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世間の心
『大日経 』住心品には、

世間の心として 百六十心が説かれています。

この心をひとつひとつ観察して超えるのが修行の中心。

慈悲と智慧の永い積集が必要で、

顕教的です。

百六十心にある世間の心とは、

自我がある心、つまり、迷いのもととなる執着のある心で、

貪欲の心、貪欲を離れた心、憎悪の心、慈しみの心、愚かさの心、理智の心、

示唆の心、疑惑の心、暗愚になる心、明々白々となる心、凝集の心、闘争の心、

争論の心、争論のない心、神の心、阿修羅の心、龍の心、人の心、女の心、自在天の心、

商人の心、農夫の心、河川の心、池沼の心、井戸の心、あまねく見守る心、など。


これらを瞑想修行によって超越することで、浄菩提心が現れる、

または、

無我の心が生じる、

とされています。

 
『十住心論』では、

心を10のレベルに分けていますが、

そのうち、第一から第三の住心が世間の心。 

第一住心(異生羝羊心):生存欲だけの心

自分の欲が満たされるかどうかによって、快・不快を感じ、

自分を主張する。


第二住心(愚童持斎心): 道徳の目覚め

善悪を考える心。

自分が悪いことをすると、自己弁護をして、

自分の足りない所は認めない。

善いことをしても、それが慢心になり、

相手が思いのままにならないと不快に思う。 



第三住心:超俗思考の心

神、極楽、天国などを求める心。


これらは自我の心で、

これを超えたもの(出世間:しゅっせけん)の心が無我の心です。



世間の心は自我がありますが、

自我の中は一般的に暗く、狭い。

だから不安になる。

その時、

異性、もの、肩書き、神、極楽を求めるのは、
 
それらが不安の支えになるからです。

もし仮に、

自分の名利追求しか考えず、

他人に関心を示さないならば、

そこは、狭く、暗く、低く、卑しく浅く、濁っているでしょう。

無我(自我への執着を離れる)ならば、

広大な思いやりの心を基調とし、

豊かで、明るく、広く、深く、多角、尊く、清い。

この、

世間の心から出世間の心までの段階は無量ですが、

悪人は常に悪人と決まってはいるわけではなく、

愚者も縁にあえば道を求めるようになります。

今まで、悪ガキだったけれど、

心安い先生に出会ったことで、

清らかで爽やかで素直な青年になることがあるように。


人の心は自我の垢に覆われていても、

固有の清浄心は偉大で消えることが無い、

というのが密教の立場であり、

仏性(覚りの可能性)はすべての人が所有していて、

例外はありません。


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[ 2019/12/09 05:52 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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