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仏とは心である、という典拠

『大日経』住心品に、

「一切智は自心なり

 自心に菩提と及び一切智とを尋求す。

 何をもっての故にとならば、本性は清浄なるが故に」

とあります。

人々の心の本体は悟りそのものであり、

本来の性質は清浄である

ということ。

これは『菩提心論』の勝義心であり、

心の向上を求める心、

これを忘れてはいけない。

さらに、

「心は不可得なり

 心は内に在らず、外に在らず、および両中間にも、心は不可得なり」

とあり、

その後、

心は、赤くもない、青くもない、明るくもない、暗くもない、

男でもない、女でもない、目でもない、鼻でもない・・・、

と続き、

心を規定する一切について、そのどれもが心では無い

と云います。

宮坂先生の訳(和訳『大日経』)では、

心の世界、尋ぬれば、

いかなる感覚世界にも見出し難きものにこそ。

見難く形現れず、

大空の如く、思慮なく

思慮なきもの離るれば、

果てなき空と同じくて、

心と空は形なし。

すがたなき心すなはち

すがたなき悟りと同じ。


心=虚空(全てを包み込むもの)=菩提

ということですね。


心が何かを思うところから観察するのではなく、

心は一切処に遍じているけれど姿無し、

と観じることです。


『秘蔵記』96に

本不生際というは、心は虚空の如くにして不生不滅なり。この本不生は不可得なり。


とあるのが同じことでしょう。



※最近の動画です。

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[ 2019/10/09 08:03 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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