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こたえ
答附きの問題集が欲しい

と受験生の長男が言うので、この辺りでは一番大きな本屋に一緒に行く。

僕が仏教書コーナーでうろうろしているとき、息子も学参コーナーでうろうろ。

もはやこの時期、過去門だよね、と過去の入試問題集の分厚いものを数冊買う。

これ、欲しかったんだよねえ、と『化学辞典』も買っている。


その息子が朝ごはんを食べている時に妻が聞く。

プラスチックとシリコンって違うもの?

違うよ。プラスチックは炭化水素、シリコンはケイ素。

ふーん。



これで妻が理解したとは思えないけれど、質問したことに答があれば大抵の人は安心する。


人は死んだらどうなるんでしょうか?

という質問に答えられる人は少ない。なんだかインチキくさい答えを言う宗教者は多い。


お大師さんの『秘蔵宝鑰』冒頭に


「三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らず

生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」

(迷いの世界の狂人は己のすべてが正しいと思い、智慧無き者は正しくものを見ることができない。

あらゆる生き物は生死をくりかえしているのに、それが何のためであるかを究めようともしない)

とあり、

故・三井英光先生は

「食こそは直接生命を支えている基本である。

・・・・・・・・

その食事をどのように摂取すべきかというところに食時作法が生まれる。

即ち、どのように食事すべきかが先づ究明されねばならない。

此の事は生きる者の平常に心せねばならぬ一大事といふ事ができる」

と言っている。(『真言宗食時作法解説』)


生と死はセットだから、生は怠慢で放逸だけれど、死は美しく清々しい、というわけにはいかない。

食時作法の『蟲食偈』には

「体には八万四千の毛孔があり、九億の細胞がある。

 その細胞を養うために食事をするのだから、もし私が成仏した時には、真っ先に彼らを救いましょう。

心に執着を無くし、怒りを無くし、濁乱心を無くして食事をするのは、そのためである」



人が死んだらどうなるかは、知るべき脳が止まってしまうのだから、その答を知ることは絶対にできない。だから不安な人がいる。


でも、最善の仕事をしよう、最良の伴侶友人になろう、という気持ちとおなじように、最高の死を迎えよう、と努力工夫をして生活するのは、死の対岸である生にいる者として当然のこと。

正しい食事で、心安らかな人生ならば、いつかその答を知ることができる。
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[ 2012/07/17 15:26 | 米ぞうの家 ]



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