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[ 2024/11/30 11:39 | ]
ミトコンドリアと食時作法
すごいなあ、立派だなあ、

あんな人になりたいなあ

と思う人がどんなものを食べているのか興味が沸くこともありますが、

少なくとも僕が尊敬する人は、まったくストレスの無い食事で、食べかたが静かで地味だった。

食に関心がある人なら、

病気や怪我と食事が関係していると知っているでしょうが、

つまりは

どういう死にかたをするか

ということに一番関係があります。


それはさておき、

ミトコンドリアはほとんどすべての生物細胞に含まれています。

ひとつの細胞に数十から数万。


ミトコンドリアは細胞の中で呼吸をしてエネルギーを生産しています。

生物の授業で習ったクエン酸回路もミトコンドリアと関係している。

で、

僕らの体内にあるすべてのミトコンドリアは、すべて母親から受け継いだものです。


とにかく、

身体の中にあるたくさんの細胞には、たくさんのミトコンドリアがあって、疲れを取り、エネルギーを生産している。

それが無ければ僕らは生きられない。


さて、

食時作法のなかに

「蟲食偈(ちゅうじきげ)」があります。その内容は、

我身中有八万戸 一一各有九億蟲
(がしんちゅうはちまんこ いちいちかくうくおくちゅう)
済彼身命受信施 我成仏時先度汝
(さいひしんみょうじゅしんせ がじょうぶつじせんどにょ)


意味は、

自分の身中に八万四千の家がある。

そのひとつひとつにそれぞれ九億の蟲がいる。

彼らの命を救うために、いま食の施しを受けるのである。

自分が成仏したときは、まず蟲を仏法によって救うであろう。



つまりは、

僕らの肉体を維持してくれる生命(細胞、ミトコンドリア、虫)にも感謝する

その細胞も一切衆生、世の中すべてのいのちと同じ

それに施す。

なぜなら、

自分が成仏すれば、みずからその肉体も仏の功徳を受けるから。

ということ。


食べるということは、実に偉大なことであり、

食べかたで死にかたが変わると、僕は考えています。


_______________________________

『怪我の陰陽』
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/HIj666GTtz4

『冬のお惣菜二種』
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/yXozWn4VQdo

 

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[ 2016/01/13 11:28 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
星供
密教には星供とか星祭りと呼ばれる修法があります。

お大師さんが請来した『宿曜経』(正しくは『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』)に基づいた作法で、日月星辰の動きに自分の運勢を占うもの。

冬至、元日、立春などに行う事が多いですが、多くの人が自分の運勢を気にします。

今年が吉と知れば安心し、凶ならちょっと心配する。

気をつけなきゃなあ、と。

星供は、

天空の星神をまつって災いをはらい、幸福を招く修法で、

太陽や月や星座を本尊として供養します。

人々の運勢を正しく占うためには、宇宙の星辰や大地の生命と一体になる密教の修法が必要 だからです。


星供曼荼羅図 金剛峯寺)

おみくじなどには、

信心あれば凶も吉にかえる。

などと書かれていることが多いですが、

良いことをすれば良い結果があります。

でも、
 
なかなか良いことはできない。煩悩のままに暮してしまう。

他に優しくしよう、思いやりを持とう、

と思っていても、いざと言うときには何もできないばかりか、かえって意地悪をしてしまう。

なんていうことがあり、善を行うことはなかなか難しいものです。

でも、

善行を、良いことを、祈ることはできます。

祈りの中では、自他のために良かれと願い続ける事ができる。

それがいつか誰かの役に立つときがあります。

だから、常に誰かのために祈ればいい。


一切の日が善になり、一切の星宿が賢くなるよう拝んだお札をご用意しております。

ご希望のかたには、月末28日星供の後、お送りしますので、

自他のために拝んでください。

一緒に拝みましょう。



[ 2016/01/15 09:51 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
吸い玉とカレー
今日明日とお葬儀で、今年に入って3件目。

移動が多くなるとちょっと体調も変わります。


四大不調の時に時々使うのが吸い玉。

生姜シップや里芋パスターを使う時間が無いとき、

というより、面倒臭い時に吸い玉を当てます。

これは即効があり、血行を強引に良くする。

僕が使っているのは「医工」製。
http://www.iko-web.com/



忙しいからか、歳のせいか、飲みすぎか、ボルタリングのせいか、

時々肩が不調になります。

そういう時は鎖骨と肋骨を動かす。

肩こりでも五十肩でも、

骨はつながりがあるので、そのあたりを動かせば改善します。

これは風邪予防にもなる。

そもそも、コリや痛みは血行が悪いのが原因でしょうから、

陽性で血行が悪いなら陰性の、陰性なものが原因なら陽性の飲み物を飲みます。

多くは肝臓の疲れなので、食事は肝臓の滋養になるものを摂ればいい。 


おせちの余りが冷蔵されていたので、りんごとトマトピューレを足してカレーに。



肝臓には酸味と辛味と植物性のカルシウムがよろしい。


この時期は、白菜のスープもいい。




[ 2016/01/16 08:38 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
ハーモニー
一年前に仕込んだ味噌を出しました。

新しい味噌はさわやかな風味があります。

僕はトマトと味噌を合わせた味が好きで、トマト缶と煮てソースを作りナポリタン。




毎月お米を買っている新潟・関川村の大島さんから、インゲン豆が送られてきたので五目に炊く。




こんにゃく、ごぼう、おあげ、ニンジン、大根、昆布 


食べ物もマンダラです。

例えばご飯、

種が天地雨風、農家運送屋販売店調理人等々、

多くの力でご飯になります。

そこには、

お米それ自体の力のほかに、 

天地のめぐみ、万人の力が加わっている。

そのお米を食べて僕は生きている。

他と限りない関係によって生じているごはん。

それに支えられている 僕。
 
で、

僕は毎日功徳を積むように生きる。


そうして、

宇宙と僕のハーモニーが奏でられ、

宇宙とご飯と僕と一切が関わり調和していることを、

曼荼羅といいます。


[ 2016/01/19 19:49 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
走る宝石
銀座・天賞堂は元々宝石屋さん。

それが、

鉄道模型を製造販売したところ、在日米軍の将校たちの目にとまり、海外で評判が広がります。

それをきっかけに、天賞堂は鉄道模型の高級ブランドになりました。

宝飾品を作っていただけに、鉄道模型の品質も高い。

最近、僕が行く「IMON」も鉄道模型屋さんですが、元は宝石屋さん。


このお正月はポポンデッタでジャンク品を買いました。しめて2000円



キハユニ26とオハ3125

最近は老眼で細かいところが良くみえないのだけれど、

関東鉄道キハ41 は前照灯をつけ、

江ノ電601は動力ユニットに履き替えて走行できるように改造。


これらを走らせる場所が欲しいな。




[ 2016/01/20 09:23 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
何も決まっていない。
玉露は収穫前に日光を遮って栽培されたもので、光が少ない状態で育った新芽。

だから、とても陰性。

日本人は魚の陽性が多いから、陰性な緑茶が合うのですが、その中でも玉露は特に陰性が強い。

その陰性が効果的な下剤になります。


控え室で、時折玉露をいただきます。

おいしゅうございます

なんていただくと、その後にモヨヲスことがある。

法衣を着て袈裟をつけた後で、

そろそろお願いします

なんて言われた時にモヨヲスと、ちょっと困る、慌てる。

どうしようもない時もある。

僕、お腹弱いんです。


玉露が陰性であり、強い陰性は下剤になる、僕はお腹が弱い、というのは事実であります。



あの人たち、解散するらしいよ

へえー。

反応はこれだけでいい。


それを、

きっとこうなのよ、たぶんあれよ、

と勝手な想像や感想を言うことに意味はない。


知るべきことは事実で、感想は不要。



ところで、

心は本来清浄である。

人は誰でも、元々仏のように清らかな存在である

ただ、煩悩の雲に覆われて、本来の清らかな仏性が見えないだけである。

というのは事実だろうか。


「我が心は無色無形なりといえども、而も本来清浄にして潔白なこと、なおし満月の如し」(『秘蔵記』)

お大師さんの言葉を疑うのはいけないことだけれども、


もし、本来清浄な心が煩悩によって汚されるなら、
 
なぜ、汚れた煩悩が清浄な心によって清らかにならないのか

という初期仏教(説一切有部)の意見もある。


さらに、

心が清浄であるならば、道理として汚れることは無い。清浄なものが染汚されることはあり得ない  (『阿毘達磨順正理論』)

という立場もある。


長い仏教史のなかで、

煩悩で汚れていないことを清浄と理解する。

心そのものは本来白紙であって、善でもなく悪でもない。

という理解になって行きますが、

僕らは仏と同じで本来清浄である、という前提がなければ、修行の必要がなくなってしまう、

ということもある。


『理趣経』には、

仏がうちに入り
まことのわれを 組み立てる
人のまことの その性は
如来のそれにことならず

とあります。


一切のいのちは、仏性を内に持っている。

宇宙いっぱいの仏の性質が、そのまま衆生の自性となり、「我」となっているから。

ということ。



あらゆるものが心をよりどころとします。

人間関係、社会制度、病、老、死などの、思い通りにならない苦しみも心から生まれます。

その心が清浄か汚れているかは、大事な問題かもしれない。

でも、

心やモノが縁と条件によって成り立ち、つまり空であり、

常に変化して固定した実体がない、

というのは事実ですが、

それが清浄であるかどうかは、価値判断で事実とはいえない。



もともと仏教は

経験可能な現象世界を考察の対象にして、

僕らは現象以外に確認できるものは無い。

だから、

現見の世界をどう受け止めるか

が大切になります。

世の中のすべて、モノも心も、決まったものは無いんです。


こうでなければいけない

と言うことは何も無い。

愚かな僕も、少しづつ変化して賢くなるかもしれないのだから。


だから、

清浄な心、汚れた心、という固定したものは無い。

心は生滅変化する現象にすぎない。


現象として変わる心の姿が、

何かを見たり聞いたり勉強したりすることで、清浄になり、汚れる。

つまり、

心は清浄になる可能性を持っています。

そして、

あれもこれも心も、

何も決まっていない。

決まっていないのだから、

心配いらない。

僕もこれから清浄になる可能性がある。





[ 2016/01/21 06:11 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心をこめて
おはようございます。

と言いながら部屋に入ると、

お味噌汁いかがですか ?

と言ってくれるのは、PINOのマミコさん。


仕事前のみそ汁はうまい。

やる気が出る。



食養手当てでは、

陰性は陽性の5倍くらい必要なので、

陽性症状の時は陰性な飲み物をたくさん摂ります。

陰性症状の時、陽性なものは少しでいい。
 

水分の多少が陰陽に影響するので、断食や食事を減らすと、より陽性になります。


みそ汁は排毒の王様、野菜スープは毒消しの王女様。

身体を不調にする陽性毒のうち、

不要なたんぱく質は腎臓の、過剰な脂肪は肝臓の滋養になるものを摂ると効果的です。

そのためには食べ物より飲み物がいい。

その飲み物は、湯茶コーヒージュースではなく、

塩気と熱の陽性と、野菜とキノコと海藻の陰性が含まれて、植物性カルシウムの多いものがいい。

 




意思が通じ合っていると感じていた人を、

こちらの根が続かなくなって見放したり見捨てると、その人が不幸になってしまう。


実はそんなことは無くて、別なところに原因はあるのだろうけれど、

そう思うことはひとつの戒めになるから、

そんなふうに考えて、あなたのためにと、心をこめて味噌汁を作りたい。




[ 2016/01/23 10:23 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
いちご考
僕の出身地は「とちおとめ」というイチゴの産地。

昨年、水の被害が大きかったのですが、宮城県などの応援で回復しています。

昨日は寮にいる息子に届けた。


地産地消ということで、給食にもイチゴがよく出されているようだけれど、それらは塩素消毒。

僕も老人ホームや幼稚園で給食を作っていたので事情は分かりますが、基本的にナマモノを出してはいけない。

果物などは次亜塩素酸ナト リウムで消毒。

お酢でも良いのよ。

と管理栄養士に言われたけれど、酢に漬けたイチゴなんか食べたくないし、食べさせたくない。

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/gyousei/dl/130201_9-2.pdf
(厚労省:衛生管理マニュアル)

そもそもイチゴの旬は5月ころですが、

世間の地産地消とか食育は、旬の意識がとても低い。

 
僕が子どものころ、

イチゴは高級品で、しかも酸っぱかった。

だから、

砂糖と牛乳をかけて食べた。分限者の家ではコンデンスミルクをかけた。

ところが、最近のイチゴは甘い、すごくあまい、そして大きい。

甘くて大きいということは陰性になった、ということ。

それが好まれるのは、食べる人がより陽性になったということ。

柔らかい、という陰性も好まれますね。


体質が陽性になると血が濃くなるので、脳内の血行が悪くなります。

そうすると、おかしなことを考えたり、精神の不調が増える。

その陽性を陰性なもので消そうとするのだけれど、どのような陰性を選ぶかで、体調も脳も世界も変わります。


人間は、大脳がある、二本足で歩く、

という比較的陰性な生き物だから、あまり陽性なものが多いと陽性なケモノのようになる、

とも考えられます。ケモノは火と塩を使わないから、基本的に陰性な食事です。


ところで、

探したらありました。イチゴをつぶすスプーン。




[ 2016/01/24 06:46 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
ふたつの功徳
チンゲン菜は素人でも作りやすい。

ナトリウムとカルシウムが多いので、比較的陽性でアルカリの強い葉物です。

陽性だから固い、変色しにくい、だから料理しやすい。



湯葉と炊きました。

この時期、葛を使うとお腹が温まり、風邪予防にもよろしい。


それはさておき、

真言や経文などを、

声に出さず心の中で唱えれば、昔に造った悪業罪障の一切を滅し、

声を出して唱えれば、現在の一切の罪障を滅し、良相を見る

と『阿嚕力経』にあります。


唱える、というのは、

ただ神秘感に浸ることが目的ではなく、

あらゆるものに命を感じて慈悲の心を持ち、

それらと自分が溶け合うように観想しながら、

一瞬を永遠に生きている境地を味わうものです。


僕らの業界では、

自らの耳に聞こえる唱えかた

舌端をすこしだけ動かす唱えかた

心の中だけで唱える

などいろいろありますが、どれも心の中の観想が伴わなければ意味が無い

としています。



普段の言葉でも、

ありがとう、ごめんなさい、おいしいね

が言えないときもある。


でも、

心の中でなら言える。


声に出しても出さなくても、

その気持ちがあって言うなら、

どちらも功徳になります。




[ 2016/01/25 09:03 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
新しいカバンと数珠
妻と買い物に出かけて、

僕が使っているカバン(バッグというのかな?)がボロボロなのを見て、

新しいのを買いなさい

と言われて買いました。


ピンとかサラを持つのは何となく楽しい。

それ、買ったの?

なんて言われるのも良い気分。


人は何を持つかでずいぶんと変わります。



僕は料理人なので包丁を持ちます。

それを持てば野菜を切りたくなる。

 おもちゃを持てば動かしたくなる。

車を買えば運転したいし、筆を持てば書きたい。

きっと、

刀を持てば斬りたくなるし、銃を持てば撃ちたくなる。


 そして、

数珠を持てば拝みたくなり、

合掌すれば心が調う。


「珠を持てば善念生じ、剣を把るは殺心の器」(宗秘論)









[ 2016/01/26 18:44 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
初不動
立春の候、皆さまがたにおかれましてはご清栄のことと存じます。



本日寅の刻、

初不動の護摩供と新年の星供養を修法いたしましたので、お申し込みのかたにはお札をお送りしました。日や方角、生まれた運勢の星をすべて吉とするお守りです。
仏壇や神棚、玄関、床の間などにおまつりしてください。懐中にお持ちになっても結構です。



お不動さんを供養するお次第に、

人は皆本来清浄だけれども、それを見ることができないのは、一時のかげりに、さえぎられているからである。

とあります。

そのかげりは、思い通りにならないことへの不満、勉強不足による迷い、姿勢が悪いことによる悩みなどですが、より良いものを追求する智慧と、自分より他人を先にする慈悲によって、悟りへ転換できます。

他に楽しみを与えよう、他の苦しみを抜こう、と実際には行動できなくても、そう思いながら祈ることでひとつの悟りに近づきます。普段なかなかできない善行も、祈りの中ではいつもいくらでもできます。

私も毎日拝みますので、ご一緒に拝みましょう。

まだ寒い日が続きますが、お大事にお過ごしください。
                                    合掌。

平成二十八年 一月不動吉祥日 






[ 2016/01/28 09:58 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
密教とイスラーム:破戒は無戒に勝る。
30年近く前、高野山の修行道場で先輩に勧められて読んだ本で、とても面白かった。


『密教とイスラーム』 小滝透 著 東方出版

サウジアラビヤの大学を出てアラビア語の先生をしていた著者が、高野山専修学院で修行。

修行記はいくつもありますが、これが飛びぬけて面白い。

この中で小滝さんは、

密教にもイスラム教にも、

偽悪は偽善に勝る

というような思想があるように書いています。


それで思い出すのが中川善教先生の『絶戯台随想』(高野山出版社)にある、

邪信は無信に勝るか

という文章。

邪信と世間では思われているようなものでも、人は純粋に優しく丁寧になれるかもしれない、
ということ。

無信心よりはるかに良いのではないか、ということ。

昨今の仏教事情、葬儀事情にも通じるところがあります。

そして、同じように、

破戒が無戒に勝る

と中川先生は書いています。

この違いが分からないと、宗教が危険なものになってしまう可能性がある。

この違いが分からないと、心は純化しない。




[ 2016/01/29 05:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
昨日のお料理
炊き合わせ



がんもどき、車麩、きくらげ、かぼちゃ、のし人参、かぶ



ポテトサラダと納豆






かんらん巻



高野豆腐、えのき、油揚げ



胃が不調、身体が乾燥している

そんな時のメニューを、恵比寿・イシハマ先生宅で作りました。



_______________________________

※穀菜食の舎ページ

○病気の特徴と神経反射:白米について
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/AHou4k7ooXU


○病気の特徴と神経反射:アトピーと花粉症について
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/t1d1rQzjzYE


○病気の特徴と神経反射:乳酸菌について
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/69-GTl3_G4Q




[ 2016/01/30 15:34 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
五種の眼
うまい豆腐と地元産のやまといもが手に入ったので、

長ネギ、吉野葛と混ぜて焼く。





翌朝は、それをレンコンで挟んで焼く




これを食べて法務へ。

お位牌の開眼供養をしたのだけれど、

開眼とは、心の目を開くことです。

お位牌はただのモノですが、その中に自分の心を観る、宇宙を観る、故人先祖の理想を観る。



『大智度論』や『大乗義章』に五種の眼が説かれています。

ひとつめは肉眼。これは誰もが持っている 。

とても役に立つけれど、

夜は見えず、隣室や箱の中は見えず、何千里先も見えない。


次に天眼。

これは神通力。

壁の向こうや、はるか遠くが見える。

自分の外を見る。


眼の大切なところは、そのつけどころ。

心のありかたで見えるものが変わります。


次に慧眼、法眼、仏眼があり、これで五種類。

このみっつは、

心のくもりや垢を清める工夫のできる人の眼

関心が自分の内側、見るものが自分の内側。

そうるすると、

医王の眼には途にふれてみな薬なり、となり

あらゆるものに価値を認め、

日常のひとつひとつに味わいを汲みとることができ、

誰を見ても、その良いところが見える。


そのために、

開眼供養をします。



[ 2016/02/02 07:39 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
相と義
インフルエンザが流行っているようですが、毎年同じで、陽性な酸毒が体内にあると感染しやすい。

ウイルスの形が丸く、陽性な形をしているから。

構造が陽性なら性質は陰性になるので、拡散しやすく感染しやすい。

で、陽性な人が罹る。症状が陽性になる。

なので、

予防・手当ては陰性な飲み物がいい。



それはさておき、


この子は背が高く顔色が良い。いつもニコニコしている。

風邪も引かずに元気だ。

というように、

姿外見を見ていろいろなことがわかります。


そして、

この子は勉強が好きで、特に数学が得意。

運動神経も良いから、怪我の心配も無い。

家では愛想がないけれど、外に出ると人にやさしい 。

いろいろつらいことがあったから、それが内面の力になっている。

風邪を引かないように、あんなことやこんなことも自分で考えて工夫している。

なんていうことを知れば、またいろいろなことがわかる。


どんな対象でも、

僕らは

まず表面的なこと、外見で判断します。その多くは浅略。

冷静さがあるときは、

その内容を論理的に考察する。それは甚深の義がある。


その子は、

だんだん身体が成長し、性格も頭脳も変わる。

常に変化しているから、

この子はこうである

なんて決め付けることはできない。


外見でも、

詳しい内容でも、

真実はわからない。



そこで、

ただその子を見る

その子の姿を心に思う。

それだけ。

他に何も考えない、ただ見る、思い浮かべるだけ。

理論的事実を忘れ、言葉と感想を消す。


本当に心から相手を知る、

というのはその瞬間です。

ただし、

充分な勉強をして、

事実を考察した後でないと、妄想になります。







[ 2016/02/03 07:17 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
念誦の中で
高校生の時、当時の営団地下鉄千代田線が 代々木上原まで伸びて、小田急線と相互直通運転開始。

祖父母が町田に住んでおり、その後、僕も小田急沿線の学校に進んだのでなじみがあります。

そのころから走っているのが6000系。千代田線用の車両。



そろそろ絶滅危惧種、と鉄道雑誌に載っていました。


小田急9000系も千代田線直通運転のために導入された車両ですが、これは2006年に廃車。




それはさておき、

高野山の金山穆詔先生は、

新幹線が走る以前、東京大阪間の7時間近くを乗車中、数珠を持って真言を唱えていた

と恩師から聞きました。とにかく、いつでもどこでも唱えていたと。
 

閑室でひとり静かに唱えることは、心が寂静の時に行うもので、自分の中に仏を見る。

世間に出ていつも唱えることは、心が散乱している時に行うもので、自分の外側すべてを仏と見る。



僕は長い念誦の間、物思いに浸ることがあります。

あの人は今どうしているだろうか

どうか元気でいてください。

あの人はこんな欠点があるなあ、と思っていたけれど、

それはこちらの眼が曇っていただけだなあ。

よくよく考えれば良いことばかりではないか。

もっと優しい言葉をかければ良かった。次からはそうしよう。


念誦が終われば忘れてしまうことが多いのだけれど、

少なくとも拝んでいるときはそう思う。

だから、

いつでもどこでも拝む。




[ 2016/02/05 12:49 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
ホテルの部屋でキャベツを食う。
立春が過ぎまして、一昨日は味噌の寒仕込み。

国産大豆はアメリカ産輸入モノよりタンパク質が多く、脂質が少ない。

なので、比較的陰性だから早く火が通る。

味噌や豆腐には、たんぱく質が多いほうが適しているだろうな。

そして、

大豆を洗ったときに、国産のほうが汚れが少ない。


大豆は茹でるとえぐみが取れ、さわやかな味になり、

蒸せばアクは残るけれど味が濃くなる。

国産はどちらでも良いけれど、輸入物は茹でこぼしたほうがいいかな。




この白菜は茹でずに、お揚げを炊いている鍋で、上にかぶせて蒸してから巻いた。

このほうがお揚げの味が良くなります。


それはさておき、

先日、泊まったホテルの部屋で左腕が痛んだ。

左は胃の不調なので、部屋を出てコンビニへ。

納豆3パックとキャベツ千切り2袋を買う。

歳をとると陽性が抜けにくいので、ある程度の量が必要です。


食養では胃の不調時に、

納豆、ジャガイモ、えのき、麦飯、梅干の種

などを使いますが、コンビニって便利ですねえ。


キャベツの成分は、

Ca:45㎎
P  :22㎎
(可食部100g中)

いわゆるアルカリ性食品。酸化症状を消します。

さらに、

キャベツにはビタミンUが豊富で、このUは「ulcer(潰瘍)」の頭文字。

生でないと効果が薄い。


テレビは残念なニュースばかりなので、

YOU TUBEで落語を見ながら、持参の醤油で納豆とキャベツを食べました。






[ 2016/02/06 12:25 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
東名・野蒜てくてく通信
台湾の地震

物故者のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われたかたがたに心からお見舞い申し上げます。

重ねて、現地の皆様のご無事をお祈りいたします。


こちらも最近よく揺れます。

みなさまもお大事にお過ごしください。


毎月、宮城県東松島市・菊地永良尼から届くお便りを、ご本人の許可をいただき、またご紹介します。

あの日のことが書かれていますが、

1枚の絵葉書、ひとつの記事、ひとつの言葉が何かを守るきっかけになれば、

との思いです。

来月また、息子らと現地に拝みに行きます。






[ 2016/02/08 06:45 | Comments(1) | 米ぞうの家 ]
量子コンピュータと阿字本不生
先日ラジオで、

国立情報学研究所・根本香絵准教授が量子コンピューターの話をしていました。

量子コンピュータは、現在のそれよりもはるかに高い演算能力があり、ものすごく小さく作ることができるらしい。


科学も思想も、結果には原因が有る、という基本で発展してきました。

そして、存在を分析すれば、

元素、素粒子、クォーク、レプトン・・・、と微小な粒子を仮定して、

最終的に宇宙を必ず完璧に説明できる構成単位がある

と考えました。

いちばん基本、根本となるものがあるはず。



でも、相対性理論や量子論で変わります。

例えば、

海という物質の中で、波という状態が起こります。

原子より大きい世界では、このように「物質」と「状態」を区別できますが、

原子より小さい世界では、その区分ができず、「物質」の無い「状態」になります。

そこで、

物質の性質と状態の性質を併せ持つ存在が「量子」。

なので、

量子の世界では

結果には原因がある

のではなく、

結果と原因が同一になります。

煩悩を滅して悟りになるのではなく、煩悩即菩提

長い期間修行して悟るのではなく、心を発した時にたちまちに悟りを得る
(初発心時、便成正覚)

ともかく、

量子はモノではなく状態、と考えます。

人も世界も、モノではなく状態。


仏教では、

苦しみとは何か、幸せとは何か、と考え、

それを取り除き、幸せになる方法は

八正道、六波羅蜜、三摩地

という修行による、としてきました。 


仏教は世界の創造を説きません。当然、創造主もいない。

すべてのものは縁によって生じ、縁によって滅す、という縁起説の立場です。

となると、

苦しみや幸せの発生には必ず原因がある。

いかなるものも無からは生じないのだから、その原因にもまたその原因がある。

では原初の原因は何か。創造主などいないのだから自然に生じたのではない。

最初の最初の原因は、どうして何から生じたのか。


世界も私も、

地・水・火・風の四大(密教では空と識を加えて六大)でできている、

というのが古くからのインド思想です。

では、その四大は何でできているのか 。

それは

「極微」というものである

と考えるグループもありました。

すべての物は、この極微の組み合わせで出来ている、と。

原子論と似ています。素粒子やニュートリノのようなものですね。

極微が8個集結したものが微塵です。

これは見ることも触ることもできない原子の世界。


密教では違う考えかたをします。

「あらゆるものは必ず多くの原因から生じているから、

すべてのものには始めとか、その生ずる本となるものがある。

これをさらに観察すると、その原因の原因があることになる。

ところが、このように遡及していったとしても、最終的に根本原因を見出すことはできない」

とお大師さんの『吽字義』にあります。


だから、

それは「生じた」のではない。

生じたのでなければ、なぜ、あるのか。

生じたとか生じないとかを問えない以前の状態がある。

それを「本不生(ほんぶしょう)」といいます。

本来不生不滅なもの。



梵字の最初の文字はア



 

アがあるから、イやウやエやオがある。

そこから、カとかサとかパとかマが生まれる。

すべての音の基礎であるから、万物の根源の象徴となります。

サンスクリット語で本初を意味する「アーディ」の「ア」でもある。

で、

それら万物の根源を「阿字本不生」といいます。

それは存在そのもの、宇宙そのもののはずです。



つまり、量子論が示しているのは、密教の本不生と同じ

と僕は考えています。


それを、

瞑想修行によって体験的に悟るか、

研究と実験によって得るのか

という違いがあるけれど。



いずれにしても、世界も僕も現実に存在しています。

それはどういうことなのか、


を宗教も科学も知りたいのですね。

もちろん、僕もそれを一番知りたい。



※参考

『別行次第秘記』(通用字輪観)浄厳

 一切の諸法の因縁生の義(顕教の至極なり)を尋ね極むる時は自ずから本不生の義を知るなり。その故は一切諸法は因縁より生ぜざるものなきが故に。
縁より生ずるものはことごとく皆、始あり、本あり。
今この能生の縁を究むるに、また因縁より生ず。
かくの如く展転して縁に依るが故に、最初生起の法のために縁と成る法は、縁に依るや依らざるや。もし最初の一法は縁によらずといわば、既に諸法は従縁生なりという。
何ぞ縁に依らざる一法あらん。
もしまた縁に依るといわば、これより始めに一法もなし。何れの縁にか依るべきや。
かくのごとく推尋する時は因縁生の義、破壊して成ぜず。
もし、因縁生の義理、実にあらずといわば、彼の最初の一法は自然生なりとやせん。もし、自然生なりといわば、外道の自然の計に堕すべし。
因縁生にもあらず、自然生にもあらずんば、果たして如何と推し究むる時に、即ち本不生際を知るなり。
いわゆる本不生の義とは、一切諸法は本来、本有にして(これ自然生にあらざる義)、諸の因縁より生ずるにあらず(これ縁生にあらざる義)。また始めあるにもあらず、終わりあるにもあらず、有佛無佛に性も相も常爾なりと知るを本不生を知るとはいうなり。またこれを如実知自心ともいうなり。


『声字実相義』(極微の仮実)、

極微が積集して成立するようなことはない。それは造色が自らの種子から生起するとき、ただいろいろの種子が聚集して生じ、あるいは細かいもの、あるいは中なるもの、あるいは大なるものなどがあるけれども、これは極微が集まって色聚をなすということはないのである。

ただ覚りの智慧により、もろもろの色を分析し、その極限にいたりたるとき、その極量の辺際を分別し仮立して極微とするけれども、それは仮立に過ぎずして実在するものではないのである。
また、色聚に上下四方とか、分かつべき分限とかの方分ありとすると、極微にもまた方分有るべきやと言うに、極微には色聚と等しく、上下四方の「方」はあるべきも、「分」はないとするのである。
元来、色聚を分析して分かつことのできない極限の分を極微というのであるから、それは色聚の有する一属性に過ぎない。もし極微に「分」ありとせば、極微にさらに分かつべき余の極微あることになり、きわまるところを知らないことになる。そこで極微には分相はないというのである。


[ 2016/02/08 09:00 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
寂しくて
砂糖と甘い果物はどちらが陰性ですか?

と質問する人がいて、

水分が多いほうが陰性です。お菓子の中でも、水分が多いものがより陰性。

そして今の時代、

陰性なほうがいい。

陽性は圧倒的に心身に悪い。クスリをやるのも陽性だから・・・。



23年前に江夏が逮捕されたときも、

寂しかったから

と言っていたのを思い出します。

あの時それを聞いて悲しかった。どうして・・・。



押しつぶされそうな悲しみに包まれたり、

寂しくて寂しくてどうしようもなくなることもあるけれど、

そういうことは地球上70億すべての人が持つ想いですから、心配いらない。


人生にはどこかで行き詰まりがあります。そのとき、役に立つものがいくつかある。

心安い人に会う、話をする、質問して教えてもらう。

判らないことを教えてもらうことほど、幸せなことは無い。

でも、

大切で愛しい人も、いつか死んでしまうし、死ななくても分かれることがあるから、生きているうちに会って笑顔で話をしたい。

 
僕の恩師は何冊かの著作や講演録があります。

僕はその本をどのページでも、開くだけで心が休まる。

ああ、先生の言葉がここにある、と。

苦しいときはその本を開く。

でも、

本にも限界があります。文字数が限られているし、僕の悩みの解決法すべてが網羅されているわけではない 。



寂しいと感じる心とは何か、どこにあるのか、どういう働きなのか

そういうことに宗教は答を持っています。

それが分かれば、寂しさも寂しさではなくなる。

信心、慈悲心、向上心をもって心を観察することで、

寂しさはひとつのさとりであり、それが自他をしあわせにすることもできる

ということを体得できます。



寂しい時はほっとする料理がいい。



昆布出汁を濃く引いて

サトイモ、大根、にんじん、きくらげ、湯葉、糸こんにゃく

を炊き、薄味に調えて薄く葛を引いて、

お椀に盛って豆麩と三つ葉を添えます。



翌日、

餅米を洗ってザルに上げ、さいの目に切ったサツマイモと一緒に、半分に切って油抜きしたお揚げに詰めて、残った出汁で煮込みます。








[ 2016/02/10 17:34 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
おもちゃとお墓参り
おもちゃ、とは「もてあそぶもの」が語源のようですが、

オッサンは動くものや機械が好き。

できることなら、ブルドーザーやパワーショベルを自分のおもちゃにしたい。

今、僕のおもちゃは動く模型とリョービのチェーンソーと日立の刈払機



これで長男と山の下草刈り。

その後、物置の整理をすると、古い電動工具がたくさん出てくる。

亡父も好きだったのだろうな。


翌日は妻と長男と墓参り

曽祖父母、祖父母、父が眠っている。

お墓はうつろう家族の歴史そのものをあらわしますが、

それは人が無常であることと、今をどう生きるかを感じる場所です。


おもちゃは、他人にとってはゴミ同然だから、

お墓に入る前に処分を考えなければいけない。


お参り後、

おそばを食べに行った近くの神社には、梅が咲いていた。




[ 2016/02/14 07:33 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
何をどう食べるのか。
「極厚 地粉全粒粉100% 全粒餃子の皮」

という美しくない名前のものが、冷蔵庫で古くなっているから何かに使って

と言われたでの、炒り玄米と白菜と味噌の餃子



こういう少し焦がす穀類と野菜は、脳の滋養にとてもよろしい



豆は身体に良いのですか

と聞く人がいて、

まあ、良くないですね。酸性で陰性すぎますから。

だから、アルカリの野菜や海藻を倍以上と合わせ、陽性な料理法にすれば滋養になります。


豆そのままではお腹が冷えて酸毒がたまるので、発酵醸造して使う日本の文化は素晴らしい。



鍋に油が余ったので、ヒジキに吸わせてからお豆と炊きました。

こうすると、見た目も美しい。


講座にいらしたご婦人が、

ウチの主人はおかずを全部食べ終わってから、最後にごはんだけ食べるんです。

ご飯に他の味が移るのが嫌だから、と。

三角食べをしなくて良いのでしょうか、

と聞く。

良いですね。

懐石では煮物焼き物椀ものが、一番おいしい状態で出されて食べ、最後にお漬物でご飯を食べます。

ですから、

最高の状態でおかずを出して、

それを食べ終えたら、

ご飯をよそってあげるのがいい。



何を食べるか、と聞かれれば、

旬のもの、ほんものを食べる。

どう食べるかと聞かれれば、

行儀よく美しく食べる

というのが食育の答。


姿勢が悪い、食べかたが汚い、並べかた盛り付けかたが美しくないのはいけない。

僕が知っている給食は、

センスのない、自然で無い、美しくないメニューがいけない。

それに、

昼食だけ、登校する日だけの学校給食で、栄養管理をする必要なんてないと思うけれど、

もし管理するなら、みな同じメニューはおかしい。

ひとりひとり子どもの体質体調に合わせてメニューを作り、作りかたを変えなければ意味は無い。

もし、栄養管理ができているなら、今の子どもらはもっと健康なはずだし。


静けさやきれいな音で脳はリラックスし、騒音や雑音でストレスを受けます。

同じように、

見るもの、嗅ぐもの、触るもの、食べるものの様子によって脳は変わります。


だから、

美しく作り、美しく食べるのが良いだろうな。



※3月9日、10日郡山で時間があります。講義料理法事相談などご用命ください。



[ 2016/02/16 08:18 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
人生の可能性
『雑阿含経』に

世の中には四種類の人々がある。

闇より闇に赴く人、

闇より光に赴く人、

光より闇に赴く人、

光より光に赴く人

がそれである、

とあります。


貧しく学問も無く、悪いことをして、悪い言葉を語り、悪しき思いを抱く人

恵まれない境遇でも、善い行いをし、善い言葉を語り、善い思いを抱く人

高貴で裕福な生活をしながら、悪い行いをして、悪い言葉を語り、悪い思いを持つ人

幸福な家に育ち、善い行いをして、善い言葉を話し、良い思いを抱く人


それぞれが光に赴くか、闇に赴くかは言わずもがなである。


つまりは、

人格は固定的ではなく変化し、人間にはあらゆる可能性があり、

その可能性を実現する要素は

その人の行為と言葉と思いである。

ということ。

これが「諸行は無常である」という仏教の基本的考えかたです。


ところで、

食後すぐに湯茶を飲まず、姿勢を良くして笑っていれば風邪予防になりますが、

お料理では、



豆腐と炒り玄米と白菜の黄檗焼き  時雨吉野餡




ゴボウと玉ねぎと炒り玄米のカレー




筒ネギとわかめのスープ


風邪を引くのも治るのも、無常でございます。

そして、

風邪から悟りも生まれる。







[ 2016/02/17 16:38 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
密教ヨーガとストレッチ大全
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[ 2016/02/18 13:26 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]



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