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六十心から一心へ
『大日経』住心品にある六十心は、

悟る前(経典解釈によっては、無我を知る前)の迷いの心、

普段の生活の心を、

六十形態に分析したもの。

猫心以外にいくつかあげます。

・商人心:安い商品を買い集め、高値で売って利益を得ようとするように、

修行者の実践も、多聞博学して直ちに実践する。

・河心:流れが岸に片寄らないように、

有るとか無いとか、正しいとか間違っているとか、どちらかに片寄ることなく、

実践修行する。

・撃鼓心:太鼓を打つように、

修行者は、真実の太鼓を求め打つ。

・鵂鶹(くる:フクロウ)心:フクロウは昼間活動しないけれど、

真理を求める人は、外部の条件に左右されずに修行する。

・風心:遍く広がるような心。

・水心:常に不善を洗い流すような心

・板心:水に板を浮かべてその上に物を載せるとき、重すぎると沈んでしまうように、

バランスを保って他に利益するような心

・毒薬心:毒にあたると気を失うように、

空や縁起などの仏教の教えを間違って理解するような

悪毒を除くようにつとめる。

・塩心:塩が食べ物にしみこむように、観想を重ねて迷い妄信を破り、

宇宙の根元(真理)を思いしみこませる。

・剃刀心:髪を剃り除くのみにとどまっているような心。

そこからどうするかを考え、何を実現するか考える。



僕らの人生は、

そういう迷いの心が続いている、

貪ったり怒ったり、

恩を忘れたり、やる気を失ったり、

それらの相続する心を、

ひとつひとつ観察して乗り越え、

仏心に至る、という大乗的な思想です。


これは密教の即身成仏思想とは少々違うのだけれど、

まあ、それはさておき。

 とにかく、今ある心を、

観念ではなく、行為・実践として考えます。

心の作用には必ず相手(人、もの)があり、それに働きかけるものです。

対象が無ければ心は何もしない、というか心は無い。

たとえば、

相手に対してやさしさと思いやりの心で行動すると、

次の心が発生します。

うれしいとか、安心とか、慢心とか、名誉心とか。

その、次々に起きる心の作用を冷静に分析し、

それを他人に対する慈悲の働きかけを通して乗り越える、

それを続けるのが、大乗仏教徒の人生です。



いずれにしても、

心はすべて無自性・空です。

思うことに実体がない、ということをよくよく観察します。

幻、陽炎焔、夢の残像、影、やまびこ、水面に映る月影、水面に浮かぶ水泡

そのような、それ自体に本性が無いもの、と考えます。


その瞬間瞬間の心が、

果たして清らかなものか、邪なものかは、自分では判断できません。

心の真相究明は困難であり、客観的にその実体を指摘するのは不可能です。

その時に、六十心が用心になる。

そうしてひとつひとつ向上させる、

心のレベルアップをする。

それは外へむかうのではなく、心の源に近づくこと、

本来の清浄な菩提心(これは悟りを求める心ではなく、悟りそのものの心)

になるということ。

そのための三種の瞑想法が『大日経疏』に書かれています。


1、即空観 
総ては原因・条件によって生じるものであるから、それ自体は空である 

2、即心観 
あらゆる存在するものは心の現れにすぎない 

3、即不思議観 
心と存在するものとは一つでもなく、異なったものでもないと観想して、

迷える凡庸なものの心の働きを離れる 


これによって、

不安定な心をよく観察し、

妄を排し、浄たらしむ、もしくは浄を拡大させます。






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[ 2019/10/01 07:11 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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