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仏身論:仏とは何か
仏とはブッダのこと。

ブッダとは、

真理を体現した人、

という意味で、最初はお釈迦さまのことでした。


イチローはスーパースターですが、

イチロー以外にもスーパースターはいます。

そして、

だれでも努力すればスーパースターになる可能性があります。

 ブッダも同じです。


日本では、

死んだら仏になる、

というファンタジーが通用していますが、

仏教は、迷い苦しみ悟り平安という、

人間の現実問題を扱っています。

迷いの凡夫は、

ちょっとしたトレーニングと勉強で、

真理を体現することができます。

そもそも、

もとからブッダである、

というのが大乗仏教の立場。


密教では、

宇宙はブッダ(仏身)の活動である、

と考えています。

すべてが仏なのですから、当然です。


ブッダの本体は宇宙(の存在)であり、

その姿は、あなたや僕や、動物植物鉱物、いろいろな形であり、

それが、

慈悲や智慧の活動となっています。

これが大日如来という仏身です。

大日を離れて一切はなく、一切は大日、

ということ。

大日を宇宙に変えれば、

当たり前のことですね。



歴史上のブッダ・お釈迦さまと、

理想上のブッダである大日は、

同じかどうか、

という議論は多くあります。

これについては、

お釈迦が菩提樹の下で成道したとき、

人からブッダになった。

それは、法(真理)を体得したから。

その法(真理)そのものが大日である、

と考えています。



いずれにしても、

だれでも真理を体得すればブッダになれます。

真理そのものである大日は、

音声香味形など、僕らが感じることができるすべての方法で、

その悟る方法を説法しています。

曼荼羅、仏像、真言などのほか、

風の音、あなたの声、花や食べ物の香り、目に見えるものなどによって。


お釈迦さまは変化法身という真理を僕らに表した姿であり、

僕らは、

真理(=大日)を内在していけれど、また発現していない姿。


大日如来は、

十界は独一法身なりと覚っているけれど、、

衆生は無明の迷闇に覆われて自心即仏と知らない、

だから、

大日は無明の闇を照らし、

衆生即ち仏と覚らせようとしている。

と、八千枚儀軌にあります。


修行によって仏が生じたのではなく、

何かの因縁によって生じたのでもなく、

もとから自分の心のなかにある。

ということが重要なことです。


それは菩提心によって発現します。

『菩提心論』には、

なぜにただ菩提心を観ずることで自然に万行を具する(仏になる)ことができるのか

この菩提心には本より、一切諸仏の自利と利他の功徳法を包み蔵するゆえである。

人もしこの菩提心を修してこれを身につけ、

そのはたらきを出現するに至れば、自然に総ての導き手となる。

しかも、もしこれをあらゆるものの本質たる菩提心そのものの誠に帰していえば、

導くものと、導かれるものとのあらゆる対立を絶するがゆえに、

この人の世そのままが秘密荘厳の国土となり、

その国土におけるつとめの坐を立たずして、

よく一切のすくいのわざを成就することができるのである。

とあります。



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[ 2019/08/25 07:32 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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