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密教とは何か
密教以外の仏教を顕教(けんぎょう)といいますが、教えそのものに違いはありません。

例えば、

般若心経は大乗仏教の最もポピュラーな経典ですが、顕教的な見かたと密教的な見かたがあります。


顕教と密教の区別は人にあります。


仏教は、誰かが神さまの声を聞いたり、啓示があったり、神秘的不可思議なことが起きて始まったものではありません。

お釈迦さまが瞑想修行して気がついたことが最初です。

結果には原因がある

あらゆるものは移り変わり、固定した実体はない

我とは執着であり、本来は無我である

など。

ですから仏教の教主はお釈迦さま、その悟られた内容が基本となっています。

その、悟ったお釈迦さま本人を頼りにするのか、悟った内容を頼りにするのか、

という議論が仏教にはありました。

悟りの内容を、お釈迦さま以外にも修行して得た人がいれば、その人も拝む対象なのか、なども。



密教は大日如来の教え、という立場です。

大日如来は、お釈迦さまが悟った内容を人格化したもの。


ですから、おおざっぱに言えば、

顕教はお釈迦さま、もしくは阿弥陀さまなど修行して悟りを得たかたの教え

密教は大日如来の教え

密教は大日如来が説いており、それを説く言葉が真言や陀羅尼です。


『大智度論』には、

仏法に二種ある。

ひとつには秘密、二つには顕示である。

それらは陀羅尼を説くかどうかで区別される。

とあります。



大日如来は宇宙に遍満し、永遠に光を放ち、真理を説いています。

花が咲き、鳥が鳴き、雨が降り、朝が来て夜が訪れる。

好きな人がいて嫌いな人がいる。そのどちらでもない人もいる。

それらすべてが大日如来の説法、つまり、心を知り迷いを取り除く方便であり、それに気がつくかどうかが、悟るか迷うかの違いです。


お大師さんの『弁顕密二経論』では、

1、顕教はお釈迦さまや、修行して仏になった阿弥陀さまなどの説法

密教は真理の法そのものである大日如来の教え


2、顕教は、悟りの世界は体験によってのみ知ることができる、とし、

密教では、悟りの世界を真言やマンダラ、印契、梵字などで表現説明できる、とする。


3、顕教では長い長い時間の修行によらなければ悟ることはできないが、
密教では、この身このままで今すぐ仏になる(即身成仏)と説く。


4、顕教で救われない人でも、密教では陀羅尼の功徳によって速やかに救われる


と、顕教と密教の区別を表しています。 


密教は秘密の教えですが、その秘密とは、

受けとる側の素質が、その教えや行を受ける段階になっていないから、秘密になっている。

そこに到達してから教える、という秘密

万人に開かれているのだけれど、それを受け取る資質がないから秘密になっているようにみえる。

と言うことです。



まだ泳げない子にいきなりバタフライを教えても危険ですから、泳げるようになってから教える。

教えは広く公開されているのだけれど、ラジオが不良で受信できないように、こちらの状態が良くないから受け取れない。

ということです。


一度見たけれど覚えていない。

でも、二度目には感動した。

三度目に見た時には、より深くそれを理解するようになった。

などど、見る側の目が変化します。


一度聞いたことは忘れる。

二度目に聞いて記憶に残る。

三度目には、こちらの経験や知識も増えているから、より深く理解できるようになる。

など、こちらの耳も変わります。


ですから、段階を踏んで勉強し修行すれば、少しづつ秘密の扉が開かれます。



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[ 2015/01/11 09:00 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]

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