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11、般若心経
日本に伝わった仏教経典はとてもたくさんあります。

お経の百科事典である『大正新脩大蔵経』に収められているのは3,053部(11,970巻)

その中で、最もポピュラーなお経が般若心経でしょう。

葬儀や法事で、護摩祈願やご祈祷で、巡礼やお遍路の際にも、日常のお勤めでも、お唱えします。


このお経は三百文字に満たない短いもので、

大乗仏教の中心的思想のひとつ、「空」を説いた大般若経の精要を略出したもの

とされていますが、

密教では、

大般若菩薩の悟りの境地を表した真言を説いたもの

としています。

その真言が、経文の最後にある

掲諦掲諦       波羅掲諦   波羅僧掲諦    菩提薩婆訶
(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)


お大師さんは、『般若心経秘鍵』のなかで、

真言は不思議なり 観誦すれば無明を除く

一字に千理を含み 即身に法如を証す

行行として円寂に至り 去去として原初に入る

三界は客舎のごとし 一心はこれ本居なり

(真言の意味を観想し、真言を唱えれば、迷いの闇が取り除かれる

真言の一文字に仏の真理が含まれ、それを知ればこの身このままで悟りを体現できる

全てのものは行き行きて死に至り、あらゆるものは去り去って墓場に入る

人の世は旅に宿る借りの姿、心こそ真のよりどころ)

と言っています。

また、

真理を悟るものは誰でもない自分自身である。

迷いも悟りもひとごとではない、自分自身の問題である。

世界は自分の心のありかたによって、たちまちにその姿を改めるものである。

酔っ払いが飲んでいない人を笑い、目覚めている人を眠っている人があざけるのは、何とも哀れで気の毒な事である。

名医はあらゆるものを薬として用いる。名工は宝石を見出す目を備える。薬が薬と知れず、宝石が宝石と知られないのは、それを見出す力を持っていないほうに罪がある。

教えの真の意味をくみ取るのは、人の教養学問人格である、言葉の表面の意味だけではない。

と、般若心経の内容を解説しています。


お経はその題に、その内容が凝縮されています。

般若心経のタイトルは

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
(ぶっせつまかはんにゃはらみたしんぎょう)

お経はインドから中国に伝来して漢訳されますが、その時の訳者によって少しづつ違いがあり、仏説がつかないものもあります。

般若心経は、玄奘三蔵、法月三蔵の訳が著名ですが、お大師さんが釈したのは羅汁三蔵の訳とされています。


そのタイトルですが、

仏説   仏が説いた

摩訶   偉大な

般若   智慧(こだわらない、とらわれない、比べない、あきらめる) 

波羅蜜多 しあわせの岸に渡る

心経   心の縦糸

という意味になります。


般若心経の冒頭は

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一苦厄

(観自在菩薩が、般若の智慧の完成に至る瞑想をしている時、あらゆるもの(五蘊)は空であると見通した。 すると身も心も空なのだと分かり、一切の苦しみが消えた)

五蘊(ごうん)とは、色受想行識(しきじゅそうぎょうしき)

・色蘊:姿形、「あなた」がいる。

・受蘊:感覚、「あなた」を見る。

・想蘊:知識、「あなた」を好きになる。

・行蘊:意志、「あなた」に近づきたいと思う。

・識蘊:認識、「あなた」が、○○な人だと知る。

ということ。

つまり、身体と四つの心の働き

それらは何の気なしに変化する、実に不安定なものです。だから執着しないほうが楽。

そして最後に

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚
(これは大いなる智慧の真言、無常なる真言、並ぶべきもののない真言であり、一切の苦しみを除く空しからざる言葉) 


ということです。

 
般若心経は「空」を説いている、とされるその空とは、

何を見る時でも、その本質を見る、ということはなく、先入観や色メガネで見ています。

純粋にそれを観る、ただ見る、ということはしないものです。

そして、勝手な思い、例えば、見たものを「かわいい」「汚い」「好き」「嫌い」だと思考します。

それは普遍的真実ではなく、自分の妄想です。

その妄想は苦しみ・迷いの根源となります。


何かを見ているその何かは

他のものを原因としてある条件のもとで結果として存在しているので、

固定しておらず、移ろいゆくものです。

幻のようなもの。

それ自体の固有なものはない。それを空と言います。


恒常不変な「私」は無く、五蘊が仮に合わさったもので、実体はない。

ということ。

そういうものに執着するのは意味がない、実体が無いのだから。

幽霊に恋をしているようなものです。

ですから、

諦めて、とらわれないで、魂を解放しましょう

というのが空の考えかたです。



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【修行してみる】

般若心経を唱える時は

仏壇やお寺の本尊の前で、身支度を整え、姿勢を正し、呼吸を調え、心静かに唱えます。

そのように、心を集中してひとりで唱えることは大切ですが、

それとともに、いつでもどこでも世界中宇宙中に広がるように唱えることも意味があります。

仏に、誰かに、誰にでも届くように、この真言の功徳が行きわたるように唱えます。

お風呂に入りながら、歩きながら、トイレでも布団の中でも、ただ唱えます。

何も考える必要はなく、何か考えてもよろしい。ただ唱えます。 

唱えた経文や真言に自分が包まれるように。

世界中がそれにつつまれるように。 

そして、

世話になったひとりひとりを心に浮かべ、その人たちが悟りを開くように、幸せになるように唱えます。

特別な時と、特別ではない時、両方唱えます。
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[ 2015/05/03 18:17 | Comments(0) | 眞天庵仏教塾・密教塾 ]

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