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弘法大師の安心
安心は仏教語で、読みかたは「あんじん」

意味は、心がやすらかであること。 

安心はおしつけられるものではなく、そう思わずにはいられない心のこと。

原発とか在日米軍とか政治家とか、

安心なのかどうかは、そういうことです。

幼子は親がそばにいれば安心。

おとなになっても、親がいることで安心します。


宇宙法界も一粒の塵も、あなたも私も大日如来であるという立場なら、

現実にそうでは無くても、その自覚に生きていれば、

大日に包まれて生きるという安心が生まれます。親子と同じ。


親がいない時、

何か危険なことがあると、他の家族や近所の人が助けてくれれば安心。

同じように、

大日如来を感じなくても、薬師不動観音地蔵などが力添えしてくれます。
『弘法大師觀』(森田龍僊著)には安心について、

「三界六道、長く一如の理に迷い、常に三毒のことに酔うて幻野に荒猟して、帰宅に心なく、夢落に長眠す。覚悟いずれの時ぞ。

今、仏眼をもってこれを観ずるに、仏と衆生と同じく解脱の床に住す。これもなく彼もなく、無二平等なり。不増不減にして周円周円なり。すでに勝劣増益の法なし。何ぞ上下損減の人あらんや」(吽字義 汙字の義)

「平等の三密は法界に遍じて常恒なり。五智四身は十界に具して欠けたることなし。悟れるものをば大覚と号し、迷えるものをば衆生となづく。衆生痴暗にして自ら覚るに由なし。如来加持してその帰趣を示したもう」(声字義)

をあげています。

どちらも、衆生すなはち悟りの仏だから、それを信じ、理解し、勉強し、体得すれば安心、

ということ。

これは自分の心を知ることです。

だって、自分と仏が同じなのだから、

自心をよくよく観察して理解すれば、そこで仏になる。 


こういう心を身につけるのはトレーニングが必要。

多くの種類があるけれど、真言宗の先達は、

真言を念誦するというトレーニングを勧めてきました。

「これは老人婦女子も簡単にできる容易な修行である」

と、蓮体和尚の『真言開庫集』にあります。


 
僕に大きな可能性があるように、

宇宙全体すべての存在が大きな可能性を持っています。

その可能性は心のやすらぎになるばかりでなく、

社会や他人への貢献にもなる。


念誦や瞑想や勉強などで、大きなものを知り、

それと自分は同じと理解したとき、

一切の不安苦しみが消え、安心が得られます。



※お知らせ

1、施餓鬼供養(先祖供養)のお知らせ

2、お盆のお知らせ

3、ご祈祷のお知らせ

4、出張講座・教室のお知らせ







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[ 2018/06/22 18:12 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
合蹠
ゴボウのアクを抜くと、ごぼうの甘味は得られない。

陽性なアクは陽性な火によって、陰性な甘味に変わります。

ゴボウは便秘の滋養によろしい。

すりおろして使うのが最も効果的。


『顔体手相による自己診断』(渡辺正医学博士著 光和堂1969刊)を読んでいたら、


「天庭はいつも明らかで、光沢が無ければなりません。

横行結腸に大便が溜まると、前脳従って天庭の部に影響して額が黒ずんできます。

このような時には、他人の暗示を受け入れやすくなります。

新興宗教の熱狂的信者等には、このような人が多く見受けられます」


とあった。

つまり、

陽性過多の人、しかも繊維が足りず、脂肪のカロリーが多い人である。

天庭とは髪の生え際から少し下のあたり。


この人は西医学のお医者さん。

西式は手当て法がみな同じなのでどうかと思いますが、

その中の

合掌合蹠運動は面白くて気持ちがいい。

蹠は「セキ」、足裏のこと。

床の上に寝て、両手は合掌。

左右の足の裏を合わせ膝を開いて引き付ける。

この状態で、手足を伸ばしたり縮めたりする。


股関節が硬いと腰痛になりやすいですが、これをすると楽になり、

足が柔らかくなると、心が安楽になって、よく眠れる。





[ 2018/06/21 17:23 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
疾病と人相

陰陽研究塾の記事 84 

疾病と人相
  



 


[ 2018/06/21 17:10 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
仕事と法則
賢いのは紫式部

美人は小野小町

両方兼ね備えているのが清少納言

と僕は理解していますが、

密教の仏さまには多くの姿形と能力性質があります。

全知全能を役割分担しているようなもの。

身体全体と多くの細胞のようなもの。

日の丸と君が代が日本を象徴しているようなもの。

いろいろ考えられます。




(『曼荼羅図典』大法輪閣から。下の写真も同じ)


このかたは虚空庫菩薩。

怨みと親切、悪と愛のような対立を離れ、

我と人など、社会の差別を超越し、

平等で平安な心を得る 瞑想の対象。

金剛業(こんごうごう)菩薩とも云う。

業とは仕事のこと。

『理趣経』には、

悟りを求める行い、

人をみちびく行い、

教えを受け持つ 行い、

それらが供養(仕事)である、

と書かれています。

この場合の供養は「サービス」のこと、

と松長先生は『理趣経』に書いています。

つまり、

仏の働きを表した仏さま。

それは衆生の救済、

他人の特徴をみつけて、その人のために働くこと。





こちらは金剛因菩薩。

因とは原因、法則のこと。

成道悟りの因は瞑想修行。

どんな瞑想か?

『理趣経』には 、

顔をやわらげ

心をよろこばし

微笑をたたえ

総てをとこしえの世界にみちびかんとする誓いに住する

とある。


この仏は、

纔発心転法輪(さいはっしんてんぽうりん)菩薩とも云う。

わずかに発心しただけで法を説く。


自分をじっくり観察すれば、

それが仏である、本質的なものは仏と同じ

と分かるから、すぐに説法できる。


どの仏さまも、

自分だけの小さな怒りやこだわりを、

仏の大きなそれに育てることを、

表現しています。



※出張いたします。

精進料理教室

密教瞑想法、密教ヨーガ教室

お話会(食養手当て法、望診法、姓名学)

その他いろいろ

一般のご自宅でできます。

・お問い合わせ先

電話:090-6257-1472

FAX :0285-35-4901

メール:gbqmk185@ybb.ne.jp





[ 2018/06/20 16:39 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
甘えて迷惑をかける
7年前の震災で、

屋根瓦が壊れたところは、業者が修理に来るまで、布ガムテープで補修した。

雨と紫外線で腐食するので、週に一度くらい屋根へ上がり、ガムテープを貼った。

当時最も効果的な方法であり、それが1年くらい続いた。


それはさておき、

空の思想に立てば、

過去も未来もなく、ただ現在が存続しているだけ。

では、

総てのものはどのように生まれ滅するのか。

真如縁起という考えかたがあり、

これは如来蔵縁起とも云う。

そこでは、

衆生は如来の胎児であり、
 
衆生は如来に蔵されており、
 
衆生は如来を蔵している 。

衆生は如来の功徳を蔵している。


この真如は、

衆生の煩悩の心の中にあって、しかもその煩悩に汚されたり滅せられたりしない。

それが如来の性質であり、僕らの本心、自性清浄心である。

この真如・如来蔵があるから、

生まれたり滅したりするのである。

僕らの心が悟りへ向かうか、迷いへ向かうかは、

水と波(本は水)のようなもので、

縁と条件による。

 
人は甘えられると嬉しい。

相手のことを好ましく思っていれば、

何をされても迷惑ではなく、

迷惑だとしても、それが嬉しい。

如来は衆生をそのように思っており、

僕らはそういう心になることができる、

ということ、と理解しています。




[ 2018/06/20 09:56 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
数字の観かた
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[ 2018/06/20 08:56 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
後半戦
今年も半分が過ぎましたが

2018は各桁を足すと画数11。

3桁以上の数字はこの方法で観ます。

11は、

不運があっても強運で跳ね返す力があり、努力が実る。

後半は安泰になる数 。


でも、

平成30は画数42

うだつがあがらない、才能が開花しない、

環境に欠点があり、周囲のアクシデントを被る。


今年はなるべく西暦で書きましょう。


夏は五行で火性、3と4が影響する季節。

これは名前なら人格 。

「須永 晃仁」では、永と晃を足した数。

僕は5(15)で土性だから、特に問題は無い。

3,4は1,2,5,6とは相性がよい。

ここは心臓を現す。無理をすると心臓が傷む。


夏は自我意識が刺激されやすいので、

自他を平等に見る練習をしていると、

心が調い、他人とうまくいきます。 



手相では、
 
生命線のはじまりを0歳

手首の線を90歳として、その真ん中が45歳

自分の年齢あたりの場所を観ます。
 
色が薄いなら陰性だから、陽性な食べ物を摂り、よく運動する。

色が濃すぎるくらいなら陽性なので、陰性な飲み物をたくさん飲み、
 
読書瞑想芸術鑑賞などがよい。


人相では、

髪の生え際が0歳、

顎の先を60歳として、同じように観ます。

鼻先が40歳、

左の小鼻が41、右が42、

上唇が48、下唇が49になる。

そこの色艶がよければ問題なく、

色が薄ければ陰性なので、陽性なものを、

色が濃ければ陽性なので、陰性なものを摂れば良い。

 
暑い日は汗をかいて身体を冷まし、

身体を冷ますカリウムの多い野菜をたくさん食べる。
 
寒い日はお腹と足首を温め、

身体を温める時間をかけたもの、少し焦げ目がついたものなどを食べる。


心を安穏にするのは、

他への親切、

何かの手伝いをしたり、手を差し伸べる、

それで心は平安になる。

また、

ありがとう

おいしかった

楽しかった

と言えば、自分も相手も心地良い。


ホームページ



[ 2018/06/19 17:17 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
地震お見舞い申し上げます。
物故者の菩提とともに、

被災地の復興と安全をお祈りいたします。


7年前、我が家周辺では、

水道の復旧にもっとも時間がかかりました。

お風呂に貯めてあった水をトイレに使い(田舎なので外でも出来たけれど)

井戸のある家から水を貰い、

最後には、水が出る親の家まで行きました。

そういう時 、

必要なのがガソリン。

自転車も有用ですが、

遠距離や荷物がある時は自動車に頼らざるを得ない。

逃げる時や助ける時にも必要。

なので、

あれ以来、ガソリンは常に満タンにするよう心がけています。

それからバッテリー。

車のシガーソケットから充電できる充電器はとても有効。


情報は地元放送局のラジオや行政の発表が役に立ちました。

情報で大切なのは事実かどうかです。

事実の確認が取れないのは拡散すべきではありません。

 意見や感想は控えたほうがいい。


安否確認は、電話やメールより

LINEやSNSのほうが安定しています。


最も大切なのは思いやり。それが不安を減らします。



目を大きく開き

掌を上にして、

深呼吸をしましょう。


いつどこで起きるか分からない災害ですが、

お互い気をつけましょう。





[ 2018/06/19 11:28 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
アトピーと他症状の関係

陰陽研究会の記事 83





[ 2018/06/18 07:40 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
若者とおじさん
今月のサクランボと8月の桃は、旬の時期が短いけれど、

他の季節では味わえないうまさがある。


そのサクランボを寮生活している息子に届けた。 

 定期試験と受験が済み、晴れやかな顔をしていた。

この夏はたくさん遊ぶらしい。


若者とオジサンの違いはいろいろあるけれど、

視線もそのひとつ。

若者は前を向いている、そして前進する。

オジサンさんは後ろを見て懐古する。

あの頃は良かった、なんて。

だから、

前を見ていれば、僕だって若者になる。

でも、ちょっと気を緩めると過去を思う。

あの時、一緒にここへ来たなあ、楽しかったなあ。

あの日、スーツを着た後姿を見送ったなあ。

あの震災を思い出せば、涙さえ出てくる。



仏性とか如来蔵とか本有本覚という言葉がある。

僕らは既に成仏している、元々完成している、

ということ。

僕は満月のように清浄で光輝いていた。

なのに、

いつのまにか、世間の垢塵でそれが見えなくなっている。

ならば、

オジサン特有の力で、過去を思い出すことができるかもしれない。

迷う前の自分に帰ることが。

その時、

何に対しても、切なくて優しくて美しく、

清々しい心をもてるようになるのだろう。


※ホームページに勤行次第と瞑想次第 載せました。

どうぞ、ご利用ください。




[ 2018/06/18 07:22 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
病気を治すか、病気にならないようにするか

「我」と云うのはずいぶんと大きい。

想像するだけで際限がない。

そこには、良い面もあれば、そうでもないところもある。

その我が、

貪り欲望に目がくらんで苦しみにあえば、

布施という修行でその欲を剥ぎ取る。

怒りのために迷い苦しみがあれば、

耐え忍ぶという修行によって怒りを消す。

自分中心のために、他と比較するために、悩み苦しみが生まれれば、

禅や精進という修行で治す。

こういうことは、熱のある時に飲む解熱剤のようなもので、

対症療法に過ぎない。


それに対して、

病気にならないような身体を作る、

病気になりにくい生活をする、

という方法もある。


『秘蔵記』16には、

「諸仏は法界身であるから、我が身は諸仏の中にある

 我も法界身であるから、諸仏は我が身中にある」

とある。

法とは、地・水・火・風・空・識の六大

界とは蔵

つまり宇宙全体のこと。

そして、

「よくこの観をなして、諸仏を四明によって自身に引き入れる」

四明は四摂とも云い、

北尾克三郎氏は

「知覚のかぎによってとらえ

 それを神経の索によって引き寄せ、

 イメージの鎖につなぎ、

 感情の鈴を打ち振る」

と訳している。

詳細はこちら


つまり、

本来みな仏で在る、

という、あるがままの性に心をすえる。

自分が仏になれば、

自分の心は仏心だから、貪りも怒りも無知もない。

ついでに

仏身になれば、病気もない。


体質改善、心質改善をする、

ということである。



[ 2018/06/15 07:40 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
じゃんけん
BIGLOBEのトップページに、

ジャンケンでくじがもらえるコーナーがあり毎朝挑戦。

連戦連勝である。


じゃんけんの研究はいろいろあるようで、

わずかにパーが勝ちやすい、という傾向があるみたい。
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180407103039.pdf?id=ART0010356931

まったくランダムならグーもチョキもパーも、

その割合は33.3%づつのはずだけれど、

いくつかの調査によると、

チョキが31.7%
グーは35%
パーは33.3%

わずかにグーが多い。

なので、パーを出すと勝ちやすい。


陰陽で考えてみましょう。

グーは陽性な 形です。

自律神経が陽性なとき、つまり興奮していると出しやすい。

陽性な力があれば、必ず息を吸う。

赤ちゃんは陽性なので、掌を握っています。


パーは指を伸ばす、つまり拡がる力だから陰性な形。

リラックスしていると出しやすいけれど、

指の出しかたには違いがあります。

体調がよければ五指がピンと伸び、

疲れがあると指が曲がります。

ジャンケンでパーを出す時は、

思いっきり指を伸ばすことが多いので、陰性な力がある、

ということ。

こういう時は呼気が調っている。

もし、

陰性な力が無い、つまり陽性過多なら指を伸ばせないから縮まりグーになる。


チョキは陰陽両方の力がある形。

通常は人差し指と中指を伸ばすけれど、

人差し指は大腸、中指は脈 と関連しており、

そのあたりが弱いと、伸ばせない、力が入らない。


地球上の陰陽は、

陰陽が若干多いくらいでバランスが取れているので、

少し陰性なら、陽性とも陰性とも渡り合えます。


上記のことから、

陽性な体質、または陰性な環境ではグーを出しやすいので、パーを出せば勝てる。

陰陽のバランスが比較的取れている、同じくらいの相手の場合、

チョキを出す可能性が高い。


相手がコンピュータの場合はどうなのだろうか。

なぜ、僕は連勝しているのか。

もう少しで答が出そうな気がするけれど、

じゃんけんの上級者はチョキが多いようです。

[ 2018/06/14 12:33 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
住職辞令
高野山から住職辞令が届き、

これから法務局や県の手続きをします。

役所の仕事は法律で決まっているのですが、

いろいろ勉強になります。社会のしくみが分かる。

そういうわけで、

長野県飯田市・立石寺の第六十五世住職になりました。

 
 
特にイベントはありませんが、ご祝儀はありがたいです。


ここは1160年前に創建された古いお寺で、

四方を峠に囲まれた美しい山村にあります。立石柿(市田柿)の産地。

本尊十一面観音始め、七体の仏像が藤原時代(平安中期)のもの。

人口の少ない田舎の寺なので収入が少なく、

お堂も仏像も傷みが激しいけれど、これから復興します。


しばらくは、お寺と栃木を往復する生活になりますが、

ホームページ、ブログに所在を載せます。

次回は、7月5日から8日まで滞在。

7日(土)十三時半から施餓鬼供養、どうぞおまいりください。

ホームページは こちら


檀家規則はありませんので、入るのも辞めるのも自由。遠地でも結構です。 

もちろん

檀家でなくても、どなたでもお参り、供養、祈祷、修行、勉強、観光できます。

本堂は350年ほど前に建てられたものですが、

造りなおす前に、古いお堂もお参りください。

今後、

地域と仏法の興隆のために働きます。

皆様が悟りに近づけるよう、平安に暮らせるよう修行します。

何卒、よろしくお願いいたします。




[ 2018/06/14 07:46 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
電磁波の陰陽 その対策
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[ 2018/06/13 07:15 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
理趣経の話 もっと大きな自分
真言宗で常用している『理趣経(りしゅきょう)』は

帰命毘盧遮那仏(みょうびるしゃな)で始まり

毘盧遮那仏(ヒロシャダフ)で終わります。

毘盧遮那仏とは大日如来のことだから、

大日如来のことが書いてあるお経。


内容はいろいろたくさんあるのだけれど、

例えば、

常恒三世一切 時身語意業 金剛大毘盧遮那如來

栂尾先生の訳では

「昔と今と後の三世のすべてをつらぬきて、

身と言葉と心とのみっつの妙なるうごきをば、

とわにあまねく示します」


仏教は、創造主のような常住で唯一な主宰者を認めません。

諸行無常(あらゆるものは移り変わる)で、

すべては、縁と条件の関係性のなかにおいてのみ存在する、

と考えています。それを空と云う。

しかし、理趣経では、

大日如来は常恒(とわに)であると云う。

この場合、

大日如来は悟りそのもの、智慧の本体ということですが、

すべてのもの、存在、あなたも僕も大日如来のシンボルです。

大日が変化したもの、と言っていい。


それから

発菩提心 則為於諸 如來広大供養 

「さとりを求める行いは、とわの仏の供養なり」

つまり、

菩提心を発することが最大の供養である、と。

菩提心の内容は、

生きるとは他を救うこと。

自分が存在しているのは、自らが成長向上するため。

絶対自由の心になるために、心を調えること。

という三つ。


さらに、

一切有情 如来蔵 以普賢菩薩 一切我故

「仏は我の内に入り、まことの我をくみたてる

人のまことのその性は 如来のそれにことならず」

総ての存在は、仏の中にいる

そして、自分の中に仏をもっている

だから、一切は仏である

だから、一切を救おうとする「我」がどこにでも存在する



そして、

僕らのいろいろな言動は、本質的に清浄で菩薩の位である

と書かれています。
 

清浄とは自他の区別が無い心。

つまり

悟りの、成仏の範囲がとても広い

だから

僕のような人間でも安心と希望が得られる。


経全体を貫いているのは、

すべての人は、自分が思っているより、もっと大きくて素晴らしいのだ。

自分の周りにいる人も同じで、

お釈迦さまのようになれる可能性をもった存在なんだ。

だから、

お互い仲良くして素敵な未来にしよう。

というように僕は理解しています。


この思想を、皆さんに知って欲しい

そうすれば、悲惨な事件が減るかもしれないから。






[ 2018/06/12 17:18 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
野菜の話 その2


厚揚げとコンニャクとインゲンに山椒を載せてじっくり焼く。

ナスタチウムを添えると、ワサビに似た風味でうまい。


それはさておき、

家庭菜園では、

種を蒔いたり苗を植えたりしても、素人なのでうまくいかないことが多い。

それでも、

ネットを張り支えを立て、草も刈る。

ウチの畑にはオケラがたくさんいる。

柔らかくて弱々しくて、何だかとてもかわいい。


『秘蔵記』17に、凡人が仏になる過程が書かれている。

「種子を大地に蒔き、

水土の縁によって発芽する。

太陽の気によって茎葉が育ち、

解脱の風を待って具足し生長する。

みなすべて堅実ならば 、よく物を生じないことがあろうか。

これは虚空と同じである」


心の中にある種が、

いろいろな縁と条件により仏になる。

それは

ウチの畑で胡瓜が採れるようなものである。



[ 2018/06/12 10:02 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
野菜の話 その1
野菜を揚げる。


カボチャの花
 

柿の若葉

 

かきとったブロッコリー とインゲン

季節の味です。

今採れる大根をおろすと、とても辛い。

僕はこれが大好きで、額に汗をかきながら食べる。

脂肪と古い塩気をよく溶かす。



体調不良を感じたら、野菜をたくさん食べるに限る。

 不調の時はからだの動きが悪い、血行も良くない。

酸性症状が現れる。

それは野菜の陰性、アルカリ、繊維で改善する。

成分としては、

カリウム(固さ・陽性を溶かす)
 
カルシウム(体液の酸化を改善する)

ビタミンK (血中カルシウム量を増やす )

が多く、

青い野菜にそれらはたくさん含まれている。

そして、

クロロフィル(緑、つまり陰性)が酸素(陰性)と合わさり、

ヘモグロビン(赤い、つまり陽性)になる。

いわゆるサラサラと流れる血が作られる。

ウンコもたくさん出る。





[ 2018/06/11 16:47 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
健康診断について

陰陽研究塾の記事 82  



●健康診断を受けない理由


 https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/p8s6AXeRzH8







[ 2018/06/11 13:53 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
心得調柔
『秘蔵記』の四無量観を説明した中にあることばで、

こころが柔らかく調うこと

それが瞑想修行の利益。


瞑想の多くは慈悲行です。

慈悲は一切の有情(人や生き物、いのちあるもの)を安楽にし、

利益を与える。

中川善教先生は、

「慈悲の心をもって、人をしあわせにし、

人の成功を喜び、

色眼鏡をかけずに心から喜び、

平等のまなざしで、

自分勝手な考えなしで平等円満に観る」

と『諸尊通用次第撮要』に書いています。



一切有情はみな異なった姿をしているけれど、その本質は仏さまと同じ。
 
それぞれは海の波のひとつで、みな同じ海の水

波は生滅しても海に増減はない


にもかかわらず、

自分のことに目がくらみ、小さい波に執著して、

生死の苦海に耽溺している。

そこで慈悲の心をおこす 

だって、

自分も一切有情も、本来生まれつき清浄であるから。

それは作られたものや妄想ではなく、

そのようになっているもので、それぞれが個性をあらわして存在している。

そうして、自らの生きかたを創造する。





[ 2018/06/10 15:30 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
排毒を促す魔法のストレッチと瞑想
本文を読むにはこちらからパスワードを入力してください。

[ 2018/06/10 15:10 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
懺悔と愚痴
悪いことをしても、それを人にしゃべってしまえばその罪は消える、

それを懺悔というのじゃ、

と米朝の落語に出て来るけれど、

愚痴もそうかもしれない。

愚痴はサンスクリット語のモーハ(moha)の訳語、仏教語です。

意味は真実に暗いこと。

おろかさのことで、これは根本煩悩、

ここから貪り・怒り・慢心・欺瞞も生まれる。

ちなみに、

モーハの音写語はバカ。


世間の愚痴は人に言えば消えて、真実に気がつくかもしれない。 


ホームページ作成中です。

https://risshakuji.cloud-line.com/

愚痴はこちらからどうぞ。

メールより電話のほうが、愚痴には効果的かもしれない。


[ 2018/06/09 18:14 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
知る好きになる楽しむ
カリウムの多い夏野菜で身体を冷ますのと、

水やビールやアイスで冷やすのとはずいぶんと違う。

前者は体液をアルカリにして、繊維が多いから排毒を促す。 


スープや汁で水分を摂るのと

水やジュースを飲むのも違う。
 
前者は熱と時間の陽性があるから、お腹を冷やさない 。

まあ、暑い時は適度に冷やすのがよろしい。


熱中症はその辺と同じ理屈で、
 
陽性なものを多く食べ

それを消す陰性なものでも、繊維が少なく脂肪の多いものを選んでしまい、

そうすると陽性過多だから血が濃くなり、

血行が悪くなり排毒が滞る。
 
そして身体に酸性症状が現れる。


それはさておき、

『論語』雍也第六に、

知之者不如好之者
好之者不如樂之者 
(よく知る人でも、それを好む人には勝てない
 好む人でも、それを楽しむ人には勝てない)

がある。

 知るというのは楽しいけれど、対象が自分の外にあり、

それが好きになると、自分とすぐ近くになり、
 
楽しむ、になると自分と相手が融合する。


これからは

暑さを楽しむのがよいだろうな。




[ 2018/06/09 11:04 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
宇宙の中の僕と、僕の中の宇宙
加藤精神博士の『佛教哲理の発達』は古い本(昭和7年)ですが、とても分かりやすい。
 
『密教の日本的展開』(勝又俊教 著)

『密教概論』(高神覚昇 著)

とともに座右に備えています。 


密教は

僕が、心が、苦しみが、仏が、宇宙が、

どのように成立し、分析するとどのようなものか

と云うことより、

どうすれば成仏できるかに重きがあります。


たとえば、

遠い宇宙から僕を観ようとすると、
 
広い宇宙の中に銀河系があり、

その中に太陽系があり、そこに地球がある。

今は関東の田舎の、ある一点に僕がいる。

それは、

宇宙から見れば塵一粒にも満たないバイキンのようなものである。

でも、それらが集って地球太陽系銀河系全宇宙を作っている。


反対に僕から宇宙を観ると、

空に太陽や月があり、

その向こうに銀河系があり、さらに広く大きな宇宙がある。
 
そこにあるのは変化であり、常住で唯一のものは認められない。


そして、

その宇宙は僕が観て感じて想像しているものだから、僕の中にあると云っていい。

加藤博士は、
 
全宇宙は我々の心の影である

と書いている。

詳しくは、阿頼耶識というものの現れなのだけれど、とにかく心が作っている。

僕は宇宙の中にいて、僕の中に宇宙があるいうことは、

僕自身が宇宙そのものである、ということ。



例えば、僕とあなたは違うけれど、僕とあなたを構成しているものは、

酸素窒素炭素などの、同じ元素である。

本当は、元素も因縁生で固定した実体は無いから、

「仮に元素」とする。

同じものから作られたのに、僕とあなたが違うのは因縁が、縁と条件が違うからである。

同じ土から、茶碗や鍋など違うものができるのと同じ。

 
もちろん、

僕とあなた以外も同じである。

だから、

僕は一塵の中の土であり、仏であり、あなたであり、宇宙でもある。


僕には手足顔があるけれど、

手も元素からできている。

ここからここまでが手、というのはこちらの都合で決めたことだから、

足や顔は手の端っこと云ってもいい。

どちらにしても同じものである。

これは手である、

これは元素由来のものである、

水と波を観ているようなもの。


このように、

全体から見ればみな同じで平等無差別だけれど、

部分を見ると差別区別がある。


真如から観ればひとつ、同じだけれど、

事実は違う。


こういうことをよくよく考えれば、
 
一切衆生は仏であり仏の中にいて、

皆仏である、ということになる。

これが分かった瞬間、

苦悩は消える。





[ 2018/06/08 14:08 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
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[ 2018/06/07 09:15 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]



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