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立石寺あれこれ
長野県飯田市 立石寺の話です。


お寺の名前は現在、「りっしゃくじ」で通用していますが、

「立石寺観音堂縁起」を確認すると、

せんとうざん たていしでら(千頭山立石寺)

とあります。


857年(今から1160年前)宥範阿闍梨開創時は、

大悲山普門寺

という名でしたが、一夜のうちに聖石が大地より出現した因縁により立石寺と改め、

復興に尽力した甲賀三郎兼家(鹿射ちの名手、ほぼ伝説上の人物)が九百にあまる鹿を射ち、

その供養のために千頭山と改めた、

と記されています。


また、『下伊那史』は、

市内 伊豆木の天台別院観音寺が移され、

地名によって立石寺に改められた後、真言宗になった

という説を載せています。

これが興味深いのは、

現在の本堂にある台灯籠には菊紋(天台宗)があり、

寺の隣には比叡山の鎮守と同じ日枝神社がある、

とつながるから。

さらに、

創建時、比叡山から杉を持参したという記事もあります。(『南信濃 飯田ものがたり』)
 

かつては寺の境内だったという、立石集落のどこからでも見える夫婦杉(雄杉、雌杉)は

東西に並んでおり、

彼岸中日には、雄杉の陰が伸びて雌杉の根本に至り、

雌杉の陰が雄杉に達する景色が、朝日夕陽の二回見られるようなので、いつか確認したいものです。

年に二回だけ、ふたりが寄り添い語り合うようで、何だかとても美しい。


立石寺には奥の院があり、

役の行者の等身大石造が洞窟内にある、と縁起に記述があるので、これも確認したい。

等身大とはどういうことなのだろうか。


もっとも興味を引いたのが、

本尊十一面観音と同じ藤原期に作られた木造薬師如来立像(伝慈覚大師作 )の写真が

『伊那』誌(1943.11)に載っていること。とても美しい。 



養蚕が盛んだった地域では、蚕に感謝し供養する風習がいろいろありますが、

立石寺には蚕玉堂があります。近隣のお寺にもあるらしい。

ここには馬鳴菩薩が祀られている、とのこと。


この馬鳴(めみょう)は、

『ブッダ・チャリタ』や『大乗起信論』の馬鳴(Aśvaghoṣa, アシュヴァゴーシャ)とは別人。

 仏典には、馬鳴と蚕が関係する記述は無く、

中国撰述であろう『馬鳴儀軌』が出典
http://www.chisan.or.jp/files/user/pdfD/gendaimikkyo/14pdf/09.pdf 


そこには、

裸形衆生のために衣服を成じようと馬鳴が誓願を立てた。

馬鳴曼荼羅の眷属に蠶(蚕)質がある。

などとあり、

『寶林傳』では、馬鳴が蚕に変化した、とあります(本生譚?)

いずれにしても中国作の民間信仰で、道教の影響かもしれない。 



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[ 2017/09/06 09:47 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]

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