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仏教と外道の違い 3
4、マッカリ・ゴーサーラの無因論、宿命論

マッカリ・ゴーサーラはアージーヴィカ教の開祖とされますが、詳細は不明。

あらゆるものの構成要素は、

霊魂、地、水、火、風、空、得、失、苦、楽、生、死の12とし、

一切の生けるものが輪廻を続けるのは無因無縁であり、

自然のもつ宿命にしたがえば、人間は成功し、

それにしたがわなければ不幸になる、

とします。



仏教の基本は縁起(因果論)です。

全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって生滅します。

成功する原因(思うこと、行為、話すこと)が必ず原因があり、

不幸になる原因もあります。

何によって縁起するのか、

業による、阿頼耶識による、如来蔵(仏性)による、法界による、六大による、

などの考えかたが、仏教内にあります。



5、サンジャヤ・ベーラッティプッタの懐疑論、不可知論

つかみどころがないので鰻論とも云います。

「沙門果経」には以下のように書かれています。

「もし、あなたがあの世はあるかとたずねて、私がもしあの世があると考えたら、

 あの世はあると答えるだろうが、実際には私はそうはしない。

 その通りだとも考えないし、別だとも考えない。

 そうではないとも考えないし、そうではないのではないとも考えない。

 もし、あなたがあの世は無いのか、あの世はあって、また無いのか、

 あの世はあるのでもなく、ないのでもないのかと、たずねても同じである・・・」


お釈迦さまは、

このような形而上学的問題に対しては、沈黙の態度をとられました。

沈黙が答えです。

仏教では、

絶対的なものを現象界の言葉で特徴づけません。

現実の事実を問題にします。

あの世があるかどうかを考えることは、悟りとは無関係であり、

もし、あの世について思い悩むのであれば、

その悩みを解放する心の在りかたを考えます。

この沈黙は中道(縁起)の始まりです。

あるとか、無いとか、対立する両極端から離れる。

サンジャヤは沈黙する事ができないので、

不可知論に陥る、と考えられます。



6、マハーヴィーラの相対主義、苦行主義、要素実在説

マハーヴィーラはジャイナ教の開祖。

お釈迦さまと同時代で、

同じように出家修行者となり、

苦行の後に成道し、ジナ(jina:勝者)と呼ばれます。

ゴータマがブッダ(buddha:覚者)となったように。

ジャイナ教も仏教も、

社会的慣習、祭祀、神々の信仰を解脱の条件にせず、
 
唯一神を認めないなどの共通点がありますが、

ジャイナ教は極めて保守的であり、禁欲苦行と非暴力を重視します。

『インド思想史』(J ゴンダ)に、

「激しい苦行と精神集中が、今や、究極の目的たる個の独存へと導くのである」

とあるように、自我を想定しているようです。


仏教は、

モノと心を不二、空と考え、

まったくの無我思想です。

あらゆる事象、思考も、

因縁によって生じたものであって実体性は無い。

実体とは、

永久不変、常恒、唯一、主宰なもの。

この世には縁のないもの、何一つ関わりのないもの(我)は無いので、

無我です。


以上のことから、

因果の法則を無視している、

常住不変なもの(唯一神など)がある、

霊魂などの自我がある、

変化ではなく固定的に考える、

などは、仏教ではなく、外道である、

と考えられます。





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[ 2019/09/12 08:04 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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