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何を唱えているのか ~ お経本雑感 1
真言宗で常用している『理趣経』は、

17段(章)に分かれており、それぞれ17尊の教えが説かれています。

格段の文末には、

○○如来は、妙慧の道を説くこの教えを重ねて明らかにするために、

顔をやわらげ、心を喜ばし、微笑をたたえつつ、

それぞれの印を手に結び、それぞれの仏が住する、まことの心髄の言葉を説きたまえり

と書かれ、

最後に、その内容を端的に表した印契と真言があります。

つまり、

口で唱え、身体(手)で仏の姿を表し、仏の誓いを心に観想できるように構成されています。

実践的なお経なんですね。


一般に流通しているお経本では、

懺悔文(さんげもん)と、三帰(さんき)十善戒などの戒律が最初に書かれていることが多い。

懺悔文は、

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞう しょあくごう)
皆由無始貪瞋痴 (かいゆむし とんじんち)
従身語意之所生 (じゅうしんごい ししょしょう)
一切我今皆懺悔 (いっさいがこん かいさんげ)

行いと、言葉と、思いによって作られた悪業を懺悔します、と。

三帰は、

弟子某甲(でしむこう)
盡未来際(じんみらいさい)
帰依仏(きえぶつ)
帰依法(きえほう)
帰依僧(きえそう)

仏(師)と、その教え(薬)と、それを伝える集い(友)に帰依します、と。


そして十善戒は、

弟子某甲 (でしむこう)
盡未来際 (じんみらいさい)
不殺生 (ふせっしょう)
不偸盗 (ふちゅうとう)
不邪淫 (ふじゃいん)
不妄語 (ふもうご)
不綺語 (ふきご)
不両舌 (ふりょうぜつ)
不悪口 (ふあっく)
不慳貪 (ふけんどん)
不瞋恚 (ふしんに)
不邪見 (ふじゃけん)

身体に関すること三つ

言葉に関すること四つ

心に基づくこと三つ

これを戒として保ちます、と。


つまり、

生きているだけで知らず知らずのうちにおかしてしまう罪を懺悔反省し、

他のためになるように生きます、と誓う内容。

理趣経と異なり、条文のように並んでいるだけですから、

これを唱えるだけでは、懺悔したことにも、戒を保つことにもなりません。

ですから、

お経本は唱えるだけでなく、

そこに書いてあることを心に留め記憶し、行動することで、

宗教としての意味が出てきます。

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[ 2019/04/11 12:02 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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