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識の構造
今週、長野県飯田市立石寺において、

・18日(金)10時から、
 吉祥秘密大護摩供

・19日(土)13時半から
 秋季例祭

です。どうぞ、お参りください。


さて、

仏教で識とは、

vijñāna(ヴィジュニャーナ)の訳で

迷いの要素を含む分析的認識(分別のこと)

または、

対象を認識する心の作用 

心(citta)は、物質的なものの対ですが、

識は心の働きのひとつ、と考えてよいでしょう。

難しく言えば、心の統一的主体が識。

大乗仏教以前では、

眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の

六つの識を考えていました。

見る、聞く、匂うなどの表層心理です。


大乗仏教になると、

深層心理である、

・末那(まな:manas)識

自我:無意識な執著


・阿頼耶(あらや:ālaya)識

上記、七つの識を生み出す根源体


・阿摩羅(あんまら)識

清浄無垢な真如

を説きます。


『大日経』では、

無量の仏があるように無量の識があり、

それらは摂して一識でもあり、

それぞれの識(分別:迷いを生み出すもの)は、

仏の智慧(無分別無差別)に転換される、

とあります。

その他、

『釈論』には、多一心識や一一心識なども説かれ、

心の分析が複雑になってきました。


唯識思想では、

1、客観としての対象(識、精神の領域)以外には存在しないということを悟る

2、外界の事物を実在と見る主観の誤った認識及びそれに伴う苦悩を滅する

3、最終的に阿頼耶識をそのあるべき本来的状態に転換せしめる

と考えますが、

その阿頼耶識(アーラヤとは住居のことで、あらゆる存在するものの種子が住む意)は、

一切の認識を持つもので、

過去における善悪の業がすべて録画録音されるように蔵されています。

人がどのような世界に、どのような境遇で生まれてきても、

その人の生存の根底にあって、

瞬間ごとに継起し、識の流れを形成します。

そして、

煩悩の種子が阿頼耶識の中におかれ、その中で成長します。

また、

煩悩に対抗する清浄な種子が、

阿頼耶識の中におかれて煩悩の種子を滅します。

阿頼耶識自体はニュートラルです。


自分と自分のものへの執著によって、

僕らは迷い・煩悩・思い通りにならないならない苦の世界を現出させています。

それを、

阿頼耶識という存在で説明しているのです。

なので、

阿頼耶識を瞑想修行によってコントロールできれば、

迷い・煩悩・苦は滅するでしょう。

まとめると、

深層心理である阿頼耶識が末那識を生み出すことにより自我が生じ、

そこから、迷いと悟りも、

表層心理である、普段の生活の感覚も生まれます。



感覚
器官
知覚対象
(迷いのもと)
色(モノ)眼識
耳識
鼻識
舌識
身識以上、
行動する智
法(全ての概念)意識見極める智以上、
表層心理
末那識(自我)隔てなき智深層心理
阿頼耶識(蔵)鏡の如き智深層心理
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[ 2019/10/16 07:41 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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