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観自在って誰?
『般若心経』の冒頭、

「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」
(観自在菩薩が、深い智慧の修行をした時、
 モノも心も空であると見きわめ、一切の苦しみから救われた)


この観自在について、

お大師さんの『秘鍵』には、

「観在薩埵は、則ち諸乗の行人を挙げ」

(観自在菩薩もしくは菩提薩埵というのは、諸々の教えの行人を挙げたものであり)

さらに、

「観自在といっぱ、能行の人」

( 観自在菩薩とは、教法を自由自在に観察し修行する人のこと)

とあります。

ということは、

観自在は修行者である

とともに、

修行している人を観自在と呼ぶ

と考えても良いのだろうか。

 
『十一面観音神呪経』には、

「観自在菩薩が如来より受持した心真言を十一面と呼ぶ」

「世尊よ、この私の心真言は、一切如来が歓喜し給うものなのです」

(と観自在が言う)

そして、

観自在が在家者であった遠い過去に、ある如来から心真言を受持した

という記述もあります。

行者のことを観自在という、

としても良いような内容だと、感じます。


数珠の珠を通す糸を、観自在と言いますが、

これは、行者所観の法に観達自在なる、

ということです。


さて、

もし、修行する人が観自在ならば、

『観音経』にあるように、

修行者は三十三の身体に普門示現するのでしょうか。

(衆生を救うために、相手に応じて三十三種類の身体に変身すること)

たぶん、するのでしょうね。

観自在(観音)は心の中にいるのですから。

僕らの身体は仏の住居ですから。


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[ 2019/08/04 06:30 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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