申し込み後にメールでご連絡します。

瑜伽者(拝む人):千頭山 立石寺 住職  須永 晃仁

[ 2018/12/01 12:09 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
金輪
鳴門不動院の護摩供に、

地元のケーブルテレビが取材に来ました。

修法後、若い女性レポーターが 、

これは外護摩(げごま)ですよね

と言う。 


火を燃やして目に見えるものが外護摩で、

心の中で観想する護摩を内護摩と云う。
 
これは同時に修法します。

そうでなければ、ただの焚き火。 



今はギャラリーを集めて、ショウやパフォーマンスのように護摩を焚きますが、

本来はひとり静かに行なうもの。

外で薪や供物を焼き、

心内で智慧を増長させ、それによって迷いを焼尽する。


智慧(最勝を求める向上心、本来不生不滅を知る心、光明そのもの)が

慈悲(自より他を先にする思いやりと優しさ)に住している状態を金輪と云います。

この金輪が迷いの暗闇を照らし、

自分と仏が同じであることを悟ります。

護摩の火はこの金輪の作用、

と観想し、

それを実際の火が支えます。


密教では、

生活の中で唱える真言がたくさんありますが、

他からの障碍を絶ち、

自らを成就するために、

必ず唱えるのが金輪の真言。 


勉強、練習、努力工夫精進した時、

この真言を唱えれば、

周囲の功徳がみな自分にあつまります。

それが金輪の徳用。

 


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[ 2018/11/29 11:04 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
精進のおせち料理レシピ
今年も一般向けにPDFデータで頒布しますので、ご活用ください。 
(PDFファイル556kb) 



何か一品でも作ると、お正月らしくなります。 

作りかたで不明な点があれば、御連絡ください。 


ご希望のかたはこちら から。

・頒布料 2240円 


・メニュー一覧 

1、コーフーフライ 
2、煮しめ 
3、利休膾 
4、高野時雨 
5、葡萄豆 
6、八幡巻き 
7、豆腐味噌漬け 
8、レンコンボール 
9、京芋と巻き湯葉の含め煮 
10、ポテトサラダ 
11、湯葉佃煮 
12、くわい素揚げ 
13、酢れんこん 
14、生麩磯辺 
15、湯葉金平巻き 
16、黒米おこわ 
17、金柑甘煮 
18、百合根塩蒸し 
19、湯葉竜田揚げ 
20、慈姑 
21、揚げ結び昆布 
22、しいたけ利休揚げ 
23、湯葉納豆包みから揚げ 
24、きんとん 
25、錦糸湯葉 
26、おせちカレー 

[ 2018/11/28 10:08 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
子どもとお寺
曹洞宗の関大徹和尚が、

これからの寺で大事なのは子どもだ、

というようなことをどこかに書いていた。

それは昭和30年くらいのこと。


家族でお墓参りに行ったら、 

墓石を掃除するのは子どもの仕事だ、と僕は思っている。

お線香の束に火をつけるのも、子どもにやらせるのがいい。


お寺は広いから、子どもが遊ぶにはよろしい。

お寺は修行する場所だから、

勉強するにもいい。

面白いものもたくさんある。

下駄をはいている人も見られる。

一人ぼっちで心静かに過ごすこともできる。

子どもに好かれるお寺を考えれば、

今の仏教に関わるいろいろな問題も解決するかもしれない。









[ 2018/11/27 06:06 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
おみくじを引こう:吉と凶の違い
くじを2000枚用意したのだけれど、

どうやって引いてもらおうか考えています。



これは江戸時代寛政年間の御神籤箱。約220年前のもの。



表に「十一面大士籤」とある。

当時の人は、これを引いて何を思ったのだろうか。

どんな祈りと希望があったのだろうか。



こちらは明治時代のもの。



明治38年
征露
砲兵一等卒

などの文字が刻まれている。

おそらく、銃砲身でつくられたおみくじ器。とても重たい。

日露戦争に勝利し、

人々は何を思い、何を祈ったのだろうか。


そもそも、おみくじの吉や凶とはなんでしょうか。

もし、大吉を引いたのなら、

それは単なる偶然なのだろうか。

因果の法則はどうなっているのだろうか。


密教の修法では、日時を選ぶことを重要視しています。

それは無魔成満のため。

もちろん、おみくじで決めるのではない。

『大日経』に、

期限を決めて修行するときは必ず吉日を選ぶことが書かれており、

日々の吉凶については『宿曜経』に説かれている。

その内容は、

岩原諦信阿闍梨の『星と暦と真言密教』に詳しい。



しかし『孔雀経』には、

一切の日は皆善

一切の宿は皆賢

と観じ、

菩薩はみな威徳を具え

羅漢はみな迷いを断じた、その徳に頼る 

とある。


吉も凶も、

おみくじを引けば、生きる力になるかもしれない。

理想とするものへ心を強く向かわせる力に。

まあ、そんなことは考えなくても、

おみくじを引くことは楽しい。






[ 2018/11/25 06:53 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
五体投地をしよう  運気の上げかた 5


両肘・両膝・額を大地につけて礼拝する。

これは懺悔のため。

懺悔すると罪が消えます。

内に懺悔、外に感謝することが宗教の基本ですが、

知っても知らずしても、僕らは悪いことをしてしまうから、

とにかく最初に懺悔します。

人間関係でも、それが基本、入り口。

ごめんなさい、から始まるといっていい。

まあ、そればかりではダメだけれど。


徹底的に懺悔すると、

自分も他人も、本来大きくて清浄なことに気づきます。

思いやりと優しさが最も重要なことに気づきます。

それが、

罪が消えると云うことで、運気が上がる。

どこでもできる修行方法です。

人間は動物だから、

ただ坐って瞑想するより、

身体を使ったほうが、修行効果は高い。

どこでもできます。

百回、千回、一万回と、続けるといい。






[ 2018/11/23 15:51 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]



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