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[ 2025/03/15 17:15 | ]
即身成仏の姿
即身成仏したからといって、もちろん見た目は変わりません。

栂尾祥雲先生は、

「あらゆるものの中で最も正確にその実際を知ることができるのは「われ」である。

「われ」以外は客観的にしか知ることはできない。

その「われ」を如実に知ることが悟りである。

悟りといっても、それは肉身に対する見かたであり、考えかたであって、

つまり、それを考える心の問題に他ならない」

とあります。(『密教教理概説』 )


ところが、

即身成仏は「即心」ではなく「即身」。

この即は不離のことですが、

『即身成仏義』では、相応、つまり瑜伽の意味で使っているように読めます。

自分と仏が瑜伽(ヨーガ:溶け合う)する、と。


『十住心論』第十には、

成仏を規定して、

「徹底的に自心の源底を覚知し、また実の如くに自身の数量をさとること」

とあります。

 さらに、

成仏(さとり)にいたる方法である五相成身観では、自身は仏身になります。仏心ではない。


宇宙法界にあるものは(僕らが見るもの聞くもの感じるもの、あるいは感じないものも)

すべて仏のシンボルです。

宇宙法界が仏の象徴とも云える。

それを感じるのは自分の心ですから、

心の中に仏が遍満する宇宙法界があります。

その心も一切の仏のシンボルですから、

自心中の仏と、宇宙全体の仏が相即(ヨーガ)します。

彼此無別になる。

瞑想修行によって、

自心が、本来あるべき仏の身体として展開される。

ようするに、
 
悟りは心の問題ではなく、具体的な経験として存在することになります。

そして、

当然、それは自分だけのことではありませんから、

自分以外のすべてが、仏の顕在ということになります。

これを心のトレーニングで証明する。

栂尾先生は、成仏することで、

「しきりに不平不満を訴え、あらゆる罪悪感におののいていたものが、

いかにもすがすがしい平和な喜悦に輝く。

疑惑や混乱に悶えていたものが、忽ちにして安らかな生き生きとした心の持ち主となる」

と云います。

悩みを去り、疲れを癒し、無限の力と喜びを得て、再出発する。

そうして、他の苦を抜き、楽を与えることが、平常心でできるようになる。




金剛界次第には、

成菩提の後に五相成身観がありますが、

どの修法でも、

入我我入観で、五相を瞑想するのが良いだろうと考えています。

広観斂観が入我我入であり、

五相成身観の修金剛心から証金剛身は広観と斂観ですから。


一般のかた向けには、

月輪観という瞑想法があります。

簡単に言えば、

自分の心をよく観察して、静かにまとめるものですが、

上記栂尾先生の言葉のように、

衒(てら)わず、光を和らげて塵に同ずる、

平安な生きかたができるようになります。

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[ 2017/07/28 12:36 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
合成繊維肌着の利点と、神経痛、リウマチ性疾患の食養

陰陽研究塾の記事 52 


※お盆行事が続くため、早めに配信します。 


※この記事はご質問や最新情報の取得によって、 逐次加筆訂正してお届けします。



●合成繊維肌着の利点と、神経痛、リウマチ性疾患の食養

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[ 2017/07/28 17:20 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
農産物に含まれる放射性セシウム濃度の検査結果で分かること

厚労省が週毎にとりまとめている ,

農産物に含まれる放射性セシウム濃度の検査結果をみると、

セシウムが残留しているものに、ある特徴があります。


今週7月24日に公表した「食品中の放射性物質検査結果について」を見ると、

食品中の放射性物質の検査結果について(第1043報)(厚労省)
http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11135000-Shokuhinanzenbu-Kanshianzenka/0000170740_3.pdf

福島県の検査結果
http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11135000-Shokuhinanzenbu-Kanshianzenka/0000170709_2.pdf


牛肉、大麦、小麦、魚介類、ブルーベリー、原木しいたけ等のキノコ類、

ごぼう、カブ、ニンジン、大根などから微量が検出されています。

これらには決定的に少ない(全く含まれていない)成分があります。

それが含まれているものからは放射性物質が検出されない。

それは比較的陽性ですが、同時に陰性なカルシウムが多いのでバランスが取れています。

穀物にも含まれていないのですが、

検出されないのは生産者や農協や行政の努力で改善しているのでしょう。

基本的に農協はチェルノブイリから検査体制を敷いているので、厳格で信用できます。


さて、それは何でしょうか。

まあ、無視して良いくらいの量なので、

何の問題もないと、僕は考えていますが。


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[ 2017/07/29 07:23 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
道草 神宮球場 編
都心の球場では神宮球場が好き。

ヤクルトスワローズの本拠地ですが、同時に学生野球のメッカ。


『 Number』 Web版には、 

 日本の野球はアマチュア野球から始まった。プロ野球が発足するまでにアマチュア野球が人気となり、とくに東京六大学野球が日本の野球人気の中心にあった。

 1936年に職業野球連盟が結成されたあとも、人気は圧倒的に六大学野球にあり、プロの人気が六大学と並ぶのは、やっと長嶋茂雄の登場からである。 

 いつも、プロ野球側にはアマチュア野球に対する強い劣等感があり、アマ側からすればプロに対する不思議な蔑視があった。 
http://number.bunshun.jp/articles/-/826933?page=2 



青田昇 著『サムライたちのプロ野球』には 、

 いちばん人が集まったのは東京六大学の野球であり、日本で最高の試合は早慶戦だった。
職業野球を見る人の数は限られており、それはまだ特別なマニアのものだった。

とあり,

その職業野球を国民的人気のプロ野球に変えたのが大下のホームランだと云う。

 
『大下弘 虹の生涯』(辺見じゅん著)の帯に書かれているのは、

「戦後、廃墟の空に虹のようなホームランを放って、
人々のこころに希望の灯をともした男がいた」


巨人、西鉄、大洋などの監督をして、魔術師と呼ばれた三原脩は、

「日本の野球の打撃人を五人あげるとすれば、川上、大下、中西、長島、王。

三人にしぼるとすれば、大下、中西、長島。

そして、たった一人選ぶとすれば、大下弘」

と言っています。(『さよなら平和台 夢を思い出をありがとう』西日本新聞社)


それまでの野球では、

打撃は川上の弾丸ライナーのように引くく強い打球を打つのが理想で、

高く上がるフライは取られればアウトになるだけの打球。

それを大下は外野スタンドまで持って行くホームランにして、

ファンは熱狂。


大下は豪快でやんちゃ、

置屋にバットを常においていたとか、

飲み屋や遊郭からそのまま球場に行って、泥酔したままホームランを打つような逸話が多いけれど、

残されている日記を読むと、どうも違うみたい。

それは毛筆の達筆で、写経のように書かれています。

純情で緻密、近所に住む老人や子どもたち、町内会の人に愛されたらしい。

そして、

大下が特攻隊員であったことを始めて知りました。

死ぬべき人間だったものが、どのように野球に、人生に打ち込んだのかは想像できない。


日記は、

『大下弘日記―球道徒然草』 (ベースボールマガジン社)

『「文芸春秋」にみるスポーツ昭和史 第1巻』(大下弘「青バット日記」 山口 瞳.著)

で読むことができます。

また、

大下が書いた『野球読本』(少年選書)は、

国会図書館デジタルデータで観ることができますが、これがすばらしい。



さて、神宮球場。

JR信濃町駅を出て左手のコンビニで買い物をして、その前にある歩道橋を渡ります。

春には階段上に満開の桜が覆いかぶさるように咲いている。

階段を降り、ビルを抜けて神宮外苑へ。左に森のビアガーデン。

次の信号を右折すれば右手に絵画館。この前の広場が大きく、いろいろな色の桜がある。

野球場の手前にバッティングセンター。現役投手の映像から球が飛んでくるのが楽しい。

バッティングセンターは短時間にストレス発散が出来る場所で、肩こりや二日酔いにも効果的。


球場に入ると、ここはグラウンドと客席が近いから臨場感があり、

何より屋外だから気持ちが良い。ドームとは違う。



レフト応援席からマートンも近かった。


大声で応援するスポーツ観戦はストレス解消に非常によろしい。

大声とともにトラブルも飛んで消える。大空と一体になる。無染無着と云っていい。


ナイター後には、信濃町駅前にラーメンの屋台が出て、

両チームのユニフォームを着たファンが、肩を並べて食べています。


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[ 2017/07/30 09:23 | Comments(0) | 道草 ]
寝汗について

陰陽研究塾の記事 54  


※お盆行事が続くため、早めに配信します。 


※この記事はご質問や最新情報の取得によって、 逐次加筆訂正してお届けします。


  


●寝汗について
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/hs87f7WIDrc



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[ 2017/07/31 10:50 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
そうではないかもしれない
Yさんという信頼している先輩がいます。

この人は、僕が話すことにたいして常に、

そうではないかもしれない、

と考えるように誘導してくれる。

これが何よりありがたい。

いつも自分を正当化してしまうので。


そして、意味の無い勝手な想像や感想は言わない。

きっと、あれだよ、そうにちがいないよ

なんていう類の戯論が無いから気持ちいい。


例えば、

相手の言動が気に入らなくて怒りがこみあげる。

あんなことを言う、ああいう態度をとるのは、

オレを馬鹿にしているに違いないと思って怒る。

でも、そうではないかもしれない、

と思えば、確認して真実を知る可能性が高くなる。


テロ事件が起きた。

あの男もあやしい、おかしなことをしていそうだ、風体も変だ。

でも、そうではないかもしれない。



原発事故が起きた。

すべては汚染され、政治家と企業はウソばかりで、マスコミもそれに同調し、

国民はだまされ、病気が増えている。

これは大変だ。

事実か噂話かなんて確認なんてしなくていいから、どんどん情報を垂れ流さなくてはいけない。

そうではないかもしれないのに。



また失敗した。思えば人生ほとんどは失敗ばかりで、良いことなど何もなかった。

だから、もう生きるのは止めたい。

でも、

そうでもないかもしれない。



子どもが親の望みどおりには育たいない(ように思える)

そうではないかもしれない。

そもそも、

親子は別の人間だから、親子という特別な関係を維持しようとする親はおかしい。

と思っても、そうではないかもしれない。

生きていれば毎日初めての経験をする。その時どうしたらよいのだろうか。

進学、就職などで、希望より不安や戸惑いが多くなる。

その時さらに「親」という重荷を背負わせていないだろうか。



単身生活をしていると、

いいですねえ、自由ですね、やりたい放題だね、

という人がいる。

そうではないかもしれない。

寂しいでしょ、大変でしょう、と同情(心からそう思っているわけではないだろうけれど)

する人がいる。

そうではないかもしれない、と考えないのだろうか。


一緒にサケを酌み交わせば、心が打ち解けて仕事もうまく行くから、

飲みにいこうと誘われる。

そうではないかもしれない。



仏教はすばらしい教えである。

そうではないかもしれないから、

勉強し実践して確かめる。

そうして、ある境地を知る。


いずれにしても、

相手を裁く前に自分を裁くことで、

事実が見えてくるのだろうな。

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[ 2017/07/31 11:03 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
便秘の原因と食養
本文を読むにはこちらからパスワードを入力してください。
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[ 2017/08/01 09:19 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
初めての出来事
『私の嫌いな10の言葉」(中島義道 著)を気分良く読んでいたら、

中野翠『へなへな日記』の引用で、

「ブスという言葉は、うまい。たった二文字なのによく感じが出ていると思う。感心してしまう。」

とあり、中島先生は、鋭敏な言語感覚と書いています。


デブも同じですね、聞いただけでよくわかる。

耳で聞いてよくわかる、というのが大切。

家庭と過程と仮定など、聞いただけでは分からない言葉は良い言葉ではない。 

ブスでデブも、

しっかりと伝わる言葉で、何より短いのがいい。

それに比べると、

あなたは良い人だ

キミは優しい人

なんていうのは胡散臭い。

本当はそうでもなく、裏では何か悪いことをしていたり、

心の中は違う印象がある。


ちなみに、

「○○にやさしい」というのは、

「害はある。しかし今までの製品よりその悪さの程度はやや低い」ということ。
(お言葉ですが4 広辞苑の神話』高島俊男)

優しい人、と聞くとそれを思い出す。




この夏,

長男は海外の学会(複雑系物理化学というモノらしい)に出席し、

次男は化学工場の研究所でインターンシップに入り、

どちらも初めての経験。

僕もこの夏、

人生で初めて、

「おじいさん、どうぞ」

と、宇都宮線蓮田駅を発車してすぐに席を譲られた。

僕はおじいさんなんだ

と知り、

これからは何をしても、老いぼれだからという理由で許してもらえるかもしれない、

と思ったら、ずいぶんと気持ちが楽になった。






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[ 2017/08/01 09:27 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
肥満(ダイエットの失敗)の原因と食養
本文を読むにはこちらからパスワードを入力してください。
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[ 2017/08/02 08:41 | Comments(0) | 穀菜食の舎 ]
戒香定香
縁者の自宅で法事。

読経の途中で、

順番にお線香を

と促したら、

全員が3本づつ火をつけようとするので、

ちょっと待って、危ないから。

一本でいいですよ。

と言ったら、

どこかのお坊さんに、必ず三本づつあげるよう云われたらしい。

どういうつもりが知りませんが、心を込めて一本でよろしい。香炉からあふれて危険。

ちなみに、

香典はこちらから名前が読める向きで置く。

祝儀不祝儀とも、受け取ったものは正面がお客さん側を向くようにお盆などに載せますが、
 
仏さまは返せないからね。

まあ、これはどうしても、という作法でもないけれど。



さて、お香は精進(線香)や戒律(塗香)の象徴。

「香はよく穢悪を除き、煙気は雲生に象(かたど)り

慧雲法雨を含んで、つねに衆生を潤すに擬す」

「菩薩は悲願を懐(おも)うて、つねに戒定の香を塗り、

煩悩の病を滅除して、苦海に舟航となるなり」(『宗秘論』)

 
「浄心を塗香とし、万行を妙花とし、功徳を焚香とし、果徳を飲食とし、智慧を灯明とす」(『行法肝葉抄』道範)

とある。

僕らは、香の煙(香り)とともに法界(仏の世界)に入ります。

香りが衣にしみつくように、

戒律や功徳をしみこませる。習慣ですね。

人間はいろいろな戒律約束を破らざるを得ない弱い存在なので、

懺悔反省します。

そして、

戒律の条項そのものではなく、その背景にある差別を戒めます。


戒律は修行に総括されます。

やむを得ず生きるために戒を犯すけれど、

そのことに心をおき、

この世の総てのものに恩があることを実感する。

それを感じることが修行です。


「修行の人 すべからく本源を了すべし。若し本源を了せざれば学法益なし
いわゆる本源とは自性清浄の心なり」

と『一切経開題』にある。

本来清浄である自分の心を知ること、忘れないこと、そのようになるよう工夫することが戒律になります。

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[ 2017/08/02 09:21 | Comments(1) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
夏の姿 その1  鼻のニキビ

ラーメンを食べ歩いている息子の鼻に吹き出物があった。


牛ブタ鶏のうち、


鶏がいちばん小さい、


よく動き回る


だから、もっとも陽性。


その卵の成分をみると、

Na140、K130


と非常に陽性です。

https://fooddb.mext.go.jp/details/details.pl?ITEM_NO=12_12004_7


だから、

食べ過ぎたり、代謝がうまくいっていないと、

身体の陽性な場所(鼻、背中の中央、肘膝の裏)に陽性(赤いなど)な症状が現れます。


これは、陰性なトマトや香辛料、キノコ、発汗で消える。

消さないと、濃くて流れにくい血で、トラブルの原因になります。


暑い(陽性)な夏は陰性なものを多くとりますが、

カロリーの無い陰性が多いと、出血(陰性症状)しやすくなります。

夏は血が出やすい、ということ。

そういう時は陽性でアルカリ(カルシウムが多くリンが少ないもの)をとれば止血になります。


陽性な夏には排毒が進みますが、

陰性なアルコールや砂糖はお腹側に、

陽性な肉や魚は背中から、吹き出物などによって排毒します。


暑いからといって涼んでばかりいないで、

よく動いて陰性な野菜や果物や水分を摂り、

(陰性は広がるから排毒され、肉魚卵などの陽性は縮むから排毒されにくい)

腹巻、腹這い、朝に醤番、少しのおこげなどでお腹を温め、

快適で楽しい夏にしましょう。


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[ 2017/08/04 17:38 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
夏の姿 その2 カッコウとヒグラシ
目が覚めたらヒグラシが鳴いていた。

先月はカッコウの声が聞こえていた。

出張先の宿でもどこでも、

場所によっていろいろな音声を聞きながら拝めます。


蝉しぐれの中では、セミになりきる、

なんていうことを禅の本で読んだことがありますが、

音そのものや、それが何の音かを認識する心は、

迷い煩悩の元になりがちです。

異性の悩ましい声や乾杯の音頭のように。


でも、

一切の存在を肯定する立場になれば、

どんな音も声も仏さま。


一切のものは大日如来(真理)の顕現であり、

どれもが、

本来不生不滅で言説を越え、塵垢を離れ、原因を超越し、大空のように広く大きく障害が無い、

という仏の属性を持っています。


宇宙も僕も、

カッコウもヒグラシも、

悟りの表現に過ぎない。

象徴ですね。

そういうもので世界はあふれている、

ということを、涼しい早朝に感じると、

素敵な一日になります。


「五大は五字五仏および海会の諸尊これなり」

と『声字義』にある。

すべての存在は真理の標識である

ということ。


時には早起きして、

ゆっくり何かをしてみましょう。



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[ 2017/08/05 06:21 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
夏の姿 その3 タネの秘密
中学高校と部活優先の毎日。

夏休みも家庭より部活、

という生活で、家での躾がまったくできていないまま結婚して親になったら、

いろいろ不自由なことが多い、

という話を近所で聞いて、甲子園球児はどうなのだろうか、と思う。


それはさておき、

きゅうり、トマト、ピーマンなどのタネは小さく柔らかいので、

そのまま食べても問題無い。

それどころか、面白い効果がある。


植物では、根が最も陽性な部分で、種子が一番陰性。

陰性だから拡がる力があるので、発芽して成長する。

陰性な働きがあるから、構造は小さくて固い陽性になります。

根を食べれば陽性になり、種子を食べれば陰性になるだろうから、

排毒の力は強いと考えられる。

米などと同じで種子は、花や茎や根になる成分の元(脂肪やたんぱく質)があるので、

食べ物としてのバランスはよろしい。


ところで、

ぶどう、スイカ、桃などの種は、小さいけれど硬いから消化吸収できない。

固い皮を取ればおもしろい効果はあるだろうけれど、

消化できないものが大量にあると、胃腸はストレスをうけて免疫力が低下するかもしれない。

それほど大量に食べることはないだろうけれど、

石ころと同じで、

食べられないものは食べない、というのが生き物の特徴。



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[ 2017/08/06 14:16 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
生死涅槃は無別なり
野菜を切って塩と酢を振り、

味噌汁の残りでお揚げを煮しめ、

ゆでた中華麺と和える。

ごま油とコショウを少し。

麺と野菜は同量くらいがいい。



それはさておき、

地下深いところに地獄があって、悪いことをするとそこへ堕ちる。

人は死んで四十九日経つと生まれ変わる。

お盆にはご先祖さまが帰ってくる。


こういうことが、そのまま生活に溶け込んでいるような人もいますし、

そんなバカバカしいことがあるもんか、という人もいる。

いやいや、
 
それは何かの象徴で、真実を説明するための方便なんだ、という人もいる。


お盆はご存知のように盂蘭盆の略ですが、

その語源は、

サンスクリット語のウランバナ(倒懸・逆さづり)という説があるけれど、

僕はアヴェスター語のウルヴァン(霊魂)だと考えています。

サンスクリット語とアヴェスター語は同じインド・ヨーロッパ語族。


日本では、

606年推古天皇の時、盂蘭盆の斎会で、七世の父母の恩に報いるといったことが行われており、古い習慣です。


お盆も地獄極楽も生まれ変わりも、

それを信じていると、自分の行いを正し、自分の死を冷静に考えるきっかけになりますから、

まったく無意味では無い。


もし、貪り怒り愚痴疑い慢心があれば、

そこから苦しみや迷いが生まれます。

ということは、

貪り怒り愚痴疑い慢心が無ければ、苦しみ迷いという執著(これがあるものを生と云う)も無く、

生がなければ(迷いとしての)死も無い。


実際には、僕らはいつか死んでしまうけれど、

死すべき身であることを知り、命を喜び、人に生まれたことの意味を探すのが求道。

既に死んでしまった人には、

生きている周りの人がそれを考えて生きる。


 故人の長所に学んで自分の生きかたを考えることを供養と云い、

拝むことで、他への心遣いを練習することを回向といいます。


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[ 2017/08/07 07:11 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
祈る功徳

薬を信用していれば、

病人は薬があることで安心し、

貧乏は金銭により安心する。

医薬金銭が病貧乏に効験あることを信じている人は多い。

同じように、

僕らは、悟りとそれに向かう修行方法を信じています。

でも、

貧乏や病気と違い、

すぐに効用が現れないし、

そもそも、悟りを必要と考えている人は多くないだろうな。

そのあたりが、仏教の大きな問題なのだけれど、

お盆には多くの人が祈ります。

何を祈っているのだろうか。



祈れば功徳があるけれど、

それは与えられる報償ではなくて、

修行できることが功徳。

修行できるということは、

心に潤いを受けること。

心が乾燥していると、怒りや貪りの火種になる。

世界はそういう人が少なくないらしいと、

毎日のニュースで感じる。


仏教は慈悲を大切にしているけれど、

それは単なる施しではなく、苦楽を分かち合うこと。

それが心楽しいことなのは、

夫婦恋人親子師弟なら感じることなのだけれど、

忘れていることが多いのだろうな。


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[ 2017/08/12 17:56 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
儀式と化粧
夏によくあることですが、

味噌汁が残っていたので、トマトと厚揚げを加えて煮込み、

ローリエとこしょうで調え、

それでは物足りないのでカレーに仕立てる。




夏によくあることですが、

夏野菜の焼き物炒め物が残っていたので、

出汁と醤油と高野豆腐の粉を加えてひと煮たち。




それはさておき、

近くまで来たのでちょっと寄ります、

と縁者に連絡したら、

なるべくゆっくり来てください、

妻が化粧をするから、と云う。

他人に会うとき、女性が化粧をするのは身だしなみのひとつだろうし、

こちらとしても、会う限りは衣体と足元を調えて向かう。

まあ、よそゆきですね。


化粧をする必要があるかないかは、人により場合によるでしょうが、

したほうが良いときはしたほうが良い。

それが、

適度なものであるかどうかで、人も相手もずいぶんと変わる。

表面が変われば、内面にも影響する。

でも、

それが真実でないことは誰でも知っている。


僕らの業界は儀式が多い。

儀式でごまかしている、という面もある。

人を相手にする場合、儀式が必要なときがあり、

必要なときにはしたほうがいい。

それによって、人の内面も変わる。

けれど、

それが真実でないことを知らない人が少なくない。

しかも、

その儀式も内容が適当でなく、なぜそうするかを調べることもない。

化粧が下手で、かえって醜くなるように、

下手な儀式で台無しになることもある。

やるなら、ちゃんとやる。


化粧も儀式も無くても良いものだけれど、

役に立つことも多いから、

丁寧にするのがいい。

そして、

それが完成ではなく、

そこから内面の真実を探る生きかたが始まる。
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[ 2017/08/21 16:54 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
供養となんだろうか?
O157の写真を見ると、陰性な形状をしています。症状も極めて陰性。

ですから、陰性な体調で感染し、手当ては陽性な飲み物


マダニのSFTS ウイルスは丸い陽性な形。

なので、陽性な体調で感染し、手当ては陰性なもの

と考えられます。


それはさておき、

夏は先祖供養の季節ですが、先祖供養とはいったい何だろうか。


『性霊集』には、

故人の周忌に法要を営んだ時の願文や表白が二十八あります。

内容は、

死者の追善菩提を願う

死霊が悟りの世界に至ること(成仏)を祈願する 

こと。

僕らは仏性(仏の性質、悟る可能性)を持っていますから、

修行して仏になる(成仏する)、悟りにいたる可能性があります。

もし、

死霊や霊魂があるならば、それにも仏性があるはず。

霊は仏性そのもの、とも云えます。

悟る可能性を持ったまま亡くなった人に対して、

悟る可能性が確実な僕らが供養します。

これは、

死者を拝むのではなく、

仏菩薩に供養することで、故人の菩提(悟り=成仏)を祈願します。

ですから、

家内安全商売繁盛息災延命試験合格交通安全を願うことと同じ。


供養の原理は三密行(供養法)という修法ですが、

これは仏・自分・衆生が三平等であるという立場です。

そして、

悟りを願うが故に救済されます。

僕が知らないところで、誰かが僕の幸せを祈っている。

そのことで僕が救済される。

 
供養は、サンスクリット語のプージャー(pūjā)の訳で、本来の意味は「尊敬する」

仏、菩薩、諸天に香・華・燈明・飲食などの供物を捧げます。

それらの供物は供養の象徴で、

香は持戒すること、華は耐え忍ぶこと、灯明は勉強すること、飲食は心静かに瞑想すること

これらの行為で、

自心中の仏に対して、供養します。

さらに、

『理趣経』には、

「発菩提心則為於諸如來廣大供養」

とあり、

菩提心をおこすことが供養の第一。

悟りを求める心を起すことですが、

『菩提心論』に、

悟りを求めるものに必要なのは、

向上心と慈悲心と秘観を修法すること。

具体的には、

何かをしてあげようとする心、喜びを表すこと、他人のために日常生活で実践すること、心を探求しコントロールすること。

それが、自他ともに悟りへ導こうとする心になり、

故人の成仏につながります。




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[ 2017/08/23 07:54 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
ストレッチ・ポール


10年くらい前、

これを使うストレッチを六本木コンディショニングの橋本先生から教わり、

塩ビ管に毛布を巻いたもので代用していたのだけれど、

お金がたまったのでようやく買えた。

塩ビ管よりぜんぜんいい。

背骨と肩甲骨とその周辺を柔らかくして、

神経反射の確認もできる。

夏は繁忙期の上、僕は「休憩」が嫌いなので、だいぶ疲れがたまっていたみたい。


背中は陽性な場所なので、夏の暑さなどの、少しの陽性で硬くなり、

陰性な胃や六腑に影響します。


食べ物で調整するのが良いのだけれど、

こういう方法も簡便で良い。

ストレッチの後はよく眠れる。


リンドバーグ社で送料込み4.374円。

ちなみに、

ネット購入だけれど、送料無料のものは買わないようにしている。


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[ 2017/08/24 15:38 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
吸い玉


20年くらい前に医工のガラス製を買い、重宝しています。

ポンプは2代目。 

最近はプラスティック製のものが多いようですね。

吸い玉は、ショウガシップと里芋パスターの代替になり、

方法が強引なので結果が早いのが特徴。強制的に血行を促す。

体力がある時に使うと効果的ですが、もっぱら食養が面倒な時にこれで対応します。

例外として、

スズメバチに刺されたときも使った。



ところで、

胸に手を当てると、そこに意識が集中して落ち着きます。

落ち着かないというのは散乱している、ということ。

吸い玉を当てたところも同じ。

腰、臍、心(胸)、額、頭頂の五ヶ所に意識を集中し、

それぞれの場所の働きを仏の働きに転換する観想によって、

仏の智慧と仏身を得ることができます。

広々としてさわやかで風通しの良い心になる。

もちろん、

吸い玉を当てなくても良い。


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[ 2017/08/25 15:27 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
精進料理教室のおしらせ
仙台でお世話になっているかたが企画してくれました。

お気持ちがありましたら、どうぞお越しください。


野菜で優しく

  さわやかな心身を作りましょう。

~ 精進料理講座  附 食養と陰陽望診法の話 ~ 
 

講師 : 須永晃仁 

日時 : 2017年9月17日~18日

場所 : 日立システムズホール仙台
  (地下鉄 南北線 旭ヶ丘駅下車)
       
●17日(日)
14時~16時  精進料理講話 3階 クッキングルーム 
16時半~19時 料理教室   3階 クッキングルーム
炊き込みご飯。利休汁、いもねぎ、煮浸し、餃子、小皿 
                     
●18日(月)
10時~12時  陰陽望診法 講話
13時~15時  食養手当て法講話  
  
受講料:2日間 8000円
    1 日のみ5000円   
    (※ テキスト希望の方は、1500円別途)

定員 15名


●申し込みは、下記までショートメールでお願い致します。

高橋 090 9427 5623
國永 090 9630 1372
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[ 2017/08/26 17:58 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
整備不良
自転車を借りたら、

タイヤはパンク、スポークとチェーンは錆び、ブレーキも効きが悪い。

だって、乗る機会が無いから、

と貸出人は云う。

乗らなくても、点検整備はすれば良いのに。

そうしないと傷んだり壊れたり、いざと言うときに困るから。


自動車もガソリンを入れるだけでは動かない。

オイル交換やタイヤの空気圧チェック、法定点検以外の整備や洗車をしないと、

長持ちしないし、トラブル防止にならない。


年賀状は出さず、

葬儀は家族で済ませて、お世話になった縁者に知らせず、法事もしない。

PTAや町内会では、うつむいてじっと黙って何もしない。

社会人として整備不良だろうな。



早寝早起きをせず、

暴飲暴食、 不自然なものを食べ散らかし、

心を平安にせず貪り怒り愚痴を言い、

いざという時に

病気やケガで苦しみ、他人の世話になる。

これも整備不良の結果。


一日は24時間もあり、人間は長生きだから、

点検整備して、ゆっくり安全運転する時間は充分にある。


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[ 2017/08/28 07:33 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
お大師さんはなぜ右を向いているのか 1
1、真言密教と真言宗の違い 



弘法大師空海像 (金剛峰寺ホームページから)

 
お大師さんは少し右向きである。 


以前から、

真言宗というグループの中にいて、何となく違和感を感じていたのだけれど、

「真言八祖像の成立と弘法大師信仰ー空海御影と「仏教三国」をめぐってー」
                        (『立命館史学』23、2002)

を読んで、そのモヤモヤが少し氷解した。

それは、

真言密教と真言宗は違う、ということ。


真言密教は『大日経』と『金剛頂経』をよりどころとし、

悟り(即身成仏)を目的に、数々の修行方法を実践する。

大悲(自他を救うこと)
勝義(道を求めること)
三摩地(心を静かにまとめる瞑想修行)

が基本。

祖師は金剛智、不空、一行、善無畏、恵果の五人。(実在の人のみ)


真言宗も、よりどころとする経典や目的は同じだけれど、

お大師さんの思想が中心になり、祖師は弘法大師空海。



当然、インド中国から伝わった大日経・金剛頂経にお大師さんは登場しない。

真言宗で必修とされている十巻章には、

お大師さんが引用した両経典の文章があるけれど、それはお大師さんの思想を経ているから、

原典を読むのとは理解が少し違う。

そして、

真言宗はお大師さんが入定した後、お大師さんを祖師(大師堂や御影堂の本尊)として拝み、

お大師さんが入定した21日に行う御影供(みえく)は重要な儀式になっており、

真言密教よりは民衆に近い仏教であると云える。


真理の体得は人によるのか、教えによるか、考えかたが二通りある。

お釈迦さまを礼拝するのか、お釈迦さまが説いた四諦八正道の勉強と実践によるのか。

お大師さんを拝むのか、お大師さんが体系づけた実践修行によるのか。


人を拝む場合、

勉強と実践は二の次でもしなくてもかまわない。ただ、心から拝めばよろしいという雰囲気になる。

したがって、

即身成仏(悟り)は薄れ、思想の外に出てしまいがちである。


特に、

お大師さんは十住心思想などによって、

霊魂の存続という非仏教的な思想を、

成仏への祈願という仏教的行為に転換させたから、

死者に対する儀礼が重要視され、

修行による悟りを求めなくても、

葬送儀礼先祖供養ができればよい宗教になってきた一面がある。

お大師さんを礼拝するけれど、

お大師さんの教理、成仏論、仏身論は知らない人が少なくない。そこに真言密教があるのだけれど、


以下、明日。
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[ 2017/08/29 09:22 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
お大師さんはなぜ右を向いているのか 2
2、事実と信仰の空海

『大日経』も『金剛頂経』もそれがあるだけでは広まらず、

お大師さんによって弘通された。『菩提心論』も『般若心経』も同じ。

僕ら末徒は、それによって教化され理解を深めている。


偉人といわれるような人は、永遠のいのちを持つ。

お釈迦さまやキリストさま、お大師さんもそうである。

遺族が故人先祖を思うのと、構造は同じ。


仏教は空無我の教えであるから、

ある特定の人を実在のように拝むのはおかしいけれど、

父を慕うように、

師に憧れるように、

学ぶべき存在として、

行き詰まりがある時の支えとして、

拝むことは信仰の入り口である。

そこから、混じり気の無い心が生まれ、

自分だけではなく他を思う気持ちにつながり、

自分にとってより良い教えを取勝捨劣し、

心をコントロールできるようにする。


お大師さんは垂迹である、という論文がある。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40019355558

本地は第三地の菩薩で、だから、同行二人であり、奥の院で今でも修行している。

これは『御遺告』「初めに真言宗成立の由来を示す縁起第一」による。


さて、

お大師さんの画像がなぜ、右を向いているのか、ということについて、

正面より斜めのほうが図画として効果的なのか、という僕の質問に、

仏師・木村光秀師は、

「特に祖師像はその人の見た目から、内面性迄も後世に残さないといけませんので、絵師が本人を見ながらというのならいいのですが、第三者が特徴を伝えながら描かせる場合、斜めの方が描きやすいと思います」
 
と教えてくれた。


『弘法大師影像図考』(水原尭栄 著)には、

畫面はたいてい横向きの線に書かれてありまして、御頭の曲線あたりの特徴は骨相学上より見まして大師様の諸芸通達見諦の大阿闍梨として発達せる有様を骨相の上よりも書き出されてゐるのでないか

とある。


真言八祖像を見ると、

龍猛、善無畏、お大師さんは右向き

龍智、金剛智、不空、一行、恵果の六師は左向きである。

描かれている印相を見ると、

龍猛、善無畏、お大師さんは加持をしている姿で、他は違う。

右向きというのは、加持をしている姿なのだろうか。

それも、

お大師さんが持っているのは五鈷であるから、

本尊ではなく衆生(人)、拝む僕らを加持している姿である。

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[ 2017/08/31 18:39 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]
引導法の研究
『六大新報』460-462(1912年)に、

栂尾祥雲先生の「引導法の研究」が連載されていたので、

担当者に頼んで複写を送ってもらう。

個人的意見を加えてまとめました。 


1、引導の起源

引導と云う言葉は

「衆生を引導す」(『法華経』方便品)
「仏自ら浄飯王を引導した」(『浄飯王般泥涅経』)

が始まりか。

大乗以前は、

僧侶が俗家の葬儀に関与することを禁じていた(『善見律』)


2、仏式葬儀の起源(日本)

622年 聖徳太子薨去のとき、

高麗の僧 恵慈が僧を請じ、齋を設けた(『日本書紀』第二十二)

702年(大寶2年)持統天皇を飛鳥の岡に火葬。 元興寺道昭により始行

756年(天平勝寶8年)聖武天皇崩御 香、華鬘、蓋繖などの仏器を用い、僧侶が讃唄を唱える。 これは誅詞のようなもの

まだ、引導作法というものは無い。

当時の一般庶民は、

家長が葬り、土葬、水葬、風葬などで棺は無く、遺体は山野に捨て置くことが多かった。

822年ころ、『日本霊異記』(薬師寺 景戒)で、

漢の「冥報記」に擬して、追善の修すべきこと、写経読誦の功徳を説く。

__________

同時期の『性霊集』に、忌日追善の願文・表白が28編ある。

空海は宝亀5年(774年) - 承和2年(835年)
__________

3、その後、

『引導大事』御流(大師作とあるが偽作)流通。

内容は、

授戒名、授戒、引導大事(智拳印)、アビラウンケン、仏眼、オン字、血脈、撥遣、

純粋に密教思想(即身成仏為本)に基づき、浄土思想は無い。
 
空海の時代、戒名をつけることは無かった。


支那では、

黄檗の希運禅師が引導の開祖(『山海里』)

「北星河水流不尽 我子五逆入無所
 一子出家九族生天 此語妄語諸佛亦妄語」
(死せる母に対する引導)


延喜以降、日本では陰陽師が陰陽道によって葬儀を行う。

1036年(長元9年)後一条天皇の葬儀(『類聚雑例』)

入棺後、殯宮に奉還し、翌日葬送

時日方角は陰陽師による

次第は、

黄幡
炬火者 十二人
御前僧 二十人  ⇒ 『浄飯王般泥涅経』棺前引導に擬したもの  天台僧が担当。
歩障
火輿
行障
御輿
香与
御膳辛櫃
開白相府
以下行列

引導法の基礎は、仁海僧正(951-1046)による。

それは、

宇治の関白頼道公のため経帷子に、

即身成仏の真言、決定往生の真言を書く

さらに、

陰陽師が行う地鎮法に密教の根拠を調えた。(地鎮法「付真言宗取葬所事」)


覚鑁上人(1095-1144)の「一期大要秘密集」に、
 
決定用心の事 、引導大事の次第がある。
 
______________

ここには、

大日如来の教令輪真にして、諸魔降伏忿怒の尊たる不動尊を祈念して、
天魔外道の障礙を避けることが書かれている。

葬儀の本尊は不動、という根拠のひとつかもしれない。
_______________

覚鑁さんの次第は、

まず死者に授戒、授戒名 仏弟子ならしめる。

これは、『善見律』などに、仏弟子にあらざるものを引導する事を禁じているから。

そして、

導師自身がまず成仏してから、亡者を成仏させる次第になっている。
 

_________________

現代でも、

引導の前に、自坊で不動法一座を修法すること

が伝授されるので、導師はそうするべきであろう。
_____________

鎌倉時代

成賢師『作法集』中の『葬送作法』では、

導師みづから成仏の観を成じたる後、初めて亡者を加持する

墓所を浄土とする

とある。


室町時代

浄土思想が取り入れられる(世間で大流行していたから)

具体的には、

阿弥陀如来来迎印、六地蔵、十三仏の思想など。
 
1254年(建長6年)の『十王讃嘆鈔』には、

年忌は三回忌まで(10回)

これによって、人死すれば直ちに不動を本尊として不動印明を結誦する、となった。
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0026-51101&IMG_SIZE=&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E5%8D%81%E7%8E%8B%E8%AE%83%E5%98%86%E4%BF%AE%E5%96%84%E9%88%94%E5%9B%B3%E7%B5%B5%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&IMG_NO=36

当時の次第は、往生浄土系の印言と、即身成仏の印言で構成された。

その後、高野山では『二巻疏』が著されるが、中の「引導作法」は不調和であり、

「引導略作法」は調和した内容になっている。

_______________

現在では、

『引導作法上・下』(東方出版 伊藤真城監修)

に、その引導略作法がある。

略作法といっても、

実際に使うには、とても煩雑で長い時間が必要。
________________
 

さて、

引導は、相手を仏道に引き入れることだけれど、

死者に対して行う、というのはどういうことだろうか。

当然のことながら、

死者も死者の魂も、墓や仏壇や寺にあるのではなく、心の中にある。

死者が行くとされる浄土も地獄も心の中にあり、密教では現世が浄土と考える。

ということは、拝む人を引導することになる。

そのような次第になっているのだろうか。

そして、

引導する資格があるのかどうかを自らに問い、

その資質が保てるよう、導師は普段から努力精進しなければならない。


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[ 2017/09/02 06:56 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]



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