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[ 2024/03/29 00:38 | ]
世界の認識と真理の把握
最近の葬儀は、

お導師さんも参列者もイスに坐って拝むことが多い。

寺の本堂は多くが畳敷きだけれど、イスを置いている寺が多い。


法事も修行のひとつですから、ちゃんと正坐してください、

と参列者に注意するお坊さんもいる。



でも、僕は時によって、

お楽にしてください、足は崩して良いですよ、

などと言ってしまう。

僕自身は正坐したほうが拝みやすいし、イスより安楽だし、

姿も美しいと思っているけれど。


法事が修行であるというのは正しく、

何よりも仏教は修行の宗教で、

寺は修行するところ。

だから、

法事が修行でなければ、寺はただの斎場になる。


修行は成仏のためにある。

成仏とは仏になることで、

それは悟ること、

悟りとは自分の心を知ること、

自分の心とは仏の象徴である。

成仏のことを、菩提とか、智とか道とか覚などとも云う。

迷いを転じて悟り、

人格を完成し、

物心の根源を知ることであり、

簡単に云えば、

自他ともに、しあわせな人生をめざすこと。


『即身成仏義』では

即身と成仏を別々に説明している。

即身とは、

自身だけではなく、存在世界すべてであり、

それは、真理の象徴である。


成仏は、

一切を如実に覚知する智慧、

智慧とは、

決断し、選びとること。



即身と成仏は、

三密行という修行によって結びつく、

と説かれている。


僕らがいるこの世界の真実は、

修行を通して、

価値ある世界になる。

その時、

僕らはただ存在しているのではなく、意味があることを理解し、

その瞬間、

一切の苦悩が消える。


自分らは本来仏であるけれど、事実としては成仏していない。

即身成仏は、

この身のままで仏になる

などという簡単なことではなく、

僕らは悟りの可能性を持っている、

もともと大きくて素晴らしい存在である

ゆへに、他を救いしあわせにできる、

ことを、修行を通してこの心身に実現させること。


まずは、

自分はだめな人間と思わないこと、

修行(努力工夫勉強トレーニング)すれば、

必ず人間の成長があると信じること、

日々の表情に注意し、

言葉を選んで、

やさしさと思いやりを実践すること。


法事も何もかもが、

それらの練習になります。






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[ 2017/12/25 14:10 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]

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